踏み出せない一歩・1

 あの日、シュウは久々に部屋から出された。

『臭いわね』

 母に顔をしかめられながら、身体を洗われ、汚れてない服に着替えさせられ、菓子パンを与えられた。

 ……誰か来るのかな……。

 『ほけんしさん』や『やくしょのひと』や義父の『おじいちゃん』『おばあちゃん』がやってくるときは、こうして部屋から出して貰える。そして、身体を綺麗にして貰い、食事を与えられて、彼等に会わされ、帰った後はまた部屋に放り込まれるのだ。

 でも、その日は違った。家の中は、どの部屋もガランとしていて、菓子パンを食べた台所も、いつも夜中漁る冷蔵庫や四人掛けのテーブルが無く、カーテンの無い窓から差し込む光が、床に四角を描いているだけだった。

 パンを食べ終えると、シュウは車の後部座席に、義弟妹達と乗せられた。自分より体格の良い義弟が、ふざけて彼にパンチやキックをしてくる。身を縮めて隅で小さくなって座っているシュウを、チラチラ見ながら助手席の母と運転席の義父は黙って車を走らせていた。

『宇宙エレベーターだ!!』

 義弟が座席の間からフロントガラスの方に身を乗り出して叫ぶ。

 シュウが顔を上げると、青く晴れた空を二つに割るように、銀色の柱がそびえ立っていた。天辺は空の上に霞み、根本は大きなビルかとみまごうほど太い。そして、その下には宇宙エレベーターの衛星軌道上に設けられた係留場の宇宙船に乗る、宇宙港の建物が広がっていた。沢山の車、タクシー、バス。建物には列車の駅も併設されているらしく、リニアカーが陽光を弾いて、出入りしている。

 家の外に滅多に出ることの無いシュウは声も無く、その光景を眺めていた。やがて宇宙港の地下駐車場の入り口に、吸い込まれるように車は滑り込み、他の車と並んで、駐車場に停められる。

 車から降ろされると、エレベーターで宇宙港に登る。久しぶりに母に手を引かれ、広大な宇宙港の中を歩く。ピカピカに光る床、高い天井から降り注ぐ自然光と人工光。食事や土産を売る飲食店や売店。大勢の人に揉まれて歩いていると、母はシュウをトイレの近くのベンチに座らせてこう言った。

『ここでちょっと待ってなさい』

 そして、母は義父と義弟妹と連れ立って、カウンターに車の鍵を預けた後、宇宙船の搭乗口に続くゲートを潜り……そのまま二度と、迎えに来なかった。



 西地区で降り始めた雨が、東地区まで近づいているのか、湿った風が吹いてくる。薬で少し熱が下がったものの、まだ熱い身体で、秀は夜道を工場町から自宅に帰る人の波に乗って歩いていた。

 目の前に巨大な建造物が見えてくる。宇宙駅・神田駅。年中無休二十四時間営業の駅は、まるでイルミネーションで飾られたように、駅構内の様々な施設の明かりが漏れ、闇の中、光輝いていた。

 あの後、シュウは宇宙港に忍び込んでいたスペチルグループの子供達に拾われた。

『お前、親に捨てられたんだよ。さっきから見てたけど、誰も迎えに来ないじゃん。まあ、ほっといても良かったんだけどさ、ここの星の児童福祉施設はひでぇ所だって聞いてるし、まだオレ達と行く方がマシだろ』

 彼等はそう言ってシュウの手を引き、仲間に入れてくれた。その宇宙港が、目の前の宇宙駅に重なる。

 親父と母さんにまで『無駄』で『役立たず』と、ここで捨てられるなら……。

 冷たい目で自分を見ていた母と義父の顔が浮かぶ。あんな顔を今の父と母で見るのは耐えられそうにない。秀はよたよたと宇宙駅の中に入っていった。

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