第17話 ハイケイ

 家族ってなんなのだろうか。

  

 物心ついたときには両親は死んでいた。

 初めての家族はばあちゃんだけだった。

 

 ばあちゃんは忙しそうだったけどよく遊んでくれた。

 キャッチボールを一度だけしたことがある。

 ばあちゃんはノーコンで一度もキャッチできなかった。


 父親の遺影は仏間に飾ってあったが、母親の遺影は一つも残されていなかった。

 形見も思い出の品も。

 どうにも母親は家族中に嫌われていたらしい。

 いや、家族ではなく家系か。


 父親の話をよくばあちゃんはしていた。

 母親の話は一度もしなかった。

 一度だけ母親のことを尋ねてみたが曖昧な返事しか返ってこなかった。

 

 家が家だったので親戚はたくさんいた。

 いとこもそれなりに。

 

 僕を軽蔑する人も逆に優しくしてくれる人もいた。

 けど誰もが僕を遠ざけようとしていた気はする。


 嫌われていたというよりは厄介者扱いされていた。

 少なくとも好いて接してくれる人は見たことがなかった。


 小学校に上がるときなって祖母の仕事の忙しさからか親戚の家に預けられることになった。

 祖母の職業とは全く関係のない遠縁の老夫婦の家だった。

 

 老夫婦は優しいわけでもなかったが、概ね平穏だった。

 会話も弾むことなく、本当に面倒見てくれる程度だったが普通の人たちだった。


 小学校の一年目が終わる終業式の日に、僕が家に帰ると老夫婦は殺されていた。

 空き巣に入られて殺されたと警察からは聞いた。


 その後いくつかの親戚の家を転々とした。

 何度か事故や事件に巻き込まれながら、最終的には追い出されるように別の家に行くことになった。


 十歳になって実家から護衛がつけられるようになった。

 原因は僕が人間以外のものが見えていることをばあちゃんが知ったからだ。


 初めての護衛は女性だった。

 ばあちゃんの娘の中でも四女の人の娘らしい。

 二十代後半のキャリアウーマンっぽい見た目の人だった。

 青森の神社から呼び出されたと言って方言交じりの言葉でばあちゃんに対して辟易していた。


 そのあたりからばあちゃんが仕事にしているもののことを詳しく説明された。

 今まで見えてきたことは何なのかもなんとなく理解した。

 

 見えているからと言って祓える力があるわけじゃない。

 護衛の人から逃げられる程度の御守りや御札の使い方を教わった。

 そのおかげで二度ほど死の窮地から脱することができた。


 その女性は一年間ほど一緒にいたが、途中で僕を誘拐しようとした暗殺者まがいのグループに怪我を負わされて実家に帰っていった。


 どうにも詳しいことまではつかんでいないがばあちゃんを良く思っていない組織等が僕らを狙って起こした犯行らしい。

 僕が見えることが分かったことで僕にも祓い屋としての才能があるのではと思われ人質としての価値が生まれてきたとのこと。


 護衛の女性が別れ際に何故か謝ってきたことは今でもよく覚えている。

 いったいなんでなんだろうな。

 その謝罪の意味を僕は未だによくわかっていない。


 

 その後とある中年のおっさんが護衛に着くまで襲撃が頻繁に勃発し、護衛は変わっていった。


 そして淵が護衛に着いた。

 淵を護衛に着けたことでばあちゃんは様々な方面から大顰蹙を買ったようだが。


 淵が護衛について僕の周りは落ち着きを見せ始めた。

 淵が所かまわず相手かまわずあらゆる障害や不幸を圧倒的理不尽さをもって壊し尽くし吹き飛ばしたおかげで僕へ敵意を見せる相手は各段に減っていった。


 中学校生活ではばあちゃんと色んなことを話し合うことになった。

 僕は絶妙に壊滅したパワーバランスの上で淵のパワープレイで生きていた。

 淵がいなくなれば当然僕は死ぬような位置だった。


 僕はばあちゃんからの提案で高校を卒業した後ばあちゃんのような払い屋になることにした。

 曰く、パワーバランスが勝手に壊れるくらいならば壊す方に回ればいい。


 強い力を持たざるを得ないのならば持って征するしかない。


 ばあちゃんは寂しげな顔で言っていた。

 


 殺しあい、騙しあい、化かしあい。

 中学時代は大体そんな感じだった。

 荒事は淵に任せていたけれど考えなきゃいけないことは自分でやらなければならなかった。


 淵は頼れる護衛だったし、支えくれていたけれどそれだけだった。契約の関係だからそんなものだろうけど。


 高校に入って地盤は固まった。

 誰にも迷惑かけない生活が送れるようになった。


 同時に一人暮らしも始めた。

 思っていたのと何か違った。


 高校で久々に友人を作った。

 やっぱり友達はいいものだと思った。


 自分の母親が何者なのかを高校に入ってから調べたことがある。

 決定的な証拠なんて何も出なかったけど恐らく母親は人間じゃないってことは分かった。

 戸籍も名前すらも残っていないのだから疑うべきは人間とは異なる存在だろう。


 ないわけじゃないらしい。

 祓い屋の中には怪異との間に生まれた者もいるとは聞く。

 

 自分は人間ではないのかもしれない。

 でも何か困ることがあるかと言われればないのでそれ以上深く考えることもなかった。


 もしかしたらそのうち困るのかもしれないが、杞憂になっても馬鹿らしい。

 難しいことを難しく考えるのは事が起きてからでいい。


 まあ、事が起きないように頑張っていたつもりだけど。


 右目を銃弾が貫いたのは母親のことが何もわからないということが分かった日から一か月ぐらいのことだった。


 人生が終わったことに悔いはない。

 やり残したことも多分ない。

 もう覚えてていないと言えばそうなのだけれども。


 ただ一つ、疑問というか疑念があるけれども。



 ―― もしかして、僕を殺したのは淵?



 ◆ ◆ ◆


「……もう昼かな」


 起きます。といって体を起こす。

 長い夢を見た。

 ここ最近毎晩淵によって体を犯されて作り替えられているので、夢らしい夢を見ていなかったのだけれども久々に夢を見た。

 前世の夢。

 忘れていたことの方が多いので、自分でも夢で見たことが本当かどうか確証をもてない。まあでも、多少のズレはあるだろうけど大体あんな感じだった気がする。前世のことなんて今更どうでもいいけどね。


「――クロハ、起きる」


「おはよ、ローズ姉」


 ローズ姉が僕のことを起こしにきた。

 さて。


 現状をどう説明したものか。

 細かいことは後にしていま僕がどこにいるかというと、僕の実家、或いはローズ姉の家、つまるところ追放された集落の僕がもともと住んでいた場所に僕はいる。


「皆集まってる。ご飯もできてる」


「あれ、もう昼時じゃないの?結構寝た気がするんだけども」


「日が昇って暫くしたけど、まだ朝。確かにクロハはよく寝てたけど。――寝顔かわいい」


 無防備に寝てたから仕方ない。家族に寝顔見られたからといって恥ずかしさもなにもないけどね。


「着替えたら行くよ」


「うん、わかった」


 ローズ姉は頷いて部屋を出ていこうとする。


「ちょっと待って」


「?」


 そんなローズ姉を僕は止める。


「僕の服どこに置いたの?」


「クロハが寝ているうちに剥ぎ取って、干してる」


「寝ているうちに剥ぎ取る必要があったの?」


「クロハがよく寝てたから」


 答えになってない返答をするローズ姉に僕は疑いの目を向ける。


「ローズ姉、座って」


「? わかった」


 僕の目の前にローズ姉は座る。

 お気づきかもしれないが、今の僕はなにも纏ってない。全裸である。


「ローズ姉、嘘偽りなく答えてね」


「うん」


「僕が寝てるときに何かした?」


「……し、してない」


「…………。」


 僕はローズ姉をジッと見つめる。

 ローズ姉は顔を反らしていたが、徐々に顔を赤らめていった。


「……クロハがよく寝てたから。起こさないようにって思って、服を剥ぎ取って。体を触ってたら興奮してきて」


 ローズ姉がモジモジし始める。


「それで?」


「クロハと私は夫婦だしいいかなって」


「何が?あと、夫婦ではないでしょ」


 姉弟だよ。


「でも、チュウしたし――夫婦?」


「いや――」


 チュウをしたぐらいじゃあ夫婦にならないだろ、と一見すると屑な男みたいな言葉を口にしそうになったところで思いとどまる。別に良心の呵責とかローズ姉にキスをしたことの罪悪感とかではないけれど、冷静に考えるとキスをするような間柄の男女の関係を表すような言葉がワンダには存在しないことに思い至る。

 ワンダにとって男は外から採ってくるもの。鹵獲品であり愛だの恋だのをはぐくむような関係になることは滅多にない。その滅多にないケースのうちの一つがワンダの戦士に打ち勝った男性というケースだ。戦士の戦いは負けた側は文句を何一つ言えないのがワンダでの掟である。勝者である男性が敗者のワンダの戦士を奴隷にすることなくワンダの集落に来て家庭を築く間柄のことを夫婦とワンダでは呼ぶ。さらに特殊なケースで勝者であるワンダの戦士の側が敗者である男の強さを認めて夫婦となる場合もあるらしい。つまるところ、夫婦という言葉がまずレアケースであり、恋人だの愛人だのと言った関係性の言葉は存在しない。

 

「――夫婦っていうのは、多分もっとお互いを認め合った男女の仲を言うんじゃないか。それに、いまローズ姉は僕の奴隷に近い状況だから、夫婦とはまだ言えないんじゃないか」


「むう?そうなのかな、そうなのかも」


 ローズ姉は首を傾げる。

 僕も夫婦の定義なんてよくわからないから知らない。


「でさ、夫婦だからって何をしたの」


「子作りしようとした」


 この姉隠す気ねえな。


「しようと?」


「途中でマリーに止められた」


「ああ」


 納得。そういえばマリー姉もいたなあ。


「で、服はどこ?」


「外に干してある」


「予備は」


「……昔のクロハの服なら」


「着れるかな?」


 腰巻ならいけるか?

 因みに下着なんてないよ。

 ブラもないよ。

 ていうか、毛皮を纏っているようなものなので服というのはやっぱりおこがましい。 


「持ってくる?」


「お願い、ローズ姉。まだ僕の服なんて持ってたんだね」


「連れ戻すつもりだった。だから持ってた」


 ローズ姉は僕を見つめる。


「……成し遂げたわけか」


「ううん、失敗」


 ローズ姉はかぶりを振る。


「遅かった。帝(女帝)に見つかる前に、連れてくるべきだった」


 後悔しているのか、ローズ姉の顔に影が差す。


「ああ、そういうこと。まあ、じゃあその問題を片付けようか」


 さてと、少しだけ頑張るとしようかな。


 久々に、手加減抜きだ。


 なんせ相手は世界そのものなのだから。


 世界征服は別にやりたいことじゃないけれど。


 どうにも世界の方が許してくれないのなら仕方がない。

 

 世の中真っ当に生きられない人間も多いものだ。

 僕にはゆったり森の中でスローライフを送ることすら許されないらしい。


 前世は諦めていた。

 諦めれば、どうにかなるからと。

 一先ずは前を向けるから、

 諦めたこと以外できるから、

 そう思っていた。


 どうしようもない理不尽がこの世界にはある。

 前世からつきまとうような嫌な縁だ。

 理不尽に対して向き合わないことでどうにかなると思ってた。


 馬鹿な考えだ。


 「一先ずは王になるところから始めるかな」


 僕は立ち上がる。


 前世じゃあできなかったけど、現世は好き放題やらせてもらおうかな。


 壊れてくれるなよ、この世界。


 まあ、平穏にね。



 「……クロハのクロハが揺れてる」


 「…………。」


 そういえば全裸だった。


「かわいい」


 かわいい言うな。


 ◆ ◆ ◆


 服を着た後。

 僕は食卓を囲んで家族団欒していた。


「クロハちゃんは何着ても似合うよねー」


 マリー姉が僕の右隣で腕を組んでくる。

 胸おっきい。

 

馬鹿姉マリー、私はまだ許してないからね」


 ローズ姉が左隣からマリー姉に張り合うように腕を絡めてくる。

 胸おっきい。


 そしてどっちも胸以外のところが筋肉が付いていて堅い。いや、強い。


 あ、食卓を囲むというけどテーブルなどはない。

 丸太の床に草を編んで作られた座布団のようなものがおかれており、木をくり抜き加工して作られた食器に肉をメインとした食事(ほぼ焼いてあるだけ)が床におかれてそれを囲んでいるだけである。


「こっわいなー、流石大戦士。私のパンチ十発で沈んだだけのことはある」


「倒れた戦士を盾に使うような外道がよく帰ってこれたな。次は容赦しないから」


「いやあ、優しいのは美点だけど戦場でそんな甘い考えでいるなら大戦士止めた方がいいんじゃない?というか、私の拳程度を受け止められない時点で鍛え方が足りないんじゃないの」


「母さんにボコボコにされてたのによく言う」


「この後打ち倒すから大丈夫」


 二人の姉は言い争いを止める気配がない。

 仲悪いなあ。いや元々仲がいいわけじゃなかったし、どうも僕がいなくなった後に本気で殴り合いしたみたいだからなあ。

 

「誰を打ち倒すだって?」


 母さんが家の家長なので一番奥に座り、二人の言い争いに反応しこちらに顔を向ける。


「あ、母さん。このあと決闘してね。母さん程度ならおとせるように色々と経験積んできたから」


「それはいいが、今日は無理だろう。やらねばならないことが多い」


「まあね」


 マリー姉は戦闘狂じゃないけど根に持つタイプだからなあ。母さんに負けたことが悔しいらしい。

 母さんと張り合えるだけでもワンダ内で1、2を争うほどだとは思うけれども。

 僕からするともうレベルが違い過ぎてよくわからないのだが。


「母さん、一つ聞いていいかな」


 一旦言い争いが止まったのでこの機に僕は母さんに質問する。


「なんだ」


「どうしてラベンダーとネロリが倒れてるの。殺したの?」


「ああ」


 肯定された。

 肯定しやがったよこの母親。


「死んでねーぞクロにい」

「右に同じくー」


 死に体の声で僕の体面に倒れ伏す妹二人は汚れていて見るからにボロボロだった。てか、ネロリの目の下に青あざできてる。母さんが怪我させるとは、珍しい。


「私がボコボコにしたんだけどね」


 マリー姉が答える。


「突っかかってきたから小手調べ顔面パンチして避けられるか試してみたんだけどねー」


 初手顔面。ヤンキーかな。ヤンキーかも。


「かわすことも受け流すこともできずにカウンターがばっちり決まったから、そこからマウントとってごめんなさいって百回言うまで殴り倒しただけ」


 容赦ねー。


「ワンダ相手も久々だから手加減忘れちゃったからさあ。丁度いい練習台になったよ」


「勝てない相手に策も無く喧嘩を売る方が悪い」


 母さんも擁護する気はないようだ。

 

「いつも通り馬鹿が馬鹿したってことか」


「そうだ」


 馬鹿だから仕方ないね。


「馬鹿じゃねー!!」


「馬鹿はネロリ。私は姉だから慎重に背後をとった」


 髪の赤い方がネロリ、黒い方がラベンダー。二卵性の双子だと思うのだけど身長も体形もほぼ同じ。髪の色が違うという点以外で見分けるとしたらラベンダーの方が眼が濁っていて、ネロリの方が眼がキラキラしている。


「ようはマリー姉相手にハンデを貰うこともせずに殴りかかったのか。勝てるわけないだろ、マリー姉は大戦士レベルの戦士だからな?」


「森を出て遊んでる戦士なんかに負けるわけがねー!!」


 ネロリが体を起こし吠えるように言う。


「ちょっと手加減したの」


 ラベンダーが寝返りをうちそっぽ向いて負けを認めないと拗ねる。


 負け犬の遠吠えだなあ。


「マリー姉と戦うならローズ姉か母さんに協力頼まないと無理だよ」


「うるへー!!」


「強者に策はいらないの」


 二人とも聞く耳を持たない。

 変わらないなこいつら。


 背は伸びて女子中学生ぐらいの容姿になったけど頭の成長は全くしていなかった。むしろ酷くなってる気がする。


「……はあ、クロハがいる頃はまだましだったのだが」


 母さんが溜め息を吐く。


「母さんの教え方の賜物では?」


 マリー姉がせせら笑いながら言う。


「馬鹿に何を教えても無意味」


 ローズ姉が呆れたように言う。


「……大婆様のようにはいかないものだな」


 母さんが諦めたように呟く。


「できることからやって下さい。少なくとも五歳にも満たない子供にナイフ一本持たせて目印さえない遠い樹海の奥深くに放り込むことは止めるべきです」


 虐待通り越して殺人だろ。

 異世界にきたら魔法も使えない、身体能力も獣に劣るというのに、人間よりもはるかに巨大で遥かに強靭な魔獣どもが跋扈する右も左もわからない樹海に放り込まれるとはね。


 僕は耐えきった。

 マリー姉は樹海に放り込まれる前に逃げ切った。

 ローズ姉は樹海で迷い続け途中でギブアップした。

 妹たちは二人とも魔獣から逃げているときに川に落っこちて溺れかけたので、マリー姉に協力してもらって助けた。その後一週間ほどマリー姉と一緒に寝る羽目になった。


 これを教育と言いたいらしい。

 軍人の訓練でももっとマシだろう。

 罵倒が飛んでこないだけハートマン軍曹よりはマシか。

 いや教官としてはハートマン軍曹の方が有能だろうけど。


「大婆様から教わったものを私なりに噛み砕いたのだが」


「僕たち用に調整してください」


 大婆様も余計なことを。

 母さんは極端レベルで自分と他人の差異を測ることができない人だからなあ。弱いことはともかく鍛えればどうにかなるだろうとか思っているタイプである。差異を測ることができても母さんが慮ってくれるかは別だけど。

 大婆様はまだできない人にはできない人用の教え方をしてくれたから、一切魔法が使えないぼくでも色々と学ぶことが多かったけれども。母さんはそんな教え方は無理だろう。


 それにしても、こうして一家団欒で過ごすのも随分と久しぶりだ。

 なんせ五年間も集まる機会がなかったのだから。

 

 ローズ姉と決闘したのが三日前。

 決闘の後和解というか、一応ローズ姉とはわだかまりを解消することができた。決闘前の宣言通り僕とローズ姉は一緒に旅に出る――つもりだった。


「入るぞー」


 気の抜けた声。

 我が物顔で入ってくる足音。

 大戦士二人がいる家に勝手に入ってくる人はまああの人しかいないわけで。


「遅かったですね、大婆様」


 アザレア・ウィブランカ。

 集落の最年長にして歴代でも最強と謳われるほどの大戦士だった経歴を持つ呪術師。

 女帝の座に就いたこともある大戦を生き残った猛者。

 何よりも現役を引退してもなお負けたことがないらしい。

 僕の魔術の師匠であり、母さんの戦士としての師でもある。


「ちょっと寄り道してたんだよ」


 そう言って師匠は毛皮を加工して作られたローブのフードを上げる。現れるのは白髪を短く切りそろえた二十代後半ほどの女性。瞳の色は暗い赤色。呪術師めいた刺青が引き絞られた筋肉が浮き上がる肉体の至る所に彫ってある。何かしらの肉食獣の牙のイヤリングを左耳にのみつけており、右目の目元には三本線の傷跡が残る。

 パンク系の音楽バンドのボーカルですと言われても納得してしまう程度には見た目が痛々しい。

 これで三百歳近いというのだから己の常識を疑うしかない。

 まあ常識なんて偏見と変わりのないものだけれども。


「大婆様、よくもまあ敵対してた戦士の前にのこのこ現れますねえ。それともボケちゃいましたかあ?」


 マリー姉が煽っていくぅ。

 ローズ姉がそれを見て顔を青褪めている。

 ローズ姉は何度か大婆様に訓練と称されボコボコされているからなあ。トラウマでもよみがえったのだろう。

 マリー姉もボコボコにされているが懲りていない。そんな程度でメンタル折れる人じゃないしね。

 

「落ち着けってマリーゴールド。殴り込みに来たわけじゃねえんだって。後で相手してやるから」


 大婆様はマリー姉の敵愾心をなだめる。

 

 何故に大婆様に対してマリー姉が敵愾心を抱いているのか。それ以前に僕が何故実家に戻って家族団欒をしているのか。そもそも決闘後の三日間何をしていたのか。

 それらのことを説明するには順を追ってローズ姉にキスしたあたりから振り返らねばならない。


 決闘後、ローズ姉を倒しローズ姉が気絶している間、母さんと幾つか交渉事をしていた。森を出た後追跡をしないこととか、何人か戦士を引き抜いていくこととか、偶には帰省することとかを話し合っているとマリー姉がすごい速さでミサイルみたいに突っ込んできた。爆発音みたいな衝撃波が後に空気を震わせたので音速を超えてたと思う。頑丈だなあ。

 マリー姉を吹っ飛ばしたのが大婆様だった。マリー姉が僕と別行動で樹海に入り込んできた魔族や人間の調査とワンダの戦士の勧誘をしていたのだが、不意に大婆様と遭遇し乱打戦になり吹き飛ばされたらしい。


「いってえなババア!!なにすんだ!!」

「そりゃ同胞を半殺しにして拉致ってるやつ見れば止めるだろ」

「顔見知りに対して声かけることもせずに真後ろから殺す気で殴りかかるババアよりマシだ!!」


 といったやり取りをした後、マリー姉と大婆様は小一時間ほど殴り合い、マリー姉が放った拘束魔法を呪詛返しで大婆様が跳ね返し、一瞬だけ動きが止まったマリー姉を全力の腹パンで大婆様が気絶させていた。恐らく世界でもトップクラスの肉弾戦なのだがレベルが違い過ぎて詳しいことはよくわからなかった。あの龍のボールを集める漫画の脇役はこの視点を味わっていたということか。


 計画の要であるマリー姉がやられたので僕は予定を変更せざるを得なくなった。気絶するマリー姉を庇いながら大婆様や他のワンダの戦士を相手取るのは相当に厳しいので大婆様にダメもとで裏切りを持ち掛けた。


「ああ、いいぞ。元からそのつもりだし」


 二つ返事でオーケーされた。

 気絶した姉二人を元拠点まで運ぼうかと思っているところ、大婆様がこちら側に着いたことで考えが変わったのか、母さんが家に来ることを提案した。そこで女帝の捜索網を逃れるために春に協力してもらい全力の隠蔽を行いながら実家に帰還した。

 その後の三日間は妹どもや集落の人々を説得しながら、二人が目を覚ますの待っていた。ローズ姉は決闘の次の日には目覚めたが、マリー姉は二日かかった。内臓破裂していたのかもしれない。……いや、死なないのもおかしい話だけどワンダじゃ日常茶飯事だからなあ。生命力高いから内臓破裂しても死なないんだよなあ。

 

 実家についてから三日間、基本的には集落の皆を裏切ってくれるように説得して回っていた。大婆様がこちら側についていることやマリー姉、ローズ姉、そして積極的参加ではないものの母さんも僕を黙認してくれたこともあって戦士の説得は結構スムーズだった。

 そして大婆様には別のことをお願いしていた。


「エンジュとアラマンダもこちらについてくれるよう話してきた。もちろん、我らが長にもな。ま、即答はしなかったが問題ないだろ」


 この集落の四人の大戦士のうち母さんとローズ姉を除いた二人とこの集落の長の説得を大婆様にお願いしていた。大戦士の一人はともかく、もう一人はなかなか面倒な人なので最悪ローズ姉に頼んで力ずくでどうにかするようだったが、上手くいったみたいだ。


「一先ずよかった、なのかな?」


「アンブロシアがクロハに会いたいとか言ってたから後で行ってやれ」


「え、いやだけど」


 何で大戦士の中でも、ていうかマリー姉よりも変な人のところに行かなきゃいけないんだか。


「それが条件だから仕方ねーだろ」


「ええ……」

 

 萎えるなあ。


「あの変態のところにクロハちゃんを放り込むくらいなら私がボコボコにしてくるわ」


 マリー姉が嫌そうな顔して言う。

 

「それよりも、私は大婆様を信用していないから。さも最初からこっち側だったみたいな顔しているけど、五年前に何もしなかったアンタらを安易に信じるとか無理だから」


 マリー姉が僕以外に対して、特に大婆様をにらみながら言い捨てる。

 マリー姉からするとあのとき何もしていなかった全員を許せないらしい。少なくとも信用はしていない。ギリギリローズ姉ぐらいかな。

 マリー姉は使えるものは何でも使うタイプだけど、仲間との信用信頼の価値を理解している人だ。だから五年前に僕を追放することを良しとした戦士たちを許していないし、容赦なく拉致っていたのもそのせいだ。その辺りはマリー姉らしいというか、普段は色々と大雑把なくせに仲間の境界線は徹底している。

 マリー姉からすると母さんと妹二人はグレーゾーン、大婆様は恐らくアウト。


「だろうな。マリーゴールド、お前ならそう言うと思ったしそれは正しい。大戦士のクレマチスやローズマリーはともかくオレは五年前に動けたわけだしな。オレがクロハを保護するという手段もあったわけだ。そうしなかった理由はいろいろとあるが今更語ったところで言い訳にしかならん。――故に、手土産を持ってきた」


 ちょっと待ってろ。

 そういって大婆様は外に出ていった。

 少しも待たない間に戻ってきて何かを放り投げてきた。

 いや、それは人だった。


 簀巻きにされた人――というか女帝、バーネット・デイ・ウォーリアその人だった。


「いてっ!!くそっ、吾輩をこんな目にして。おいっ、アザレア!!お前とて許さんぞ!!」


 地面に叩きつけられた女帝がうめき声を上げながら大婆様をにらみつける。


「うるせえな、負けたやつは黙っとれ。それが戦士としての誇りだろうに。それに魔族や人間どもを呼び込んだのはお前だろ?」


「ぬっ、どういうことじゃ?」


「……ああ、自覚なかったのか。ま、いっか――で、目下の問題は解決。同時にクロハを帝に据えられるんだが、どうだ?マリーゴールド・グレイ。いや、クロハに聞くべきかな?オレはお前の下に仕えるに足りる存在だと思うのだが?」


 大婆様、いやアザレア・ウィブランカの赤い目が僕を射抜く。ニヤリと笑うその表情は老獪な呪術師であった今までとは違い、一人の戦士として、恐れられた最強の女帝しての一面を映し出していた。


「……へえ」


 僕は無意識に口元が歪んだ――

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