Ⅰ 唐突な話題転換

「アルバイトしませんか?」


 神原が俺にそう言ってきたのは、深夢が変なことを言い出した翌日の朝のことだった。

 またいきなりなことだったのでどうも反応できなかった俺に神原が声を潜めて近づいてきた。


「……割りのいいのがあるんですよ」


「……お前がそんなこと言うと、絶対アヤシイやつに聞こえるな」


「そっ、そんなことないですよ!」


 慌てて手を振る神原に俺は目を細めて答えた。


「で、なんで突然バイトなんだよ」


「よく考えてみてください。この二ヶ月の出来事」


 と言われて、俺は過去を振り返ってみる。

 まず神原に告白され、俺が変に返したとこから話は始まるな。その前はもはや言わないでもいいくらい何もなかった。

 んで、神原とあれやこれや色々とあって、まあ今の関係にひと段落ついた、と。

 そしてその次。叶人と篠崎が両想いって知らされてくっつけようと頑張ったんだな。

 二人ともあんまり距離が縮まなかったから心配だったけど、結局遊園地が上手くいって、二人は付き合うことができた、と。


「……で?」


「で、じゃないですよ。わざとですか?」


 いやいや、本当に何が言いたい。バイトと結びつくものは何もなかったぞ。

 神原はぷくっと膨れながらも、「まあいいです」と諦めて話を続けた。


「だから、最近わたしたちお金の出費が激しいじゃないですか」


「あ、ほんとだ」


 やっと合点がいった。

 たしかに映画館だとかカフェだとか遊園地だとか、金のかかるところへばっかり行っている。それもリア充のようなスパンで。……別に仲間入りしたいわけじゃないが。というか一生仲間になりたくないのだが。


「もうそろそろバイトしとかないと、お財布が底をつきますよ」


 たしかにそうだ。金は使えばなくなる。そして無制限ではない。湧き水のように湧いてでるわけではないのだ。いつか終わりが来る。

 ……ま、普通ならの話だが。

 俺が今までどういう生活をしてきたか。

 そう、外で遊ぶなんてことはなかった。家にずっといた。つまり俺は金を貯蓄していたのだ。

 だから、まだ俺の財布は舞える。まだ余裕がある。

 くく、残念だったなあ、お前らが遊び呆けているあいだに俺はしっかりと貯めておいたんだよ。ざまあみろリア充!


「残念だが、俺はやる必要が――」


 だが、そこで気づいた。

 俺は金を使っていた。そう、二次元関係のものに。

 そしてもしものために取っておいている金は銀行に入っている。その口座は母さんが勝手に作ってるから、俺からは引き出せない。

 ということで必然的に俺が使えるのは小遣いやお年玉を貯めたものとなる。そこから俺は買い物やら何やらを済ませているのだが。

 ――残金、2386円。

 2000円は気分的にいつも取っておきたいから、つまり本当に俺が使える残金は386円となる。

 ……。


「――いや、やるかバイト!」


「乗り気になってくれてよかったです。じゃあ決まりですね」


「でも、何をやるんだよ?」


「……それは放課後までの秘密です」


 さすがにそれは怪しすぎだろ。なに、不合法なことでもするつもり?


 *


 そんなわけで、放課後。

 そういえば中間試験が終わっていた。

 俺の成績はというと、10段階中8か7という、まずまずの成績だった。悪くはないと前向きに思っておこう。

 そういえばというとそういえば、いったい深夢のあの発言はなんだったのか。部活を作ると言っていたが果たして今日バイト先に行ってもいいのだろうか。

 神原に一応確認してみると、


「いいんですよ。お姉ちゃんが何考えてるかはわかりませんが、連絡入れておきましたし」


 ということらしい。

 深夢、結構ぞんざいに扱われてんなあ。


 そんなわけで、俺と神原はどちらの下校路からも外れた道を歩いていた。


「……結局そのバイトってのはなんなんだよ?」


「ああ、言ってませんでしたっけ。でももうすぐ着きますよ。……ほら」


 神原が足を止め立ち止まった。

 そこには木で看板がかけてあり、扉はスライドの昔ながらの型だ。そして扉の上にはのれんがかかっていた。


「ここ、なのか……?」


「はい、喫茶店なんですけど、ここのバイト、待遇がいいんですよ!」


「帰る」


「ああ、ちょっ!?」


 俺が喫茶店の店員になるにはあと百年は早すぎた。

 というかそもそも、バイトするかとは言ったけれども、俺、性質的に客商売できるタチじゃない。

 今でこそ親しげに話してはいるが、基本俺は見知らぬ人にはコミュ障を発揮するからな。それは一番忘れちゃいけないことだ。

 つまり、俺はバイトができない。以上。

 スタスタと自宅へ急ごうとしたが、神原に捕まえられた。


「大丈夫ですよ。しっかり結叶くんのことも考えてここを選んだんですから」


「……どういうことだ?」


「まあ、まずは入りましょう」


 神原に押されるようにして、俺は昔ったらしい喫茶店ののれんをくぐった。

 中は……普通といえば普通だった。テーブル席が二つ、カウンターが四つで、一般的な喫茶店より少しだけ小さいのかもしれない。

 カウンターの奥では(遠くだから見れた)、食器を拭いている真っ白な白髪と、真っ白な口ひげを生やしたマスターという風貌の老人と、お湯をなにかに回すようにして入れているモデル体型でおそらく俺より身長が高そうな大学生くらいの女性がいた。

 そして店内フロアにはぴょこぴょことテーブルを拭きに右往左往しているちっこい子がいた。背丈は結梨と同じくらいだろう。

 なんとまあこの古風な喫茶店に似合っているのはマスターらしき人物だけだった。

 最後に一番驚くべきこと。

 客が、いない。


「すいません、バイトをしたいと思って来たんですけど」


 俺が店内を観察しているあいだに神原がぱっぱと社交的に話していた。これは大いに助かる。俺がここで話す場合、「あの、えっと、その……」とどもって何も言わず、沈黙が流れていたことだろう。

 これには老人が答えた。


「ああ、そうかい。じゃあちょっと二人とも店裏まで来てくれ」


 老人が手招きしてきたので従って開き戸からカウンターに入り、奥にあったドアから店裏に入った。

 俺と神原が入るのを確認すると、老人は(もう近くに来たから顔は見えないけど)緩んだ雰囲気で始めた。


「まずはこんな店に来てくれてありがとう。歓迎するよ。じゃあまずは有り合わせしかないんだけど、制服を渡そう」


 ん? 俺は疑問に思って神原を見た。なんだか老人の話し方がバイトに来ることをあらかじめ知っていたような口ぶりなのだ。有り合わせ、とか言ってたけどだいたいサイズ合ってたし。神原に至ってはもはやぴったりだった。

 今日は仕事の説明メインにするから着替えてきて、と言われたので俺たちは更衣室に入った。

 のだが。


「なんでだよ?」


「なんでとは、なんでしょう?」


「なんでお前が俺と同じ更衣室に入ってるかって聞いてんだよ」


 そういうことだ。俺は奥に入って窓の方を向きながら着替えなければいけなかった。いくら友達認定だからといって、こういうところは当然気にする。気にしないのはただの馬鹿かやり手の男だけだ。


「だって、更衣室ってここしかないらしいんですもん。いつもは男女時間をずらしているらしいんですが、ほら、あまり待たせるのも駄目でしょう?」


 なるほど、だから他の部屋が見当たらなかったわけだ。……じゃなくて。


「お前は何も気にせんのか。仮にも女子だろ」


 俺はよく目にするメイド服の色合いのワイシャツと黒いベストを羽織りながらため息をついた。

 こいつ、前から、というか最初からだったけど普通とはちょっと違う。もはや常識が通用しないことはわかっているが、少しはこいつも乙女の心を身につけた方がいいと思う。……何を言ってるんだろうか俺は。


「私だって恥は持ってますよ。ただ、結叶くんなら大丈夫だと思っているだけです」


「はぁ、どうせ絶対俺が意気地無しとでも考えてるんだろうよ……?」


 準備も終わったところで振り返って言葉を失った。

 絶賛お着替え中であった。どうやら神原はいったん全身下着一丁になってから着替えるユニークでフリーダムな方らしく、今は上半身にシャツを着て、ニーソックスを履いている最中だった。

 なんというか下を履いていないこの状況に少し気圧されながらも、それでも俺は恥じらうことなく、焦ることなく、冷静に判断してこういうのだった。


「着替え遅くね?」


 残念ながらこちとらこの状況を一回体験している身だ。二回目が通用するはずあるまい。


 *


「着替え終わりました」


 神原を置いて更衣室を出た俺がカウンターに出て老人に呼びかけた。コミュ障な俺がなぜ呼ぶことができたのか。それはここに入って少し時間が経ったことと、何よりこの老人が人の良さそうな、たとえれば先生のように接しやすそうな人物だったことに起因するだろう。


「ああ、じゃあ始めようか。もう一人の女の子は?」


「すいません、遅れました!」


 タイミングよく神原が登場し、「よし」と老人が頷いた。


「自己紹介がまだだったね。僕は茂木邦人もぎくにひとという。ここの店主をやっているよ」


 綺麗なおじぎをして、こっちに来なさい、とさっき見かけたモデル体型の女性とミニミニ女子を呼んだ。


「こちら、店員をやってくれている氷川江玲奈ひかわえれなさん。コーヒーからナポリタンまで、色んなものが作れる調理担当だね」


「よろしくお願いします」


 茂木さんがモデル体型の女性を指して紹介した。氷川さんと呼ばれた人が腰を折ったので一瞬だが、体全体を見ることができた。

 髪は少し長めで左側にシュシュでひと房縛っている。やはり俺より身長が高く、足もクソ長い。女の人は身長が高いとコンプレックスだとかいうが、そういった不自然さのないスラリとした体型だった。

 それだけ確認すると、俺と神原は倣って腰を折っておじぎし返した。


「それで、こっちが小野咲おのさきちゃん。基本的にフロア担当だから、最初君たちはこっちのお世話になることが多いと思うよ」


「よ、よろしく」


 小野と呼ばれたミニ子はおじぎをしないで胸を張ってそう挨拶した。

 ……なぜだろう。俺はこいつの顔がなぜか見れていた。

 さっき感じたようにとにかくちっこい。氷川さんと並んでいるからなおさらだ。顔は完全な童顔。あどけない。髪はショートだ。これで黄色い帽子を被っていたら完全に小学生だ。というかそんな小さいやつが制服を着ている今の状況が不自然すぎて笑える。


「おう、よろしく」


「よろしくお願いします!」


 ああ、そうか。俺年下には気が大きくなるのかもしれない。だからこんな気軽に話してるし、顔だって見れるのかも……って、俺はなんてやつだよ。知ってたけど。


「じゃあ、仕事の方の説明は小野ちゃんに頼むね」


 と言って、茂木店主は中へ引っ込んでいった。氷川さんもさっきいたところに戻って……さっき自分でいれてたコーヒーを飲んでいる?

 ま、まああれは味見だろう。さすがに自分が飲みたかったからなわけがない。


「よし、わたしの出番というわけだな!」


 偉ぶっている小野ちゃんの声で俺の氷川さんへの疑惑の思いは霧散した。

 さっきから小野ちゃんは満足げな顔をしていた。仕事の後輩ができて嬉しいのだろう。……きっと結梨と会わせたらワイワイするに違いない。


「まず、フロアがやる仕事はテーブル拭き、料理出し、食器下げ、注文を取る、この四つが基本だな」


 と、小野ちゃんがひとつひとつ説明を始める。かわいい。これは小動物的なという意味だ。

 だから、思わず手が頭に伸びてしまった。いつも結梨にやっているように、自然に。

 触れた瞬間に小野ちゃんは飛び上がって俺から距離を取った。


「な、何をする!?」


「あ、つい」


「ついってなんだついって!!」


「結叶くん!? 何やってるんですか?」


「いや、結梨となんとなく似てたもんだからいつものように」


 小野ちゃんと神原両方からガルルルといいそうな気配で言い寄られて焦りながらもしっかりと言い訳をしていく。


「結梨って誰だよ! お前ら高一だろ? わたしは高二だぞこらぁ!」


 ……今、衝撃的な事実が語られた気がする。


「は? 高二?」


 高校二年生ということか? この小学生が?


「疑ってんのか? じゃあ見ろこれを!」


 と、小野ちゃんは学生証をこっちに見せてきた。そこには、なるほどたしかに俺らより一年早い生年月日が書かれていた。

 ……しかも、同じ学校であった。


「はあ!?」


「結叶くん知らないんですか? 有名ですよ、うちの学校の二年生のマスコットキャラクター、さっきー」


「さっきー言うな!」


 もう何が何だかハチャメチャだった。は?


「これでわかったか。わたしはお前らより年上だ! 敬うがいい!」


「……いやーそれはさすがに」


「さっきーさん、これからもよろしくお願いしますね!」


「お前らそれでも後輩か!?」


 その後店主茂木さんが来てその場をいさめてくれて改めて仕事の説明をしてくれたが、あまりにも大きな衝撃のせいで説明は右から左だった。

 さっきから氷川さんものすごくくつろいでるし……。まさかの小学生が先輩だったし……。

 本当にこのバイト大丈夫かよ!?

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