6-2nd. ED 怒力、憂情、勝離……?

 ノベライズの根底は、己の集中力を競い合うことにもある。いかに相手より早くノベライズ・ハイを分泌するか、そして、相手の集中力がどれほどのものか、ソウル・ライドを通じて試すのである。


 時に「ソウル・ライドは、ただの妨害行為とは?」という意見も挙がるが、多くのカメラに囲まれる中、ここぞの一打で「撮影のせいで最高のショットが打てなかった」と文句を言うプロゴルファーがどこにいるだろうか。


 また、ノベライズは作品とソウル・ライドをぶつけ合う闘技でもあるが、相手に怪我を負わせてしまうストレスとは無縁なのも素晴らしい。


 限られた時間内で筆力と創造力を最大限に発揮して披露するライズ・ノベルだからこそ、尊い輝きもあるのだが……。


「……もう、いい加減にノベライズはやめて、こっちに戻ったらどうだ?」


 電話の向こうで、ノベライズの魅力すべてを否定する言葉を並べる相手に、皇儀は密かに溜め息と呆れの表情を漏らす。


「あと、送った新刊は読んだか?」

「……まだ読んでない。今はライジング・ノベライズに集中している」


 読まない理由は嘘だったが、言われてみれば皇儀はここ数日、本を手にしていないことに気付く。本当はライジング・ノベライズの最中さなかだからこそ、物語の引き出しを広げなければならないのだが。


「そういえば、準決勝後の会見だが、あの茶番劇は……」

「また連絡するよ。父さん」


 皇儀は一方的にセルラブルの通話を切ると、身をベッドに放り委ねた。

 自室の天井を見上げながら、先ほどスタジアムでの出来事を思い返す。

 

 ─『皇儀 莱斗さん、好きです!僕が勝ったら僕と付き合ってください!』


 決勝戦の相手となる男の突然の告白。まるで漫画や小説のような出来事に皇儀は動揺していた。


 今までにも、届いたファンレターや掲示板やSNSで自分に好意を示す発言や書き込みはあったが、あのように直球で気持ちを伝えられたのは生まれて初めての経験だった。


 ─『面白い。決勝では、よろしく頼むよ』


 皇儀はあの場では動じることなく、微笑んでトシと握手だけを交わすと静かに去ったのだった。


「莱斗ねえちゃん」


 自室ドアのノック音とともに、一人の少女が親しみある声で皇儀の名を呼び入ってくる。


「裕美か。どうした」


 裕美は、皇儀が身を寄せている叔母のマンション宅の10歳になる娘だ。まさに純粋無垢である彼女は、皇儀にとっては妹のような存在であり、子供目線で作品の感想や意見を述べてくれて、いつも創造力を豊かにしてくれる無くてはならない担当者だ。


「見たよ。準決勝の後の記者会見。いや~モテモテですね、姐御~」

「……裕美にはまだ10年早い」

「莱斗ねえちゃんだって、まだ17歳じゃん」


 少し生意気で、ませているのが玉に瑕か……?


「でも、決勝相手の男の人、莱斗ねえちゃんと対決したくて、ここまで勝ち進んだんだよね。あの時の約束、果たしに来るなんてロマンチックじゃない」

「あの時の約束……? なんだそれは」


 目を輝かせる裕美に反して皇儀は冷静に真顔で返答する。


「覚えてないの? ほんと莱斗ねえちゃんったら、小説のことしか頭にないんだから。ほら、この街に引っ越してきたばかりの時だよ」

「私がこの街に来たのは確か……去年の12月……あ」


 裕美の言葉に皇儀は、探った過去の扉から記憶のドアノブを握り、あの日の出来事の空間を開こうとする。


    ■


 西暦2077年12月


 冷たい風が頬をなでる、冬の香りに満ちていたあの日。皇儀は街の中央にある公園内を走っていた。


 親元を離れて叔母の家に身を寄せて数日。姪の裕美に案内と称して、皇儀は保護者として街中まで遊びに連れられていた。


 多様な施設が建ち並ぶ都会と比べると惹かれる物は少ないが、地方特有の賑わいと静けさを併せ持つこの街の新鮮な環境に心が浮ついたのか、皇儀は裕美とはぐれてしまった。


 迂闊だった。いくら地元とはいえど、10歳にも満たない幼い少女が一人で自由に泳ぐにはこの街はまだ広すぎる。焦る気持ちで吐き出した冷たい空気けむりが小刻みに視界を薄く曇らせる。


『もしも、はぐれた時はスタジアム近くの中央公園で会おう』

 

 出かける前に交わした、冗談混じりの約束だけが希望だったが、多目的運動場や地元の記念館などを兼ねて入り組まれた広い面積の公園は、まだ勝手がわからぬ皇儀には、広大な迷宮のようだった。


「……いた!」


 裕美とはぐれてからおよそ2時間。いつの間にか踊りながら舞い降りる雪が、冬枯れの芝生を徐々に白く染め始めた頃、皇儀は公園内のベンチに腰掛ける彼女の姿を遠目で発見した。


「裕美!」

「あ、莱斗おねえちゃん!」


 駆け寄りながら穿通した自分の心配の言葉に反して、何ごともなかったような一声と様子を見せる裕美に皇儀は面食らう。


「この人が、君のお姉さん……?」

「うん。莱斗おねえちゃんだよ」


 裕美の隣には、自分と同じ年頃、背格好の男がいた。


「いや……僕は決して怪しい者じゃないです!友達を待ってたら、ベンチで涙ぐんでるこの子を見かけて、人として声をかけようか悩んだけど、今のご時世、話しかけただけで事案にされる時代だし、でもやっぱり後で何かあったら一生後悔するかなと思って覚悟を決めて……」


「な、泣いてなんかないよ!それは話さないでって言ったじゃん!」

「ははは!君が裕美を見ていてくれたのか? 助かったよ」


 慌てふためきながら必死に状況を説明する男と裕美の強がりに、皇儀は思わず笑いがこぼれる。内気でどこか挙動不審だが、少なくとも彼が悪い人ではないことだけは判断できた。


「裕美。それはなんだ?」

「あ、これ?このお兄ちゃんと一緒にお話、作ったんだよ」


 裕美の膝の上には、ノートを破った紙に書かれた絵と文章。手製の絵物語らしき物が十数枚置かれていた。


「ちょっと読ませてもらってもいいかな?」

「そ、そんな見せるほどの物じゃないですよ……」

「大丈夫だ。ノベライザーたるもの、どんな物語も創造力の糧とせよ、と言われているからな」


 皇儀は困惑気味な男に構わず、ノベライザーが持つ暗黙の誇りを引き替えに紙を手に取る。この数日、引っ越しで慌ただしかったので物語に飢えていたのが正直なところだった。


 物語を一枚めくる度にピクリと緊張、不安、期待を織り交ぜた男の反応に、皇儀は自分が書いた小説を初めてWebで公開した時のことを思い出した。


 二人が作った僅か数百文字の物語(絵は裕美が描いた)の完成度は、純粋の一語に尽きた。耳が聞こえない少女と人の言葉を解する猫のコンビが織り成す、中世ファンタジーを舞台にした冒険譚。山あり谷あり涙あり。だけど最後は笑って幸せに終わるエンディングに皇儀は胸の内が温かくなる読了感を覚えた。


「……希望に満ちた素晴らしい作品だったよ」


 一片のお世辞も遠慮もない、心からの称賛だった。


「お、大袈裟ですよ。少しでもこの子の寂しさを紛らわせたい一心で作った即興の物語でしたから」

「だ、だから寂しくなんか、なかったってば!」


 物語は作者の心を映す鏡だと皇儀は思っていた。それがどんなジャンルや内容だとしても、筆力に関係なくそれを読み取る術に彼女は長けていた。


「きみも小説を書いたりするのか?」

「い、いえ。普段は読むばかりです」


 だが、物語を読むのが好きな者は、書くことにも秀でる者も少なくはない。殴り書きではあるが、短編で、これだけ心を動かす作品を生み出せる才能に皇儀は感心した。


「じゃあ、ノベライズなんかに興味は?」

「そ、そんな僕なんかが、ノベライズなんて!」


 皇儀のノベライズという言葉に、男は手の平を顔の前で素早く往復させて過剰に拒否する。


「凄いよ、お兄ちゃん。莱斗おねえちゃんからノベライズを勧められるなんて。お姉ちゃんはプロのノベライザーなんだよ」

「プロ?ノベライザー?莱斗……?も、もしかして、あの【霧幻の水都ミスティック・ラグーン】の皇儀 莱斗さんですか!?」


 それからしばらく、男はノベライズこそやらないが、自身が10年以上のライズ・ノベルのファンであることを語り。皇儀は自分のデビュー作を知る嬉しさに応えるように、ノベライズの魅力と未来を語り会話を弾ませた。


「それだけの情熱と素質がありながら、どうして書かないんだ?」

「……僕は不器用でタイピングが苦手なんです。だか……ら!?」


 皇儀は男の手を握り言葉を遮る。その力強さと突然の積極的な姿勢に男の顔はみるみる紅潮した。


「きみはライズ・ノベルが好きなんだろ? だったら、不器用なんて矮小な考えを日陰にして、自らの芽を枯らしてはなら……ない」


 継続は力なりとは言うが、好きという想いはどんな努力をも支えてくれる天賦の才能であることを皇儀は伝えたかったのだが、言葉を詰まらせる。


「……すまない。少し居丈高なもの言いになってしまった」

「そんなことないですよ」


 皇儀はふいに自分の言葉に心を締め付けられた。自らの芽を枯らそうとしていたのはどこの誰だと。


「長話に付き合わせてすまなかった。裕美のこと、本当にありがとう。私たちはそろそろ行くよ」


 気付かれることない愚かさにまみれた自分を隠すように、皇儀は裕美を連れてその場を去ろうとした。


「あの、皇儀さん!僕は飛陽高校の一年で野鐘 昇利といいます!」


 男はこれまでの控え目な態度が嘘のように凛とした名乗り声をあげて皇儀を呼び止めた。


 「僕は明日から……いや、今日からノベライズを始めます!」

─『私は明日から……いえ、今日からノベライズを始めます!』


 軽い深呼吸を経て、力強く透き通った宣言に繋げた男、トシの言葉を聞いた瞬間、皇儀はかつての自分を重ねた。決心であり、反骨心でもあったあの時の自分と。


「僕はあなたに負けないノベライザーになります。だから、その時は……僕と……僕と付き合ってもらえませんか?」


 その志を聞いた皇儀は後ろを振り返り、トシに凛々しくも笑顔を向ける。


「私は、明日から紋豪学園に転校する同じく一年、皇儀 莱斗だ!」


 皇儀は改めて自己紹介をした。その目には、先ほどまでの読者と作者の和やかな雰囲気は微塵もない。あるのはノベライザーに見せる誓いの火花だった。

  

「きみが私に挑戦に至るまでの筆力と創造力を磨いて、相まみえることがあれば、その時は君の思いに全力で応えて付き合おう!」


 ライジング・ノベライズの開幕まで半年。こうして、一人の少女には一足早い夏が、そして一人の少年には春が訪れたのだった。


    ■


「……そんな一目惚れに近い、運命的なことがあったらしい。」

「最後は明らかにどっちも意味を取り違えてるじゃないかぁあああ!」


 トシがノベライズを始めた理由と皇儀との繋がりの過去。本人から聞いた事の成り行き再現ドラマを天馬から説明された姫奈は、納得のいかない叫び声を夕空に放った。それも涙ながらにだ。


 ほんの二時間前、愛の告白を兼ねた決勝前会見は瞬く間に全国で話題となっていた。当然だ。筆聖にしてプロノベライザーと、ルーキーにしてダークホースの男女に他のエリアの決勝カードがすべて霞んで見えた。


 早くもビジネス恋愛説までもネットで囁かれる渦中の本人トシはというと、至って普通に学校に戻った。みんなから多少からかわれつつも、既に学校中に知れ渡った日頃からのマイペースも調和となり、下校時には誰もその話題に触れなかった。一人を除き……。


「トシは……トシは……好きな人のためにノベライズを始めたって……」

「まさか、その好きな相手が自分ではなくて、皇儀 莱斗だったと」


「……全国に行けたら、僕と付き合ってもらうよって……言ってくれたのに」

「それが、全国大会までとことん自分と付き合え、という意味だったと」


 姫奈がトシのことが好きなのは、言わずと知れたことだった。それだけにみな余計に腫れ物に触れないようにと気を使っていた。


「それで、こうやって放課後すぐにトシがやって来たから、屋上まで逃げてきたのか? トシが心配してたぞ。姫奈が急にスタジアムから全力失したって」

「あいつの顔なんか見たくないよ!」


 飛陽高校の屋上は日頃から解放されており、昼食時には生徒が集まれば、放課後には吹奏学部が利用することもある。トシに頼まれて姫奈を探していた天馬だったが、もしやと訪れたところ、一人ですすり泣く彼女を発見したのだった。


 まるで絵に描いたようなラブコメの幼馴染ピエロだな……。

 性格の悪さを自覚する天馬だが、さすがに乙女心の最後のプライドは守るべく、その一言を飲み込むが、姫奈の悔しい気持ちもわからなくはなかった。


 トシの野郎の鈍感さもまた、ラブコメの主人公あるあるだな……。

 つくづく自分は飽きない人間関係に恵まれていると、天馬は思った。


「天馬は……悔しくないの?」

「……何がだ?」


 姫奈の未だに落ち着かない感情の起伏を抑えながらの問いを、天馬は白々しい態度で流す。


「だって、トシがノベライズを頑張ってた理由が自分の恋愛だったんだよ! 天馬はそれが悔しくないの!?」


 天馬は姫奈の言葉に無言でフェンスにもたれる。そして空を見上げながら、拳を後ろに向けて勢いよく振り当てた。


「……そうだな。そう言われると、何だか怒りが込み上げてきたよ」


 天馬の一撃によるフェンスの揺れ響く音に姫奈はハッとした。

 自分が今やっていることは卑怯なことだと。自分の悔しさに天馬を共感させようと必死になっていることに。

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