第7話 フェアリーと移民の男たち

 フェアリーはこの車の助手席が大好きだった。

 怜子のパラッツォGTロードスターの助手席は、適度に風が巻き込み、フェアリーの淡い金色の髪をなびかせる。そうすると自分が美しく見えるはず。今12歳のフェアリーはすでにそんなふうに考えるようになっていた。

 

「今日は道路がすいてるよね。」


「あなたが家を出るのが遅いんでしょ。」


 怜子の言葉にフェアリーは舌を出した。


「そんなことするのやめなさい。下品よ。」


「あたしもともと下品なんだもん。」


「でも、リド家の一員になったのなら、もっと上品になるのよ。」


 それでもフェアリーの言う通り、ロンバタックスの道路はめったにないことだが空いていた。

 今は朝のラッシュアワーが終わり、ホテルで朝食を終えた観光客を満載したバスが旧市街に向かう直前の時間帯である。うまくその時間帯にはまったのだ。

 怜子は車を、目的地であるフェアリーの通う学校に続く路地に乗り入れた。


 ここからはもう旧市街そのものの街並みになる。

 石造りの頑丈な建物が並ぶ。すべてがゴチック様式で建てられ、旧市街と呼ばれている街のほとんどすべてが歴史地区に指定され、新しい建築は禁止となり家の修理すら許可が必要な地域になっている。

 路地はまっすぐで見通しはいい。思わずスピードを出しそうになってしまう。ロンバタックス市は19世紀の大火の後、町の区画整理が行われたと聞いた。それなので路地も主要道路もきれいにまっすぐになっている。

 この旧市街は古式ゆたかで伝統的なヨーロッパの市街地のイメージだが、意外に新しい建物なのである。

 その旧市街を、パワーの出やすいパラッツォGTロードスターのアクセルを慎重に踏みながら、怜子は車を走らせた。


 しばらく進むと、右手に巨大なギリシャ列柱を並べた建物が見えてきた。

 これが目指す場所、フェアリーの学校、そして怜子もかつて通っていたサン・フラチェスコ女子学院だった。

 狭い路地に面しているが、そのせいで並ぶ列柱がひときわ大きく感じられる。

 もとホテルだった建物をサン・フランチェスコ修道会が買い取って、学校に改装して校舎として使っている。

 怜子も日本から来て、しばらく通っていたこともあって、中がかなりモダンに改装されていることもよく知っていた。

 ここはロンバタックスでも屈指の名門女子校として知られているのだが、実のところサン・フランチェスコ女学院が開校したのは第二次大戦後で、それほど歴史が古いわけではなかった。

 それでも戦後の十分な教育体制が整っていない時代に、戦勝国アメリカの援助を受けて開校したこの学校は、たちまちロンバルド上級国民の支持を得て、自分たちの娘を通わせるようになった。


 怜子は学校の前で車を止めた。

 学校は車での送迎を歓迎していないが、少なからぬ上級国民の家庭は、車で娘を送り迎えしていた。

 怜子のほかにももう一台高級車が学校の前に車を止めていて、小学生くらいの女の子が下りている。

 泊まった車からフェアリーはドアを大きく開いて、飛び出すように外に出た。


「なんとか間に合ったね。」


「間に合ってないわよ。今の時間なら完全に遅刻よ。たっぷり先生に怒られなさい。」


「今日は迎えに来てくれるの。」


「今日はダメなの。これからロンドンに行くから。パラッツォに帰ってくるのは明日の夜になるわ。」


 フェアリーはわかったと答えて、列柱の間にある階段を駆け上った。赤い制服のスカートが、蝶々が舞うように階段を昇っていく。

 それを最後まで見ないで、怜子は車をスタートさせた。これから空港に向かうのである。

 階段の上にはもう一人の女の子がいて、フェアリーに声をかけた。


「遅刻ね。」


「2人で入って怒られようか。」


「大丈夫。これから一時間目が終わるところ。先生が職員室に引き上げるから、その隙に教室に入れるよ。」


 2人はそのまま一時間目の終業のベルが鳴るのを待っていた。

 ロンバルドの学制は、秋就学など日本と違うところもあるが、基本的には六三三四制である。したがってフェアリーたちは小学六年生ということになる。

 2人はそのまま昨日見たアニメーションの話や、次の休みにはパパとママがフロリダに連れて行ってくれる。ディズニーワールドでたくさん遊ぶつもり。などといった子供らしい会話を交わしていた。


 話をしながらフェアリーは階段の下の道路の目をやった。

 ここは路地の奥で人通りの少ない場所だが、それでも人の姿は絶えることはない。道の向こうの交差点にはお巡りさんがいる。自転車でものすごいスピードで走り去っていく男もいる。


 何気なく見ていると、3人連れの男たちが通路の向こうから歩いてきた。

 顔立ちがロンバルド人と明らかに違う。

 いや、形は似ているのだが、彼らが放っているのは先進国の国民であるロンバルド人のそれとは違う、外国人特有のオーラである。

 最近ではフェアリーも見慣れている。アラブから来た移民の男たちのようだった。

 彼らは仕事に行くような雰囲気ではなかった。そもそも仕事をしているのなら、こんな時間に道路を歩いているはずもない。

 ロンバルド政府は移民や難民に、人道的見地から当座の生活費を支給していた。まだロンバルドに来て日が浅い移民たちは、その金を当てにして生活している者も少なくない。

 もっともフェアリーには、そんなことに関する知識は無かったのだが。

 特に理由もなくフェアリーは彼らを見ていた。


 そのうち、3人のうちの1人がじっとフェアリーを見ているのに気が付いた。通りの向こうから歩いて来るうちに階段の上にいるフェアリーを、ずっと見上げていた。

 男と目が合った。

 フェアリーはぞっとした。

 それは奇妙でおぞましい不快感だった。男の目は今まで見たこともないような、不気味な光を放ちながら彼女を見ていたからだった。



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