第9話 なまじ知っているからこそ簡略化されて解らなくなるときってあるわね、あるいは、麻婆丼と中華スープとヒゲのウィスキーのハイボール

 切迫仕事もないので、あれこれ仕事に役立ちそうな技術についてネットの情報を元に勉強していると、


「あの、小枝葉さえば先輩」


 新人の蓮池はすいけ上乃うえのちゃんが、席にやってきた。


「今、お時間宜しいですか? 少々教えていただきたいことがあるんですが」


 この子は、あたしが教育を担当する同じインフラチームの新人だ。


 ボリュームのある髪をポニーテールに纏めて、白縁の角張ったアンダーリムの眼鏡を掛けている。その眼鏡のように、必要以上に丁寧で堅苦しいところのある子で、中々打ち解けられないでいるのよね。


 でも、可愛い後輩が頼ってきたらなら、答えないとね。


 手早く社内の設備予約のシステムを開けば、会議室が空いてるわね。


 一時間半使えそうだから、とっちゃいますか。


「会議室取れたから、そっちいきましょうか」


 あたしとウエノちゃんは、貸与されているノートパソコンを持って移動する。


「あ、密室で二人っきりなのをいいことに、呑みに誘ったらパワハラで訴えますから」


 最初の頃に呑みに誘ったんだけど、すぐに潰れちゃったのよね。それ以来、こうやって予防線を張るようになっちゃったのが、少々寂しいわ。


 そうして、テーブルと四席だけの小さな会議室へ入って向かい合わせに座る。


 ウエノちゃんのパソコンを会議室に備え付けの大型モニタに繋いで、そこを見ながらレクチャーすることにした。


「ファイアウォールの設定がどうしても理解できないんです」


 今、彼女は業務に慣れていくために、失敗しても問題のない社内の試験環境のセットアップをして経験を積んでもらっているのだ。


 その中で、試験に使用する必要のある通信だけを通すようにファイアウォールを設定すること、という課題を出してたのよ。


「このコマンドを実行したらいいし、期待通りに動いてはいるんですが、『ファイアウォールにサービスを追加する』という概念が、どうしてもイメージが湧かなくて困っています」


 彼女が開いたコンソールに表示されているのは


firewall-cmd --add-service=http --zone=public --permanent


 というコマンドだった。


「ああ、これね」


 当社で標準で使用している CentOS が 7 になってから、コマンドが刷新されてすっかり様変わりしたのよね。


 彼女は、最初から 7 だからコマンドの違いに悩まされないけど、なるほど。


 便利になって隠蔽されたのが、理解の妨げになってるのかしらね。


「そこに疑問を持てるのは、本質を理解しようとしてるってことだから、とてもいいことよ」


 まずは、素直に褒める。いや、本当、それなりの年数経験を積んでるはずなのに、ネットに書いてるサンプルをコピペして動けばいいやって技術者、いるからね。それだと、動かなかったときは十中八九問題解決できないのよね。


 そういう人のヘルプ、沢山してきたけど、ウエノちゃんはそうはならなそうね。


 素直な賛辞に照れくさそうにする後輩に、少しでも理解を深まるように教えてあげましょう。


「まず、確認させてちょうだい。ファイアウォールってどういうものかしら?」


「えっと……特定のアドレスやポートからの通信を拒否したり通したりすることで、外部からの脅威や内部からの意図しない発信を防ぐ防壁、です」


 語尾が疑問形じゃないの、いいわね。


 と、それは口に出さず。


「それで間違えてないわ。なら、どこがイメージできないのかしら?」


「防壁なら、遮断するイメージなんです。サービスを追加したら通信が可能になるというのが、どうにもそのイメージと合わなくて」


 なるほど。言葉のイメージにも引っ張られてるのね。


「そうね。じゃぁ、サービスって何かしら?」


「それは……サーバ上で動作するシステムです」


「間違ってないわ。じゃぁ、サーバ上で動作するシステムは外部からどうやって識別しているのかしら?」


「接続先ポートです。 http なら 80 、 https なら 443 、 ssh なら 22 、 dns なら 53 、」


「そうよ。そこまで解ってたら、防壁ってイメージに囚われないで。サービスを追加するということは、つまり、特定のポートへのアクセスを許可するってことになるわ」


「それは、何となく解るんですが、 http が 80 番とは限りませんよね?」


「よく解ってるわね。確かに、 httpd の設定次第で、好きなポートにできるわね」


「そうですよね? だったら、 http が 80 番という紐付けは、どこで行っているのですか?」


 ようやく、彼女の引っ掛かりの正体が見えた。


 予想通り、隠蔽されている部分が http というサービス名とポート番号のミッシングリンクになって理解を妨げていたのね。


「ああ、それはね」


 あたしは、


vi /usr/lib/firewalld/services/http.xml


 と打ち込んで、設定ファイルを開く。


<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>

<service>

<short>WWW (HTTP)</short>

<description>HTTP is the protocol used to serve Web pages. If you plan to make your Web server publicly available, enable this option. This option is not required for viewing pages locally or developing Web pages.</description>

<port protocol="tcp" port="80"/>

</service>


 と表示されていた。


「あらじめ、よく使うサービスについてはポートと紐付ける設定ファイルが容易されているのよ。ほら、ここに port protocol="tcp" port="80"/> ってあるでしょ?」


 ウエノちゃんは、画面を見ながら、大きく頷いている。


「なるほど。サービス名が実質的にポート番号を示していて、サービスの追加は、そのポートに対する許可設定になってたんですね……ありがとうございます。これで、イメージが繋がりました」


 どうやら、理解してもらえたようだ。


 因みに、 CentOS 6 以前の iptables という仕組みなら、どこそこのアドレスからのどこそこのポートへのアクセスは許可する、許可しない、というような泥臭い設定の羅列だったから、むしろ、ウエノちゃんには解り易かったでしょうね。


 http を許可する場合、


iptables -A INPUT -p tcp --dport 80 -j ACCEPT


 って感じで書くからね。


 サーバに対して入力INPUTされてくる、 tcp の 80 番ポートへの接続を、許可ACCEPTする。先ほどの、ウエノちゃんの理解した通りの設定方法よ。


 ある程度理解しているがゆえの混乱ね。


「では、もう少しお聞きしたいんですが、この zone というのは……」


「ああ、これはね……」


 という感じで、しばらくファイアウォール設定に関する講義をして、疑問は全て解消することができたようだ。


 ひと段落したところで、まだ会議室の時間は残っていた。


 すぐに席に戻って仕事の続き、っていうのもそっけないし、もう少し後輩とコミュニケーションを取るのもいいかしらね。


「何か他に質問とか、あたしに言っておきたいことがあれば、何でも聞くわよ」


 教育係としてのフォローってことで、仕事の内だから雑談してサボろうというんじゃないわよ?


 すると、


「あ、何でもいいんですか? それなら、申し上げ難いのですが、殿方を惑わせるのはよくないと思います。最近、開発の今沢いまさわさんの様子がおかしいです」


 ウエノちゃんは予想外の話を切り出してきた。そりゃ、『何でも』とはいったけど、まさか後輩から諭されるとは。でも、きっと『何でも』を文字通り真面目にそのままの意味でとらえたんでしょうね。


 なら、こちらもはぐらかさずに真面目に答えないと。


「今沢君って……ああ、ちょっと前に平文でパスワード保存してたから、プログラムのセキュリティの甘さについてお説教しちゃったわね。最後はあたしの言ったことを理解して元気になってたと思ったんだけど……やっぱり空元気で落ち込んだりしてたのかしら?」


 だとすると、フォローしておかないと。


「いいえ。ことあるごとに、小枝葉先輩は立派だ立派だと、その、品のないことを」


 と思ってたんだけど、どうやら違うみたい。

 でも、ウエノちゃんの言っている意味がよく解らない。


「あれ? あたしが立派だと褒めると、どうして品がないのかしら?」


「あの、そういう意味じゃなくて、その、小枝葉先輩の特定の部位について、立派、と」


 顔を赤くして、言いづらそうなウエノちゃん。


 でも、大体言わんとしてることは分かった。


「ああ、それは好きなように言わせておいていいわ。あたしはそういうのは気にしたら負けだと思ってるから。持って生まれたものに対してどう言われようと知らない。あたしはあたしよ、それでいいわ」


「でも、少しは気にした方が……」


「お断りよ。学生自体に男子から散々変な目で見られたから。どういう目で見られようと意識しないことに決めたのよ。だって、そんなのでハズカシがったりネガティブな感情を植え付けられるのは、相手を喜ばせるだけで百害あって一利なし。かといって、自覚して主張するのも逆に自分を貶めるしね。だから、他人からの自分の容姿に関する一切の評価を気にしないことにしてるのよ」


 ちょっと熱くなったかしら?


 ついつい、可愛い後輩の口車に乗せられて、余計なことまで喋っちゃったかな?


「あの。素直に立派だと思います……って、特定の部位じゃなくて、生き様が」


 文脈を考えて誤解を招かないようにきっちり補足するところが、可愛いわね。


「ありがとう。でも、そういう風に面と向かって言われると、照れるわね」


 可愛い後輩からの尊敬の眼差しは、本当、面映ゆいわ。


「でも、口が滑っちゃったから、今の話は人に言わないでね。二人だけの秘密ってことで」


「はい。絶対に言いません」


 拳を握って力説するウエノちゃん。なんか、口の中で「二人だけの秘密」って妙に熱っぽく何度も繰り返してるけど、そこまで念入りにしなくてもいいのに。


「ところで、その様子だと男性には興味なさそうですけど……もしかして、その、女性が趣味とか、ありませんか?」


 なんだろう? ちょっと期待が籠もったように感じるのは気のせいよね?


 あと、一瞬、ボサボサ髪の黒縁眼鏡の顔が浮かんだのは気の迷いよ。あれは、そういうのじゃない。


「ないない!」


 思わず、頭の中のイメージを払拭するように強く否定しちゃった。

 でも、あたしにそっちの趣味がないのは事実よ。


「じゃぁ、好きな男の人のタイプとかはあるんですか?」


 ファイアウォールの設定の質問より熱が入ってるけど、やっぱり、女子って恋バナが好きなのかしらね? あたしも女子だけど、解らない感覚だわ。


 でも、ま、答えてあげましょうか。


「最低限、あたしよりお酒が強い人ね。あたしと一緒に呑んで、それでいて潰れたあたしを介抱してくれるぐらいの」


 女子として、これぐらいの夢はあるのよ。

 全然、そんな人と出会わないけど。


「それは、その……どこの世界にいるんでしょうか? 異世界に転生でもしないと出会えないんじゃないでしょうか?」


 酷い言われようだけど、出会ってないのは事実だもんね。


「そうかもね。ま、積極的に相手が欲しいとか思わないから、あたしは気ままに一人で生きていくつもりよ」


「はい。小枝葉先輩は、そのままが素敵だと思います」


「ありがとう」


 と、予約してた時間がそろそろ終わりね。


 変な雰囲気になっちゃったけど、未だ感じる熱っぽい視線は気にせずにこれで話を切り上げて流しちゃおう。


「時間みたいね。戻りましょう」


 席を立つと、


「ご指導ありがとうございました」


 同じく立ち上がってしっかり頭を下げるウエノちゃん。


 こういうところでお堅い子だと思ってたけど、俗っぽいことも話せて少し親近感は持てたのが収穫ね。でも、ちょっと、うん、それでいらないことまで話しちゃったのは今後気を付けた方がよさそうね。


 あと、今沢君にはあたしのことは別にいいけど、ウエノちゃんの前でそういう話をするなと言っておこう。


 その結果。


「今後気を付けます! ありがとうございました!」


 先日のプログラムミスの指摘に比べたら、ずっと厳しく言ったんだけど、凹むどころかやたら元気に頭を下げてお礼を言われてしまった。


 ま、いいわ。


 そうこうしている内に定時になったので、


「お先に失礼します」


 身支度整えて退社した。残業なんてしないのが普通よ。


「さて、お夕飯は何にしようかしらね?」


 帰り道にあれこれ考えていると、唐突に閃く。


「なんだか、今日は麻婆な気分ね」


 という訳で、近所のスーパーで材料と、ついでに飲物も調達してきた。


「麻婆豆腐って手軽でいいわよね……麻婆丼にしちゃえば、洗い物も少なくて済むしね」


 豆腐を切って、フライパンに油を引いてレトルトの麻婆豆腐の素と混ぜて適当に煮立たせたらできあがり。


 それだけだと寂しいから、ペーストをお椀に入れてお湯に溶くだけの中華スープを付けちゃいましょう。パックの刻みネギがあったから入れて、後は煎りゴマでも加えたらそれなりのものね。


 この程度のことを考えられる程度には、ちゃんと自炊してるのよ?


 飲物は、材料と一緒に買ってきたヒゲの人の書いたボトルが特徴的なウィスキーで、ハイボールにしましょうか。


 ジョッキに氷とウィスキーをたっぷり入れて、炭酸水を入れてっと。うんうん、いい感じに1:3ぐらいの比率ね。


 丼とお椀とグラスを並べて、今日のお夕飯完成!


「いただきます……って熱っ!」


 レンゲで麻婆丼を一口食べると、予想以上に熱かった。豆腐って熱が籠もるから、油断すると火傷するわね。


 でも大丈夫。


「ふぅ、キンキンに冷えてて助かるわ」


 ハイボールで応急処置完了。冷やすだけじゃなくてアルコール消毒もできて一石二鳥ね。


 安いウィスキーだけど、癖がなくて呑みやすいのもいいわね。こういうとき、ゴクゴクいけちゃうから。


 お代わりを入れてもう一杯飲んでから、次は中華スープを……


「って、熱っ!」


 学習しないな、あたし。


 熱湯を注いだスープもまだまだ熱々だった。


 当然、もう一杯飲んで、お代わりを注ぐ。


 今度は冷ましてからスープを飲めば。


「お店でチャーハンに付いてくる中華スープそのものなのよね、これ」


 ネギとゴマは少しアレンジしてるけど、リアルに同じスープの素がよく使われているらしいから当たり前といえばあたりまえね。でも、たまに飲むとなんだか得した気分になるのよね。


「改めて、麻婆は……」


 今度はフーフーしてしっかり冷ましてから口に入れる。さすがに、三度繰り返すほど学習能力は低くないのよ。


「うん、変に挽肉とか甜麺醤とか買ってきて頑張るより、レトルト安定ね」


 辛口にしたけどほどよい感じで、しっかりと花椒の風味も感じられて四川風。ご飯との相性も抜群ね。


 そうして、半分ほど食べたところで、


「少し、変化を付けるのもいいかもしれないわね」


 先日買った調味料がある。


 島唐辛子の泡盛漬け。コーレーグスだ。


「なんか最近、何にでも掛けてる気がするけど、美味しいから気にしないわ」


 麻婆丼に軽く回しかける。


 中華スープは……いいか。両方同じ風味になるのも、面白くないしね。


「さて、お味は……辛っ! でも、旨っ!」


 語彙力ないな、あたし。


 四川から沖縄に寄ってきたけど、元の味もしっかりする。種類が違えど唐辛子同士だからか、相乗効果で唐辛子自体の旨味が効いてくるわね。


 泡盛の香りと花椒の薫りが混ざるのも、いい感じ。


 うん、もう、コーレーグスそのまま飲みたいけど飲んだら喉から食道から胃から全部やられるからさすがに自重してるわ。


 代わりに、黄金色のジュースを飲む。


「いくらでも飲めるわね、このハイボール」


 再びお代わりを作り、ときおりスープを挟みながら美味しい食の時間は過ぎていく。


 やがて、食べて飲んで飲み終わる。


 お腹もいい感じにくちくなったわ。


 空いた瓶を袋に詰めて、食器はこれから洗うとして、


「ごちそうさまでした」

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