6月25日 もうすぐ雨期も終わる

「もう!私がいないうちに、なに勝手なこと決めてるの!」


 城に帰って来るなり、オレが騎士団の訓練に加わったことを知ったセリは、案の定見事におかんむりだった。

 耳元に垂らした若草色の横髪が、左側だけバッサリと短くなっているのを見るたびに、少しドキリとする。


「いきなり鍛えてやるって言ったのはー、ギナゼッド団長でー、オレは悪くありませーん」


 開き直ったオレの態度に、姫君の頬が更にぷぅっと膨れ上がる。


「もー、あの人ったら、鍛えがいがありそうな人見ると、すぐこうなんだから。もーもー」

「さっきからモーモーモーモー、牛かよ。ぶっ」


 茶化したオレの顔面に、セリが手近にあったぬいぐるみをひっ掴んでぶつけてくる。


「お茶」

「はいはい」



「ポチって、ニーザンヴァルトの騎士なのよね。あっちのお城には行ったことあるの?」

「そりゃあ……まあ」


 向こうの王宮の話をしろというのかと思ったが、何故かそのままセリは黙り込んでしまった。


 紅茶が冷めることも気にせず、時間だけが流れていく。

 その雰囲気が妙に声をかけづらくて、ただ彼女の反応を待って傍らに控える。


 すっかり紅茶が冷たくなってから、ようやくカップを一口運び、セリが言葉を紡いだ。

「……エイベル王子様って、どんな人だった?」


 エイベル・ルディアノーツ・バルドン殿下は、ニーザンヴァルトの第一王位継承者だ。


 6年前に前王サルファス・ロバルティ・バルドンが急死し、まだ幼かった彼の代わりに、現在は前王の兄ゼングラム・ヴェンヌ・バルドンが彼の後見役として、国王代行の座に就いている。


「どんな、って言われてもなぁ」


 彼について、一体どう説明すればいいのやら。


「あの人は殆ど自室に籠もりきりで、時折お母上であるシャーウラ様の部屋を訪れる程度だから。オレなんかは殆どご縁がなかったよ」

「そう……。お父様の葬儀以来、祭事に顔を見せたこともないみたいだし。病弱な深窓の王子様って噂通りなのね」


 城の外じゃそんな呼ばれ方してるのか、エイベル王子。


「それで、その王子がどうかしたのか?」


 魔法で保温されたピッチャーのお湯で、温かい紅茶を入れ直し、新たなカップをセリの前に置く。

 けれどセリは、膝の上の冷めたティーカップをじっと見つめたままだった。


「私ね。ひょっとしたら、王子様と結婚してたかもしれないの」


「ふぅん。…………えっ、なにその話!?聞いたことないんだけど!?」


 予想もしてなかった衝撃的な話題に、危うくピッチャーを取り落とす所だった。


「それはそうでしょ、内々の話だったし。それに、とっくにご破算になったし」


 冷めきった紅茶を一気に飲み干して、ようやくセリがティーカップを手放した。


「お母様がまだご存命のころにね、何度かニーザンヴァルトに和平を持ちかけたことがあるの。私とエイベル王子の婚儀を条件に」


 ベガンダの女王コグサ・リリ・フィリス・アカージャも、3年前に流行り病で亡くなっている。


「それって、政略結婚じゃないか」

「そうね。もしかしたらお母様、ご自分のお身体の具合に気づいていらっしゃったのかも」


 コグサ女王が崩御すれば、セリにはこの国の、そして戦の運命までもが降りかかる。

 まだ年若い娘の負担を、少しでも減らしてやりたいと願うのは、母心という奴だろう。


 そのために取った手段が、はたして娘の幸せに繋がるかどうかは、いささか難しいところだが。


「でも、いつも話し合いは上手く行かなかった。ゼングラム王は前王よりずっと野心家だから、和平よりもこのままベガンダを攻め落として、自分の物にしたかったんでしょうね」


「王じゃなくて国王代行な」

「貴方いちいち細かいのね」


 他国の姫であるセリからすれば、王でも代行でも実質同じなんだからどうでもいいのだろうが、オレにとっては大事な点だ。


 呆れた顔でため息をつくと、彼女は話を続ける。


「向こうから差し出された代理条件も、本当に酷いものだったわ」

「どんな?」


「王子と姫ではなく、女王……お母様が、自分の妾になれ。そしてベガンダをニーザンヴァルトに併合しろ、ですって」


「うわぁ……」


 いかにも独善的なあの方が考えそうなことだ。スケベオヤジめ。


「ね、最低でしょ?こんな条件飲めるわけないじゃない。政略結婚なら私一人で済むけれど、これじゃお母様もこの国も、絶対幸せになんてなれないわ」

「私一人で、って……」


 その言い方に、明らかに彼女が政略結婚に乗り気じゃなかったことがよくわかる。


「最初の和平交渉が持ち上がった時、私まだ12才だったの。ベガンダのためには仕方ないことだってわかっていたけど、顔も知らない男の子のところにお嫁に行かされるなんて、思ってもみなかった」


 その当時を思い起こすかのように、そっとセリが目を伏せる。


「だって、私がお母様の後を継いで、この国の女王になるんだって、ちっちゃな頃からずーっと思ってたんだもの」


「それがまたもや不本意な形で、念願叶うことになったわけか。……あれ、お前みんなに姫様って呼ばれてるよな。女王様じゃないのか?」


「私、まだ女王見習いで戴冠してないの。歴代女王に十代で即位した例がなくて。しかもお母様が亡くなった時、私成人したばっかりだったから、みんな私に務まるのか不安だったみたい」


 どこの国も、未熟な若造に一国を預けるのは心許こころもとないと感じてるわけだ。


「見習いも3年続いてりゃ、充分立派なんじゃないか?オレなんかたった数日で、指揮官クビだぜ」

「ふふ、そうね。貴方へっぽこお飾り騎士団長だったわね」


 ようやくセリの顔に笑顔が戻る。


 猫の目のようにくるくる表情が変わる娘だが、妙にしおらしいとこっちの勝手が狂う。

 下手に元気が無いよりは、笑ったり、いっそ怒ってる方がセリらしいと思った。


「見てろよ、騎士団でバリバリ鍛えて、オレのことへっぽこだなんて言えなくなってやるから」

「えー、ポチがムキムキマッチョになっちゃうの、ちょっと嫌だなー」


 姫君はくすくす笑いながら、いつの間にか空になっていた二杯目のティーカップを差しだした。


「おかわり、もう一杯貰えるかしら?」

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