忘れてしまった恋なんて

霧谷進

夜 -Emotional Night-

 珍しく合コンに誘われた。

 話を持ちかけてきたのは大学時代にサークルで知り合った女友達。

 男性四人、女性四人、計八名での飲み会を開くのだと言う。

 主催者であり幹事でもある彼女には、今現在付き合っている彼氏がいる。けれど、そのことを気にかけている様子はない。

 今回参加する女性、彼女を含めた三人は、頻繁に顔を合わせて夜の街で遊んでいるらしい。

 次に開かれるという合コンも、その延長なのだろう。

 人数を合わせるために私が誘われた。

 久しぶりの再会を兼ねた誘い――という名目もあるけれど、そうであれば合コンという体裁をとる必要はないはずだ。

 スマートフォンを見つめながら、何度もメッセージの内容を確認する。


『いいよ。参加する』


 じっくりと考えた上で、私は答えを返信した。




 久しぶりの再会は実にあっさりとしたものだった。

 就職してからのお互いの近況を述べ、社会人としてやっていくのは辛いよと愚痴を零し、面白みのない日常に刺激が欲しいと理想を呟く。

 気兼ねなくさらっと口から出る話ほどいい加減なものはない。みんなが求めるようなものに対して、私もそれが必要なんだと、なんとなく考えているだけだ。欲しくないわけではないから、欲しいというポーズをとる。深く考えたことも大してなかった。

 もともとサークルの顔見知り程度の仲なので、よりパーソナルな部分に触れることには抵抗があった。けれど、それも時間の問題。


 駅前の集合場所に約束した他の面々がやってくる。その中に男の姿を見た途端、世間話は簡単に終了した。分かりやすいほどに目的がはっきりとしている。

 私以外の女子は日頃から遊んでいることもあるせいか、男性との距離が非常に近い。男性にもそれを煙たがる様子はない。彼らの振る舞いは、私の感覚とは少し遠い場所にあるらしい。

 夜の繁華街を歩きながら予約を入れたお店へと向かう。

 乗り気である彼らの後ろを、私は遅れてついていく。

 ふと、調子を合わせるように、隣を歩く影が一つ。

 今回の合コンの参加者である一人の男性が、私にだけ苦笑いを見せた。

 みんなの勢いに圧倒されているのは、どうやら女の私一人だけではないらしい。

 けれど、関係ないと切り捨てる。

 この集まりに参加を決めた時点で、私の気持ちも、へ傾いている。




 軽く自己紹介をした。

 場の空気を崩さないように、それなりの元気を示すことに若干の抵抗を覚える。

 テーブルに飲み物が届いて乾杯を済ませると、私以外の女性陣は食いつくように男性陣へと話しかけていく。

 周りに揃えるために、最初の一杯目をビールにしたことを後悔している私とは大違いだ。

 お通しのつまみを口にしながら、今後の展開を考える。

 口下手と呼べるほど会話慣れしていないわけはないが、自ら話題を振れるほどの積極性もない。たまにされる質問に答えるのが関の山だった。平日はどんな仕事してるの? 保育士をしています。好きなタイプは? 優しい人……ですかね。


 雰囲気を壊さないようにしていても、それで空気に溶け込めるわけもない。私との間にズレがあると知れば、徐々に人は離れていく。

 環境が変わったとしても、それ以上の変化はとぼしい。

 私という個人は、今まで繰り返してきた過去の連続、その延長でしかないようだった。

 通路側に座った私は注文した品を渡す役回りに落ち着いている。

 無視されることはないが、余計な気遣いもない。そんな状況に既視感を覚える。同時に、慣れている感覚に安心すらしていた。

 私はどこへ行っても、私のままだ。

 淡い期待を抱くべきではなかったと後悔する。

 そこへ。


「浮かない顔してるけど、大丈夫?」


 思わず見かねて、心配するような優しい言葉。

 正面に座っているのは、お店に入る前に苦笑いを浮かべた男性だった。

 話しかけられていることに気づいた私は、遅れて返事をする。


「……いえ、別に。私はただ、数合わせで来ただけだから」


 本心を隠して建前だけを述べる。嘘ではないが真意でもない。


「だろうと思った。楽しんでないでしょ」

「努力はしてるつもりなんですけどね」

「無理して笑っても疲れるだけだと思うけどな。努力してる時点で、難しくない?」

「それは」

「お待たせしましたー。ご注文の品でーす」


 若い店員が先程頼んだ品々を運んでくる。

 私はまず追加のお酒を手渡していき、みんなが取りやすい場所に大皿を滑らせた。

 ぼんやりと考える。損な役を演じているだろうかと。けれど急にスポットライトを当てられてしまえば、急激な変化のせいで目がくらんでしまうような気がする。


「これ、君のだよね」


 再び話しかけられる。

 周りに確認を取るでもなく、目の前の男性は焼き鳥の乗った皿を私のほうへと寄せた。

 味の好みが分かれそうなので、私が個人的に注文しておいた品である。


「少なくとも男連中は苦手だから、気にせず独り占めしていいと思うよ」


 彼の声に、私は不思議と柔らかさを感じた。


「好きなんだ? レバー」

「はい、まあ。祖母が焼き鳥屋をやってたらしくて。お盆によく食べてたんです」

「なるほど」


 そう呟くと、彼は複数あるレバーの串を一本掴み、自分の口へと運んだ。

 他の面々は鶏皮ポン酢や塩キャベツなどを楽しげに突っついている。


「あなたもレバー好きなんですか?」

「いや、あんまり得意じゃないんだよね。苦いし」


 会話を交えながら、彼は吐き出すこともせず、串に刺さったお肉を綺麗に食べきった。

 勧められたわけでもなく、自ら私の好みに関心を示してくれた。

 気を遣っているのだろうか。

 誰に対しても優しい人柄なのだろうか。

 たとえ、そうだとしても。

 たかが焼き鳥、一本分を共有しただけ。

 それだけのこと。

 それだけのことなのだ、けれど。




 お酒の力は偉大だ。

 思わずとも会話を弾ませてしまうのだから。

 私も多少、浮かれているのかもしれない。

 些細なきっかけでも、一度話し始めてしまえば言葉は次々とあふれていく。

 どうやら私と彼の感性には近いものがあるようだった。

 その実感から何を導けばいいのか、色恋に縁遠かった私は直感さえ働かない。

 第一、そんなに簡単なことで揺れていいはずがない。

 凝り固まっている価値観は、冒険に対して臆病な態度を選ぶ。

 しかし、周りの人間には関係のないことだった。


 予約の時間を過ぎる前に、私たちは一度お店の外へ出る。

 火照った素肌をでる夜風が心地良い。

 このまま家に帰ればぐっすりと眠れそうな気がした。

 けれど、そうはいかない。私以外の元気なメンバーは、二次会をどこで行うかについて意見を出し合っている。

 何時まで参加するのか、抜ける場合の文句やタイミングについて悩んでいると、主催者兼幹事が私のほうを向いた。

 彼女は意味ありげな視線を送ってくる。

 その視界が捉えているのは、私だけではなかった。


「二人はさ、どうする? このまま次も参加する?」


 私と――隣で並ぶように立っていた彼とを見比べている。


「あたしたちは騒ぐタイプだけど、お二人さんはしっぽりやるタイプみたいだからさ、さっきまでのを見た感じ」


 合コンという場の中にあって、私と彼は主に二人での会話を楽しんでいた。


「二人がそうしたいって言うなら、あたしたちはあたしたちで好きにやるけど。……どうかな?」


 その質問には明らかな他意が含まれている。

 余計な気を回されていると、私はそう感じ取った。

 彼も彼で、状況を察しているようだった。

 ここでの答え方や言葉のニュアンスによって、今後の方向性を決定づけるような気がする。

 どこへ向かうことになるのか、私には分からない。


「まあ、俺も数合わせで参加したようなもんだからな……」

「私も、似たようなもの……かな」


 彼は特別に何かを明言するわけでもなかった。

 私も曖昧な言葉を隠れみのにして、具体的な返答はしなかった。

 はっきりとしない部分が、だからこそ彼女の邪推を膨らませる。


「そっか。じゃあ無理に付き合わせてもあれだし、あたしたちは先に行くね」


 彼女は去り際に私の肩を叩いた。

 私の耳に口を近づけて、小さな声で囁く。


「ものにしなよ。チャンスを逃しちゃ駄目だからね」


 安直な考えだと思う。

 だけど、私は何も返せない。

 言うだけ言って、彼女は後腐れなく去っていく。

 二次会へと向かうのであろう彼女たちが、夜の街へと消えていく。

 今この場にいるのは、二人だけ。

 次の流れは二人で決めることになる。


「ええと……これから、どうしよっか?」


 彼はまた、優しい苦笑いをした。

 その表情を好意的に受け取ろうとしてしまう。

 このまま帰宅すると言うより、次の目的地を探そうとしているような。もう少しだけ、楽しい時間を続けようとするような。


「そうだね、じゃあ――」


 二人だけの二次会を、否定することはできなかった。

 家でぐっすり眠りたいような気分ではなくなっていた。

 どうやら私も酔いが回っているらしい。




 お酒を呑むなら、小洒落たバーより身の丈に合った居酒屋が好きだ。

 だから私は、一人でもよく利用する居酒屋のチェーン店がいいと言った。彼も賛成してくれた。自然な運びで、二人だけの二次会をする。

 嫌な顔一つせずに話を聞いてくれる彼の前で、私はいつにも増して饒舌だった。アルコールの量も自然と増えていった。お酒も食べ物も、会話も笑い声も、快い刺激になる。

 普段よりもそう感じられるのは、共有できる他人がいるからだろう。

 こんなに口が回るのはいつ以来だろうか。

 自分が一方的に愚痴を吐き出していたことだけは、薄っすらと覚えている。

 具体的な内容は思い出せないけれど、楽しい時間だったことは心が知っている。

 相槌を打ってくれる話し相手がいることに、舞い上がっていたのかもしれない。それも気が合うかもしれない異性が相手なのだ。勘違いもしたくなる。

 日頃の肩の荷が、下りたような気がした。

 私という人間を、受け入れてくれたような気がした。

 そう錯覚しただけで、それは私の中で充分な理由になる。



「呑むペース早いね」


 ――分かってる。


「ちょっと呑み過ぎじゃない?」


 ――分かってる。


「終電まで、もう少しだよ?」


 ――分かってる。


「……一人で帰れそう?」


 ――もしかしたら、怪しいかも。


「…………送ったほうが、いいかな?」


 ――それは、とてもありがたい。



 酔っ払ってしまった私を、家まで送ってくれると言う。

 その優しさは、果たして純粋な親切心に由来するものなのか。判断するだけの理性は残っていなかった。

 あるいは、どうでも良かったのかもしれない。

 一人暮らしを始めてから三年、男性を自宅に招くのは今回が初となる。

 無論、今の私には交際している彼氏も、他に好意を寄せている相手もいない。

 だから、問題になりそうな問題はないと言って差し支えない、ということだ。

 そういう展開を、長らく望んでいた。


「本当に大丈夫? ……水持ってこようか?」


 住まいのアパートまで連れてきてくれた彼は、私をリビングの絨毯じゅうたんの上に座れせてくれた。気遣ってくれることは素直に嬉しかった。

 だけど、それだけじゃ足りない。

 私は、水をむためにキッチンへ向かおうとする彼の袖を掴む。

 驚いた彼はバランスを崩して、私のほうへと倒れ込んだ。

 顔と顔、瞳と瞳の距離が近い。息遣いもしっかりと聞こえる。さすがに鼓動の音は届いてないとは思う。


「ごめんっ。すぐ離れるから――」

「待って。いいの」


 そう呟いて、私は彼の背中に手を回した。

 唇が触れ合う。

 戸惑う彼は一旦態勢を立て直すために、顔を離そうとする。

 私はそれを許さない。

 腕でしっかりと彼を引き寄せる。

 唇が触れ、今度は舌を絡めた。

 気持ち自体は伝わったのか、それとも観念したのか、彼は私に応えてくれた。

 吐息が零れる。

 心身が悦んでいる。

 異性を求める――その感覚を久しく忘れてしまっていた。

 名残惜しくも、一度お互いに距離を取る。

 上体を起こした彼が、押し倒された私を起き上がらせてくれる。

 わずかな沈黙が続いた。

 彼は目を逸らしているが、頬は薄っすらと赤くなっていた。

 口付けに対しても最初に抵抗はあったが、拒絶には程遠いものだった。

 当然、私は次を考える。


『ものにしなよ。チャンスを逃しちゃ駄目だからね』


 余計なお節介だと感じていた言葉。それは酔った心に馴染んでいく。なぜだか、そうしなければいけないような気がしてしまう。

 もっと先へ進むべきだと、何かが背中を押してくるのだ。

 私はのっそりと彼に近づいて、腰のベルトへと手を伸ばした。

 勢いに任せてしまえ。

 情欲に委ねてしまえ。

 なるように、なればいい。


「駄目だよ。そのっ、用意だってしてないのに……」

「用意? ゴムのこと? ……いいって、別に。そんなの必要ないから、今すぐ――」

「違う、駄目だ。そうじゃないんだ」


 彼は私の両肩に手を乗せて制止する。

 痛いとすら感じるほどの、真っ直ぐな眼差しが刺さる。

 ここまで来ておいて拒まれてしまうのか。

 相手に快楽を求めていたのは私だけだったのか。

 強烈な不安が頭の中で渦巻く。浮ついていた気分が急激に冷めていく。

 羞恥心や罪悪感によって精神は乱されてしまう。

 そんな状況の中で。

 肩に触れている手の平は、不思議な温かさを帯びていた。

 彼は、彼自身の思いを偽らずに訴える。

 優しく言い聞かせるように。






「それじゃ、気持ち良くなんてなれない」






 呆然としながら、私は彼の顔を見た。

 お互いの瞳に、お互いの姿が映り込む。

 そのうちの一人はとても情けない顔をしていた。


「……え、なんで…………どういう意味?」


 私がその発言の意図を汲み取るには、時間が必要だった。


「俺にだって、そういう気持ちはあるけど……ちゃんとしないと駄目だ。そうじゃないと……お互いに、気持ち良くなれないと思う」


 黙ってさえいれば、手の届く場所に分かりやすいけ口が待っていた。少なくとも、一方はそうなることを望んでさえいた。

 生のほうが気持ち良いに決まっている。男も、女だって例外ではない。

 欲求に任せるがままだった私は、目前の快楽を優先した。

 それでも。

 構わなかった。

 私は、構わないのに。


「君の体を、気遣っちゃ駄目?」


 そう言われてしまえば、返す言葉がない。

 ゆっくりと、予想外の優しさが染み渡っていく。

 勝手に焦って先走り、冷静さを失っていたのだ。

 刺激を与えて欲しかった。いっそのこと壊して欲しかった。傷をつけられることで、強く動かされる心がまだ存在しているのだと、思い知りたかった。

 それでは満たされないのだと、なんとなく理解はしていたかもしれない。

 だとしても、形だけあれば良かった。

 自らを騙すために快楽を求めたのだ。

 誰かに必要とされたかった。

 そんな漠然とした自己満足のために、彼を利用しようとした。


 どうすることが適切であると言えただろう。

 欲しかったものを素直に望んではいけなかったのか。あるいは方法が間違っていたのか。間違っていることすべてが、無条件で否定されてしまうのか。

 自分が解らなくなる。

 心も体もグチャグチャになる。バラバラになる。消えてしまいそうになる。

 なのに、奥から何かが溢れてくる。

 それは涙だった。熱だった。繰り返される嗚咽だった。

 単純に体を必要とされることよりも、大きな意味が、彼の優しさには秘められていたから。

 彼は黙って、震える私を抱き留めてくれた。

 もはや恥も外聞もない。自制なんてできもしない。

 つくろいのない裸の心が訴えている。

 ただただ、彼の胸の中で泣きたかった。

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