第4話 防火壁ってどういうものかっていうと……、あるいは、眼鏡を掛けた戦艦が闇落ちしたっぽい芋焼酎とコーレーグスナポリタン

「ネットワークセキュリティの『ファイアーウォール』ってなんでファイアーウォールなの? ネットワークに火はないと思うんだけど?」


 ググらない女、田島郁乃からのメッセージが唐突に届いた。


 ときどき、こういうことがある。


 こいつ、ググらない代わりにあたしを体よく検索サイト扱いしてないか? と思わないでもないが、まぁ、いい。


 今日は何を用意してるか次第ね。


 早速、いくのんの家に行って、並々と注がれた琥珀色の液体を挨拶代わりに頂きつつ、


「何やってるの、これ?」


 何冊もの本が、リビングの床に散乱していた。


「ちょっと調べ物」


 『ちょっと』というには派手な散らかりよう。普段は大量の本に囲まれながらも片付けのいきどどいている部屋なので、珍しい。


「今日は、焼酎を用意してある。これで、どう?」


 挨拶代わりに出された琥珀色の液体で満たされたグラスを干しつつ部屋の惨状を眺めていると、いくのんがボトルを一本差し出してきた。


 そう言って出したのは一本のボトル。ありふれた銘柄の芋焼酎だけど、あたしの好きな銘柄を選んでいるのは好感が持てる。


 まぁ、数少ない一緒に飲める友人だけに互いの好みはよく知ってるしね。


「よし、引き受けた。ファイアウォールについての講義をご所望だったわね」


 取りあえず、報酬をいただけるなら頑張っちゃおうかしらね。


「そもそも、由来の防火壁ファイアウォールが何かは分かってるのよね?」


「うん。身近なところでは、ビルの階段横の壁に埋め込むように設置してある防火扉。閉じれば防火壁ファイアウォールになる。これは、火災時に延焼を防ぐためのもの。特定の区画に火が入ってこないようにする壁だから防火壁」


「そこまで分かってたら、説明いらなくない? ネットワーク上で同じことをやるのがファイアウォールなんだけど……」


「どこに『火』があるのかがイメージできない。だから、それを防ぐ『壁』が何に対する壁なのかが今一イメージできないから、その辺が知りたい」


 こういう面倒臭い奴だった。


 『ファイアウォール』というのは、大雑把に言えば、通信の出入り口を制限する仕組み。自分の入り口を塞いで侵入を防ぐし、不用意な入り口から入って罠に掛からないように相手の


 現状主流のインターネットの仕組みは、データの送受信を自他の IP アドレスに基づいて行う。そもそも、この『 IP 』 は 『 Internet Protocol 』の略だからね。


 更に、アドレスだけでは接続先のサーバが分かるだけで、サーバ上のどのサービスを使用するか? ウェブサイトを見る( HTTP/HTTPS )、ファイルを転送する( FTP )とか、コマンドで操作する( telnet / ssh )とか、相手先で何をするかを指定するために『ポート』と呼ばれるものがある。


 「このサーバのこのサービスを使いたい!」って時には、アドレスとポートをセットで指定して接続するの。


 これは、 IP というより TCP/UDP の話になるけど、 OSI 参照モデルとか言い出すとややこしいので割愛するわ。


●ネットワーク上での接続はアドレスとポートで相手を特定する


 ってとこだけ押さえておけば OK 。


 で、このアドレスとポートに基づいて通信を制御するのがファイアウォールの仕組み。アドレス/ポートのセットに対して接続していいよ!/ダメ! ってルールを積み重ねていく。


 例えば、外から繋がってくる場合を考えると、「ここしか繋いじゃダメ!」ってしておけば許可していない場所への不正侵入を防げるし、外へ繋ぐ場合を考えると「ここに繋いじゃダメ!」ってしておけば、変なサイトに繋がるのを防いだり、ウィルスなんかが勝手にデータを外に送り出すのを防いだりもできるわ。


 こうやって、出入り口を塞いで不正なデータの流れを制限するってことを例えて防火壁ファイアウォールって呼ばれてる。


 なんだけど。


 いくのん相手に割愛は通用しないから、 IP アドレスやらポートやらの話をし出すと、泥沼に嵌まる。多分、朝まででも質問攻めに遭う。


 理解するまでしつこく聞いてくるのよね、いくのん。学生時代、先生を質問攻めにして下校時間過ぎて問題になったことあったっけ。


 さすがにボトル一本では割に合わないわね。


 抽象的に説明してそこから連鎖的に理解させないと。


「ネットワーク上のデータは自分と相手先の住所に基づいて送信されてるの」


 という例えに持っていく。実際、住所アドレスだから例えというほどでもない。


「なるほど。特定の住所へのデータの流れを塞ぐ仕組み……そっか。火は悪意のある相手そのもの、もしくは悪意あるデータ。特定の住所との間を塞ぐからファイアウォール」


 その説明だけでここまでは理解してくれたから、もう、これでいいかしらね。


 と思ったんだけど。


「つまり、ファイアウォールは特定の相手との通信を遮断する仕組みってことでいい?」


 間違ってないけど、正確でもない。特定の相手との通信遮断は十分条件だけど、必要十分じゃないわね。


 どうやって説明しようかしら。


 勿論、ポート番号の話は出さずに。


 特定の窓からだけ入れる……? って、家に入り込めたらって話になるわね。


 だったら……


「それだと、ちょっと正確じゃないわ。ここで示す住所の先にあるのは、『マンション』とか『雑居ビル』とかをイメージして……」


 そこから続きを説明する前に。


「そっか。建物限定じゃなくて、特定の部屋とか、店舗単位に出入りを制限するのがファイアウォール……うん、実際の防火壁も、階段を塞いで上下階の延焼を防いだりするから、そういうことか……」


 最初に自分で言った防火扉に繋げて理解してくれたようだ。


 基本、面倒臭いいくのんだけど、適切な話をすればあっという間に理解してくれるので助かったわ。


「そういう仕組みだと、一階から来た客だけを入れる、二階から来た客だけを入れる、みたいなこともできるのね。変な客が来たらトラブルの火種になる……そういう意味でも防火壁」


「まぁ、そうとも言えるかな? これでいい?」


「うん。あと、うちはサバエちゃんはいつでも大歓迎だから」


「そりゃ、いくのんのところでトラブル起こして炎上させるようなことはないからね……」


 と答えると、なぜかは分からないけど、少々不機嫌な表情を見せる。


 それはそれとして。


「そういえば、どうして急に『ファイアウォール』だったの?」


 ようやくこちらの質問ができる。質問に質問で返すのはよくないと絶対言われるから、今まで我慢してたけど、


「これ」


 差し出されたのは、縦横に四角い箱が並んだ紙。


「クロスワード?」


 完全にマスは埋まっているようだ。


「うん。知見を広げるために時々やってるの。無作為に知らない言葉に触れられるから」


 今時ならヒントについて検索すれば大概はすぐ分かるところを、いくのんは蔵書を紐解いて調べてたってことか。だから、この惨状なのね。


 散らばった本は、医学、物理学、化学、心理学などなどといった多岐に渡る学術書。ジャンル『学問』って感じの専門用語を主体にしたクロスワードみたいね。

  

 それで、全てのマスを埋めて浮き上がった答えに当たるのが、


「『ファイアウォール』って単語が出てきたの。これ、漠然とネットワークセキュリティ関係の用語とはしってたけど、具体的にどういうモノか理解してないことに気付いたから、サバエちゃんに聞いてみようと」


 ああ、そういうことか。


 いくのんの部屋は、空いた壁の全てが天井に届く本棚に埋められた書痴の里。学術書もあればエッセイなんかもあるしマンガや小説といったエンタメ系の本もある。


 だけど、特定ジャンルの専門書は全く存在しない。


 それは、情報科学。いわゆるIT関係の専門書は一冊もないのだ。


 あらゆるジャンルの本を置くと場所がなくなるので絞れるところは絞ってるってことだから、多分、他にもないジャンルはあるんでしょうけど。


 でも、IT系の本がない理由は知っている。


 以前、気になって尋ねたら、


「置き場所が無限じゃないから情報技術関係の本は買わない。サバエちゃんがいるから。サバエちゃんならなんでも知ってるでしょ?」


 と返事が返ってきたのだ。


「なんでもは知らないし、それどころか、あたしも日々是勉強なんだけど。技術職ってそういうものよ?」


「それでも、わたしの知らないこと知ってるから。少なくとも今まで、わたしの知りたいことはなんでも知ってたよ? だから、今後も頼りにしてる」


 なんて言われちゃったのよね。


 それで、まぁ、報酬も貰えるし、少々甘いと思いつつも近所だしこうやって度々ヘルプに来ているってわけ。


 体よく『生きる本棚』にされてるってことぐらい、気付いてるけどね。


 あと、危なっかしいところがあるから、今日の講義を役立てて少しはセキュリティを意識して貰えるといいけど。


 そんな想いが伝わってるのかどうか。


 あたしの役目は終わったし、お暇することにしよう。


「今日はありがとね」


 そういって見送られて、ドア・ツー・ドアで徒歩数分の自宅へと帰る。


「さて、そろそろお夕飯。さっそくナポリタンを作らなきゃ」


 今日は、ずっと試したいと思っていたことがあったので、昨日の内にパスタを茹でて冷蔵庫に入れて仕込んであったのだ。

 

 ナポリタンは、一晩麺を寝かした方がそれっぽくなる。アルデンテ? 何それ? っていうモチモチした柔らかいパスタで作ってこそのナポリタンよね。


 茹でる手間が省けるから、いきなりフライパンを温めてオリーブオイルを引いて、薄めのくし切りした玉葱を炒める。


 ある程度火が入ったところで、ピーマンを細切りにして、お馴染みの腸詰めならぬセロハン詰め棒ウィンナーを輪切りにして放り込む。


 でも、まだちょっと寂しいので、


「これもいれちゃえ」


 冷凍のコーン・人参・グリンピースのミックスベジタブルを適量ぶち込む。手軽に彩り豊かになって品目も増えて便利よね、これ。


 塩胡椒を適当にふりかけて、トングでかき混ぜて馴染ませてっと。


「そろそろケチャップも入れちゃおっか」


 全体が赤く染まるようにチューブから絞り出せば、ジュウジュウと音を立てケチャップの香りが漂う。


 これ、結構な量を思い切って入れないと、できあがりが薄味になってガッカリするのよね。


 後は、茹でおきのパスタを入れればいいんだけど、これが中々解れない。


「あ、油馴染ませておかないといけないんだっけ……」


 失敗した。寝かせるときに、これをしないと水気が飛んで麺同士がくっついてしまうのよね。今、正にそういう状態のスパゲッティが目の前にあるから、間違いないわ。


「これ、水分足さないと無理か……水分ってことなら、これでもいいよね?」


 互いに引っ付いて固まってしまった麺に、発酵したぶどうジュースをぶっかける。


「料理酒ってことで大丈夫」


 実際、ケチャップと赤ワインは相性がいい。


 ジュウジュウという音とワインの香りが食欲をそそるわね。


 結果オーライ。


 パスタを解しつつ、トングで具材と麺を絡めていく。


 軽く焦げが出始めたところで火を止めてお皿に盛り付ければ、今日の晩御飯、具沢山ナポリタンのできあがり。


 後は、調味料を用意するんだけど、ここからが今日の本番。


「これよ、これ」


 普段はタバスコだけど、職場の近所のスーパーで見つけた、沖縄の定番調味料、高麗胡椒コーレーグス。島唐辛子、もしくは、島唐辛子を泡盛に付けた調味料のことね。


 当然、これは後者。


 とあるマンガでナポリタンにかけて美味しそうに食べてたから、どうしても試したかったのよ。


 飲み物まで合わせるって気分でもないし、いくのんから頂いた芋焼酎にしよっと。

 

 ロックグラスに適度に氷を入れて焼酎を注ぎ、表面張力に頑張ってもらう。


 って、危なっ!


 うっかり零しそうになったので、ちょっとお行儀が悪いけど、迎えに行って数口飲む。


 半分ぐらい減ったので再び並々注いで、食卓へ。


 ナポリタンは、元になる料理はあるみたいだけど、今広く親しまれてるのは横浜のホテルであれこれアレンジして産みだされたとされるもの。


 つまり、日本発祥の料理。


 だから、日本のお酒と調味料と合わない道理はないわよね?


 かくして、ナポリタンで一杯って感じの夕食が始まった。


 まずは、そのままナポリタン。


「ああ、赤ワイン成功してるわね」


 ケチャップだけでなく、赤ワインの香りのおかげでちょっと高級感が出てる。どこが? とか野暮な突っ込みはなしね。自分で作って自分で食べてるんだから、自分がそう思ったら高級なの。


 定番の具材もいい感じ。寝かせたスパゲティもモチモチで狙い通り。料理はある程度目分量でも、要所要所を押さえて余計なアレンジをしなければそうそうおかしなことにはならない、ってことを理解してる程度には料理をする身だ。


 仕様書通り……もとい、レシピ通りに作るのがコツよね。


 急遽、赤ワイン足したって? 影響範囲が確実に予想できる仕様変更だからいいのよ。


 ともれ、芋焼酎とトマトケチャップ味もいい感じに合うわね。お酒が進むわ。


 でも、それで終わっては意味がない。


「さて、そろそろお愉しみタイム!」


 コーレーグースの瓶を空け、数滴たらせば、ふわりと泡盛の香りと唐辛子の刺激。


「これは効きそうね」


 全体に馴染ませて一口いただけば、


「辛っ! うわ、結構くるわね、これ」


 タバスコよりもずっと刺激的な味わいが広がる。


「でも、うん、いいわね」


 タバスコは独特の酸味が特徴的な辛味だけど、コーレーグースは泡盛の風味と島唐辛子自体の特徴的な旨みを含んだ辛味。


 刺激は強いけど、味は何にでも合いそうな可能性を感じるわ。実際、なんにでも入れるっていうしね、コーレーグース。


 芋焼酎も更に進む。ある意味泡盛とのちゃんぽん? そんなの気にしないわ。


 ずるずると刺激的なスパゲッティを啜りつつ、芋焼酎を飲む食事時。


 平和ねぇ。


 そうして、すべてを平らげて、空の瓶を不燃ごみでまとめて終了。


 洗い物はあるけど、それはそれとして。


「ごちそうさまでした」

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