第12話 幸福

 与一は大学からの帰りにホームセンターへ寄った。

資金は乏しかったがどうしてもシャベルが必要だと感じたのだ。

昨日、カジンザが撲殺した冒険者たちを埋めるのを見て穴を掘る道具の重要性に思い至った。

墓穴掘りはウォーハンマーを使ってカジンザとナウリマがやっていたが、いずれ自分も必要になると確信した。

別に人を殺して埋めるためではない。

生ごみを捨てる穴を掘ったり、家を建てる時に必要だというだけだ。

実際に迷宮ガエルを解体したときには、可食部位以外は穴を掘って埋めている。

病原菌の発生を抑え、速やかに土に返ってもらうためにも必須のアイテムだった。


 冒険者たちの惨殺シーンを目撃した時も、その後の埋葬時にまじまじと死体をみた時でさえ、不思議なほどに与一は心の平静を保つことができた。

恐怖や不快感などはあったのだが、自分でも驚くほどに精神の振幅はなかった。

心臓に矢を受けた衝撃で感覚が麻痺してしまったのだろうか。

ひょっとするとネクタリアの作用が関係しているのかもしれない。

ネクタリアを食べていなかったら矢を受けた与一は確実に死んでいただろう。

とんでもない世界に来てしまったと思うのだが、二度と行くものかという気持ちにはならない。

他にも与一は気持のありようの変化をいろいろなところで感じている。

授業に遅れそうになっても焦らないし、買おうと思っていた限定パンが目の前で売り切れになってもほとんどショックを受けなかった。

バスが来なくてもイライラしないし、満員電車も気にならない。

自分に対する哀れみがまったくなくなってしまったのだ。


 変化は精神面だけではなかった。

肉体的にも持久力がついた気がする。

何をしていても疲れというものを感じなくなっているのだ。

怪我や病気の治癒などはあちらの世界に行かなければ発揮されないが、ネクタリアの恩恵はこちらの世界にあっても皆無というわけではなさそうだ。

試しにスーパーマーケットまでの二キロを全力疾走してみたが、軽く息切れする程度だった。

以前の与一なら考えられないことだ。

東京国際マラソンで優勝できそうな勢いだった。




 与一がゲートをくぐると、目の前にシュールな光景が広がっていた。

足を開いた状態で大きな鹿が木に逆さ吊りにされているではないか。

内臓は既に取り除かれ、お腹の中は空っぽの状態だ。

すぐ脇にはルーチェが立っていて与一を見つけると満面の笑みで自慢を始めた。


「どう与一、今日の獲物よ」

「すごいじゃないか」


与一は素直に褒めた。

すぐ脇には解体された肉が部位ごとに縄で吊るされている。

虫よけのためにわざわざ生木をくべた焚き火が煙を立ち上らせていた。


「すぐに冷蔵庫に入れなきゃね。それでも食べきれないだろうな。冷凍庫の急冷機能を使ってみるか」

「冷蔵庫?」

「食べ物を冷やしておいたり、凍らせて長持ちさせる道具だよ」

「氷冷の魔道具を持ってるんだ。本当に与一って庶民なの」


ルーチェの世界にも冷蔵庫に相当する魔道具はあるのだが大変高価で富裕層しか購入できない。

与一は一般的な家の子弟だと聞いているがルーチェにはやはり信じられなかった。


「父親の収入は、一般平均よりかは少し上かもしれないけどね」


冷蔵庫が月収の四分の一から半分ほどで買うことができると聞いてルーチェはため息をついた。

氷冷の魔道具は自分が一年間働いて得られる金を全てつぎ込んでも、ようやく買えるか買えないかくらいの物だった。


「与一の国の国民はみんな豊かな暮らしをしているのね」


与一は思わず言い淀む。

ルーチェが暮らすポルトック王国に比べれば日本はずっと裕福なのだろう。

だが全ての国民が豊かに暮らしているかと聞かれれば首をひねってしまう。

ニュース番組では格差は広がるばかりだといっていた。

世界の富の半分は、億万長者と呼ばれる1パーセントの富裕層が所持しているそうだ。

貧困に喘ぎ、国から生活保護を受ける人が200万人を超える一方で、本来食べられるのに廃棄される食品は630万トンともいわれている。


「多分、ものすごく裕福だと思うよ。全員じゃないけどね」


曖昧な表情で、曖昧に与一は答えた。

食品ロスや生活保護の話はできなかった。

話してしまえばルーチェは遠慮なく疑問に思ったことを質問してきそうだし、質問されても与一には正しく答える自信がなかったから。


「金持ちがいて貧乏人がいる。どこでも事情は同じなのね。私も若いうちに無茶な探索でお金を貯めて、四十歳を過ぎる前に薬草取りに転向するんだ。収入は少なくなるけど命の危険は減るもんね。それまで生きていられればめっけもんって感じよ。できれば稼ぎのいい男と結婚したいわ」

「それがルーチェの幸せ?」


何気ない与一の質問にルーチェは考えてしまう。


「え~、幸せかぁ……。わかんない。とりあえず美味しいものを食べた時とか、面白くて大笑いできたりする時が幸せなんじゃない? だから結婚してそうなれれば幸せなのかな」


ルーチェの笑顔を見ながら与一は高校時代にいじめられていた同級生のことを思い出していた。

名前は塚本由梨。

地味でおとなしい子だった。

与一は思う。

自分はいじめを注意するよりももっとすべきことがあったのではないだろうか。

考えの異なる他者を説得することなど最初からあきらめて、ただ塚本由梨にもっと優しくすればよかった。

個人が出来ることなどそれくらいしかないのだから。


「うん。ルーチェの言う通りだよな」

「でしょ。今夜も美味しいご飯を頼むわよ」


ルーチェの笑顔は可愛くて与一は思わず求婚してみようかという気分になってしまう。

美味しいものを食べさせて、いっぱい笑わせてあげたらルーチェは自分を好きになってくれるのだろうか? 

とりあえず今夜は気合を入れて夕飯を作ることにした。



本日の夕飯


鹿のフィレステーキ バルサミコ酢と赤ワインのソース ニンニクムース添え

付け合わせとして ほうれん草のバターソテー ニンジンのグラッセ

バゲット

ミモザサラダ

アイスクリーム



 鹿肉は可食部分が20キロも取れたので当分肉に困ることはなさそうだ。

二人ではとても食べきれないのでカジンザたちにも持っていくことにした。

残りは冷蔵庫と冷凍庫で保存だ。

二人で500グラムのステーキを食べてかなりの満足を得られた。

脂肪が全くない部位なので意外とあっさり食べられるのだ。

淡白な味を補うためにソースにはかなりの量のバターを使っている。

作り方は簡単で赤ワインとバルサミコ酢を煮詰めたものに顆粒のコンソメを加え、火を止めてからバターを加えてよく混ぜるだけだ。

与一の母が得意としていたソースだった。


「鹿の肉は思ったよりはクセがないんだね」

「農家にとってはご馳走なのよ。でもイノシシの方が美味しいわね。森の中でイノシシの足跡も見つけたからそのうちに捕まえられると思うわ」


当面は肉類を買うことはないだろう。

飽きてしまうかもしれないが冷蔵庫の鹿肉でいろいろと作ってみようと与一は考えていた。

とりあえず明日は鹿肉カレーに挑戦だ。


 デザートのアイスクリームにルーチェは涙を浮かべながらスプーンを口に運んでいる。


「おいしいよぉ。えーん」


こんなに喜ぶのならもっと早くに食べさせてやればよかったと与一は思った。


「これも与一が作ったの?」

「いや、店から買ってきただけだよ」


一つ120円のアイスクリームがここまで人を幸せにできるのかと与一は感心した。


「今日は鹿が獲れたから特別なデザートさ」


こう言っておけばアイスクリームは別格の存在と認識されるだろう。

日常に食されるありきたりの食品ではなくなる。

民俗学的に言えば「ハレの日」の食べ物だ。

アイスクリームが常日頃から食べられる生活と、たまにしか食べられない生活のどちらが人間にとって幸福なのだろう。

目の前にアイスクリームがあればそれを楽しめばいいし、なければ無いで他の気晴らしを楽しめばいいだけだと与一は思う。

わざわざ禁欲的になるのもどうかと思うし、逆に欲望に身を亡ぼすのも馬鹿げている。

所詮、人間は与えられた手札でゲームを楽しむしかない。

キケロも言っているではないか、「人の一生を支配するものは、運であって知恵ではない」と。


「運か……」と与一は考えた。

ネクタリア、取り残されたルーチェ、頭を割られた冒険者、ウィスキーを楽しむカジンザ。そんな光景が与一の頭の中でぐるぐると回った。

悲しいことだがやはり人は運に支配されているのかもしれない。

「だけど」と与一は考える。

人生を楽しむためにはやっぱり知恵は必要なのだと信じたかった。

知的投資によるリターンを与一は疑わないし、運だけが人生を支配するならば考えることなど無意味になってしまう。

学問に並んで占いが幅を利かせる世界だなんて嫌だと思った。

与一は占いが嫌いだ。

あんなものは考えることの放棄だと思っているのだ。


「死なない人間は幸せになれると思う?」


与一の質問にルーチェは関心を示さない。

夢中でアイスクリームを食べていた。


「え? 死なない? さあ……与一次第じゃない?」


与一の最大の関心事は見事なまでにスルーされてしまった。

ルーチェは自分の幸福を堪能するのに忙しかったのだ。

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