8.消失


 朝、チサが家に戻ると、今までにないほど家族に抱きしめられた。


 単なる家出と思われなかったことが嬉しく思えた。チサの魔法拡張診断結果があったからこそ、家出ではなく誘拐となったわけだった。ただ、それが家族を心配させてしまう要因になってしまったことが、またチサの心を締めつける。


 家族だけじゃない。


 せっかく魔歴研にも入ってくれて、仲良くなりはじめた矢先、加持マヤトがいなくなってしまった。自分のせいで友達を一人失ったと、チサは思ってしまっていた。


 目覚めた特別な魔法に希望をいただきつつも、リスクを背負う覚悟が本当は必要だったのだ。


 チサは、丸一日家を空けていたことに気づいた。ほとんど眠っていた状態だったので、それほど長い時間経過だとは思わなかった。家族にしてみたら、きっと長い一日だったのだろうと、出迎えてくれた家族の様子を見ればわかった。


 でも、この一日という時間は、誘拐されてから助けられるまでのことを考えたら、きっと短かったに違いない。チサがそう思うのも、マヤトがいたからだ。無論、マヤトの解析魔法があってのことだ。


 チサは、強くそう思った。


 感謝してもしきれない。あのまま血を抜かれていたら、そのまま死んでいたのかもしれないし、生きるために赤い目の人物の言いなりになって学生として、普通の生活を送れなくなっていたかもしれなかった。


 サトシとの約束とはいえ、姿を消す必要はないと、チサは繰り返し思っていた。


 この日は、学校を休み、休息に当てるよう朝霧からも指導があった。


 彼女からもらった薬がとても効いていて体調は悪くなかった。しかし、緊張から解き放たれたせいもあり、部屋のベッドで横になりながら、ずっとマヤトのことを考えていた。


 ――マヤト君が戻ってきてくれる方法はないのだろうか。


 ――私にはわからないけど、あーいうのが男の約束というものか。


 誰がなんと言おうと、その約束だけは破ることができない絶対魔法壁と言われているようだが、チサにはさっぱりわからなかった。


 翌日、ヨーコとサトシがチサを家まで迎えに来た。またチサの身になにかあってはならないと、近くに人がいた方がいいというので二人が来てくれた。 

 しかし、チサはもうあのような自分の身に危険が迫ってくるとは思っていなかった。


 歴史書などに書かれているような魔法人体実験に比べたら、今回の誘拐がそれほど自分の身が危ないとは思わなかった。もし、まだ時代が浅かったのであれば、誘拐された時点で、もう自分の命は助かるものではなかったのだろうとチサは思う。


 そんなことを話したチサは、ヨーコに安堵されるも、危機感が足りないと叱られた。


 そのために来てくれたんでしょ、と笑顔で返すと、ヨーコは大きく肩を落とした。


 エアリスローザに到着すると、次々と生徒たちがビルの校舎に吸いこまれて行く。普段と変わらない日常がそこにはあった。


 その光景を見たチサは、誘拐されて救出されたことがまるで嘘のように思えた。夢でも見ていたのかと思えるほどだった。


 チサは教室に行かず、ヨーコとサトシとともにティーダの研究室に向かった。


 二人と部屋の前で別れたチサは、ドアをノックした。


「はい、どうぞ」


 ティーダの声が聞こえた。


「失礼します。おはようございます、白鹿です」


 チサはドアを開けて中に入ると、整理整頓された部屋の奥の机に向かっていたティーダの巨体がぬっと立ち上がった。


「おはよう、白鹿。大変な目にあったね。もう体調は大丈夫そうだね」


 笑顔で手前のソファに座るようにティーダにうながされて、チサは座った。


「はい」


「朝霧先生から話は聞いている。大きな怪我もなく良かった。ただ、白鹿。君の魔法のことが外に出てしまっている以上、用心してほしい」


 チサは、相も変わらず、軽くうなずくだけだった。


「そこで、学校側としても生徒の命のあずかる身。事が落ち着くしばらくの間、白鹿に護衛をつけることが決まった」


「えっ、護衛、ですか?」


 そんなに大ごとにしなくてもいいのと内心思う。


 すぐにヨーコとサトシのことかと思ったチサ。


「そうだ。護衛といっても四六時中、君の側にいるわけではない。基本、気になるような存在にはならない」


「それはどういうことですか?」


「つまりだ。見えないから気にするなということだ」


「そう言われると、気になるんですが……」


「もう昨日から、護衛の人には仕事をしてもらっている。気になることはあったか?」


 チサは左右に首を振った。


 昨日一日は家にいた。姿を消していたとしても、部屋の中にはいなかっただろう。


 それに、今朝エアリスローザへ来るまでもまったくその人のことは気にならなかった。ヨーコとサトシがいたからというのもあった。


「エアリスローザ出身で、当時賢者に最も近い人物とされていた人だ。スリロスシティ・ニューヨークにも留学しているエリートだから、安心していい」


 ティーダの言い振りを聞いていたチサは、きっとその人のことを実際に紹介はしてくれないのだろうと感じていた。


 学校側の話し合いで決まったことで、ティーダのことを疑うつもりはなかった。


 本校出身で、伝説都市ニューヨークの魔法学校にも留学しているのであれば、チサもそこまで神経質になる必要もないと思った。


「せめて、男か女か、教えてくれませんか?」


「いや、それも警護上教えることはできない」


 愛らしい大きな顔をすぼめて、すまなそうにティーダは言った。


「そうですか……」


 顔がわからないことに少しを不安を覚えたチサだったが、護衛する人の仕事も支障が出るのも困るだろうと思いいたった。


「気にせず今まで通り生活してもらえればいいから、な」


「わかりました」


 チサは、ヨーコやサトシがしばらくは側にいてくれるだろうから、そんなに気にする必要もないのかと思った。


魔物ギークになった生徒はどうなったんですか?」


 チサは、思い出したように聞いた。


「あぁ、竹山君な。彼は、命には別状なかったよ。まだ入院中だがな」


「そうですか。良かった」


「でも、彼の魔力はなくなってしまったみたいだ」


「え、魔力が?」


「いわゆるマギア・ロスト。二度と魔法が使えない」


「そうだったんですね」


 チサは、ティーダから視線を落とした。


 マギア・ロスト。


 その名の通り、人から魔力がなくなってしまう症状だ。一度、魔力を失うと二度と魔法が使えなくなってしまう。空を飛ぶこと、物を浮遊させることもできなくなってしまう。


 人としてなにも変わることはないのだが、魔法が使えない者がこの世界では生きにくいことも確かである。


 また、魔力が使えなくなった者が、みずから命を絶つことも少なくなかった。死ぬことは、魔法を使えなくなることによって簡単になってしまうのだ。


 基本魔法の一つ、浮遊魔法。特に、自分を浮遊させる魔法は、誰もが身につけている。一度身につけると、無意識でも落ちるという現象から回避する癖がつく。浮遊魔法が使える限り、多くは身を投げて自死することはほとんどないと言ってよかった。


 マギア・ロストになるということは、生きていく希望を失うに等しい。それでみずから死を選んでしまうことも多い。


 それを防ぐための見張りの仕事もあるくらいだ。


 ただ、マギア・ロストに陥ってしまう原因は、未だに解明されていない。人によって、魔力を失う経緯がまったく違っているからだった。


「竹山君は、加持君の言っていたリンゴを食べていたようだ。それにより、急激に魔力が増大し、魔力制御できず、魔物化したというのが調査の結果だ」


 ――リンゴ。あの赤い目の人物となにか関係はあるのかな。


「それで、マヤト君は? 学校に来てますか?」


 ティーダは一度大きく深呼吸した。


「彼なんだが、ご家族から退学の旨の連絡を受けてね」


「えっ、辞めちゃったんですか?」


 チサは前のめりに聞き返した。


「れっ、連絡を受けただけだ。まだ辞めてはいない。加持君、本人ともまだ話ができていない。だが」


 ティーダは、少し間を開けた。


 チサは、それ以上の話は聞きたくないと思った。ティーダが話を切りあげてくれればと願ったが、ティーダの口が動いた。


「彼の行方が分からないそうだ」


 ――やっぱり、本当にいなくなっちゃったんだ。


「だったら、探しましょう」


 ティーダは口を一文字にして、太い唇がさらに太く見える。


「私の時は、探しに来てくれたのに、マヤト君の時は探してくれないんですか?」


「白鹿の場合とは、また違うだろ。ほら、君は事実誘拐なわけで、彼はみずから辞めることをご家族に伝えている。学校側としての事件性はないから……」


 チサは、最後の方はもう聞いていなかった。本当にティーダの言う通りでいいのかと、自分に問いながら一人うなずいていた。


「わかりました。では、失礼します」


 と、勢いよく立ち上がって出て行こうした。


「し、白鹿。どこへ」


 ティーダが慌てて聞いた。


「授業です」


 ドアの前で一言言って、出て行った。





 チサが二日ぶりの教室に入ると、クラスメイトが体調を気づかってくれた。もう大丈夫だと、答えて自分の席についた。


 まさか丸一日誘拐されていたとは誰も思っていないようだった。そのことを知っているのは、このクラスではヨーコのみ。生徒ではあとはサトシくらいだろう。


 ――あと一人、マヤト君か。


 いったいどこへ行ってしまったのかと、チサは授業の間ずっとそのことばかり考えていて、授業に集中できなかった。


 気づいたらその日の授業は終わっていた。


「チサ。一緒に帰るよ」


 ヨーコが声をかけてきた。


「ありがとう。でも、ヨーコ、部活は?」


「なに言ってるの?」


 ヨーコは、チサに顔を近づけて小声で続けた。


「なんのために私が魔武威まぶいを身につけていると思ってるの?」


「そ、それじゃ、お願いするね。でも、寄りたいところがあるんだけど」


 荷物をまとめて二人は教室を出た。


 向かうは、第四塔だった。


 校舎内を進んでいると、時々生徒たちの話が聞こえてくる。それは、スリロスシティ・ニューヨークからやってきた先生がいるという噂話だった。女子生徒は、男性の先生だと声を高くして話し、男子生徒は大人の女性だと頬をゆるめていた。


 どこからどう漏れ伝わっているのかはわからないが、正確な情報をつかめている様子はなかったようだ。


 その人物がチサを見守っていることなど知らず、チサも正直信じがたかった。その話を聞かされてから辺りを気にしても、その気配を感じ取ることができなかった。賢者に近いとされる人物なら、気配を消すことなど容易いに違いないとチサは思っていた。


 第四塔の中階にあるFクラスの教室の一つに、サトシが四人の生徒と談笑していた。


 ドアの窓から顔を覗かせると、サトシが気づいてやってきた。


「二人ともどうしたの?」


 サトシは、チサとヨーコがここまでやってくることに意外性を感じていた。


「マヤト君、ここを辞めるって」


 チサが言った。


「あぁ、それは聞いたよ。それで?」


 サトシは軽く答えると、表情から笑みが消えた。


「それでって……」


「わざわざそんなことを言いに来たのかい?」


「え、そうじゃなくて……。サトシ、本当にそれでいいの?」


 まるでわざと冷たく発言しているようなサトシに、チサは問い直す。


 サトシは、一度呼吸をした。


「約束だったしな。それに、あいつも言っていただろ。こんなところには居られないって。自分は汚れ物だと」


「サトシ……」


 チサは、腹の奥底から煮えくりがえる怒りと悲しみをこらえた。


「もうあいつのことはいいだろ。エアリスローザは賢者を目指す場所。俺たちは、あいつとは違うんだ」


 サトシはそう言い残して、教室の中へと戻っていった。


 チサは、そんなことを言うサトシが信じられなかった。解析魔法しか使えなかったマヤトをすぐに興味持ったのは、誰でもないサトシだったのに、そのサトシがまるで別人のように感じられた。


 確かにチサの魔法を手に入れて、マヤトがやろうとしていたことは驚く内容だった。しかし、チサは自分がその立場だったらと思うと、その気持ちは分からないでもなかった。


「行こうか……」


 チサがヨーコにそう言うと、黙ってヨーコはついてきた。


 中庭に出てから、浮遊してエアリスローザを後にした。


 それから一言も話さないチサからつかず離れず、ヨーコはチサを見守っていた。しばらく空を飛んでいくと、都心のビル群から遠ざかり、家々が広がる地域に差したかった。


 ヨーコは声をかけた。


「ちょっとチサ。どこに向かってるの? 家の方向じゃないよね?」


 チサは、ちらっとヨーコを見たがなにも言わず飛び続けた。


 次第に高度を下げていくチサに、ヨーコもついていく。そして、二人はどこにでもある普通の住宅街の中に降り立った。


 チサは、呼び鈴を押す前に表札を見た。そこには、田畑と書いてあった。


 ――やっぱり、加持じゃない。


 マヤトと初めて出会って、家までついてきてしまった時には気づくことはなかった。


 田畑という苗字をどこかで見聞きした記憶を探った。


 盗難事件の時、マヤトが口にしていたことを思い出した。


 盗難犯をサトシと一緒に教室の端で見ていた時だ。マヤトが、特殊魔法警察の田畑さんを呼び出して欲しいと言っていた。


 チサがマヤトの家に上がったあの日、てっきり両親だと思っていたあの二人は、マヤトの本当の両親ではなかった。その田畑というのが、マヤトの親代わりになっていたことに、チサは理解せざるを得なかった。


「ねぇ、チサ。チサってば」


「ん、なに?」


「なに、じゃなくて。誰の家よ」


「マヤト君の家」


 ヨーコもすぐに表札と名前の違いに気づいた。


「それにしてもいつの間に、自宅まで」


 ヨーコは、少し引き気味だった。


「いや、その、たまたま知ってしまったというか。たまたま」


 マヤトの家を見つめたが、とても静かだった。


 チサは、呼び鈴を押したが、中から人が出てくる様子はなかった。二度、呼び鈴を鳴らすが結果は変わらない。


「いないみたいだね」


「うん、家に帰ってきていないのかな……」


 それともすでにどこかへ行ってしまったのか。チサは、やるせない気持ちでその場をあとにした。


 ヨーコに自宅まで送ってもらい、また朝迎えにくることを告げられた。


 玄関のドアを開けようとしてた時、今までに感じることのなかった突き刺さるような視線を背中に感じた。慌てて振り向くと、飛び去ろうとしていたヨーコが見える。しかし、ヨーコはそのまま空高く昇っていなくなってしまった。


 ヨーコではない誰かの視線。


 護衛の人かと辺りを見回すが、怪しい人物はいない。今さら護衛の人の視線を感じるのは、いくらなんでも遅すぎると苦笑する。


 また自分を狙う赤い目の人物に見つめられているのかと、不安を覚え、ドアを閉めた。





 翌朝、ヨーコが迎えに来ると、チサは外の様子を気にしつつ家を出た。


 空は、登校や出勤する人々が行き交っている。


 辺りを気にしながらエアリスローザに向かい、ビルの校舎が見えて来た時だった。チサは、昨日の刺さるような気配をまた背中に感じた。


「ねぇ、ヨーコ。周りに誰かいる?」


 チサは、体を硬直させて聞いた。


「えっ、誰かって、たくさん人がいるけど」


 前方しか見ていない強張った表情のチサを見て、ヨーコも緊張した。ヨーコはゆっくりともう一度辺りを見回した。エアリスローザに近いこともあり、生徒の数が多い。


「チサ、もしかして誰かにつけられてるの?」


 チサは、昨日視線を感じたことを伝え、見えない護衛がいることも話した。


「んー、怪しそうな人はいない、その護衛の視線かもしれない」


 ヨーコが再度周囲を見回して言う。


「やっぱりそうなのかな……」


 エアリスローザに到着して、校内に二人は入った。すると、チサは今まで感じていた視線を感じなくなった。


「ちょっと気にし過ぎたのかも」


「なにかあったら、ちゃんと言ってよ」


「うん、ありがとう、ヨーコ」


 この三日間で少し自分の身の置き方が変わったとはいえ、チサははじまった授業を受けていると以前と変わらない日常だと感じていた。


 昨日は、姿が消したマヤトのことばかり考えていたが、教師の話を聞きつつもマヤトのことを考える。そんな状況にも一日で慣れてしまった自分が恐ろしい。


 その日の授業を終え、チサは図書室に顔を出すことにした。今日はマリッサがやってくる日でもあったからだ。


 ヨーコには、帰り際に部室に寄ると伝え、教室で別れた。


 図書室が近づくに連れて、チサの中にいちるの望みが生まれていた。しかし、それは幻想なのだとチサ自身が一番わかってもいた。


 それが、期待通りでなかった時のために、落胆を防ぐためであることも知っている。


 図書室は、今までと変わりなく眠った本たちを起こさないように、ゆっくりと空気が流れていた。


 ここに、もしかしたら、マヤトがいるのではないか。


 勝手にそう思うだけで、鼓動が弾む。


 チサは、甘酸っぱさを心の奥で感じた。


 自分が悪いことを考えているようだった。


 わからないことがあって調べ物をしに、マヤトが来ているかもしれない。


 気が変わったから来た、そんな理由でもなんでもいい。


 チサは司書室のドアを開け、中に入った。


 時間が止まっているかのように、そこには誰もいなかった。


「だよね」


 チサは、自分を納得させた。


「チサさん」


 声をかけられて振り向くと、マリッサが本を抱えて立っていた。


「大変だったと聞いたわ。もう大丈夫なの?」


「はい……」


 それからチサは、ここ数日の出来事を話した。


 自分の中に特別な魔法が芽生えたこと。ただ、それがどんな魔法かは伝えず、マリッサも深くは聞いてこなかった。


 魔法のリンゴや取ることが難しかった巻物が取られてしまってなくなったこと。


 魔物が現れたこと。


 マギア・ロストのこと。


 そして、マヤトがいなくなってしまったことも。


「加持君にそんな過去があったのね」


 マリッサはしみじみ答えた。


「はい。過去のことはともかく、マヤト君の解析魔法がなければいま頃どうなっていたか」


「お礼も言えず、いなくなってしまって戻って来て欲しい。チサさんは彼を追いかけたいと?」


「いえ……そんなことはないと言えば、嘘になりますけど。別れ際にマヤト君は、私の血が簡単に使われることはないだろうって言ってました。でも」


「でも?」


「そう言う前に、マヤト君、目を細めたんです」


 マリッサは少し首を傾げてチサの次の言葉を待った。


「あの目をした時、別のなにかを確信している時なんです。だから、きっとマヤト君は、私の血が使われないように赤い目の人物を追うと思うんです」


 なにも言わないマリッサにチサは視線を合わせると、じっと見つめられていた。


「え、あの」


「よく見てるのね、彼のこと」


 マリッサにニヤリと微笑まれ、チサは顔に熱が集まってくるのがわかった。


「あっ、いえ、そうじゃなくて、よく見かける癖というか」


 チサは慌てて、顔を左右に振り、手も振って否定する。


「ふーん、癖ね」


 マリッサはうなずいてみせた。


「で、チサさんは、どうしたいの?」


「私は、自分の血が悪いことに使われるのも嫌ですし、マヤト君一人に任せてしまうのも悪いとは思っているんですけど。私には、解析魔法やなにかを追跡する能力はないから、自分の血どころか、マヤト君を見つけることもできない」


 チサは、自分の能力のなさにため息を一つついた。


 魔物と戦った時も、マヤトの傷を根治させることもできなかった。去り行くマヤトを止めることもできず、つくづく自分の取り柄のなさに落ちこむ。


「そうねぇ。彼が行きそうな場所とか、その赤い目の人物の手がかりがなにかあれば、最終的には彼に辿り着けそうじゃない?」


 マリッサに言われて、チサはすっと視線を上にあげて考える。


「マヤト君の行きそうな場所……手がかり……赤い目……注射器……巻物……あっ」


 チサは閃いたように両目を大きく開いた。


「そうです。巻物が置いてあって、私、少し開いてあった最初の方を見たんでした」


「それ、覚えてるの?」


「はい、今、それを出します」


 チサは、目をつむり顔の前で手を合わせた。その手に光が宿ると、両手を机の上に広げた。その際、チサの頭から一本の光の筋が伸びる。それは、机の上に広がる紙のように薄い光面の注がれた。


 すると、その光面に、広げられた巻物が写し出された。


 チサが発動させたその魔法は、視覚魔法の一つ。自分が見た物事を写真や映像のように表示する魔法だ。


 チサは、自分が見て覚えていた巻物のワンカットを写し出した。


 広げられた最初の方は、赤黒く変色してしまっていて何が書いてあるかはわからない。その先からは、字や絵が記されているのがわかった。


「かなり鮮明に覚えているのね、チサさん」


「そうですかね」


 視覚魔法は、魔法発動者の記憶や描写力が強く影響される。覚えていなければ、不鮮明になることも多く、みずから間違った形で再現することも少なくない。


 チサのそれは、手前から奥に伸びる巻物が写し出されて、奥の方はぼやけてしまっている。チサが見ていた視界そのものだ。しかし、手前の文字や絵ははっきりと写っていた。


「魔法の絨毯についての記述ね」


 マリッサは興味深く光面を覗きこむ。光面の光が顔に反射して、マリッサの目が輝いているように見えた。


「どうして学校にある巻物に、魔法の絨毯のことなんか……。なんの繋がりもないと思うんですけど」


 チサは思ったことをそのまま言った。


 巻物の冒頭には、魔法の絨毯がまだ魔法が浅い時代に魔法戦争に使用されたことが書かれている。無論、チサは数々の歴史書や物語を読んで当然知っていた。


 魔法戦争を終わらすために、魔力をこめた繊維で編みこんだ絨毯は、いかなる魔法攻撃からも身を守り、空を飛ぶ。戦地には打ってつけの道具だった。


 だが、最後の最後に、魔法の絨毯を使った賢者は、花をまいて戦死した者と平和に祈りを捧げたという記録がある。


 ただ、巻物の先にそれが書いてあるのかは、さらに読み進めなければわからないことだった。


「花の絨毯組合って知ってる?」


 マリッサが顔を上げて聞いてきた。


「花の絨毯組合? 名前を聞くというか、本で読んだくらいで」


「魔法戦争が終わったあとに、平和への祈りを途切れさせないように、世界を花でいっぱいに、花の絨毯を広げて行きましょうという組合。ある種の信仰よ」


「どうしてそれが絨毯と関係が」


 チサが聞いた。


「花の絨毯組合が、魔法の絨毯を管理する組織だったよの。そして、時は流れ、今度は花の絨毯組合の中で分裂の争いが起き、魔法の絨毯がなくなってしまった」


「誰かに持っていかれてしまったんですか」


 マリッサは首を振って続けた。


「もう誰もわからないのよ」


「もしかしたら、あの巻物にその絨毯の在り処が示されているとか」


 チサは、もしかしたら歴史の一端に触れることができるかもしれないと期待を抱いた。


「それはわからないけど、現存する花の絨毯組合は、ほそぼそと活動を続けていて、もしかしたら、そこにあるかもという場所を見つけたのよ」


「え、そうなんですか。もし見つけたら、世紀の大発見」


 チサは興奮気味に答えた。しかし、すぐに冷静になり、


「でも、どうして先生、そんなに詳しんですか?」


 チサは聞いた。


「すこーし、花の絨毯組合と関わりがあってね。こんな仕事柄、情報収集や歴史書の手配を頼まれたりするから、話を聞いていたりするの」


「そうだったんですね」


「その絨毯探しに、私も誘われててまだ返事をしていないのだけど、チサさんも一緒に行ってみる?」


「い、いいんですか? 行きたいです。でも、部外者ですけど……」


「平気よ、私だってある意味、部外者だし。見つからないことがほとんどだから、徒労に終わるかもしれないけど」


「はい、それでも。いつ行くんですか?」


「出発は、今晩。夜中よ」


 そう言われて、チサは両親の顔を思い浮かんだ。


 そもそも両親にこんな話をして、出かけることを許してくれるだろうか。すぐにヨーコの顔も浮かび、もっと自分の身を考えて、と言う声が聞こえてきた。


「今週は、今日で学校も終わり。私もついてるして大丈夫よ」


 チサの迷っている表情を見てマリッサが答えた。


「はい……」


「それに、探しに行く場所を聞いたら、絶対行きたくなるわよ」


「ど、どこですか」


 チサは緊張し、胸が高鳴る。


「聞きたい?」


「もちろん」


 マリッサは、一呼吸間をあけて言う。


「海底洞窟よ」


 チサの目が大きく開き、輝くような表情に変わった。

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