第5話 悠人
しかし、可愛らしい声とは裏腹に七菜を捉える美少女の目は鋭い。そんな目線に気付くこともなく、七菜が純粋に可愛さに見入っていると、
「どういうって、小松崎は……」
されるがままの悠人が言い終わる前に、七菜のことを上から下まで観察し終えた美少女がにっこりと七菜に笑いかけた。
「まぁ、誰でもいいけどぉ、悠人の彼女になるのはユアだから、覚えておいてね? それより悠人ぉ、今度、ユアとデートしよ?」
そう言って悠人に甘えるユアは、すでに七菜への興味を失ったようだ。
「いや、俺、今……」
「何言ってるのよ! 悠人の彼女になるのはあたしよっ」
悠人に触れるユアの手を掴み、今度は派手な見た目の美人が声を上げる。
「やだぁ、ルミちゃん、こわーい。悠人が付き合うのはユアって決まってるのにぃ」
ユアとルミから始まった論争はあっという間に広がりを見せ「悠人の彼女は私よっ」「私だってば」と、悠人を取り囲む女子たちによる彼女の座争奪戦に発展した。
その事態を見かねた悠人は、またかという顔でゆったり椅子から立ち上がる。
「ほら、俺のことでケンカすんなって。俺が彼女にすんのは、俺が好きになった女だけだっていつも言ってんだろ」
ユアとルミの肩を抱いて語る悠人の言葉を、果たしてこの場にいる何人が信じるだろうか。皆無かもしれない。
「分かったら向こうで
言うなり悠人が友人の啓吾を呼ぶと「はいはーい」と軽い調子で現れた、ホワイトベージュの髪色にピアスが特徴的な啓吾が悠人に代わり二人の間に立った。
啓吾がまずは、ユアの肩に手を置く。
「ユアちゃんってホンット可愛いよね? オレ、ユアちゃんの笑顔ちょー好き。ねぇ、後でオレだけにもっと見せてよ」
次はルミの手を取る。
「あー、ネイル変えたんだ? 前も良かったけど、これも大人っぽくてすげーいいっ。そんな綺麗になったら、オレ、マジでやばいかも」
「ねぇ、みんなもさー」と手慣れた様子で女子を引き連れその場を去る啓吾に、そこかしこから「あいつらマジでチャラいわー」と冷たい呟きが上がる頃、悠人が改めて七菜に向き直った。
「わりー、小松崎。で? 俺の何がすごいの?」
「あ、うん。今みたいに、こんなにたくさんの人の中心でも、いつもどおりいられてすごいなって。私、緊張しちゃって……」
目の前で繰り広げられる別世界のような光景について行き損ねた七菜が、思い出したように真面目に言うと、悠人がぶはっと吹き出した。
「んだそれ。一応褒めてくれてんの? まあ俺、見たとおりイケメンだし? 人気あるしな」
悠人が片手を額に当て、本人はイケているであろうポーズを取ると、今や蒼一ファンと男子学生だけとなった周りが張り付いた笑顔で固まった。蒼一のスルースキル、笑顔も、悠人には余すところ無く発揮される。
ただ一人、七菜だけを除いて。
「そっかぁ、松田くん、確かにイケメンだもんね!」
七菜が大いに納得して頷くと、キメポーズのままで急激に悠人が赤くなった。そして、小さな声で説明を始める。
「いや、小松崎。今の、笑うとこだって……」
「えっ? あ、ごめんね!」
その言葉に、悠人がくしゃりと髪をかき上げながら七菜を見た。啓吾と比べると、暗めのアッシュブラウンの髪色をした悠人は、どこか意外な印象を受ける。
「あーっ、そこで謝んなよ。俺、余計惨めになるわ」
言い終わると同時に、悠人が七菜の額を軽くコツンとこづくと、周りからは笑いが起きた。七菜も額を押さえつつ、悠人と一言二言交わした後でお互い楽しそうに笑い合う。
しかし、二人の様子に蒼一だけは誰にも悟られないほどの刹那、表情が変わった。
さらに、一部始終を見ていた優里からは、悠人に対し冷たい突っ込みが入る。
「いや、七菜、今のはけなすとこだから」
「は? 吉岡、俺がモテるからって
「そうね。人の価値観なんて人それぞれだからどうでもいいけど、松田のどこがいいのかは
悠人に睨まれても、優里は怯まない。
「とか言って、ホントは俺のこと気になってんだろ? 素直じゃねーなー」
「松田って本当に幸せね」
「は? 何?」
優里が微笑すると、悠人はますます不機嫌になる。
「ちょっと、二人とも止めようよー」
いつものように、若干優里が優勢で始まるこの流れに七菜が慌てて止めに入った。優里と悠人は何かと衝突し、その度に七菜が間に入るのはいつもの図式だ。
「いや、今のは面白くない冗談言った悠人が悪いよ」
そこで蒼一が優里に加勢すると、その均衡が別の形で崩れた。悠人が今度は蒼一を睨む。
「蒼一、お前どっちの味方してんだよ」
「もちろん俺は、常に中立の立場で判断してるよ」
「どこがだよっ?」
悠人が本気で蒼一に突っ込むと再び笑いが起きた。笑顔で宥める蒼一と、微笑してあしらう優里、そのどちらにも納得がいかず異議を申し立てる悠人を、七菜がどうしようと戸惑いつつ見上げていると、突然手を引かれた。
「七菜! こっち来て!」
「えっ、舞ちゃん、どうしたの?」
興奮した様子の舞に、七菜は輪の外まで連れ出された。
「どうしたのじゃないよ! 七菜、松田君と仲良かったの!?」
立ち止まったかと思うと、七菜の手を掴みながら舞がすごい形相で詰め寄ってくる。掴まれた手が痛いなんて言おうものなら怒られそうな勢いだ。
「えっと、仲良いっていうか、普通に? 同じ学部だし。気軽に声掛けてくれるし。それに松田くん、すごく話しやすいよ?」
七菜の答えを聞いた舞が、今度は驚愕の顔付きで叫び出した。
「はああっ? 七菜、今自分が何言ってるか分かってるっ? てか、松田君知っててなぜ高橋君知らない! しかも、コツンて……っ、あーっ、羨まし過ぎる!!」
絶叫する舞に怯えつつ、何故舞がこんなに興奮するのか、七菜には今一つ理解できない。そろそろ手も本格的に痛い、とはやっぱり言えない。
「……もしかして、松田くんも有名なの?」
「もしかしなくても有名なんだよ! 本人はああ言ってたけど、見てあれっ」
ついには怒り始めた舞が、七菜を促し後ろを振り返った。
そこでは、いつの間にか蒼一と悠人と優里が何やら楽しげに話している。おそらく、初対面の蒼一と優里が軽く挨拶し合っているようだ。
「あの二人とあんなに自然に並べるのは、優里くらいだよー」
舞が眩しそうに見つめるその先を七菜も見る。確かに、あの三人の空間に臆せず入り込むのは容易ではないかもしれない。個々の魅力が生む相乗効果が、どこか近寄り難さを倍増させる。月並みに言うと芸能人のように。
「松田君て高橋君とは正反対のタイプなのに、すごく仲良いんだよねー。高橋君が癒し系王子様なら、松田君は敵に先陣切って斬り込む勇者、みたいな? あの目力、最っ高。ただ、ちょっとチャラくて、性格はたまに残念なとこあるけど、それでもいいって言う女子からの人気は絶大なんだよね。啓吾君他、友だちみんなイケメンだけど、中でも松田君は別格だよー。はあ、一度でいいから私も肩抱かれてみたーい」
傍に寄って来た小春が、夢見る顔をして語る。
悠人と初めて話してから、今日までそのことに気付きもしなかった七菜は、改めて自分の疎さを自覚した。今も、あの三人の中なら優里が一番かっこいいと思う辺り、相当だろう。
「……という訳で、七菜。早く私たちのこと紹介して! 講義始まるし!」
「え? 松田くんに?」
「松田も高橋も両方だよ!!」
舞の剣幕に七菜がびくりと反応する。
——舞ちゃん、本気だ。ちょっと怖い。二人のこと呼び捨てになってるし……。
何とも言えない危機感を覚えた七菜が、慌てて舞と小春を連れて悠人たちの元へと戻った。
「ま、松田くん!」
「ん?」
七菜が呼び慣れた悠人を先に呼んだ後、勇気を出して蒼一の顔を見る。
「あ……、た、高橋くん、も」
「うん? 何、小松崎さん?」
蒼一は初めて七菜に名前を呼ばれ、きらきらとした笑顔で返す。話し方も、いつもより柔らかくなっているのに本人も気付いていない。
七菜が思わず視線を外す。とにかく今は、舞たちを紹介してしまおうと。
「あの、こ、こちら……」
と、七菜が紹介するより早く、
「経済学部一年の若宮舞です!」
「同じく日野小春です!」
舞たちが七菜を押し退けるようにして自己紹介を始めた。
「七菜と優里とは、同じ寮の友だちです! よろしくお願いしまぁす!」
ハモるその声は、いつもより高い。
慣れているのか、突然始まった自己紹介にも動じることなく先に悠人が応じた。
「あー、俺は教育学部一年の松田悠人……」
「知ってます!!」
悠人を遮り、二人がハモる。次いで蒼一が笑顔で口を開く。
「俺は法学……」
「知ってます!!!」
蒼一に至っては、ほとんどしゃべっていない。悠人と蒼一が、顔を見合わせて笑い合った。
「若宮、日野、よろしくな」
「若宮さん、日野さん、よろしくね」
「はいぃっ!」
——私が紹介する必要なかったんじゃ……。
笑顔で感動する舞たちに七菜が苦笑したところで、始業のチャイムが鳴り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます