さよならシーサイド

ゆらぎ

第1話 プロローグ

「今も宇宙では、あらゆる星が生まれては消えていってる。じゃあ、私たちがいるこの星も、今この瞬間に消えて無くなるかも知れない。それならここは世界の果てかもしれない…そう思わない?」


そう語る彼女の足元を、ただ、規則的に寄せては返す波が濡らす。

わざとらしいほどに青い空と、その下で広がるゆっくりと凪いだ海を見つめて。

その背を、ただ見つめて、砂浜が反射する夏の日差しの暑さを皮膚で感じるだけの僕には、彼女がどんな表情をしてるのかも分からなくて。二、三度鼻の頭をかいた。


「この星が自壊するほどの爆発をする確率はほとんど零に近いよ。もしそんな瞬間が訪れるとしても、それはうんと先の、僕らがもういない世界の話だよ」


そんな僕の声はふらふらと方向性の無い紙飛行機のように宙を舞い、どこにも着地する事は無く生暖かい季節の湿気に消えていく。


見渡す限り青色の水平線は、それを遮蔽するものなど何もなく、どこにも隠れられないぞ。そんな風に言われてるようで。

どうしようもなく僕らの距離が遠く感じたけど、それは大凡、歩幅4歩半の距離でしかなくて、なんでも無いほど近く、どうしようもなく遠い、夏の星座を見てるようだった。


「ほとんどゼロに近い。かもしれないって事は、起こるかもしれないけど分からないって事でしょ?私達は自分の体の中の事も解明できてないのに、宇宙規模の話なんてあてにならないわよ」


悪戯を仕掛けた少女のような、そんな雰囲気で語る彼女の言葉は、きっと僕に向けれれているのだろう。今この空間には僕ら二人ぼっちなのだから。


時々、彼女の言葉は誰にも向けられていない独り言に感じとれて、その声も、仕草も、抑揚も、感情も、全てがこの世のに一人しかいないような、まるで僕自身すらも透明に消えてしまったかのように感じる時がある。

いつかそれを彼女に話したら、何も言わずに、ただ、優しく微笑んでいた気がする。


「でも、終わりって緩やかに、唐突に、なんでも無いことのようにやって来るのよ。事務的に淡々とスケジュールをこなすようにね。私達はいつも、それを見ないように過ごしてるだけ。…宿題をやってない八月の最後みたいにね」


不意に生々しい磯の香りが鼻腔を刺激する。

いや、きっとずっと最初からこの匂いはしていたんだろうけど、そんな事も感じないままに、視覚と聴覚だけが過敏で、見えるものと聞こえるものを、取りこぼさないようにしていたんだろう。


だからこの体中の筋肉をうっすらと走る毒のような奔流の正体は分からない。分からない。

「そうなのかな?僕にはよく分からないよ。宿題なんて出された日にやってしまう方が効率的でしょ?」


きっとこれは会話では無い。

言葉のキャッチボールでは無く、互いに壁に向かってボールを投げて、跳ね返って来た球を交互に拾っているだけの壁当て。きっとそれが一番近い。

僕らは独り言を言う一人ぼっち同士なんだ。


「ふふ。君は相変わらず真面目だね。昔見た映画のアンドロイドみたいだ」


その時彼女は微笑んだのだろう。かすかに漏れた笑い声が耳をくすぐったんだから。

今この時も、海を見るその人の背中を見てる僕には、感情を測る手段が無いままだが、その笑い声だけが、少しだけど彼女の欠片に触れた気がして、身体の芯に一度だけ鼓動が振動した。

熱が溢れるのは、夏の暑さのせいだろう。


「意外だね。SF映画なんて見るんだ」


少しだけ静寂が訪れると、途端に蝉の声がうるさく感じた。

長い間、ドラマの続きを待つかのような躍動に唾をのみ。壁当ての相手がいなくなってしまったのかと思い視線を一度あげる。

確かにそこに彼女はまだいて、海と日差しだけが僕らの言葉の方向を示している。

 

「私は別に、好きでも、嫌いでも無かったよ。私はね」


その声も少しだけ笑っていた。

ただ、その笑いはさっきまでの物とは少し違う、どこか昔の、僕の知らない出来事に思いを馳せるような、半ば祈りや懺悔に近いような笑みで。


その表情を伺えないのが、なぜか、少しもどかしくて。

考える間も惜しんでしまった僕は淡々とした口調で


「そうなんだ」


そう、一言だけ吐き捨てた。

そう、一言だけ吐き捨てる事しかできなかった。


「うん。映画はね。好きなんだ。でも、最後にいつも悲しくなる。エンドロール見てる私はなんでも無い脇役ですらなくて、ただの傍観者なんだって言われてる気がして。少し。悲しくなるのよ」


その声色はもう、いつもの何も読み取れないような、誰も立ち入れないような、そんな声で。

彼女がどんな感情をその言葉に込めたのかは、その時の僕にはわからなかった。


波の音と蝉の声だけが満ちているこの場所では、僕らの声はあまりにも小さくて弱かったのだろう。

なぜだか僕は今の表情を悟られたくなくて。

別にこちらを見られているわけでも無いのに、誤魔化すように遠くを見つめて顔を背けた。


「そんな事を考えながら映画を見た事はないや。けど、綺麗に作られてないようなあやふやな映画を見ると、少しだけモヤモヤする。彼らはこの後どんな最後を迎えたのか、それを製作者さえも知らないなんて無責任だろ?どんな理由で作られて、曲げられて、頓挫したのかは知らないけども」


未完成な映画なんて数える程しか見た事も無かったけど、なぜだかスラスラと話をしてしまう。

言葉を紡いでいる間だけはここにはあなたがいると思えたからなのかもしれない。


だけど、黙って聞いていた彼女が不意に振り向いた事によって僕の口は紡がれる。

唐突に壁は無くなって、世界の広さが狭まり、時が音を置いて止まる。


「ねぇ、サイダー飲みに行こうか」


そう言うと、透明な輪郭が色調を強めていき、微笑んだその顔がくっきりと網膜に焼き付いたんだ。


四歩半の僕らの間を浜風が通り抜けて、流された彼女の髪の隙間から漏れる光が、万華鏡のようにキラキラと鮮やかで。


タイムマシンが、もし、あるのならば。

きっと、僕はこの瞬間に何度も帰りたくなるのだろう。そんな気がするんだ。


それほどにまでに僕はその瞬間に魅せられていた。これは写真にも、SNSに投稿もしない僕だけの世界の出来事。


こんな景色をこの先何度見れるのだろうか?

どこでもないここに今僕らがいる。

それだけの事でしかないけど、なぜだか忘れてはいけない気がした。


いつかはいろんな思い出も、見て来た景色も、やりきれない出来事も、覆い隠した痛みも忘れてしまうのかもしれない、脳の限界と寿命は、僕が大人になるにつれて少しずつ、この星の最後のように迫ってくるだろう。

それでも覚えていたいんだ。


そういえば、昔から疑問だったことが一つある。

未来や過去は安易に想像できるが、今っていうのはいつを指すのだろうか? そんな疑問。

その答えは目の前で視線向ける彼女が示しているのかもしれない。

今この時、現在、瞬間、それを確かに感じたんだ。

 

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