霧城網ラベルオヴァ

その眠りは永遠に。

 プロローグ『Fake』


 ふと、眠りに入っていたらしい。



 懐中時計に目落とすと、秒針は4つほど位置をずらしている。幸いそれほど時間は経っていない。瞬き程度なものに安堵しつつ、卓上に置いた読みかけのレポートをめくった。


「アイラ・ヴァンキーラ……」


 零れでた自身の声で口元に手を添えた。ただ与えられた資料に目を通す、それだけの作業になぜ唇が解けたのか。

 寝落ちした反動で意識が微睡まどろんでいる。


「どうしたんだい」


 前方から柔らかな吐息がかかる。嫌な声だ。居眠っていたことを悟られないよう、最大限面白げのない目を送る。


 

 火の消えた暖炉から燃えかすこぼれた。

 部屋は閑散としている。少なくとも青年の無意識な声が鮮明に聴き取れる。

 

 けれど広さのわりに、妙な圧迫感が拭えない。

 明かり一つないダイニングルーム。当然、住人の気配はない。カーテンを閉め切っているのか、外の景色一切をうかがうこともできない。



 テーブルの先端、本来主人あるじの座るその場所で、彼は臆面なくチェスを戯れていた。


「つれないなあ。君、僕のこと嫌いだろう」


「フン」


 返事をするのも億劫だと低い声が唸る。

 まあ一応、自分の上司だということもあって返事だけは返しておく。

 それでも鬱陶うっとうしいことに変わりはないから、軽くジャックをかっさらってやった。



 軍服の背広を包む見るからに高そうなクッション。

 少し柔らか過ぎるというくらい、体が埋もれていくアームチェアは、慣れていない青年には心地よさも半減する。

 というより、彼がそんなものに座ることが場違ばちがいだ。



 壁は勲章で彩られ、品なく取り置かれたウィスキーのボトルは、その一本一本が青年の給金何ヶ月分を軽く上回る。

 何かの衝撃で倒れたのか、残念ながらその中身は絨毯じゅうたんこぼしれていた。

 黄金の液体が独特の匂いを漂わせてれ流れる。



 加えて、三々五々に取りそろえられた調度品の数々。家具を初め、手鏡や煙管きせるといったものまで、そのどれもが一級品だ。

 ちまたに流せば冬が越せる。



 そんなものがずらりとあしらわれているのだ。

 いかにもお偉いさんの屋敷ですが? といったロココ調に青年は物怖じひとつしない。



 機械的にレポートを読んでいる。

 通常の宅配ルートを逸脱して送られたソレは、ある少女に関する調査書レポートだった。



 もう一度“彼女”のプロフィールを見つめる。同封の顔写真を指でなぞり、短く息づいた。


『アイラ・ヴァンキーラ/14歳でリブドリア修剣道院を飛び級、主席で卒業。その、史上最年少で聖央騎士団に入団を果たすと、以降現在に至るまでその任に着く――――』


 武勲も上げてさらにはエリートとは、かなりの大物のようだ。

 けれど経歴を読み漁るなか、奇妙なことに気が付いた。ひとつ重要な情報が欠けている。


「おい、ステータスが見当たらないぞ」


「だって載せてないからね」


「ふざけているのか?」


「大まじめさ」


 顔をしかめるが、おいそれと応えてくれるほどコイツは素直じゃない。

 青年の軍務における一応の上司は、くつくつと乾いた笑みを浮べる。



 狐染きつねじみた笑顔が憎たらしい。まるで弄ばれているかのようで、この女と話すのは気が滅入る。



 盛大にため息を吐きながら、読み終わった資料をテーブルに捨て置く。

 いい加減気怠くなってきた会話を終らせるため、さっさと本題に入って欲しい。

 上司の映る画面に向かって、疲れたように口火を切った。


「……それで、いったい俺に何の話をしたいんだ?」


「うん?」


 カツっ、重厚な音とともにモノクロの盤石ボードが揺れる。青年のビショップが一手前に置かれたばかりの上司の駒をかっさらった。


「くっ、な、なかなかやるねぇ……」


 これで彼女の駒は残り一桁。めである。厭らしいのは彼がチェックをかけないままねっとりと駒の数を減らしていくことだ。急所を突くことで、話の展開を促していく。


「顔が引きつっているぞ?」


 そうやってチェックを思いとどまる上司には容赦なく引導を渡す。

 迷ったうえでの安全措置など死に等しい。それは結局のところ逃げであり、問題の先延ばしに過ぎない。



 壁一枚ほど隔てたような薄いホログラム越しでは、今頃苦悶を隠そうと奮闘しているに違いない。

 といっても、実際には映像が光の層として疑似画面化しているのであって、青年と彼女の実距離は数百キロを超えている。



 マジックアイテム――双子チェス盤は遠距離通信を可能とする古代遺物だ。

 なのだが如何せん、通信中はチェスをプレイする必要がある。



 もともと別々間からチェスができるというだけの用途のない代物だったが、そこは使いどころというやつだ。

 そのため長時間通信の際は『いかにゲームの展開を長引かせるか』にかかっている。せっかちな人間にとってはなんとも面倒な仕様だ。


「君にはしばらくこちらに戻ってきてもらいたいのさ」


 パキッと歯切れの良い啖呵たんかを切って上司が言った。

 上質なカカオで象られたチョコレートが砕ける。唾液に溶かされたそれに眉がひくついた。



 画面越しで安心した。もし隣だった危うくけしかけていただろう。


「久々の休暇……って訳ではなさそうだな」


「――――君に休暇があるとでも?」


「…………え」


「だって君は僕の犬だろう? 言っておくけれどウチに有給なんてないからね」


「…………え」


 ちょっと待て、なにそれちょっと待って。え、なにその嗜虐的な笑み。なんで当然のように言ってんのこの人。



 思った以上にブラックな務め先に唖然とする。思考が脱線しそうになったので戻しつつ、半眼で抗議しておこう。

 振るい落ちた女王の残像が床に触れた途端、硝子細工の破片を散らす。



 青年は片手のポーンで払いのけ、無表情にナイトを攫った。あらかじめ仕組んでおいた昇格である。女王になった庸兵は糸も容易く駒を取り上げ、冷たい死を告げる。



 むむ、と画面奥から煩悶がぎる。いよいよチェックしか選択肢がなくなってきた頃合いだが、目前の上司はそれを赦さない。


「たしか君は今年で16だろう?」


「正確には17だ」


 当然のようにうそぶいて、上司を見下ろす。


「なら尚更だね、君にぴったりの任務があるんだ」

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