第10話 パラッツォ工場 その外国人労働者たち

 エルベルトは帰宅するためにパラッツォ・ホールディングスの地下駐車場から自分の車に乗り込んだ。

 赤いパラッツォV12はその名の通り、パラッツォモータースのフラッグシップスポーツカーで、真っ赤なボディにミッドシップで12気筒のエンジンを包み込む。そこから発生するパワーは600馬力を超え、官能的なノイズとともに圧倒的なトルクをタイヤに伝える。

 どんなに疲れていてもエルベルトは通勤には自らこの車を運転するのが習わしだった。

 車を操るという楽しみを、リムジンの後席で運転手に任せるつもりはない。エルベルトはそう思っている。


 そのままエルベルトは、パラッツォV12をビルの正面を走る道路に駆り出した。

 自宅のパラッツォの方向にハンドルを切る。その時、エルベルトはふと思いついた。

 工場に寄ってみようか。

 今の時間帯なら、これから夜勤務になるはずだ。昼間工場に勤める一般工員が帰宅し、臨時雇いの工員が夜間の勤務につく。

 その工場に行ってみようと思いついたのである。

 なぜそう思ったのかは、エルベルト自身にも判然としない。昼間、デモのことを聞かされたからかもしれない。

 そのままエルベルトは車を180度ターンさせて、パラッツォモータースの工場の方向に向けた。


 このあたり、ロンバタックスの新市街は夕刻になると交通量が非常に増える。そびえたつパラッツォ・ホールディングスのビルをはじめ、周囲は現代的なオフィスビルばかりである。ここがローマ時代からの遺跡で知られる観光国ロンバルドの首都とは思えないような風景が、このロンバタックス新市街である。

 オフィス街から高速道路に入っても、渋滞は相変わらずだった。車の動きが全く止まっていないのが、せめてもの救いである。

 高速道路は工場街に入った。両側にそれらしい建物が並んでいる。その左側に平たい広大な屋根が連なっているのが見える。パラッツォモータースのロンバタックス工場だった。

 何度も来ているわけではない。CEOである自分は工場の視察などやる必要が無いと、エルベルトはいつも思っている。

 なのでこの工場への道筋をなんとか覚えている程度でしかない。


 やがて高速道路の出口の表示が現れ、エルベルトは車をそちらに向けた。

 高速道路を出ると、今度はバスの大群に道をはばまれた。

 バラッツォモータースの工場ももちろん、その他の工場から帰宅する人々が溢れ出している。さらにパラッツォモータース工場に出勤する、夜番の工員たちが出勤しているのである。

 苦労してエルベルトは自分の会社の正門から工場内に車を乗り入れた。

 車を降りて管理棟に入った。中はいかにも工場の管理部門で、美しい受付嬢がいるパラッツォ・ホールディングスのビルとは違う、すぐにデスクの並ぶオフィススペースになる。

 何人かがエルベルトに気付いて駆けつけてくる。そして上のフロアに連絡がされ、副工場長が降りてきた。


「申し訳ございません。まさかエルベルト様がおいでになるとは思っておりませんでしたので。」


「いや、突然来たのはこっちだ。工場長は。」


「もう帰宅しました。エル


 エルベルトは、副工場長の言葉にも「かまわないよ」と返した。


「現場を見たい。今は夜番は始まっているのか。」


「今、ちょうど交代のタイミングです。夜番の工員たちが現場に向かっているという時間帯です。」


「見せてくれ。」


 エルベルトはそのまま管理棟を出た。

 副工場長は驚いたように後に続く。巨大な自動車会社のトップが工場の現場を見ることはまずない。ましてや夜番の現場を。

 エルベルトのほうも工場を視察するのは、これが初めてということは無かったが、夜番の時間帯に来たのは記憶になかった。

 外は日が落ちて工場の敷地内は点灯されている。

 外に出るのを待っていたようにチャイム音が鳴り響いた。


「始業の合図だな。」


「はい。」


「まだ工員たちが工場の外にいるぞ。」


 エルベルトは副工場長を振り向いた。


「こんなものです。エルベルト様。夜番の工員たちは社員ではありません。言ったところで聞くものでもありません。」


 副工場長は悪びれる様子もなくそう答えた。エルベルトもそれ以上何も言わない。

 チャイム音の流れる中、敷地内を歩いていく大勢の工員たちのなかを、エルベルトと副工場長は歩いた。

 夜番の工員たちは、すぐにわかるほどにロンバルド人とは違う。人種ももちろんだが、ロンバルド人らしさとでも言うのか、ある種のオーラにかけている。ほとんどの工員たちが外国人なのである。


「もうサイレンが鳴り終わるぞ。」


「いつもこうです。ロンバルド人の工員と同じようにはいきませんから。」


 そう言った副工場長は、これもまた申し訳なさそうでもなかった。


「作業効率はどうなんだ。」


「やはり昼の作業に比べて低いです。ただ半分とかいった問題となるほどの低さでもありません。十分工場の要求に達するレベルです。」


「作業規則は守らせているな品質に影響して、ひと頃みたいにパラッツォの車は品質が悪いみたいな言われ方をしたら、たまらんぞ。」


「問題ございません。」


 エルベルトと副工場長は、巨大な建屋の中に足を踏み入れた。

 スピーカーからアナウンスが流れている。持ち場についたかどうか確認しているのだ。ロンバルド語と英語が使われている。


「もう、それほど外国人工員が増えているか。」


「夜番は、9割以上が外国人です。アラブ系が多いですが、最近はラテンアメリカからの労働者も増えてます。今工場では、アラビア語とスペイン語のアナウンスをするかどうか検討しています。

 両言語の通訳はすでに何人もいます。」


 エルベルトは答えなかった。

 かつて外国人労働者の大量雇用を決めたのは自分だった。それでも9割もの比率になることは、想像していなかったのだ。

 数人の工員たちが工場内を走っていてた。持ち場に着くのが遅れたのだ。

 そのうちの3人が、まるで短距離走者のようにエルベルトたちの方向に走ってきた。皆若い。そしてその横を走り抜ける時、足がエルベルトに当たった。

 エルベルトと工員、2人はそのまま倒れた。


「何をする!」


 副工場長はエルベルトを助け起こしながら、工員に怒鳴りつけた。

 工員はあとの2人に助けられながら体を起こしている。

 早口でエルベルトに何か怒鳴り始めた。何を言っているのかわからない。アラビア語のようでもある。

 副工場長がエルベルトの前に割って入り、片手を挙げて警備員を呼んだ。あわてて駆けつけてきた警備員が工員たちを両手で抱きかかえるようにして下がらせた。


「クビだ! お前らいますぐここから出ていけ。」


 副工場長は激高して叫んだ。

 言葉が通じたとも思えなかったが、工員たちは意味はわかったようだった。

 そのうち2人が突然ひざまずくような姿勢を取り、エルベルトに今度は哀願しはじめる。1人は茫然とした様子で、2人とエルベルトたちを見ている。


「今すぐ工場からつまみ出せ!」


 副工場長はまだ怒りが収まらないようで、その言葉に従って警備員たちは3人の工員を建物の外に引きずるようにして連れ出していった。

 この間、たいして時間は経っていない。エルベルトは終始無言だった。


「申し訳ございません。このことの責任は…」


「もういい。たいしたことではない。それにしてもあの連中は、私の立場がわからなかったのかな。」


「いつもそうですよ。ロンバルト人の工員ならば、エルベルト様の姿を見れば、顔を見知っていなくても、この会社の高い立場の方だとわかります。外国人には理解できないのです。」


 エルベルトは上着の汚れを払った。工場長はハンカチを取り出してその背中を払う。

 そうされながらエルベルトは呟いていた。


「外国人か…」

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