第14話 塚本由梨

 幽体離脱のような状態になりながら、与一は自分の頭をマンティコアが咀嚼そしゃくするのを眺めていた。

なるほど、この状態だと好きな場所で肉体を再生できるようだと与一は理解した。

カジンザとナウリマはウォーハンマーで次々とマンティコアを撲殺していく。

まるでウサギでも相手にしているように軽々とだ。

肉体の復活は戦闘が終わってから落ち着いてすることにした。

今の与一は魂だけのような状態なのだが移動はすきにできた。

しかもかなり高速で動けるし、記憶にある場所ならば瞬間移動も可能なようだ。

ただしゲートの向こう側へは行けない。

自分の部屋で復活というのは無理だった。


 戦闘が終了すると石の床の上に青い光が集まりだした。

与一の肉体が復活するのだ。

与一は傷一つない状態で蘇ったが、それまで着ていた服までは再生されていなかった。

両手で股間を隠しながら与一が叫ぶ。


「まじまじと見ないで下さい! あっちむいてて!」

「肉体復活に興味があるだけじゃ。人間の、しかも男の身体に興味なんてないわい」

「あくまでも学術的興味です」

「いいから向こうを向いててよ!」


 与一は自分の首なし死体から服をはぎ取った。

嫌悪感よりも今は羞恥心がまさっている。

ところどころ破け、血もついていたが気にする余裕はなかった。

何よりも自分の身体をナウリマに見られたのが恥ずかしかったのだ。


「服を着たからもういいですよ」


カジンザとナウリマが改めて与一に向き直る。


「ふむ。完全に復活を遂げたみたいじゃの。体に違和感などはないか?」

「まったくありません。むしろ疲労や緊張感がとれている気すらします」


ナウリマは与一の亡骸の方に視線を向けた。


「損壊した体はそのまま残されるのですね」


床の上には裸の死体が転がっている。

首から上はないがかつては与一だった体だ。

うつぶせにして陰部は隠してあるが、こちらから見るとお尻が丸見えだった。


「ナウリマ、恥ずかしいから見ないでよ……」

「ごめんなさい」


迷宮内部は石造りで死体を埋めることすらできない。

与一としては自分の死体ながら、さっさと魔物にでも食べて欲しいという気持ちになっていた。



 暗い回廊を先に進むと、冒険者の死体がまばらに転がっていた。

死体と言っても損壊が激しく、人間の原型はほとんどとどめていない。

食い散らかされた後の残骸と言っていいだろう。

周りに落ちている装備品と骨肉の破片が、冒険者の存在していた証明として残されているだけだ。


「ひょっとしてルーチェの仲間の物でしょうか?」

「うむ。あり得る話じゃな」


カジンザは淡々と使えそうな物を拾っている。

与一は傍らに落ちていた剣を拾い上げた。

全長一六〇センチを超える長剣だ。

与一の蜻蛉切よりもずっと重い。


「これを貰ってもいいですか?」


カジンザはニヤリと笑う。


「与一が拾ったのだ。与一の物にすればよい」


売ればそれなりの値段がつく品なのだが、迷宮に住むケンタウリーにとっては大した価値はなかった。

それに死者が置いていく財布も回収しているのでカジンザは金持ちでもあった。


「与一さん。戦闘の訓練をするのなら私がお相手をしますよ」


ナウリマは嬉しそうに指南役を申し出てきた。

普段、同年代の者と親しく話すことがないので嬉しいのだ。


「いいの? だったら教えてもらおうかな」


ネクタリアのおかげで疲れることがほとんどない与一は、軽い気持ちで戦闘訓練をしてみようと考えていた。



 危険地帯から戻ると、新しい小屋の骨組みが大分組みあがっていた。

与一たちが出かけた後もルーチェは一人で頑張っていたのだ。

今は与一から借りたタオルを頭に巻き、Tシャツにジーンズという格好をしている。

雰囲気としてはアニメや映画に出てくる女傭兵の休日といった感じだ。

相変わらず下着は着けておらず、与一は思わず赤面してしまうが、女性用の下着を購入することも、それをつけてくれと頼むことも躊躇われる。

誰も困っていないのだからこのままでいいかと納得することにした。


「ただいま。バッチリ案内を書いてきたよ」

「ありがとう。これで少しは冒険者が来てくれるかもしれないわ」


ルーチェの顔は晴れやかだった。

10月になったというのにカバリア迷宮の中の気温はあまり下がっていない。

連日二十五度を超える陽気だった。


「暑かっただろう。皆に飲み物を持ってくるから待っていてね」


与一はマンションへと戻り、飲み物を二種類用意した。

サイダーとビールだ。カジンザにはアルコールの方が喜ばれるだろうと思ったのだ。


「なんじゃこりゃあ!?」


予想以上にいい反応をしてくれたカジンザに与一も笑顔になる。

お中元で送られてきたビールを冷やしておいて正解だった。

五〇〇ミリ缶が瞬く間に空になったので、もう一本カジンザに手渡してやった。


「美味いのぉ! 与一、儂の息子にならんか!? 与一なら大歓迎だ!」


ほろ酔い加減のカジンザがご機嫌でにもつかないことを言う。


「自分には父親がいますので。養子にはなれませんよ」

「そうではない。孫のナウリマと夫婦にならんか? お似合いだと思うぞ」

「おじい様!」


ナウリマは顔を赤らめてカジンザの腕を叩いた。

マンティコアの攻撃にびくともしなかったカジンザが痛みに顔をしかめていた。


「ごめんなさい与一さん。祖父は少々酔っているようです」

「わかってるよ。カジンザも今日のビールはもうないですからね」


照れているナウリマは可愛かったが、与一にそんな気はない。

言語というコミュニケーション手段があるのだから異種族間の恋愛は成り立つかもしれない。

だけどケンタウリーと人間でどうやってセックスをするんだろうと、与一は素朴な疑問を感じただけだ。

もし子どもが生まれたら、脚が二本なのか四本なのかもわからない。

ひょっとしたら馬の脚が二本ついた子どもが生まれることもあるだろう。

そんな三歳くらいの子どもが森の中をぴょんぴょん走り回るのを想像して与一は目を細めた。

子どもは嫌いではなかった。




 予備校から吐き出される人の波に交じりながら、塚本由梨は軽い解放感に浸っていた。

由梨は浪人生ではあったが予備校に通っているわけではない。

今日は模試の日だったのだ。

高田馬場駅へと歩きながらついつい周囲を見回してしまう。

そんな偶然があるはずはないと思いながらも視線はいるはずのない芹沢与一を探していた。

ここは与一の通う大学に近い駅だった。

与一は荻窪に住んでいるからもしかすると地下鉄の乗り場付近にいるかもしれないという淡い期待を抱いていたのだ。


 高校生の頃、クラスでいじめを受けた由梨は唯一自分をかばってくれた与一にいつの間にか恋心を抱いていた。

特に親しくしたわけではなかったが、学校でただ一人、普通に会話し、冗談を言ってくれ、登下校の挨拶をするクラスメイトだった。

不安定な時期に優しくされれば誰だって心は揺らぐものだ。

だが由梨は自分でも少しおかしいと自覚はありながらも、かなり深く与一に恋い焦がれるようになっていた。

現役で大学合格を果たしながらも与一と同じ大学に通うために浪人を選んだくらいだ。

だが、与一に思いのたけを伝えたかといえばそんなことはない。

住所も電話番号もメールアドレスもSNSのアドレスさえ由梨は知らない。

卒業前に告白するか、せめて手紙を渡せればよかったのだが未だにその願いは成就されていなかった。

卒業式の日に渡せなかった手紙は今日もカバンの中にしまわれたままだ。


 与一を探している自分の姿が駅の鏡に映っていた。

長いストレートの黒髪を後ろでくくり、地味なワンピースにスチールフレームの眼鏡の女がそこにいた。


「なにやってるんだろう……」


小さく呟いて由梨は悲しくなる。

もしここに与一がいても自分には何もできないだろうと由梨にはわかっていた。

わかっていながらも与一の姿を探してしまう。

もしも今、芹沢君にトラックが突っ込んできたら私が盾になってあげるんだと由梨は本気で思っていた。

実際にそうなったときに由梨は迷わずその選択を実行するだろう。

手紙を渡すことはできなくてもトラックと与一の間には迷いなく立てる、それが塚本由梨だった。


芹沢君!


 後姿を一目見ただけで由梨には前を歩く男が与一だとわかった。

足を速めて斜め後ろから確認したが間違いなくそれは芹沢与一だった。

何やら重そうな荷物を抱えている。

厳重に包装された作業用のシャベルのようだ。


 由梨は声をかけられないまま与一の後をつけた。

予想した通り与一は地下鉄の乗り場へと続く階段を下りていく。

自分の行動を自覚しないまま大急ぎで地下鉄のキップを買った。

由梨が乗るべき電車は山手線であって東西線ではない。


(これじゃあストーカーだよ……)


カバンを握りしめながら車両の端にいる与一を横目で窺ったが、与一は本を読んでおりこちらに気づいた様子はなかった。


(私のことなんて覚えていないかもしれない)


そんな心配が由梨の心の中に持ち上がる。


(私、本当になにをしてるんだろう……)


短い時間の間に同じ自問を二回もしてしまうことの滑稽さには気づいている。

それでも東京直下型地震が起きた時、与一を助けに行くためにも住所を知っておくべきだと由梨は考えていた。

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