8月3日(1) 日が暮れだすと風が涼しい

「身構えて損した……」

「何がだい?」


 ドレスシャツに袖を通しながら、ファウスがオレのつぶやきに問いかけてくる。


「セリが『もう一つの顔』なんて言うからさ」

 そう返して、シャツのボタンを一つ一つ留めていく。


 先日、六皇家ろくおうけの誕生パーティーに参加する姫君のエスコート役を任された際。

 彼女はオレをペットのポチとしてではなく、もう一つの姿で連れて行くと言った。


「あは、いくつも顔があると大変だねぇ。“ディアン”くん」


 面白がるように笑うと彼はサイドボードから見慣れたブローチを取り出し、オレに投げてよこす。

 扮装のブローチブローチ・オブ・ディスガイズ。オレがいつも街に出る際に、変装に使っている品だ。


 要するに、セリはオレの素性を見破ったわけではなくて、変装姿のオレをパーティーにともなうことにしたのである。

 流石に単なる『ファウスの友人』だけではお姫様のお供などつとめられそうにはないので、ご大層に『城の新米騎士』という追加設定まで加えて。


「でもさ、ベガンダ王族の誕生会ってことは、参加者は魔法にけた人だらけじゃないのか?こんなブローチつけてたら怪しまれないかな」


 受け取ったブローチで襟元に巻いたスカーフを留めながら、ふとそんな疑問を漏らす。


「そんな心配いらないさ。この国の夜会なんて、だいたいみんな何かしら魔法を身にまとってるからね」


 本当に何でもないというように友が語る。


「ドレスにはサイズ調整フィッティング、ちょっとした装身具も当たり前。下手すりゃ体格や顔までオシャレしてるよ。会場で魔法感知なんてやろうものなら、どこもかしこもビンビンきちゃうくらい」

「それはそれで何だかなぁ……」


 魔術先進国の上、適性がある者も多く手軽に使える分、どうもこの国は魔法をホイホイ大盤振る舞いしすぎな気がしないでもない。


 それともニーザンヴァルトの魔術活用が、他国に遅れすぎているだけなのだろうか。

 伯父上が牛耳るようになったこの6年間、あの国は戦敵であるベガンダとの技術交流が殆ど行われていないと、ファウスが教えてくれた。

 その間に国内の魔法技術が、どんどん衰退している可能性は大いにありえる。元々城に魔術師も少なかったし。


「ああ、でも主賓しゅひんのイール様にはあまり近づかない方がいいかもね。あの人も男だてらに第三位様やってるだけあって、魔術の才はこの国でもトップクラスだから」

「そうか、気をつけるよ」

「ところで、ねえラド」

「ん、なに?」


 ジャケットを羽織らせて襟を正し、顔を上げるとそこには苦笑を浮かべた幼馴染みの顔があった。


「いやね、手伝ってくれるのはありがたいし、キミが今の生活にすっかり馴染んでるのも構わないんだけどね。キミ、いつから僕の従者になったのかなぁ」

「……あ」


 言われてみれば、当たり前のようにファウスの着替えに手を貸していた。


「ひょっとして、日頃からセリナの着替えもお世話してるのかい?」


 途端にニヤニヤと、からかうような笑みを浮かべるファウス。


「してないよ!着替えやお風呂はメイドさんたちの仕事だよ!」


 流石にマーゴットさんも、男のオレにそんなことまで命じてはこない。そもそもセリが全力で拒絶するだろう。


「でも朝は起こしに行ってるんでしょ?セリナって随分と寝相が悪いんだってね。うっかり下着くらい見えちゃったりするんじゃないのー?」

「いや、あの……えっと」


 下着どころか、素肌が丸見えです。なんて言おうものなら、更なる冷やかしが飛んできそうなので口をつぐむ。


 ただ正直なところ、オレが起こす際に乙女の羞恥心しゅうちしんに配慮(具体的には肌を隠してから起こすように)しだしてから、かえってお姫様の無防備さを増長してはいないかと少々気になるのだけれど。


 だからといって、彼女のあの輝かしい裸身に堂々対峙する勇気は、未だオレにはない。

 無理なものは無理。どうにも直視なんかできないし、何よりその状況で目覚めたご主人様に都度お仕置きを喰らうのも避けたい。


 何故か起床番の辞退はマーゴットさんが承認してくれないんだよなぁ。セリだってあんなに困ってるってのに。


「ふふ、ラドのえっちー」

「違うから!見ようと思って見に行ってるわけじゃないから!」


 しつこいからかいにムキになって反論しようとしたところで、ドアをノックする軽い音が響いた。


「賑やかな中、失礼致します。お二方、もう着替えはお済みでしょうか?」


 この声は噂のマーゴットさんだ。


「ああ、あらかた終わってますんで、入ってきても大丈夫ですよ」

「では、遠慮なく」


 ファウスの返答に応じて扉が開くと、件のメイドが小洒落た小道具箱のようなものを抱えてやってきた。


「身だしなみの最終チェックと、御髪おぐしを整えに参りました。手の空いた方からこちらにどうぞ」


 箱の中身を広げながら、マーゴットさんがオレたちに椅子を勧める。


「ラド、お先にどうぞ」

「あ、うん」


 うながされるままに腰掛けると、早速髪にブラシをかけられる。


「うんと男前にしてやってくれるかな、マーゴットさん」

「なんだよ、その男前って」

「勿論でございます」

「マーゴットさんまで!?」


 軽い調子のファウスとは真逆に、至極真面目な様子でマーゴットさんは手際よくオレの髪をセットしていく。

 といっても、セリにバッサリやられてかなり短いオレの髪は、さほど弄りようもなく。髪をかしてヘアグリースでまとめる程度なので、あっさりと終わった。


「いかがでございましょう」

「いいねー、流石はマーゴットさん。いつもよりちょっと大人っぽい雰囲気で」

「そうかぁ?そんな変わらないと思うけどなぁ」


 メイドに手渡された手鏡には、グリースで髪をなでつけられ、軽く前髪を上げられたオレの顔が映っている。


 正直自分では、ファウスが手を叩くほどの雰囲気の違いは感じられないのだが。

 むしろ変に背伸びして、大人っぽく見せようとしているように思われるんじゃないだろうか。


「魅力というものは、得てして自分では気づきにくいものにございますから」


 続いてファウスのセットに取りかかったマーゴットさんが、そう言って微笑んだ。


「だーいじょうぶ大丈夫、マーゴットさん直々じきじきの見立てだよ?バッチリ決まってるって」

「でもさ、オレはあんまり目立たない方がいいんじゃないのか。今回は数合わせのお飾りだし、下手に目を惹いてもボロを出しそうで」


 オレの役割はあくまでもファウスの代役としてセリをエスコートすることであり、パーティーの来賓らいひんとして呼ばれたわけではない。

 ぶっちゃけパーティーが始まれば、オレは壁の花ならぬ壁の染みくらいのノリで大人しくしていた方がいいはずなのだ。参加者にあれこれ尋ねられても、答えられることはあまりないし。


「何をおっしゃいますか。いくらお飾りといえども、姫様の添え物にしなびたパセリをお付けするなんて、わたくしのプライドが許しません。メインディッシュを引き立てるためにも、立派なオードブルでいてくださらねば困ります」

「は、はい、すみません!」


 手を止めずに目線だけこちらに向けたマーゴットさんに批判され、慌てて背筋を伸ばす。


 言われてみればそうだ。仮にもオレはこの城の騎士として、そして姫君のパートナーとして供をするのだから。

 オレがだらしないさまをしていたら、そんな相手を選んできた主人の恥となる。


 ――そうは言っても。

 うるわしいアカシャーンの血脈であり、普段の雑な三つ編み頭をきっちり整えただけでも箔がつくファウスの姿を、こうもまざまざと目の前で見せつけられると。

 オレなんかがどう取りつくろっても、せいぜいしなびたパセリが取れたての新鮮なパセリくらいにしかならないのでは、という気になってくる。いや、彼が注目を集めて自然と埋没するならその方がいいんだろうか。


 そんなことを考えていると、勢いよく扉が開いて一輪の花が飛び込んできた。


「ファウスお兄様、ポチさん、もう準備おっけー?」


 ドレスアップを施して、一段と愛くるしくなったナズナ姫だ。

 クリーム色のドレスとお揃いのリボンがスミレ色の髪でふわふわと踊って、花の蜜を吸いにきた蝶を思わせる。


「まだ着替えの最中だったらどうする気だったのかな、この子は」


 真っ直ぐに駆け寄ってくる少女の姿に、思わずファウスも苦笑を浮かべる。


「わあ、お兄様もポチさんも素敵!すっごく格好いいよー」

「お褒め頂き恐縮です、ナズナ姫様」

「ふえ?」


 オレがあえて形式張った返答をすると、ナズナ姫は一瞬ぽかんとした表情を浮かべる。


「あ、そうだった。今日のポチさんはポチさんじゃないんだった。ごめんねポチさん気をつけるね」

「う、うん」

「ディアンくん、ね」

「そうそう、ディアンさんディアンさん」


 ちゃんと理解しているのかいないのか、妹姫のマイペースさに一抹いちまつの不安を覚える。


(ん、ナズナ姫が来たってことは、セリも支度終わったのかな?)


 話を続けている二人から戸口に視線を移すと、彼女たちの世話を行っていたメイドの一人、シャリンが丁度部屋に足を踏み入れたところだった。


「シャリン、セリの段取りもできてる?」

「そりゃあもう完璧ですよぉ、見て驚くなかれってね。にゅふふ、いい加減観念したらどうですぅ、姫様」


 彼女が声をかける先、扉の影に見慣れた若草色がちらりと見えた。

 何故だか戸口に身を隠すようにしながら、一向に部屋に入ってくる気配がない。


「セリ、そんなところで何やって……」


 廊下を覗き込むと、オレの声に反応して姫君が顔を上げた。

 ゆっくりとこちらを振り返るその姿に、息を吞む。


 鼻腔びこうをくすぐる上品なローズの香り。

 いつものポニーテールではなく、綺麗に結い上げられたまとめ髪。

 胸元も露わな深紅のドレスは、女性らしさを強調するかのように身体に添うデザインで。

 何より目を惹くのは華やかにメイクをほどこしたその顔だ。目元にどこかきつく冷たい印象を覚えはするが、艶麗えんれいなその雰囲気は今の服装にとてもマッチしている。


 日頃のきゃぴきゃぴした乙女趣味からがらりと雰囲気を変え、まさしく大輪の薔薇のように美と気高けだかさを纏ったセリがそこにいた。


「ど、どうかしら。貴方から見ても変じゃない……?」


 自分でも着慣れないのか、どこか気恥ずかしそうにちらちらこっちをうかがいなら彼女が訪ねる。


「う、うん、綺麗だよ。凄いなぁ、別人みたい。服装とお化粧でこんなに変わるんだ」


 自分では褒めたつもりだったが、どうやら驚きを素直に言葉にしたのがいけなかったらしい。


「どーせ、普段の私は子供っぽいですよーだ。フン!」

「そんなつもりで言ったんじゃあ……」


 あからさまにお姫様がご機嫌斜めになる。折角の綺麗なルージュも、ねて突き出したへの字口で台無しだ。


「でもオレ、普段のかわいい系も好きだよ」


「ぴぎゃっ!?す、好っ!?」


「そういう大人っぽいのもよく似合ってるけど、いつもの格好も気取らない感じでその方がセリらしいっていうか。かわいい格好で見慣れてるからかな。そうだ、次また夜会に出るときはそっちの路線にしてみたら?きっとかわいいドレスもきみなら……」


 矢継ぎ早にフォローを並べ立てていると、突然背後からファウスに肩を掴まれた。


「ラド、ブレイク」

「へっ?」


「突然の過剰なデレは姫様のお身体にさわるですよぉ。もっとこまめに小出しにしてやる方がいーです」

「でれ?」

「うわ、自覚ない。とんだ天然たらしですよこのお坊ちゃん」


 何故だかシャリンに呆れた顔をされた。


 セリに視線を戻すと、まだ機嫌が直っていないのかうつむいてブツブツと何か言っている。


 「落ち着け私、どうせ他意なんて無いから。服装を褒めただけだから……」

 よく聞こえないが、よほどオレの失言がお気に召さなかったとみえる。


「あの、ほんとごめん」

「……別にいいわ、些細ささいなことだし」


 言葉に反して大きなため息をつくセリ。気にしてる、絶対気にしてる。


「それより準備が終わったのなら、そろそろ会場に向かいましょう」

「そうだね。それじゃあディアンくん、最後の仕上げをよろしく」

「ん、わかった」


 ファウスの指示を受けて扮装のブローチを起動、しようとしたところで今更ながら気づく。


「ねえ、ブローチで変装するんだからオレ自身が着飾る必要なかったんじゃ……」


「「いいえ、絶対に必要です!!」」


 凄い勢いでナズナ姫とマーゴットさんに否定された。


「衣服の乱れは心の乱れです。会場で気を緩ませることなどないよう、身だしなみを整えておくにこしたことはありませんわ」

「そうだよー。それに普段の格好でパーティに来てること途中で思い出しちゃったら、わたし笑っちゃうかもしれないもん。だからポチさんもちゃんとしてなきゃダーメ!」

「わ、わかった、わかったってば」


 やけに二人の圧が強くて、思わずたじろいでしまう。


「天然たらしの上、とことんニブいとか。姫様も苦労するですねぇ」

「お節介なあの二人に感謝だね。おかげでいいもの見れたでしょ、ねえセリナ?」

「…………知らない」


 お説教に気を取られているオレは、遠巻きに騒ぎを眺める三人の会話に気づくことはなかった。

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