第4話『双爪の紅』

 通路では若い車掌があたふたして身を縮込ませていた。起き上がらせようとするが、混乱で脚が上がらない。肩を震えさせ、無理強いするわけにもいかず、しかたなく隣に備え付けられていた連絡管をひったくって、状況を確認した。



 壁に這う無数のパイプからは、その倍の声がめまぐるしく叫びっている。


「おいっ、何があった!?」


《わかんねぇっ、何かがぶつかって来て――》


《――前方で原因不明の爆発発生を確認っ! 乗客の避難をっ!》


《列車を止めることは出来んのか!?》


《無理ですおやっさん、いま止めちまったら……》


《2番両で火災発生だぞっ!? おいおい嘘だろ、誰か助け――》


 瞬間、通信が途切れた。代わりになだれるような靴音と悲鳴に似た金力声が管を伝い、大事な情報が掻き消えてしまう。


「……っ、前方5両にいる乗客を後方へ避難。後方のものは最語尾まで避難させろっ!」


 猶予を与えずそれだけ口に出すと、管を置いておどおどする車掌の胸ぐらを掴み上げる。


「お前の仕事は乗客の誘導だ。死人出したくなければさっさと動けッ!! いいな?」


 若い車掌は未だ状況を分かりかねているが、説明している時間はない。その場に投げ置いて、傍らの窓枠を上げる。


「ともかく、状況を視るしかないな」


 悪態を吐く暇も与えられず、窓を押し上げて車外へ顔を出す。途端、ものすごい風圧がガラスを軋ませた。前髪が乱れて、目に入る。



 ようやく車内アナウンスが鳴り響いていたが、この状況じゃ意味を為さない。



 爆発のあった前方を見渡した。前車両3列は裕福層の指定席だ。

 車両は全てで15両あるはずなので、遙か遠いはずの悲鳴が聴こえ届くほどに事態は深刻らしい。



 身体強化スキル《千里眼》を使用して、爆発の中心を凝視した。穴の空いた車両は情報通り2両目。木材の灼ける音、鉄が砕けた痕。風に載った爆炎が微かに鼻を通り抜ける。



 そして黒煙から立ち込める、巨大な黒い塊があった。

 ぬちゃぬちゃと粘着質の内膜を溶かしながら蠢いているそれは、なんとも形容し難く、はっきり言って気色悪い。



 まるで軟体の動物が卵から孵化するように、肉塊が浅黒い血液を放出しながら小刻みに脈動をする。



 実際にそうなのだろう。あれ一つが個体なのか、内側から外膜を突き破るように震えた肉塊が、なかの力に耐えきれず弾け跳んだ。


「あれはっ……!」


 なかから姿を現したのは、卵に引けを取らない巨大さのゴリラ。



 いや、皮膚が裂けるほどに極限まで膨張した全身の筋肉。海に潜む、古代生物に類似した鰓付きの頭。下半身で支えられているのが不思議なほどの逆三角形の不気味な巨体。



 偏食鬼グール。知能の低い大型の魔獣だ。だがその俊敏さと戦闘力は、並大抵の騎士を上回る。


「……めんどうなのが湧いたな」


 舌打ちしつつ、一度身体を引っ込める。ガラスを割って窓枠だけにすると、逆手に指を引っかけ、軸にして、身体を外に滑り込ませる。そこから逆上がりの原理で車両を蹴り上げ、飛翔。指に力を込めて反るように回転すると、狙い通りランボードに着地する。



 列車はちょうど鉱山を渡るところで、やや左に曲がっている。

 グールとの距離は目視で120メートルといったあたりか。



 板面を伝って2、3両跳んで、同時に聴覚情報を集中させてなかの状況を窺う。



 車内は依然、混乱を極めていた。



 それでも必死の警告と避難誘導のおかげで大半の足音は後方へ近づいてくる。だがそれでも、片道分の狭い通路では混雑は免れない。



 それに、このままだと機関室を乗っ取られる可能性もある。アレを片付けるほうが先決だな。小刻みに揺れる車両を闊歩し、ぎりぎりまで距離を近づける。



 奴らは強い。しかし対処は簡単だ。再生能力を多少持っているが、連撃を積み重ねればたいしたことはない。



 だが同時に面倒なことが尻目にでた。接近戦をひとまず回避して、距離を取る。



 どうやらすでに《捕食》を始めたらしい。



 やつらはディーヴァにカテゴライズされていない。数年前、おかしな科学者が趣味で創った生物兵器らしい。



 まったくもって紛らわしいが、害悪なことに変わりはない。



 厄介なのは固有スキルである――《捕食》。目の前にあるものをひたすらに食い尽くし、喰った物の特徴に基づいて自らを強化させる。捕食対象は生物に限らず、鉱石などの無機物でさえ貪欲に食す。鉄だろうが肉だろうがとにかく喰って自らの一部としてしまう、つまり生物型掃除機だ。



 その実、グールが捕食した者が制作者のラボだったことによって、グール掃討時、制作者自身がグールの体内でホルマリン漬けで発見されたのは、笑い話でしかない。


「……めんどくせ」


 自身の誕生に歓楽の雄叫びを上げる巨肉の牙から、大量の涎がこぼれ落ちた。



 むしゃむしゃとそこら中のものを口に含む超怪物に眼を落としながら、もはや習慣になりつつあるため息を吐く。



 幸い、ヤツの周りに人肉は見当たらないため、知能向上という最悪の事態は起らなかったようだ。さっさと殺すに限る。おとなしく捕食を待ってやる義理もないので、腰を下ろし構えを取った。右腕をおもむろに仰け反らし、マナを集中させる。それを拳に凝縮させ、巨体の脇腹めがけてうがつ。


「ウグルオオッッッ!?」


 列車の止まらないよう、最大限威力を殺しながら放った一撃が、無防備な巨肉の背中を抉った。黒い肉塊が奇妙な雄叫びを上げる。おかげで注意が引けたのか無骨な石頭――もとい、肉頭が牙を剥く。



 なるべく衣服を汚したくない青年は、気怠そうに軍服の靡かせてその眼を見返した。


「ねてろ」


 数メートル離れていたはずの巨体が目の前で吹っ飛ぶ。



 的確に車両に落ちる威力で放たれた拳はヤツの腹筋に穴を開けることはなく、代わりにガツンっという鈍い音が跳ね返った。


「……っ」


 攻撃と同時にノックバックして、再び距離を取る。



 グールは涎を垂らしながら笑みを浮べた。どうやら少しだけ取り込んだ車両の鉄分で体を覆ったようだ。怪物が呻き声とともに、鎧のような筋肉が浮き上がる。鈍色に光るそれを、鮫野郎はウザったいドヤ顔で見せつけてくる。



 だが俺はそこで違和感を覚えた。追撃を図ろうとする思考を無理矢理に抑えて、拳を下げる。



 あれ、なんだかコイツ、前と違って――――。



 だが今は考えている暇はない。余裕がないわけではないが、時間は有限だ。


「相変わらず便利な能力だな」


 独りごちしながら、さらに後方へ飛び退る。こうなってしまうと素手だけで闘うことは叶わない。巨体が全身まで鋼鉄を作る間に、こちらも戦闘スタンスを換える。


『コール』


 左手にマナを送り、略式の式句を唱える。身体のスイッチを切り替えたように、全身に魔力を奔らせる。スパークを散らせるイメージを頭に浮べ、左手を翳す。



 術式が作動し、白緑色が発光する。

 射出箇所把握、取り出し品選択可能、『羅月』――――――シャフトオフ。



 一瞬後、がしゃりっと確かな感触が左手に宿り、シルエットが滲む。それをしっかりと掴み取り、虚構空間から引っ張り上げる。



 刹那、簡易式鞄アイテムボックスから取り出された黒刀が光を放って現れた。ずしりっと実態化した武器の重みを感じたところで、タイミング良く構築を終えたグールが動き出した。がしゃがしゃと雑音を立てて鈍い鉄色が光った。



 パワーアップして余裕が出来たのか、醜悪な笑顔で滲ませた。まったく殺してやりたい。

 やや長丈の刀身を納めた鞘を撫でると、鯉口がりんっと鳴った。


「いい憂さ晴らしだ」


 青年も軽く笑って柄に手を当てる。

 ……が、青年が巨体の首筋を捉えるのと同時にぐしゃりっ、と奇妙な音がした。はてな、なにか柔らかいものが潰れるように、肉と空が分離する。


「…………は?」


 無意識に口が動く。マジか、と。途端、頭痛を感じた。今日何度目のため息か数えながら、額を抑えつつ、空を仰ぎみる。

 そこに青空はなく、代わりに視界を覆う黒い影が青年の顔の目の前に――――。



 次いで聞こえた爆発音、類似した衝撃。その数秒前に僅かに聞こえた斬撃の



 その瞬時、青年は悟った。

 ああ、きっとこれは――――濡れるな。



 にっこりと頬が引きつる。巨体の黒い粘液を上空から浴びるであろうことに。

 悟りの境地へ行った彼の表情は全身がグールの墨血で犯されるまで穏やかだった。



 両脇を視れば、先程と同様に黒い粘土質の塊がうねうねと脈動している。



 いや、厳密には違った。黒い肉片が真っ二つに両断されて、彼の立つ上空の真上から墜ちてきたのである。つまり青年が今しがた浴びせられたのは、その血と粘液であるわけだ。うわぁ。



 だが、オレの意識はそちらではなくさらに向こう、もっと上空へ。眼をぱちくりと、頭上の人影に仰いでいた。



 蒸気の放たれた湖の谷間に飛沫した水結晶が美しく輝く。無自覚に光彩が絞りを調節して、より鮮明に彼女を映し出す。



 プリズムに似た色彩の唇に、お伽噺の瞼。触れたら火傷しそうな燐銅の視線に光を覆うような紫紺の色髪。刀を抜くのも忘れてその姿に見入った。



 水面から顔を出した妖精ウンディーネの淡い相貌が両手に持つ黒鋼くろがねの刃を曝けだす。



 瞳が見開いていた。昨夜に無造作に観たレポートを思い出す。



 革張りのブーツが半壊の車両に舞い降りる。その瞬間、滑車音が耳から消えた。



 湖畔に煌めく輝きが異質なほど、戦場で会うはずのない乙女が青年のまえに立っていた。 

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