4 運命の出会いだと思えた

 ――あいつらが死ぬまで、あと数日だ。


 アルドの機嫌はよかった。

 放課後はたちと遊ぶ。もちろんかかる費用はアルドがすべて払った。

 たちは、にこにこと機嫌よさそうにアルドに話しかける。


「アルド、最近付き合い悪かったけど、フトッパラじゃん。調子悪いみたいなこと言ってたけど、元気になってくれて嬉しいよ」


 アルドは落ち着いた笑顔でその言葉を受ける。

 落ち着いていた。ザンたちに怯えていた日々と比べものにならないくらい、晴れやかな気分だった。


 別にザンたちは、アルドが死の予言をした日まで写真をばらまくことを自粛する、とは言ってはいない。

 しかし、アルドはもうなにも怖くなかった。そうと自覚のないまま調子に乗っていた。


 ザンたちに死を宣告してから三日がたった土曜日だった。皆を集めての遊びに、知らない女が混じっているのに気づいたのは。

 皆が騒ぐカラオケでのこと。

 その女は一人、何も歌うことなく静かに座っていた。


 ――こんな女、見たことねぇな。


 アルドはそう思いながらその女に視線を向けた。

 とはいえ、知らない人間がこの集まりに混じっているのは、それほど珍しいことではない。誰々ちゃんの、あるいは誰々君の友達とやらが勝手に混じっているのはよくあることだった。


 陽気な歌が熱唱される中、女は歌っている男をつまらなそうに見ていた。

 しかし、女は不意にアルドの方へと目を向ける。


 目が合って、アルドの心臓が高く鼓動を打った。


 美しい黒髪を肩まで伸ばした、少し冷たい雰囲気のある女だった。

 美人には違いないが、驚くほどと言うわけでもない。


 しかしアルドは、アルドの金で、金の心配なく遊びに没頭できるこの集まりで、こんな冷めた瞳をした人間を初めて見たのだ。

 友人に無理矢理連れて来られたのだろうか。


 ――あの女は、俺の金目当てでここにいるわけじゃないんだ……。


 そう思うと、アルドはその女から目を離せなくなる。

 彼女の方もアルドを見つめてくる。アルドはますます体を高揚させ、彼女を見ていられなくなって結局、目をそらした。


 皆が集まっている間、アルドは女と話すことはできなかった。しかし集まりが解散になったあと、女の方から話しかけてきた。


「主催者のクセに君、あんまり騒いでなかったね」


 そろそろ帰らないと補導されてもおかしくない時間の、マフラーも手袋も、しっかりと防寒していないと震えるような寒い夜。

 そんな冬の空気の中で、アルドは体が熱くなって手袋の中の手にじわりと汗をかいていた。


「あ、あ……っ」


 今では人と普通に接することができるアルドだが、もともと人見知りでコミュニケーションが苦手だった。

 だから、こんな不意打ちで声をかけられ、動揺したアルドの口から滑るように言葉が出た。


「あんたばっかり見てたから」


 言って、顔中汗だらけになった。俺は何を口走っているんだ! 下心丸出しのナンパ野郎か!

 アルドの言葉に彼女はきょとんとしている。


 背中に汗がつたって、アルドは本気でこの場から逃げ出そうかと考えた時だった。

 女は大きな声を出して笑った。第一印象の大人しいイメージとかけ離れた、豪快な笑い方だった。


 ワイワイと話しながら帰りかけていた者たちが、女の大笑いの声に振り向く。彼らはアルドに聞こえないほどの声量で「誰あれ?」「さぁ?」と会話して、再び帰路につく。


「いや、笑って悪かった。こんな人数誘って豪遊する金持ちの坊ちゃんなら、もっと対人関係スマートにこなすのかと思ったら、第一声がそれで顔真っ赤にするって……ははっ。いや、ごめん。意外とウブっぽくて」

「う……ウブって十分バカにしてるように聞こえる」

「え? じゃあ、今のは口が滑ったとかじゃなくて、冷静な口説き文句?」


 アルドは思わずフルフルと頭を振った。

 確かに金目当てで寄ってくる女もいる。付き合ったこともあるにはある。

 しかし、付き合った女を特別扱いして金を貢ぐようなことがなかった。

 というより、特別扱いの仕方がわからなかった。だからすぐに別れるようになり、「アイツとはの方が得」とでも噂が広がったのか、アルドと付き合おうとする女はいなくなった。


 そんな経緯だったから、アルドは反射的に首を振ったが、これは女慣れしていることを否定した方が誠実に見えるのか、肯定した方が男としてカッコいいのかどっちだ? ということが頭をよぎった。


「今日は付き合いで来たんだけどさ、その子は用事ができて先に帰っちゃってさ。正直、金持ちの坊ちゃんなんて嫌な奴と思ってて、そんな集まりきっとつまんないと思ってて、実際、みんなのテンションについて行けない集まりだったんだけど、君はそんなに嫌なヤツじゃなさそうだね」


 ――嫌なヤツじゃなさそう。


 アルドはその言葉を頭の中で反芻する。


 ――金持ちの坊ちゃんは嫌なヤツって印象があるのに、俺は嫌なヤツじゃなさそう……。


 ――だから彼女はカラオケの時、あんなにつまらなそうだったのに、今、俺の前で笑ってるんだ。


 そう思うと、アルドはホッと気持ちが緩むような、さらに緊張するような、奇妙な感覚に陥る。


「あたし、ミナ。まぁ、この集まりには多分もう来ないと思うけど、またどこかで縁があったら、お茶でもしようよね」


 彼女は微笑を湛えて手を振り、アルドに背を向けた。


「あ」


 アルドの口から彼女を引き留めようと、か細い声が出たが彼女は気づかずに行ってしまう。


「うわ、だせぇ……」


 手袋をつけた手で、火照った顔を覆う。手袋の暖かさと、火照った頬の熱でさらに熱くなって、ジワリと汗をかく。

 自分はおそらく周りからチャラチャラ遊んでいるように見えるだろう。そんな風にチャラチャラしているくせに、気になる女一人を引き留めることもできない。


 子どもの頃からのコミュニケーション能力の低さは、多少はまともになってきていると思っていたが、結局何も変わっていない――とアルドは自分で自分に落胆する。


 顔から手を離して、帰路を歩く。

 星の見えない空を仰ぐと、冷たいものが顔に降ってきた。

 火照った体に、雪が心地よかった。


 ――どこかで縁があったら、お茶でもしようよね。


 彼女の言葉――あれは、本気で言ってくれたのだろうか。

 また会えたら、親しくなれるだろうか。

 アルドは気持ちを温かくして、冬の寒空の下を歩く。

 そんな心地いい気分の中、家が見えてくると、アルドの気持ちはしぼんでいった。


 父の書斎の明かりがついている。父が帰ってきているのだ。

 舌打ちして、苦虫を噛み潰したような顔をして、本当に虫を噛み潰したように意味なく唾を地面に吐いた。


 その表情のまま、仕方ないという風に玄関まで歩みを進め、扉を開く。

 廊下の奥からバタバタと足音が聞こえた。忙しないその足音を聞いてアルドはうんざりする。


「アルド坊ちゃま、おかえりなさいませ! そしていま何時だとお思いですか補導される時間までに帰ってくればいいというものではないんですよ最近控えてくださっていると思っていたらまた毎日遊び歩いて!」


 息継ぎもしないでまくし立てる家政婦に「ハイハイ」とアルドは適当な返事を返す。


「その返事は全然話を聞いてくださっていませんね? アルド坊ちゃま!」


 怒りの声を無視してアルドは父の書斎のドアを開く。書き物机に向かう父の後ろ姿が見えた。静かにドアを閉める。


「アルドか」


 父の声にアルドは返事をしない。


「急だがな、明日は母さんも一緒に早く帰れそうだ。キリルも一緒に四人で飯を食いに行こう。今日みたいに遅くなるなよ」


 振り向かないままで話す父に、アルドは返事をしない。


「どこに行く? お前の行きたいところにしていいぞ」

「食いに行く? 滅多に帰ってこねぇで、たまに帰ってきたときも外食。オフクロも親父も、店が出せるほど飯作るのうまいって豪語してるくせに、その腕が泣くなぁ?」


 父は椅子を回してアルドの方を向いた。少し顔をしかめ、訝し気にアルドの顔を見ている。


「どうしたアルド? 文句があるならはっきりと言え」


 アルドは半眼で父を睨んだ後、無言で部屋を出ていき、大きな音を立てて扉を閉めた。

 廊下に出たすぐそこに、家政婦がいた。どうやら父のためにお茶を持ってきたようだが、おそらく今の会話を聞かれていただろう。


 アルドは家政婦を一瞬睨み、二階の階段へ向かう。

 すると、二階からユナが降りてきた。手に参考書らしき本を持っている。


「あ、アルドおかえり。キリルに参考書のお古、貰ってたんだ」


 聞いてもいないことを話すユナに苛立ち、無言ですれ違う。

 自室に入り、大きな音を立ててドアを閉めた。



    * * * *



「アルド、今日も機嫌悪いですね」


 ユナは家政婦のぺギムに話しかけた。ぺギムは目を和やかに細める。


「きっと、アルド坊ちゃま、お帰りなさいの一言でも言いたかったんでしょうねぇ。旦那様の書斎に行ったんですよ。そうしたら旦那様が明日家族で外に食べに行こうって言ったんですよ。それを聞いてアルド坊ちゃま、せっかくの飯を作る技術が泣くって……」


 ユナは少し顔を曇らせる。

「ああ、お父さんとお母さんの手作りのご飯が食べたいんですね。やっぱり両親が仕事で忙しいの寂しいんだ。でも素直じゃないから言えなくて……」

「ひねくれてしまっていますが、可愛いものです」


 ぺギムの言葉に、ユナは苦笑交じりに微笑んだ。


「そうですね」


 その可愛さがとても愛おしいというように。

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