第13話 デモ隊

 その日、怜子はパラッツォ・ホールディングスに朝から出社した。怜子がその後席に乗ったワンボックス型のリムジンは、高速道路を降りてロンバタックス新市街を走っている。

 高速道路を走っている時から、パラッツォホールディングの巨大なビルが、新市街の他の近代的なビル群を圧倒するかのようにそびえ立っているのが見えていた。

 新市街の道路はそれほど混んではいない。ここで働く人々のたいては、ここまで伸びている地下鉄に乗って通勤してくる。いつも道路は空いているのだ。

 ビルの足元に近づいてくる。いつものようにメタリックシルバーの外壁とガラスのエントランスが見えてきたが、今日の怜子は目を曇らせた。


「あれ何?」


 運転手に言ったわけでもないが、返事があった。


「デモ隊です。ここのところ毎日来ています。

 …でもまあ、今日は多いですね。」


 運転手の言ったとおりだった。

 デモ隊がパラッツォ本社ビルの前に来るのは珍しいことではない。怜子はそれには慣れきってしまっている。

 ただ、今日は人が多かった。人垣で玄関が見えず一部は道路にはみ出している。千人は居ないかもしれないが、七.八百人はいそうだった。

 プラカードには「パラッツォはロンバルド人を雇え」「移民で金儲けするパラッツォ」などと、これはいつもの通りだった。


 パラッツォ本社ビルには、地下駐車場への目立たない入り口がある。隣のビルから地下道がつながっているのだ。運転手はそこへリムジンを乗り入れて、玲子はデモ隊に取り巻かれることなく社内に入った。

 重役専用エレベーターで70階まで上がり、自らのオフィスに向かう。

 怜子のオフィスの前では、秘書のジュリアが待っていた。

 ブロンドの美しいイギリス人で、年齢は怜子とあまり変わらない。ロンバルドの大学に歴史を学びにやってきて、そのままロンバルドに居ついてしまっていた。


「おはようございます。

 ロンドンはいかがでした。」


「ええ、動揺は無かったわ。パラッツォのロンドン支社は平穏よ。」


「オペラはいかがでした。」


「それも上々。パラッツォでオペラが上演されるわ。」


「それは最高ですね。私パラッツォの中に入ったことが無いんです。ウワサには聞いています。邸宅パラッツォはロンバルドの歴史そのものだって。

 そこでオペラが上演されるなんて。」


 怜子はジュリアの話を遮って、自分の今日のスケジュールを確認した。ジュリアとは年齢が近いだけに、どうもなれ合いになってしまいがちである。


「エルベルトCEOがお待ちです。」


 怜子はパソコンを立ち上げながら、「20分後に行くと伝えて。」とジュリアに返事をした。

 エルベルトのオフィスはさらに1つ上の71階だった。そのフロアのほとんどをエルベルトのオフィスやら、CEO専用会議室やら、その他何に使っているのかわからない部屋で占めていた。

 上がるとセクシーな秘書が怜子を出迎えた。新しく入ったと聞いている白髪の老秘書は今日は見えない。


 オフィスの中でエルベルトは電話をしていた。ヘッドセットをスマホにつないで、何か苛立った様子で話している。怜子に気が付いて、指で椅子に座るように合図し、本人はそのまま話し続けた。

しばらくして「いいか、指示通りにやるんだ。わかったな。」という言葉とともに、エルベルトは電話を外した。


「悪かったな、怜子。オペラはどうなりそうだ。」


 エルベルトにはロンドン支社の件はメールで報告してあった。


「上演できます。向こうの運営責任者と合意しました。」


「それでいくらかかる。」


「1億ユーロ。それ以外に会場設営費はこちら持ちでということで合意しました。」


「もっとふっかけてくるかと思ったんだがな。そんなものか。」


「向こうはアーティストよ。金には執着はないと思います。」


 エルベルトは何も答えなかった。


「企画の進行は君に任せる。

 それにしてもパラッツォに他人が入ってくるのは気が乗らないな。警備の人員は十分配置して、プライベートな場所に人が入ってこないようにするんだ。」


「上演されるのは遺跡に仮設したステージだし、遺跡は門からすぐよ。」


「わかってる。この企画は君が進めてるものだし、やり手の妹を持つと兄もたいへんだ。」


 エルベルトはそのまま立ち上がり、窓から下を見下ろした。


「もう一つ、怜子に来てもらったのは下の様子だ。」


「下って…」


「デモ隊だよ。来るとき見なかったか。」


「見ましたけど。デモ隊がうちの前に集まってくるのは、いつものことよ。」


「だが、日に日に人数が増えている。

 知っているか。ネットでパラッツォやリド家を批判するサイトや、ツイッターが出来てることを。」


 怜子はそれは知らなかった。


「つまり、パラッツォの会社やリド家が攻撃の対象になりつつあると。」


「連中は、移民排斥、難民の受け入れ拒否を唱えている。

 本来、こういうことは政治の問題だ。デモするんなら議事堂や首相官邸をやるのが筋というものだ。

 だが、徐々にだがその矛先を我々に向け始めている。」


「パラッツォ・ホールディングスは移民や難民に寛大だから。」


「我々が政府とつるんで移民や難民を簡単に受け入れている。そしてロンバルド人労働者の仕事を奪っていると。」


「でもそれは亡きお父様の頃からよ。いえ、パラッツォという会社の理念のはずよ。」


「それだけでもない。」


 エルベルトは椅子に座りなおした。

「パラッツォ・ホールディングスの売上高の三分の二、利益の半分を稼いでいるのがパラッツォモータースだ。

 怜子がここに来る前、その時代はロンバルドも貧しかった。親父の会社はその貧しいロンバルド人の労働者安く使い、自動車工場を経営して会社を成長させた。そして今、ロンバルド人は裕福になった。貧しくはない。


 ロンバルド人を安く使うことはもう出来ない。

 だが、この豊かになったロンバルドに移民が押し寄せてきた。今では難民もいる。彼らを使えば今までどおり、安い労働コストで工場を動かしていくことができる。」


 エルベルトは話し続け、怜子は黙って聞いていた。


「パラッツォモータースは今では世界のビッグ3の一角だ。車の販売台数では、トヨタとフォルクスワーゲンと並んでいる。

 だがそうでいられるのは、この安い労働コストがあるからだ。君は知っているか。パラッツォモータースの車一台あたりの労働コストは、フォルクスワーゲンの半分だ。

 これで安く車を作って売り、利益を上げている。

 うちの車の強みは安いことだ。それしかない。技術でもデザインでも、トヨタやドイツ車には全く及ばない。安い労働コストだけがパラッツォという会社を支えている。」


「それは言い過ぎよ。

 お父様とエルベルトの経営手腕がすぐれていたから。それは皆知っているわ。」


「礼を言うよ、怜子。だが俺はそれほど自惚れていない。

 このロンバルドで得られる安い労働力が無ければ、俺のその経営手腕とやらも、どれほどの効力があったか、自分でも自信が無いな。

 パラッツォには移民が必要だ。彼らが会社とリド家の繁栄をささえている。」


 エルベルトはそこまで話して、怜子の表情のぞき込みながら少し黙った。


「怜子。ひょっとして気を悪くしているか。

 君は移民ではないが、親父が日本から養子として貰い受けた子供だった。君について何か言っているつもりはない。あくまでパラッツォの経営上の問題について話している。」


「ごめんなさい。そう見えた? 私も経営上の問題を話しているつもりよ。」


「それを解っていてくれるのなら、俺も話しやすい。

 マライカだとこうはいかないからな。あいつはすぐに感情的になる。わめき散らし始めたら手がつけられなくなる。」


 エルベルトが珍しく冗談を言ったのだと思って、怜子も笑顔を見せた。

 兄にはその程度の気配りは出来るのだ。エルベルトが大人なのは救いだった。

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