ギルバート 1 ―運命の出会い―



 訓練用の木剣が鈍い音を響かせる。

 そして相手の木剣が宙を舞った。


 対戦相手が尻餅をついて僕を見上げる。

 自分より三つも年下の僕に負けたのが信じられないという顔だった。


「そこまで!この勝負、ギルバート・デイウォーカーの勝利!」


 審判役をしてくれた剣士の人がそう宣言した。

 それと同時にまわりで見ていた人たちが歓声をあげた。


 ブリティア王国の東端のロイフォード領、その地の領主であるジョージ・ヴァレンタイン様の邸宅内にある訓練場で今日は月に一度の公開訓練の日だ。


 領主直属の近衛騎士団が街の小さい子供に向けて剣術の稽古をしてくれている。

 稽古に参加しているほとんどが成人になる十五歳より前の人たちばかりだ。


 この公開訓練は近衛騎士団団長であり、僕の父でもあるライザック・デイウォーカーが考えたもので、成人前の若い男の子に本物の騎士の力を見せて、直接騎士の指導を受けられるというものだ。


 この公開訓練は希望すればどんなに幼くても訓練を受けられる。

 でも十歳の僕と同い年の子は一人もいない。僕が最年少だ。

 というのも、成人前のお兄さん達が僕らくらいの年の子達を脅しているからだ。


「まともに剣も握れないのに、騎士様たちの公開訓練に出るなんて生意気だぞ!」


 って言って年長の人たちが小さい子たちに圧力をかけているんだ。


 そうは言っても僕はここにいる。


 別に年長のお兄さん達が圧力をかけていることを知らなかったわけじゃない。

 僕は剣の握り方を知らないわけじゃないし、将来父様の後を継いでこの近衛騎士団の団長になるのが僕の夢だ。

 だからこういう機会は逃したくない。誰になんと言われようと僕は訓練を受ける。


 騎士団の人たちはとても親切で、他の人たちより小さいからといって差別することもなく、僕に剣術を教えてくれた。

 父様の息子というのもあるのかもしれないけど、休憩中にもとても良くしてもらった。


 やはり来てよかった。


 そして、模擬戦をやることになって僕は年長の中でも一番強いって言われてるカインさんと戦うことになった。


「……おい、お前ライザック様の息子だからって調子ノんなよ」


 僕とカインさんが向き合って周りに人が離れだした時にカインさんが小さい声で言った。


 別に調子はいつも通りなんだけど、それにカインさんがなんで怒っているかもよくわからない。

 でもきっと年下の僕はまだわからないことも多いから、きっとどこかで失礼なことをしてしまったんだろう。

 とにかく謝らなきゃ。


「あまり心当たりがないんですが……。とにかく、不快に思わせてしまって申し訳ありません」


「 お前っ! 俺を馬鹿にしてんのか!」


 僕は出来るだけ丁寧に謝って頭を下げたんだけどカインさんは余計怒ったみたいだ。

 どうしよう、ちょっと面倒くさい人だな、カインさん。


「なんだ? どうしたんだ?」


 カインさんの怒った声に気づいた騎士様が近寄ってきた。

 それを見たカインさんは気まずそうな顔をして「なんでもありません」と言った。


「二人共準備はいいか? じゃあこれから模擬戦を始めるぞ。どちらかが剣を落としたり、転んだら終わりだ。その後に俺たち騎士団の人からアドバイスもするから本気でやるんだぞ」


 騎士様がそう言って僕たちから少し離れた。


「それでは、構え!」


 騎士様の合図で僕とカインさんが中段に構える。

 向かい合っているカインさんはずっとむすっとした顔だったけど、急にニヤッと笑った。


「調子乗ってる後輩を躾けるのは先輩の役目だからな」


 カインさんが何か言ったような気がしたけど、騎士様の開始の合図が直後に聞こえて考えている場合じゃなかった。

 合図が掛かったと同時にカインさんが声をあげてながら剣を振り上げ突進してきた。


 それを見た僕は驚いてしまった。

 あんなに剣を振り上げて隙だらけにも程がある。

 今日の訓練で簡単に剣を振り上げちゃダメだって言われてたのに。


 もしかしたら作戦かとも思った。

 ああやって隙を見せて誘っているのかも。


 突進してくるカインさんを落ち着いて観察し、剣の軌道を読んで体を捻るように避けた。

 そして様子見で軽くカインさんに向けて剣を振る。


「うっ! 痛てぇ!」


 ところがカインさんはすんなり僕の剣を受けて後ろに飛び退いた。

 僕はそれを見て驚くどころか呆れてしまった。


 僕は剣を振り下ろしたあとなにかくるものだと思っていたけどカインさんは剣をそのまま食らった。

 多分全力で剣を振るっていたらそのまま僕が勝っていただろう。


「ちっくしょう、舐めやがって!」


 いや舐めてるのはそっちでしょう。

 あんなので勝てると思ったんだろうか。

 多分思ったんだろう。


 きっとあの雄叫びだって僕を怯ませるためだったんだろう。

 僕はため息をつきそうになったけど、年上の人に向かってため息をはくのは失礼だと思って我慢した。

 その代わりに改めて僕は剣を構え直した。


 今度はこっちの番だ。


 一気にカインさんとの距離を詰めて小さい攻撃を繰り出す。

 脇を締め、重心を必要以上にブレさせず。

 教わったことを一つ一つ確認するように攻撃を続ける。


 僕は言われたことをやっているだけなのにカインさんは受けるので精一杯って感じだ。

 そう考えると騎士様たちはスゴイ。

 特別な力や技なんか使わなくても、これだけ強くなれるんだ。


 ずっと受けるだけっだったカインさんが我慢できなくなったのか無理矢理力技で僕の剣を弾く。

 流石に三つも年が離れてると単純な力はカインさんが上だ。

 僕が体勢を崩すとまた顔をニヤッとさせて剣を振り上げる。


 懲りない人だなと思いながら僕は木剣の腹を片手で支えてカインさんの剣を受ける。

 思いっきり振り下ろされたから手がジーンとしたけど、カインさんはまたしても驚いた顔をしていた。


 その時カインさんの剣に力が抜けた。


 その瞬間に剣ごとカインさんを押し返す。

 今度はカインさんの体勢が崩れた。

 そんなカインさんの剣に横薙の一閃を食らわせる。


 体勢も崩れて、左手を離し、片手だけで持っていた木剣は簡単に弾かれる。


 こうして僕とカインさんの模擬戦は終わった。

 やたらと歓声が上がってるけど、どうやら僕が勝ったのが意外だったみたいだ。

 出来るだけ実力が同じくらいの人同士を戦わせるみたいだけど僕が勝つとは誰も思っていなかったらしい。


 模擬戦が終わっても尻餅をついたままのカインさんに手を差し伸べたけど、カインさんは顔を真っ赤にして僕の手を弾いて、人ごみの中に消えていった。

 もう一度きっちり謝ろうと追いかけようとしたけど周りで見てた人たちが僕を囲んでそれはできなかった。


「すごいな、ギルバート君! まさかカインに勝つとは思わなかったよ! さすが騎士団長の子だな!」


「さすがライザック様のご子息。剣の才能も父親譲りというわけですね!」


 ちょっとだけ年上のお兄さん達がそう言って僕を讃えてくれた。

 別に皆に褒められたくて強くなろうとしてるわけじゃないからちょっと複雑だ。

 それにみんなは父様の息子だからと言ってるせいであまり褒められてる気がしない。


「ほら、君たち。次の模擬戦を始めるから静かにしろー」


 騎士様は特に騒ぐこともなくそう言って皆を宥めた。

 その声に従って皆は散り散りになった。


       *


 模擬戦が一通り終わって太陽が少し西に傾きだした頃、今日の公開訓練が終わった。


 改めてカインさんに謝ろうと辺りを見回したけど、もうカインさんは帰ってしまったみたいだ。


「ギル。こっちに来なさい」


 そんな時に聞き覚えのある声が僕の名前を呼ぶ。

 確認するまでもない。父様の声だ。


 振り返ると、父様とこの地の領主様であるヴァレンタイン様が話をしているようだった。

 カインさんのことはひとまず置いておいて、僕はすぐに二人のところへ駆け寄った。


「ヴァレンタイン様、お久しぶりです。この度は公開訓練にお誘い頂きありがとうございます」


 僕は胸に右手を当て、左足を半歩引いて頭を下げた。

 父様に教わった貴族への挨拶だ。


「そんなにかしこまらなくていいよギルバート君。いやしかし、今日の模擬戦は見事だったね、驚いたよ」


「恐縮です。今後も精進いたします」


「ははは。おいライザック、些か厳しく教えすぎじゃないか?」


 あれ? 何故か父様が怒られている。

 どうしよう。何か間違ってしまったのだろうか。


「いえ、今のこの時代、剣の腕だけで生きてはいけません。礼儀は社会で生きていく上での武器になります。厳しくしておいて損はありません」


「はっはっは! 相変わらずの堅物だな!」


 父様の言葉にヴァレンタイン様が大笑いしてる。

 どうやら怒っていたわけじゃなかったみたいだ。


 ホッとして視線をずらすと、ヴァレンタイン様の足元に銀髪の女の子がチラチラとこちらを見ていた。


「ギ、ギル。訓練お疲れ様」


「ありがとうございます。シルヴィア様」


 覗いていたのはヴァレンタイン様のご息女のシルヴィア・ヴァレンタイン様だ。長い銀髪を頭の両側でしばった可愛らしい髪を揺らして上目遣いで僕を見ていた。


 ヴァレンタイン様にしたようにシルヴィア様に頭を下げる。

 するとシルヴィア様は頬をぷくっと膨らませて不機嫌そうな顔をした。


「敬語……。あと“様”付けないでって言ったのに……」


 どうもシルヴィア様は僕が敬語で話すのがイヤみたいだ。

 確かに前に言われたことがある。

 シルヴィア様が十歳の誕生日にヴァレンタイン邸でパーティーが開かれたとき、僕は近衛騎士団長の息子として出席した。


 もともと父様とヴァレンタイン様はプライベートでも親交があるみたいで、シルヴィア様とは小さい時から面識はあった。

 そんな関係もあって、僕も喜んでパーティーに参加した。


 そして、その時にシルヴィア様に言われたんだ。


『ね、ねぇ、ギル。私たち同い年なんだし、ずっと敬語なのも変だから、その……これからは敬語で喋るのはやめて?  様も付けちゃダメ、だから……』


 顔を真っ赤にして、そして小さい声だったけど確かにそう言われた。

 その後、将来のためにとか、示しがつかないとか言っていたけど、そこはよく聞こえなかった。


 その時はとてもじゃないけどそんな不敬なことはできないと思った。

 けど、ヴァレンタイン様は『そうだな、そのほうがいい』とお許ししてくださったし、父様も構わないと言っていた。


 だから一応シルヴィア様には敬語も“様”も付けないということになった。

 あれから結構経って久しぶりに会ったからすっかり忘れていた。


 僕としては、そんなこともあったなーって感じだったけど、目の前のシルヴィア様は頬をパンパンにして今にも泣きそうだったからちょっと焦った。


「もうし……。いや、ご、ごめん。ありがとう、シルヴィア」


 こんな言葉使い両親にも使わないから、これでいいのかなと不安だったけど、僕の言葉を聞いたシルヴィア様はさっきの膨れっ面とは打って変わって顔を赤くしながらも優しく照れ笑いをした。


 そのシルヴィア様の笑顔はものすごく可愛かった。


「ギル、私は今日も泊まり込みになる。一人で帰れるな?」

「あ、はい! 大丈夫です!」


 僕がシルヴィア様のことを見ていたら急に父様に話しかけられてハッとした。


 父様はヴァレンタイン様を守る近衛騎士団長だから泊まり込みなんてしょっちゅうだ。

 公開訓練のあとは大体僕は一人で帰ってるんだから、今更どうってことない。


「では、ヴァレンタイン様。これで失礼します」

「ああ、気をつけるんだよ」


 帰る前にヴァレンタイン様にもう一度挨拶をした。

 本当にヴァレンタイン様は領主様とは思えないほど優しく、気さくに接してくれる。

 失礼な話、近所のおじさんのような親しみすら感じる。

 これも田舎だからこそなんだろうか?


「あっギル! また、ね」


「は……うん。またね、シルヴィア」


 最後にたどたどしく僕に手を振っているシルヴィア様に返事を返して、僕はヴァレンタイン邸を後にした。 


       *


 父様にまっすぐ帰りなさいと言われていた僕だったけど、ヴァレンタイン邸から少し離れたところで大通りを外れて町の外へと向かう。


 別に僕の家が町の外にある訳じゃない。

 だからといってこの道が近道というわけでもない。


 僕は町外れにあるちょっとした森林で自主練習をしている。

 この森林を見つけたのは前に公開訓練の帰りに偶然見つけた場所だ。

 今日みたいに公開訓練の後とかにその日の経験をもう一度確認したくて修行が出来そうなところを探してたんだ。


 訓練が終わったあとにヴァレンタイン邸の訓練場は使えないし、僕の家ではあんまり思う存分修行できない。

 だから人に迷惑をかけずに剣を振り回せる場所が欲しくて目をつけてたんだ。

 本当は森の中でコソコソする必要もないんだけど、コッソリ鍛えて次の公開訓練の時に父様を驚かせたかったんだ。


 実際この場所は、町からそこそこ離れてるし、森の中もデコボコしてて特訓には最適なんだ。

 それに森を抜けたところに崖の上から町を見渡せる場所がある。

 そこから見る僕の住む町の景色は、賑やかとは言えないけど、優しくてあったかくて大好きだ。


 そんなことを思いながら森を進むと、いつも特訓をしてる開けた場所に到着した。


 森の中にぽかんと空いたスポット。

 比較的平らで、二人くらいなら思いっきり剣を振り回しても余裕があるくらいのスペース。

 近くに小川も流れていて、喉が渇いたらそこの水を飲んで休憩もできるから修行にはもってこいなんだ。


 着いて早々に修行を始めようとしたら茂みがガサガサと音を立てる。

 この森はあんな音を出すような獣はいないと思っていたんだけどなと思って振り返ると、そこにいたのはまさかのカインさんだった。


「よう、やっぱり来たな。ギルバート・デイウォーカー」


「あ、カインさん。まさかカインさんも?」


 なんてことだ、ここは僕だけが知ってる場所だと思ってたのに、

 カインさんもこの場所を知っているとは思わなかった。


「とぼけた顔しやがって、ますます気に食わねぇ!」


 やっぱりちゃんと謝らなかったのが良くなかったんだろうか。

 カインさん、結構怒っている。


 もしかしたら、この場所はもともとカインさんが見つけた場所だったのだろうか。

 僕がこの場所を見つけたのはまだ一月も経っていないくらい前だ。

 カインさんは年上だし、ずっと前からここを知ってたとしてもおかしくない。


「申し訳ありません。まさかカインさんが先に見つけていたとは思いもしなくて……。これからは違うところで修行するので」


「いい加減、俺をいちいち馬鹿にするな! オイ、やれ!」


 カインさんが合図をすると同時に、僕の腕が左右で固定された。


 後ろを確認してみると、カインさんと同い年くらいの人たちが僕の腕を抑えていた。

 確かこの二人も公開訓練に来ていた人たちだ。

 カインさんと一緒にいたところを見たことがある。


「あの、カインさんこれは一体どういう……?」


「……まだわかってなかったのかよ、コイツ」


 何が何だかわからなくてカインさんに聞いてみたけど、カインさんはさっきまで怒ってたのに今度は呆れた顔をしている。


 怒ったり、呆れたり忙しい人だな。


「お前馬鹿だな。カインが手を抜いてたのに調子乗るからよー」

「そーだぜ、お前が空気読まねーのが悪ィーんだぜ」


 僕の腕を掴んでいる二人がニヤニヤ笑いながらよくわかんないことを言ってきた。


 カインさんが手を抜いていた?

 あんまりそうは見えなかったし、空気を読めなかったって言うんなら公開訓練のあの場で手を抜いてたほうがよっぽど空気を読んでいないような気がする。訓練を見てくれた父様や騎士様たちに対して凄く失礼だと思う。


「で、どうする、カイン? コイツもう調子こいたことしないように痛めつけるか?」


 そうか、そういう目的だったのか。

 困った、流石に両手を抑えられて三人もいたんじゃ抵抗のしようがない。


「いや、それもいいけど痕が残ると面倒だからな。あと、なんでこの場所を選んだかわかんなくなるだろ?」


 カインさんの言葉に後ろの二人も薄ら笑いをしている。

 どういうことだろう?


「お前、ここのこと知らないで稽古してたのか? この森は幽霊が出るって噂なんだぞ」


 幽霊。ゴースト。

 なんてこった、お兄さん達そんなの信じているんだ。


 この世界には魔法がある。

 この世界は魔素マナがあり、魔素は大気を漂い、大地に広がり、そして万物を形作るもの。


 魔法という力がこの世界で使われ始めてもう数千年以上経つ。

 ――なんて、子供でも知っていることだ。


 だから、魔法という奇跡みたいな力があるから世界の皆は当然のように霊や魂の存在だってあるものだって信じられている。

 だからこそ神様を信じて崇めて、魔法という奇跡に感謝する。


 でも時代が進むにつれて、それは間違いだっていう人たちも出てきた。


 魔法とは大気の、大地の、そして人の中に流れる魔素を使って起こすものだ。

 言ってしまえば、燃えるものと火種があれば火が起こせることと同じ。


 例えば火の魔法は魔素を燃料にして燃えているということなんだから、科学と同じということだ。

 つまり、魔法は奇跡でも神の恩恵でもなんでもない、ごくありきたりな化学反応だっていうことだ。


 種も仕掛けもある手品。

 それがこの世界の魔法。


 物語のような奇跡の力でも何でもない。

 そういうことだから、今の時代の人たちは霊や魂の存在を信じていない人が多い。


 今でも神の存在を信じて、死んだら魂となって神の国へと向かうものだと心に誓い、神が定めたという戒律に従って生きていく人たちも大勢いる。

 むしろこの国ではそうゆう風潮は強いと思う。


 でもまぁ、僕はあまり熱心な信者というわけじゃない。

 だから幽霊とかいわゆるお化けは、僕はこれっぽっちも信じてない。


 だからこの森に幽霊が出るって言われても『ふーん』って感じだ。

 でもお兄さん達はどうやらそうではないらしい。


「コイツ、ここで縛って放っといてやるんだ。おい、ロープあったろ!」


「おう! へへへ、泣いてもほどいてやんねーからな」


 どうやらお兄さん達、僕をここに置き去りにしようとしているみたいだ。

 なんだか嬉しそうに僕を縛り始めた。


 でも良かった。

 このまま袋叩きにされたら大変なことになってた。


 もし怪我なんてしたら家で待ってる母様たちに心配をかけてしまう。

 でもロープで縛られるくらいなら大丈夫だ。

 適当に怖がってるフリして、お兄さん達がいなくなった後で縄を抜ければどうってことない。


 しかし、カインさんとの模擬戦からこんなことになるなんて思ってもみなかった。

 空気を読むというのは納得いかないけど、次からは上手く事を荒立てないよう考えてみよう。


 ――……だめ、だよ……


「え……?」


 カインさんが僕を縛ろうとロープを巻き付けようとしてる時、どこからともなくそんな声が聞こえた。


 それは女の人の声で、上から聞こえたような気もするし、地面から聞こえたような気もする。

 高いような声にも聞こえるし低くも聞こえる。


 ただ聞いているだけでドキドキする声だ。

 でもそれと同じくらい背筋が冷える声だった。


「なんだ! 誰だよっ!」


「やべーよ、カイン。まさかホントにゆゆゆ、幽霊が……」


「ば、馬鹿なこと言うんじゃねぇよ! 幽霊なんて、で、出るわけねえだろ!」


 あ、やっぱり出ないんだ……。


 というか、出ないって思ってるのに、カインさんたちはこんなことをしてたの?

 本当に僕に嫌がらせをしたいだけだったんだなぁ、この人たち。


 カインさんたちの焦りに合わせるように、日が陰りだして森がザワつきだした。


「おいっ! 誰かいるなら出てこいよっ! 馬鹿にしてんのかっ!」


 なんだかカインさん、『馬鹿にするな』というの多用している気がする。

 よっぽど嫌なんだな。


 気をつけようとは思うけど、やっぱり面倒くさいな。


 ――だめ……だめ……。いじめ…だめだよ。なかよくしなきゃ……


 ところでこの幽霊さん。雰囲気はとても恐ろしい幽霊さんを演じているのに、仰ってることがなんだか普通だな。


 恨みつらみを吐き出すのではなくて、僕を虐めることを注意しているようだ。

 なんだか随分とおせっかいな幽霊さんだな。


「なんだよ……。何言ってんのか訳分かんねぇーよ!」


 うん、確かに。


――だめ……だめ……


 なんだか幽霊さんの声が近づいてきた。


 森のザワつきも際立つ。


「なんだよ、何なんだよっ!」


 半狂乱になったカインさんが叫んだ。


 その時――。


「ショタが争うのは、美しくないぃ……」


 美しい黒髪で顔を隠した女性がカインさんの肩に手を置き、呟いた。


「「「うぎゃあああーーー!!!」」」


 同時に、カインさんたちは仲良く叫びながら、僕を置いて逃げ出した。

 それどころか僕を囮にするように、幽霊さんの方に突き飛ばした。


 中途半端に縛られて受身も取れずに転んでしまい、結構痛かった。


 なんとか体を起こして、そこでやっと幽霊さんの方を見てみた。

 何か変なことを言っていたような気がしたけど、本物の幽霊ではなさそうだし、危害を加えるようなら抵抗はする。


 しかし、どうだろうか。

 幽霊さんは僕の前でうつ伏せに倒れている。

 とりあえず、ロープから抜け出して傷がないか確認したあと、声をかけてみる。


「あのう、大丈夫ですか?」


 返事がない、屍だろうか?

 指で軽く突っついてみる。


「うっ……!」


 うめき声をあげてビクビクと震えた。


 ちょっと気持ちが悪い。


 でもどうやらちゃんと触れるし、幽霊だということはないみたいだ。

 けど、それはそれで大変かもしれない。

 呼びかけても動じないし、行き倒れているのかもしれない。


 一応助けてもらったようなものだし、流石にこのまま放っておくのはいけないと思う。


「すみません、聞こえますか? 体調が優れないのですか? 水なら近くに川がありますよ?」


 倒れている女の人の体を揺すって、大きめの声で呼びかけてみる。


「なにか僕にできることありますか?」


「……それなら、あたしにショタ成分を……」


 しょた?


 そういえばさっきのそんなような言葉が聞こえた気がした。

 なんだろう、食べ物かな? 聞いたことないし異国の食べ物かな?


「すみません、その『しょた』? というのがわからなくて。詳しく教えてくれますか?」


「簡単だよ……、君は何もしなくていい……」


 女の人は、ゆらりと体を起こした。


 その時に黒くて長い髪がするりと流れる。

 こんなに綺麗な髪を見たことがなかった。


 夜空よりも黒くて、絹よりも細く滑らかな髪の毛。その髪を見て心臓がドキッとした。


 そして、髪が流れて顔が見えた。

 黒い髪が似合う綺麗な顔だった。


 と、思っていたらその綺麗な顔をうっとりとした笑顔になって、両手をいっぱいに広げた。


「私に、君をなでなでして、ペロペロして、ハスハスさせてくださいっっ!!!」


 僕の中ですーっと何かが引いていく気がした……。


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