352年7月2日(昼)強風と共に、一斉に降り出した

「アッハハハ、それで今ではセリナに飼われてるんだ」


「笑い事じゃないだろ。あの暴虐ぼうぎゃく姫の飼い犬だぞ」

「ごめんごめん。いやでも、キミが思うよりセリナは優しい、いい子だよ?」


 そう言いつつも、ファウスは笑うのをやめない。


「いやあ、それにしても見事にフィットしてるなぁ。この首輪、どんな猛獣にも使えるように、サイズ調整の魔法フィッティングが施してあるけど、まさか人間でもいけるとはねー」


 面白がったまま首輪を撫でるファウスに、オレは拗ねた気持ちを隠そうともせずむくれた。


「紅茶のおかわり、いるか?」

「いや、結構。……ラド、キミこの半月で、すっかり給仕が染みついてるんだねぇ」


 ようやく笑いが収まると、友はソファに座り直し、改めて真面目な顔になる。


「それでキミ、この先どうするの?」

「どう、って」


「先程の話を聞く限り、僕としてはこのままここでこうしてる方が、同じ籠の鳥でも故郷よりずっといい環境だと思うんだけど」


 確かに、ベガンダに連れてこられてからの生活は、とても魅力的だ。

 鬱屈うっくつしたあの王宮とは、比べ物にならない。


 けれども。


「……それは出来ない。あの城にはまだ、母上が居るんだ」


 心惹かれるベガンダでの日々で、ずっとずっと、気がかりだったこと。


「今も苦しんでおられるあの方を置いて、オレだけここで穏やかに生きていくなんて……そんな申し訳ないこと、オレには無理だ」


 いっそあの方を完全に忘れてしまえれば、このままここに打ち解ける事も出来ただろうに。


「じゃあ、ニーザンヴァルトに戻るかい?帰っても、もうキミにはあの城に居場所なんてないけど」

「そうは言っても、この首輪をどうにかしないと、この城から出ることも……」


 話を続けようとして、ファウスの言葉に引っかかる点を覚えた。


「待て。王宮にオレの居場所がないって、どういうことだ?」

「え?」


 一瞬ぽかんとした顔をしたあと、ファウスはしまったといった様子で俺から目を逸らす。


「あー……セリナ教えてないのか。参ったなー」


 暫くゴニョゴニョと呟いて、視線を彷徨わせた彼は、諦めたようにオレに打ち明ける。


「キミ、ニーザンヴァルトじゃあ、もう死んだことにされてるよ」


― ― ― ― ― ―


「おいセリ!どういうことか説明してギャイン!!」


 勢いよく執務室に飛び込んだオレの全身に、容赦なく電流が走る。


「ご主人様を呼び捨てにしないの」


 山積みの書類に判を押しながら、セリは視線だけをこちらに向ける。


「これの、どこが、優しいいい子だってぇ?」


 膝をついて睨み上げるオレの顔を、遅れてやって来たファウスが呆れたように見下ろす。


「原因の何割かは、ラドの方にあるんじゃないかなぁ……」


「それでいったい何の騒ぎ?感動の再会はもう終わったの?」


 書類作業を続けるセリに、オレはゆっくり立ち上がって質問を投げかけた。


「エイベル王子の件、どうしてオレに黙っていた」


 判子にインクをつけていたセリの手が止まる。


「ごめんよセリナ、話の流れでね。まさか伝えてないと思ってなかったし」


 言葉の割に全くすまなそうな雰囲気を感じないファウスを一望すると、セリは溜息を一つついて、執務机の引き出しから手のひらほどの板を取り出す。

 そして、オレたちにソファーを勧めると、何やらその板を指先でなぞりだした。


「なあファウス、あれ何?」

記録投影機キャプチャーだよ。キミの国じゃ百年戦争の都合、魔法機器はなかなか流通してないし、あっても何世代も前の旧式だけどね。ここは魔術国ベガンダだ。最新型はあんなにコンパクトなのさ」

「へええー、便利そうだな」


 ニーザンヴァルトの王宮にあったキャプチャーは、お盆ほどの大きさがあったというのに。


 そんな話をしていると、キャプチャーの操作を続けながら、オレたちの向かいのソファーに腰掛けたセリが語り始める。


「この前の戦、あまりに妙だったから、ちょっとファウスに調べて貰ってたの」


 この前というと、オレが参加していた例の戦闘だ。


「妙って?」

「戦闘が始まってすぐに、ニーザンヴァルト軍の半数以上が撤退を始めたのよ」

「何だって!?」


 そんな撤退命令、オレの元には届いていなかった。


「……その様子じゃ、貴方本当に何も知らないまま、あの戦でお飾りさせられたのね」


 オレを見つめるセリの目が、どこか憐れみを帯びたものとなる。


「普段なら、密偵が調査に向かうとこだけどね。僕も何となく胸騒ぎがして。あの国にはまだ、父さんのコネが生きてるんだ。だから僕が直接ニーザンヴァルトに赴いたんだけど……」


 そこまで話したところで、ファウスの歯切れが悪くなる。


「10日前、ファウスからこの映像が届いたわ」


 10日前というと、セリが会議がどうとかで城を空ける直前くらいか。


 そんなことを思い出しながら、オレは彼女が差し出したキャプチャーから浮かび上がった映像を眺めて、驚愕のあまり固まった。



 ニーザンヴァルトの王宮、ファーデン城に繋がる大通り。


 雨の中でも人々がひしめくその間を、騎士たちに担がれて、一つの棺が運ばれていく。


 父上の国葬で見た光景。


 棺の中には、色とりどりの花と共に、一人の若者が横たえられている。

 


「なん、だ、これ……」


 困惑するオレを取り残して、映像が切り替わる。


 ファーデン城のバルコニーに立つ伯父上、ゼングラム・ヴェンヌ・バルドン国王代行の姿が見える。


『亡き弟王の忘れ形見、エイベル・ルディアノーツ・バルドン殿下は、勇敢にも宿敵ベガンダとの戦に身を投じられた』


 伯父上が静かに言葉を紡ぐ。


『だが、我らの力及ばす、殿下をお守りすることができなかった。我が国民には、殿下の決意をお止めできなかった無力を、大変申し訳なく思う』


「なに、を……言って……」


『我はニーザンヴァルトに侵略し、殿下という宝を、そして甥が憂えたこの国の未来を奪う、ベガンダを許すことができない』


 映像の中の伯父上が、握りしめた右手を高く掲げる。


『これよりニーザンヴァルトは、ベガンダとの徹底抗戦を行う!今までのような生温い小競り合いなどでは、更なる犠牲を生むだけにすぎない!殿下の仇を!傲慢ごうまん女王の末裔、セリナ・マシカ・リリ・アカージャに、我らの怒りを思い知らせるのだ!』


 怒号とも歓声ともつかない民人の声が響きわたる。

 伯父上の演説はまだ続いていたようだが、もはやオレの耳には届かなかった。



「これでわかったかしら。貴方は母国じゃ、王子様を守り切れなかった無能指揮官よ。残念だけど、国に帰っても戦犯として処刑されるだけ」


 これ以上映像を観せる意味もないと判断したのだろう。キャプチャーを停止して、セリがオレの顔を覗き込む。


「その様子じゃ、貴方の部隊に王子様が居たのは、間違いじゃないみたいね」


 間違いも何もない。オレ自身が、当のエイベル王子なのだから。


 与えられた情報に頭が追いついてない。


 そんなオレの肩に、ファウスが気遣うようにそっと手を添える。


「僕はエイベル王子の乳兄弟だ。だけど、僕が彼を知っているのは6年前、11歳の頃までだからね。だから、あの棺の青年が本当に王子なのかどうか、


 ファウスのその言葉ぶりは、彼からオレの素性をセリに話す気はないと示しているようでもあった。


「あれは、王子じゃない。あの死体は、王子をいつわった紛い物だ」


「でしょうね。あの戦で本当に王子様が亡くなったのだとしても、あの状況で遺体が回収できたとは思えないわ」


 当然だ。遺体どころか、王子は今ここで、こうして生きているのだから。


「だとすると、最初からポチたちを囮にして、王子様を利用するのがゼングラム王の狙いだったのかしら」


「それもどうだろう。あの部隊は元々あに……ガダム様の部隊だ。王子と仲のよろしかったあの方が、そんな作戦に乗るとは……」

「そこは確かに僕も疑問だなぁ。僕の記憶じゃ、あの人本当の弟のように王子を可愛がってたモンね」


 それは、オレ自身も長年実感している。


 だが、オレの出陣を進言したのも、あの部隊を実際に指揮していたのも、全て従兄上あにうえだ。

 オレたちを残して早々に撤退したのであれば、それは従兄上の命令によるものだと考えていいだろう。


 状況だけを見れば、信じたくはないけれども、従兄上がオレを切り捨てたとしか思えない。


「何にせよ、これで名実共にニーザンヴァルトはゼングラム王のものよ。演説にもあった通り、今後は容赦なくベガンダに攻め込んで来るでしょうね」


「ご報告申し上げるッス!」


 姫の言葉を遮るように、執務室の扉が開かれた。騎士宿舎で何度か会った、あの小柄で太めの騎士だ。(そういえば、まだちゃんと名前を尋ねたことがない)


「ニーザンヴァルト軍が、国境に向けて進軍してるとの話ッス。兵の数もいつもより多いみたいッス!」


「言ってたら来たわね!迎え撃つわ、戦の支度を!」

「了解ッス!」


 慌ただしく戻っていく騎士に続いて、セリが部屋を出て行こうとする。


「ま、待て!戦場にオレも連れていけ!」


 思わず発した言葉に、姫が厳しい視線を向ける。


「ついてきて、貴方何するつもり?」

「なに、って」


「処刑されるとわかっていて、ニーザンヴァルトに逃げ込むの?それとも、自分を裏切った祖国に剣を向けて、ベガンダの兵として戦う?」


「それは……」


 彼女の問いかけに言葉が詰まる。

 オレにはこの先、自分がどうすべきなのかの答えが、まだ見つかっていない。


「まあまあセリナ、連れてくだけ連れてってあげようよ」


 オレたちの間に割り込むように、ファウスが助け船を出してくれた。


「ラドがこれからどうしたいのか、それを考えるためにも、両国の現状を知っておくのは悪い事じゃないと思うよ」

「貴方、案外お友達には甘いのね」


 セリがほんの一瞬、オレに悲しげな顔をして見せたように思えたのは、オレの思い違いだろうか。


 女王然とした態度と表情で、彼女はオレに命令を告げる。


「しょうがないわね、貴方も来なさい。でも、私の傍から決して離れないこと。勝手な行動したら、本気で許さないわよ!」

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