10.魔法の絨毯を求めて
1
見上げるほど段数の多い真っ白な階段の前で、マヤトは今にも大柄な男に殴られそうな勢いでいた。
それにも関わらず、マヤトは落ち着いた表情をしていた。
その二人を少し離れて見守る男と女がいたが、どうしていいのかわからないようでただ様子を見ていた。
「マヤト君」
「織田さん」
チサとマリッサは、かけ寄った。
後に続いて、ヨーコ。
少し遅れてサトシは、輪の中には入らず、離れたところから様子をうかがっていた。
「マ、マリッサさん。来てくれましたか。もしかして、彼を知っているのですか?」
織田と呼ばれた男は、ローブは身につけておらず探検用の服を着ていた。チサには、五十歳前後に見えた。
「えぇ、エアリスローザの生徒よ」
「どおりで妙なことを言い出す。いつもの間にか着いて来られたもんだから」
織田は、マヤトの胸ぐらから手を放した。
エアリスローザ指定のローブを着ていれば変に疑われなかったのだろうかと、チサは思った。
「で、彼女……たちもエアリスローザの?」
織田がマリッサに聞いた。
「そう。それで、糸井川さんとヘンリー君は?」
「それが……」
織田は、答えにくそうに頭を指でかいた。
「殺されていますよ、その二人」
平然と言ったマヤトは、神殿の上の方を指差した。
こんなところで冗談など言うはずのないマヤトの発言だったが、チサはまさかと思ってその方向に視線を向けた。
白い階段が神殿の上部へ続いている。上から五段ほどに、赤い布のようなものが扇状に広がって見えた。
「ちょっと、いったい何があったの?」
マリッサが聞く。
「俺らもよくわからないんですよ。俺らはトンネルの脇道の中を調査していて、ここに戻って来たら、もうあの状態で。なぁ、ランドルフ」
織田は、そばにいた男に言った。その男は、織田よりもさらに一回り体が大きく、ローブの裾の長さが全く足りてず、太ももくらいまでしか覆われていなかった。
「はい」
と、低い声で一言。
マリッサはうなずいた。
「絹原さんも?」
「私も脇の道を探していたけどなにも見つからず、ここへ戻ってきたら、すでに……」
足首まですっぽりとローブをまとい、髪を一本に結わいた小柄な女性が答えた。
「そう。二人ともあの上に?」
「マリッサさん、見ない方がいいですよ。糸井川さんは特に。ヘンリーは、そこの泉で。さっきそこまで引き上げました」
織田は、マリッサの横を歩きながら説明した。
階段を挟むように、左右には滝が流れ落ちていて、泉になっている。
二人は、左側の泉に向かっていた。そして、その二人を追うようにマヤトも歩き出した。
「マヤト君。無事で、良かった」
チサはホッとした表情を見せる。
「なんでここに来たんだ」
チサはマヤトにキッと睨まれた。
「魔法の絨毯があるかもしれないって聞いて、魔歴研の活動としてマリッサさんと一緒に」
「もしかして、あの時、巻物を見ていたのか?」
「ほんの少しだけ」
「白鹿、ここにいない方がいい。帰ったほうがいい」
マヤトは目を細めた。チサは、それを見逃さなかった。
「私は帰らない。こんな場所二度と来れるかわからないし。それに、私はマヤト君にいなくなってほしいなんて思ってないから」
「俺は、誰かとの約束を守ったまでだ。君の元から去らない約束はしていないからな」
「そ、それはそうだけど……」
チサはそれ以上なにも言えなかった。どんなに理由を考えて伝えたとしても、マヤトには正論で返されてしまうと思った。
マヤトの足が止まった。
泉の縁に、まだ若い青年が裸で横たわっていた。声をかければすぐにでも目が覚めそうな彼の腰には、タオルが一枚かけられている。
「ヘンリー君……どうして」
マリッサがつぶやいた。
チサは、息をしていないヘンリーを見て、死んでるようには思えなかった。同時に、どうして裸なのかと疑問に思った。
「彼の荷物から遺書が見つかったんですよ」
織田はそう言って、泉の縁にそって歩き、リュックの置いてある階段に移動した。そのリュックの上には紙が置いてあった。
「ということは、糸井川さんはヘンリー君に?」
「えぇ。その詳しいことがこれに」
マリッサは、その遺書を見る前に階段の上に目をやって、浮遊する。
「マリッサさん、見ないほうがいいですよ」
織田の言葉を無視して、マリッサは階段の上部へと飛んで行ってしまった。
織田は、首を振って息を大きく吐いた。
見ない方がいいと言われると見たくなると思ったチサは、マヤトに視線を向けて見た。すると、マヤトははっきりと首を振った。
「そ、そんなに?」
マヤトはうなずくと、ヘンリーに近づき上半身を観察し始めた。
チサもマヤトの背後からそっと様子を見ていた。恐る恐るヘンリーを見ると、やはり死んでいるようには思えなかった。人は死ぬと、きれいに見えると聞いたことがある。血の気が引いて白く見える分、光が映えるようだった。
マヤトは、ヘンリーの首を近くで観察している。
首の周りには、赤黒い跡がついていた。
「紐の跡?」
チサが聞くと、マヤトが一瞬こちらを見て、また視線を戻す。
「縄と、もう少し太い跡もある」
「自殺? 遺書もあるということなら」
「さぁ、どうだろうな……」
マヤトは、ヘンリーの腹部、太もも、膝と観察箇所を移動して行く。またマヤトはじっと一箇所を見つめて動かなくなった。
そこは、足首だった。
チサもそこを見てみると、首と同じように縄の跡が足首にあった。
「足も縛られたってこと?」
チサの問いかけにマヤトは反応しなかった。
マヤトは、顔を上げて神殿の屋根、洞窟の天井を見つめていた。チサもつられて見てみたが、白い神殿の屋根と土がむき出しの壁天井しかなく、不自然なところはなにもなかった。
視界にマリッサが映った。
マリッサは、階段上部で静止している。観察しているためなのか、あまりにも凄惨さに動きがとれないのかはわからない。
階段上部に広がる赤い布に見えたのは、大量の血だとわかった。
あれだけの血が流れているということは、どういうことなのかチサにも想像がついた。
少し離れたところで、嗚咽が何度か聞こえた。
静かな空間に何度か反響する。
サトシが背中を丸めて、その場を離れて行くのが見えた。
それをすぐ横で、ふっ、マヤトが横目で見て鼻で笑っていた。
チサは、ふと泉に目をやると、水面に赤黒い丸い物がぷかぷか浮いているのに気づいた。
「ねぇ、マヤト君。あれ」
指を差す。
マヤトは、それに向かって手の平を向ける。
すると、その赤黒い物が水面から離れて、シュッとマヤトの手に引き寄せられた。
それは、変色した実、リンゴだった。しかも、かじられた跡があった。
チサとマヤトの脳裏に、エアリスローザにもあったリンゴのことを思い出す。同時に
かじられているということは、誰かが食べた証拠である。しかし、誰が食べたのかわからない。また誰かが魔物になってしまうのかと、チサは不安にかられた。
しかし、間近で強い魔力を感じることはない。
ヘンリーが食べたのだろうかとチサは思った。
そして、なぜにこんな赤黒く変色してしまっているのかも不思議だった。
「本当にひどいわね。体のあちこちが刺されていて、顔はもう誰だからわからない状態ね」
戻って来たマリッサが言った。
離れていたサトシにも聞こえていたのか、また嗚咽する。
「糸井川さんを殺した動機は、書かれているの?」
マリッサは、織田に聞いた。
「はい。魔法の絨毯は、もともとマクスウェル家のものらしいみたいです」
織田は、遺書をマリッサに手渡した。
遺書には、ヘンリーの家系が代々管理してきた物だと書かれていた。しかし、魔法大戦に使用されて以後、戻って来ず、所在不明になっていた。花の絨毯組合が魔法の絨毯を探していると知り、ヘンリーも組合員なった。見つけ出した暁には、ふたたび絨毯をマクスウェル家が管理すると糸井川会長に伝えたが、強く反対された。
花の絨毯組合が見つけ出せば、絨毯は組合のものになると。
また、世界を悲しみの世界に戻してはならない。
最後に、ヘンリー・マクスウェルの文字が書かれていた。
「え、糸井川組長はまた絨毯を使って魔法大戦を起こそうとしていたと?」
マリッサが首を傾げた。
「副会長である私ですが、そんな話は一度も聞いたことはありませんよ。それが本当なら、腹の内では思っていたのかもしれません」
「本当にそうでしょうか?」
マヤトが会話に割って入った。
「だから、お前はさっきからなんなんだ。さっきも不自然だのなんだのと」
織田が声を荒げる。
「織田さん、落ち着いてください」
マリッサがそう言って、何度かうなずいて見せる。織田はすぐに奥歯をかみ締めて口を閉じた。
「不自然って、どういうことかしら?」
マリッサが聞いた。
「その遺書が必要だったのか、ってことです」
マヤトは一つ間を空けて、マリッサや織田、その場にいた者たちに視線を送る。
誰もなにも言わなかった。
「つまり、ヘンリーさんは、糸井川さんを殺して、みずから死ぬつもりだったのかってことです」
「ヘンリー君は死ぬつもりではなかったと?」
マリッサが聞く。
「そして、糸井川さんを殺すつもりもなかったのではないかということ」
マヤトはマリッサの言葉に、さらにつけ加えるように言った。
「この遺書って」
マリッサが手に持った紙を見た。
「ヘンリーさんが書いたものではない」
マヤトを中心に、辺りがざわついた。
「ヘンリーさんが、絨毯を執拗に求めていたことはみなさんも知っていたのではないですか?」
マヤトは、花の絨毯組合面々の顔を見た。
ランドルフは静かにうなずく。
「確かに、ヘンリーが絨毯を見つけることに熱を入れていたことは知っていた。でも、家系で管理している物だとまでは、聞いたことがない」
体をすっぽりローブに覆われて、首から上だけ出ている絹原が答えた。
「俺たちが殺したと疑っているのか?」
織田がかみつくように聞いた。
「あなたがたの誰かか、また別の第三者か。そもそもそれを遺書というなら、彼は消えないようにその紙自体に魔法紋を焼きつけておいたでしょう」
自分の書いたことを証明する魔法紋。しかし、発動者が死んでしまうと、その魔法自体が消滅してしまうので魔法紋も消えてしまう。もし、死ぬことが前提であるならば、魔法紋を焼きつけておくことは、よくあることだとマヤトは説明した。
そうなのかと、チサは素直に感心した。マヤトが今までに関わって来た解析の蓄積があるからこそ答えられるのだなと思った。
そして、チサは、部屋に残してきた手紙を思い出した。魔法紋をつけてきたが、紙自体には魔法紋を焼きつけてはいなかった。もちろん、死ぬつもりはなかったからだ。
「確かに、言われてみればそうよね」
マリッサは、もう一度遺書を見て答えた。
「ちょっと、マリッサさん。こんな子供の言うことを信じるんですか?」
織田が少し慌てて言う。
「加持君は、こういった解析については詳しいのよ」
「解析……」
織田は、眉間に皺を寄せてマヤトを見ていた。
「ヘンリーさんは絨毯が手に入りさえすれば、それでおそらく目的は達成されていたはず。わざわざみずから死ぬ必要はなく、遺書なんて残さないと思うんですよ」
チサは、また確かにとうなずく。
「たぶん、絨毯は発見されていたんだと思います」
マヤトがそう言うと、全員が驚いた。
誰もが辺りを見回すが、絨毯と思えるものはどこにもない。
「糸井川さんかヘンリー君がそれを見つけて、奪い合いになったとか?」
マリッサが言った。
「それに三人目がいるはずです。まさか二人が相討ちとなったとは考えずらい」
「その三人目がここから絨毯を持ち去ってしまったと」
さらにマリッサが聞いた。
「それはどうでしょうか。ここに入って来た者はいますが、出て行った者は確認できていません。ずっと外にいた人もいるから確認してみるのもいいのでしょう」
その外にいた人というのは、サトシを指しているのがすぐにチサはわかった。おそらくマヤトは解析魔法で人の動きを探っていたのだろうとチサは推測した。
「だとしたら、神殿の中か、トンネルの脇道に隠してあるのかしら。その第三者もまだ身を潜めている可能性も……」
マリッサがあごに手を当てた。
「いや、神殿の中にもなかったですよ。二人が死んだ後、私は神殿の中を見に行きましたから。賢者の像が建てられているだけで」
織田が答えた。
「では、他の場所を探してみるまでですね」
マヤトは、洞窟の中央に向かって歩き去ってしまった。
2
チサは、マヤトを追った。
「チサ」
チサを追うヨーコ。
「チサ。この状況、やっぱり危険よ。ここから出た方がいいと思う。今の内ならまだ」
「でも……もしかしたら魔法の絨毯が見つかるかもしれないし」
正直、チサはここから帰るつもりはなかった。
「なにか起きてからじゃ遅いってこと」
ヨーコは語気を強めた。
「その時は、ヨーコが守ってくれるでしょ?」
「そうじゃなくて」
「マリッサ先生もいるし、サトシも。それにマヤト君も」
「でもサトシは、だいぶ気分悪そうだけど」
ヨーコは、隅の壁に寄りかかって座っているサトシを見た。
「あ、そうだった」
と、チサはサトシの方向に足を向けた。
「サトシ、大丈夫?」
チサは、サトシの同じ目線に体をかがめた。薄暗くサトシの顔色はよくわからなかった。
「座ったら楽になったよ」
顔を上げて、そのまま目を閉じてしまう。
――本当に大丈夫かな。
「ねぇ、海底洞窟の門の前にいた時、誰か外に出て来た?」
チサは聞いた。
「んー、誰も出てこなかったよ」
「入って行った人は?」
「俺の先に入っていたのはアイツ。そのあとは、チサたち。その間は誰も見てないよ」
「そう」
「それがどうかしたのか?」
ということは、第三者はいない可能性が高いと、チサは思った。このことを洞窟の中心から神殿をじっと見つめるマヤトに伝えた。
マヤトは、そうかと一言だけで、神殿から視線を外すことはなかった。
マリッサと織田、絹原が階段上にある神殿の入り口に入って行くのが見えた。マリッサたちも絨毯を探しにいったのだろう。自分だったら、どこに隠すだろうかと想像をふくらませる。
チサは、浮遊魔法で宙へと上がり、土がむき出しの天井ギリギリまで上昇した。
神殿の屋根や下からでは確認しづらかった柱との間も見渡すことができた。神殿は、階段を中心にしっかり左右対称になっていて、建造物としても立派であることがうかがえた。そして、階段の左右にある泉の広がり具合も確認できた。
――泉の水は、海水なのだろうか。たまった水は、底から抜けていくのかな。
チサは、左右の泉にたまった水の色の濃さが違うことに気づいた。
ヘンリーが横たわっている左側の泉の方が、青さが濃く見えた。チサは、高度を保ったまま天井の出っ張りに気をつけて泉の真上にやって来た。
――やっぱり、色が違う。
シンメトリーの構造なら泉の深さも同じで、水の色が変化することはないと思えた。泉の底の形状は上からではわからないが、底の青の形が長方形に見える。絶え間なく注がれる水で、水面は揺らいでいるが、チサの目にはそう見えていた。
――もしかして。
ある可能性を思いついたチサの胸の鼓動が高鳴った。
その可能性を確かめようと、泉の前に降り立った。
そして、チサは泉の底に向かって両手を向けて、魔法を発動させた。
しかし、水の底まで魔法が届いていない感覚を覚えた。
「あれ?」
もう一度、魔法を発動させたが、やはり水の中までその魔法が届いていない。
ついさっき、マヤトはリンゴを引き寄せることができたのに、なぜ自分ができないのか不思議だった。
「チサ、どうかしたの?」
ヨーコがやって来たので、水中にあるものを引き上げようとしたが、上手くいかないことを伝えた。
ヨーコも同じようにやってみたが、結果はチサと同じだった。
「はぁー」
ヨーコは、一度の魔法発動で疲れを見せていた。ヨーコの額には、薄っすらと汗が見えた。
「ヨーコ?」
「さっき扉で、魔力使いすぎたみたい」
ヨーコは泉の縁に腰かけてしまった。
魔法仕掛けの扉に、一番多く魔法を放ったのはヨーコだった。回数だけではない。種類も、普段使うことのないような魔法までヨーコは繰り出していた。
もしかしたら、ヨーコはもう限界に近いのかもしれない。さっき、ヨーコが言ったように早くここを出た方がいいのかもしれない。やっぱり、なにかが起きてからでは遅いとチサは思った。
チサは、マヤトを呼んだ。
「泉の底になにかあるように見えるんだけど……」
マヤトは、いぶかしげに泉の水面を見ていた。
もし、これが魔法の絨毯でなければ、ここを出ようとチサは思った。
マヤトは両手を胸の前で組んだ。マヤトの目の前に、虹色の光の輪が出現した。マヤトの解析レンズだ。
その解析魔法なら、泉の底にあるものが見えるのだろうと、チサは期待した。
しかし、マヤトの表情がよろしくなかった。
「マヤト君、どう?」
マヤトは無言のまま、光の輪を消した。そして、泉に顔を近づけた。
「この泉……潜って自力で取るしかなさそうだ」
「え、潜る?」
「なら、俺が行こう」
チサの背後に、いつの間にかランドルフが立っていた。まるで壁があるかのように思って、驚いた。
ランドルフがローブを脱ぎ、上着、ズボンまでいっきに脱いだ。下着一枚になって泉に入っていき、腰まで浸かるとそのまま沈んでいった。
何度か大きな泡が水面に浮かびあがって割れた。
すぐにランドルフは上がってくるかと思ったが、思ったより長くかかっている。かなり透明度が高く見えていたので、底までは浅いと思っていた。
しかし、青の形が今までとは違う揺らぎに変化していく。
ゴボゴボっと泡が立てつづけに上がってきた。
絨毯であってほしい気持ちと、幻は幻のまま、夢のまま、伝説のままであってほしい気持ちがチサの中でぶつかり合っていた。
見つけてしまった後は、どうしたらいいのかわからない不安もあった。
そして、水面がいっきに盛りあがって、水面を割って水の柱が立つ。
丸太のような青いそれがランドルフの肩に乗っかっていた。
ぐっしょりと水をふくんだそれは、両端からボタボタと水滴をこぼしている。その両端は、厚いの布を丸められたように層になっているのが確認できた。
「底で広がっていた」
泉から上がって来たランドルフの履いていた下着が脱げてしまっていて、丸裸だった。
その場にいたチサとヨーコは、声を上げなかったものの、視線のやり場に困っていた。
ランドルフは、そんなことを気にもせず絨毯を地面に広げ、なにごともなかったかのように服を着た。
広げられた絨毯は、横に五人ほど腕を広げて並ぶくらいの大きさだった。青を基調として、水色や白、黄色の線で花の模様と幾何学模様が描かれていた。まるで、何かの魔法陣のようにチサの目には映っていた。だが、複雑過ぎてどんな魔法陣なのかまでは理解できなかった。
「これが魔法の絨毯?」
ヨーコの声は半信半疑だった。
「私もわからない。もっと派手なものを想像をしていたから」
チサがそれに続けた。
もし、これが本当に魔法の絨毯であるなら、なんとも呆気ない発見だとチサは思っていた。歴史上のアイテムとあれば、少々の冒険や危険の末に手に入るものだと思っていたからだ。
そこにマリッサたちが戻ってきた。
サトシも気になったのか、絨毯を見る輪に加わっていた。
マリッサたちもあまり驚く様子はなかった。
そして、マヤトだけか少し離れたところでチサたちを見ていた。それに気づいたチサは、マヤトが目を細めているのが見えた。
「マヤト君?」
マヤトは、ランドルフを見ていた。チサもランドルフを見ると、さっき着た服のところどころに穴が空いていた。
泉に入る前は、あんなに穴はなかったようなと、チサは思い返す。
「みなさん、その絨毯にあまり触れないほうがいいですよ」
マヤトが言うと、いっせいにマヤトに視線が集まった。
「マヤト君?」
「絨毯というより、泉の水に、でしょうか」
「どういうこと?」
チサをはじめ、誰もマヤトの言っていることがわからなかった。
「この泉の水は、ただの水じゃない」
「海水、とか言うんじゃないだろうな」
織田がバカバカしく聞いた。
「いいえ。この泉の水は、魔法を無効化する力を持っています」
「無効化?」
織田は、片眉を上げて聞き返した。
「解析魔法すらも無効化されてしまいました。なにもより、さっき泉に潜ったランドルフさんの服に穴が空いているのがその証拠です」
ランドルフは、微動だにしない。
「体についていた水滴を吸った部分が無効化され、服に穴が空いてしまったんです」
服も魔法で作られているため、服の持つ魔力が消えてしまえば、服としての形を維持できず消えてしまう。
――そうか。だから、私やヨーコが泉の中の絨毯を引き上げようとしてもできなかったんだ。
「ヘンリーさんが裸であることもその理由です」
「でも、どうして、ヘンリー君は水の中に? 入水自殺、じゃないのよね」
マリッサが聞いた。
「最初、その線も考えました。しかし、ヘンリーさんの首と足首に縄の跡がついていましたので違います」
「縄の跡?」
マリッサが復唱する。
「はい。首と足首。つまり他殺です」
「どうして、他殺だと?」
「ヘンリーさんは、浮遊魔法が使えなかった事実はありますか?」
マヤトは、絹原を見て聞いた。
「浮遊魔法くらい普通に誰だって使えるでしょ」
「つまり、天から首を縛られ、地から足首を引っ張られて、浮遊できなくされたんです」
体を天地から引っ張られたヘンリーは、宙に留められる。そして、首を絞められることで殺されたと、マヤトは説明する。
「でも、縄は?」
チサが聞いた。
「ヘンリーさんの息が止まってから縄ごと泉に投げ入れれば、魔法で作った縄は消える」
「それで、服も消える。もし、そうだというなら、ヘンリー君が殺される理由は?」
マリッサが聞く。
「ヘンリーさんが糸井川組長を殺したからではないでしょうか」
「え、ヘンリー君が糸井川組長を?」
「どちらかが絨毯を発見し、奪い合いになったのではないでしょうか。これが泉に浮いていました」
マヤトは、赤黒く変色したリンゴを見せた。
「それは……」
マリッサがつぶやいた。
「エアリスローザでも発見された魔力を増加させる実です。かじられた跡があり、歯型からしてヘンリーさんのものに近い」
「ヘンリーさんは、それを食べて?」
チサはそれ以上言わなかった。
「魔力が増大したヘンリーさんは、力ずくで絨毯と糸井川さんの命を奪った。そして、それを見ていた人物がヘンリーさんを殺したんです」
マヤトは、間を空ける。
静けさが辺りを包み、泉に流れ落ちる滝の音が耳につく。
「織田さん、あなたがヘンリーさんを殺した。わざわざ遺書を作ってまで、自殺に見せかけようとした」
名指しされた織田は、ぐっと歯を食いしばってなにも言わずにいた。
「でも、仕方なかったんだと思います」
マヤトは付け加えた。
「え、どういうこと?」
チサが聞いた。
「暴走するヘンリーさんを止めるには、泉に沈めるしかなかった。縄で息を止めようと試みたが、ヘンリーさんの動きを完全に封じることができなかった。たまたま泉に入ったのか、以前から泉のその力を知っていて、泉に沈めた。その時、身につけていたローブは消えてしまったんですね」
「お、織田さん……」
マリッサが悲しそうに言った。
「えっ、ちょっと、マリッサさん……」
織田は、なにかに驚くように声を上げる。
二人の中でやり取りされる様子にチサは違和感を覚えた。
おそらく、マヤト君も――。
そして、織田はあきらめたかのように息を深く吐いた。
「早いうちにヘンリーを止めなければ、俺たちが危なくなると思った。ヘンリーが絨毯を管理したいことは組長から聞いていた。ここでヘンリーに絨毯を奪われては、花の絨毯組合で活動してきた意味がなくなるし、まさか組長を殺すとは思わなかったから、俺も動転していた」
織田の呼吸は早くなり、その息遣いが聞こえてくるほどだった。そして、織田は背負っていた荷物の口を開けて、ひっくり返した。
バラバラと中から物が落ちてくる。
リンゴが二つ、三つと落ちて転がる。
巻物も。
「え!」
間違いなくエアリスローザにあった巻物。赤い目の人物が持っていた巻物でもあった。
どうして巻物がここにあるのかチサは驚いた。そして、織田が赤い目の人物なのかと、背中に冷たい汗を感じた。
織田は、転がったリンゴを両手に一つずつ手に取った。
「魔法の絨毯は、絶対に渡してはならない物。ヘンリーにも、探検気分で探しにきた小娘らもに渡せない」
織田は、むしゃむしゃと二つのリンゴをかじり始めた。
「ちょっと、そんなに食べたら……」
チサは声を震えあがらせた。
「チッ」
マヤトは、織田に向かって片手を振りかざした。
同時に、サトシも手を振りかざしていた。
二人は、織田が手にしていたリンゴを弾くか、引き寄せようとしていたのだ。
が、織田はすでに光に包まれていた。
二人の魔法が織田に届いた時、その力そのまま二人に跳ね返って、マヤトとサトシは後方に弾き飛ばされてしまった。
「マヤト君!」
チサは、空中で勢いを止めたマヤトを確認してホッとした。
一瞬、織田から目を離した隙に、織田の体からは勢いよく灰色の光が放たれていた。そして、その体を両手で押さえこみ、唸り声を上げた。
チサは、一度感じたことのある押しつぶされそうな魔力を、今、目の前からふたたび感じた。
チサの脳裏に、ハリネズミのいた屋上の光景が浮かんでいた。
「グアァァァァァァッ」
織田が咆哮を上げると、洞窟内に響き、耳が痛くなる。
まるで洞窟が揺れているように感じられた。
「みんな、離れてっ!」
チサは叫んだ。
――あの時と同じ。
――エアリスローザの屋上で、生徒が魔物になった時と。
チサの声と同時に、織田からいっせいに後方へと引いた。
チサは、マヤトのすぐそばに着地した。
そして、織田の体から灰色の光がいっきにあふれ出し、爆発的な魔力の突風が巻き起こった。
風がやみ、ふたたびチサは織田を見た。
「そ、そんな……」
ハリネズミの魔物を想像していたチサの視線は、上へ上へと上がっていった。
織田の姿は、天井に届くほど高く大きな熊の姿に変わっていた。
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