敗残の暗闇の中で

「へえ。こいつらって、殺せるんだ……」


 その残骸を眺めながら、少女はつぶやく。長い赤髪の少女だ。

 今日も空は重く、暗い。ただでさえ暗い空を遮って、森のなかは昼も夜もわからない。そんな森で、樹の太い幹に背を預けながら、ずりずりと力なく根元へ少女は腰を下ろした。

 首と眼球だけを動かした視線の先には、三つに分割された、かつて人の形をしていたもの。だが、それは人ではない。

 腰の切断面からは脊椎が見え、胸の切断面からは肋骨が覗き、頭の切断面からは眼球が溢れる。内部構造まで人に似ている。ただし、内臓は見当たらない。代わりに機械仕掛けが詰まっていた。

 積層結晶化プラスチックの皮膚。チタン合金の骨格。絶縁体に包まれた導線。剥き出しの人工筋肉アクチュエーター。分散演算装置。綺麗な切断面からその内部構造が見て取れる。

 それらは少女の理解を超えたものだったが、血を流していないということだけはわかった。

 人の形に似ているが、人ではない。魔力駆動の人形でもない。未知の存在。

 それが動いている様子だって見たことはあるが、すぐに人間ではないとわかった。「血も涙もない」とはまさにこのことなのだろう。比喩としても的確だし、そして実際にも、彼らには血も涙もないのだろう。


「……ホントにいんの? あんまり変に動きたくないんだけど」


 声。そして足音。

 かろうじて聞こえるという程度ではあるが、すでに聞こえる距離。ここまで近づかれて気づかないとは。少女は自分に呆れる。あまりに疲れている。

 少女は少し悩む。少しだけだ。

 ここ最近はろくに食べてもいないし、喉もカラカラだ。相手が人間であるならば、その出会いは願ってもない僥倖だ。しかし、繰り返されてきた記憶が、少女の心臓を凍えさせる。

 少女は自分からは動かない。声を上げようともしない。ただ大人しくされるのを待つ。成り行きに任せる。彼女は力なき少女だからだ。


「ん? お? マジだ。マジで生存者、じゃね? ジェイさんあれですか。彼女ですか。女の子ですよ。生きてますよねあの子」

「……待て」


 軽そうな男と、対照的に後ろで構える物静かな大柄の男。少女に駆け寄ろうとした男をもう一人が制止し、少女の隣を指さす。


「え、あれって……」残骸に気づき、軽く跳び退く。「死んでる……?」


 信じられないようなものを見る目つきで、姿勢を低くし、恐る恐る観察を続ける。


「これは、君が?」


 屈強な男が、少女に向かって静かに語りかける。少女は目も合わせず、ただ首を横に振った。


「ど、どういうことっすかねジェイさん。いったい誰が……こいつら倒せるって相当ですよ。ただものじゃねーですよ」

「パック」

「そっすね。あんまり長居もできませんし……えっと、君、名前は?」


 少女は答えない。中腰で顔を覗き込むように語りかける男――パックを、完全に無視しているようだった。というよりは、あまりに衰弱し、言葉を発するどころか眼球を動かす余力すらないのだろう。少なくともパックはそう解釈することにした。


「あー、えっと、俺らの住処に案内するよ。そこのデカいおっさん、ジェイさんが背負ってくれるから」

「…………」


 なんで俺が、とジェイは一瞬顔をしかめたが口には出さなかった。できた大人である。


「と、いうわけだ」


 ジェイは少女に歩み寄り、腰を下ろして話しかける。少女は小さく頷いた。

 その様子を見て、パックは、少女がジェイの呼びかけに対しては応じていることに気づいた。極めて考えにくいことだが、まさか、嫌われているのではないか。いやいや、こんな短いやり取りのどこにそんな要素が。パックは冷静さを取り戻した。


「お、お姫様抱っこ……」


 ジェイはその屈強な肉体を活かし、少女を横抱きに両腕でかかえて持ち上げる。少女の腕は力なく垂れ下がり、運搬者に大きく負担のかかる格好ではあった。だが、ジェイの重心は安定している。よく慣れているようだった。


「じゃ、行きますか。帰り道たぶんこっちなんで」


 と、軽やかに。パックは駆け出した。まるで風のように。

 ジェイもまた、少女を抱きかかえながらそれに追従する。木々の間を淀みなく速やかに駆け抜けるその様から、両者の高い身体能力が伺えた。


「俺らの住処はこう、あ、ダヴァナー隊長がね、隊長ってのは俺らは元軍人で、元ってか辞めたつもりはないけど軍なんてもう残ってないだろうし、いや俺らってけどジェイさんは違って、なにしてたかっていうとなんか食料とか探してたんだけど、そんときジェイさんがなにか気配がするっていうから」

「パック」

「ん?」

「もう喋るな」


 ふと、数分ほど駆けていた二人が足を止める。ただ、疲れたというわけでも、ゴールというわけでもない。


「グロキル」


 ジェイの低い厳かな呼びかけに応じるように、地に変化が現れた。枯れ葉や土を押しのけ、太い木の根が地中からメリメリと盛り上がり、三叉路の道を形づくった。


「あ、これはね。足跡を残さないための対策で――」


 解説をはじめたパックを無視して、ジェイは木の根を伝うようにして駆け出した。


「ほら、連中ってどんな小さな痕跡でも見つけて追ってくるらしいわけよ。だからこうして木の根の上を走って、あとで木の根が引っ込めば足跡は残らないってわけ。え、木の根が盛り上がった跡は残る? そのへんは大丈夫、それだけじゃないから」


 今度は、蔦だ。どこからともなく伸びてきた蔦を掴み、パックは次々に跳び移っていく。両腕を塞がれているジェイも、蔦の上に直接足で跳び乗り、さらには器用に蔦から蔦へと跳んでいく。両腕を自由に使えるパックに対してはさすがに後れをとってはいたが、それでも速度を落とすことなく、目的地に向かって突き進んでいく。

 そして、大きく跳んだ。重力に従って、地面に、落ちていく。大きな衝撃に身構えた少女だったが、予想に反し、羽のようにふわりと、柔らかに男は着地した。網の目に編み込まれた蔦による衝撃吸収と、風系統の魔術のなせる業だった。


「っと、ここだよ。俺らの住処」


 少女の目には、草木がよりいっそう生い茂り、もはや壁のように先すら見えない密集地が見える。


「グロキル」


 ジェイの呼びかけに応じ、木々が左右に分かれ道を開く。まるで扉のように。その先も闇のような暗がりだったが、少女はそれで理解できた。彼らがどうやってここまで生き延びてきたのか。


「隊長! すごいッスよ今回! いや獲物は見つかんなかったんですけど、もっとすごいんですって。あのですね」


 パックが先行し、さっさか奥へ進む。ジェイも中へ入ると、木々の扉は閉まり、再びその入り口を隠す。その歩みの先にあったのは洞窟だった。松明のような光源があるのか、薄明かりが見える。


「帰ったか。で、なにが見つかったって? ……ん?」


 姿を見せたのは、パックに隊長と呼ばれていた男――ダヴァナーだった。

 黒髪に赤い瞳。無精ひげが目立つが、不思議な魅力のある男だった。


「生存者がいたのか。ずいぶん衰弱しているように見えるな。水と、あと食事も。なにか消化しやすいものを用意する必要があるな」

「なに? 生存者? 食料も居住空間もそんなに余裕ないけど」


 次に現れたのは女。不機嫌そうであり、どこか気怠そうだ。


「え、誰かいたんですか? わわっ、消化しやすいもの、ですよね。えーっと、食料庫にまだなにかあったような……」


 もう一人も女だ。優しそうではあるが、どこか落ち着きがない。


「アリス、頼めるか」

「あ、はい」


 と、アリスと呼ばれた女はトコトコと小走りに洞窟の奥へ向かっていった。


「さて、お腹はすいていそうだが話くらいはできるかな? 遅くなったが自己紹介をしよう。私はダヴァナー。そうだな、そこの会議室で話をしようか」


 洞窟ではある。だが、それなりに長いこと住んでいるのだろう。拡張され、整備されている。清潔感すらある。蟻の巣のように通路が枝分かれし、その先に部屋があるようだ。

 案内された「会議室」は、その名の通りの広さを有していた。植物の蔦が網のように編まれ椅子を形づくっている。中央には粗末ながらも石を加工してつくられた机もあった。


「すごいっしょ? いや改めてみるとやっぱすげえッスわ隊長。この椅子も、入り口も、全部隊長のおかげなんすよ。隊長の魔獣グロキル。植物っぽい魔獣で、なにからなにまで便利でもう」

「たしかに、パックの九人分くらいの働きはしてるな」

「いやあ、まったくそのとーり! ルースさん、まったくそのとーり!」

「で、名前は?」

「そういえば……」


 彼らはそれぞれに腰を下ろし、ジェイも少女を下して座らせる。少女は俯き、押し黙ったままだった。


「あ? 口が利けないわけじゃないよな。名前くらいは教えてもらってもいいだろ」

「ルース」と、ダヴァナーが窘める。「で、彼女は一人だったのか?」

「そっすね。一人でこう、ぼんやりと、木の根元で座ってました」

「いや、それだけじゃない」ジェイは思い出したようにパックに付け加える。「“敵”の残骸が隣にあった」

「なんだと」


 ダヴァナーとルース、それを知らなかった二人はざわめく。


「どういうことだそりゃ。その子が倒したのか?」

「それがどうも、そういうわけじゃなさそうなんすよね」

「うーむ」ダヴァナーは腕を組む。


「あのー、用意できましたお食事。リンゴがまだ残ってました」


 アリスが戻り、皮が剥かれ切り分けられたリンゴが皿に乗せられて運ばれてきた。


「どうぞ」


 ニコニコ笑顔でアリスは少女の前に差し出す。


「……ありがとうございます」


 少女は軽く頭を下げ、一切れを摘まんで口に運んだ。


「なんだ、話せんじゃん」

「あ、俺も食っていい?」

「ダメですよ!」

「ふむ。野生だとこんなものか。レッドキャッスルのようにはいかんな」と、すでに当たり前のように食べていたのはジェイだ。

「って、ジェイさん? ダメっていいましたよね?」

「毒見だ。彼女も、我々をすぐには信用できないだろう」

「毒見て。くそ、俺もその言い訳で食えたのか……」

「さて」と、ダヴァナーが話をまとめる。「リンゴ程度では腹は満たされないかもしれないが、食欲よりもひとまずゆっくり休みたいのではないかな。ルース、案内してやれ」

「え、私?」

 少女は礼を言い、リンゴを平らげていた。

「ま、いいけど。じゃ、寝床まで案内するから。ついてきて」


 そうして、ルースは少女を連れて席を離れた。



「どう思う、ジェイ」


 少女が去った会議室で、ダヴァナーは改めて声を低めて話を続ける。


「十三か十四歳ってとこじゃないですかね。赤髪が綺麗ですよね。可愛い子ではあるんですが、なんか俺って嫌われてる気が」

「パック、お前じゃない」

「……そうだな」ジェイが答える。「どうやって、ここまで生き延びてこれたか、だろ?」

「ああ。私から見ると、彼女からはさほど魔力を感じない。ジェイも同じか?」

「同じだな。彼女は見た目通りにただの少女だ」

「となると、彼女が一人で生き残っていたのはたまたまか?」

「それはわからん。ただ、“運がよかった”という程度で連中から逃れられるとは思えん」

「私も君も、“運がよかった”からこそこうして生きていると思うがね」

「……まあな」

「私とパックはたまたま非番で趣味の狩りに出ていた。街へ戻ると街が消えていた」

「いや~、いま思い出しても、ひぇ~……」

「俺は町外れの教会にいたからな。ダヴァナーが来てくれなければ状況を理解できぬまま殺されていただろう。愚かにも、やつらに挑んでな」

「彼女も似たような光景を目にしたはずだ。あの虚脱したような疲弊っぷりは、なにも肉体的なものだけではないと思う」

「あの……」口を挟んだのはアリスだ。「獲物、見つからなかったっていいましたけど」

「ん?」

「あー、見つからなかったわけじゃなくてね、ジェイさんがなにか魔力の気配がするっていうから、もしかして生存者がいるんじゃないかって、そっちの捜索を優先してて、獲物は何体か見逃したっていうか」

「はあ、そうですか。なるほど……それなら、いいんですけど」

「え、いいんだ?」

「…………」


 アリスが口にしかけた懸念を、ダヴァナーは見抜いていた。



「あれ? 知らない人だ」

「こんにちわーはじめましてー」

「ルースさん、誰?」

「知らねえよ。わたしも知らねえ」

「子供……?」


 ルースに連れられ、洞窟の広い空間に出る。左手には地底湖が広がっている。そこで待っていたのは大勢の子供たちだった。少女は目で追いながら一人一人数える。その数、十二人。


「ねえお腹すいたんだけど」

「ごはんはー」

「あー、そうだな。本当ならパックとジェイがなにか狩ってくる予定だったんだが……そうだな、一応見ておくか」


 そういい、ルースは奥の小部屋へ向かっていった。


「あったわ。ホント、グロキルはパックの万倍有能だな」


 ルースが両手で抱えて運んできたのは、果実のような赤い塊だった。そして次に向かう先は、表面がきれいに磨かれた黒曜石の台。長机を模しているようだ。


「おい、水持って来い。黒石台が汚れてやがる」

「はーい」


 子供に指示し、湖から甕で水を汲ませてくる。それを台の上にぶちまけ、ルースは剣を取り出し軽く水を切り、塊を台に乗せる。

 両手を台に乗せる。しばらくすると、薄く濡れた台から湯気が立つ。熱気だ。魔術で黒曜石に熱を与えているのだろう。

 そして今度は、赤い塊を剣で綺麗に輪切りにしていく。

 ジュウゥゥ……と油のはねる音が洞窟内を満たした。


「肉……?」

「ん? ああ、そうだ。グロキルが外で、鹿やら猪やらを狩って、ミンチにしたのを輸送菅を通してここまで運んでくるのよ。たまにな。さすがに獣どももやべーのがいると覚えてきたのか、最近はなかなか安定しなくなってきたが……今日は上手くいったみたいだな」


 肉が焼けていく。食欲をそそる香ばしい匂いが立ち込めていく。


「あ、そーだ。岩塩持って来い。食料庫にあるだろ。はやくしろ」

 再び子供に指示をし、持ってこさせた塩をふりかけ完成だ。極めて簡素だが、涎を抑えることはできない。

「ん? 焼いていたのか。呼べばいいだろうに」

 匂いに誘われるように、ぞろぞろと会議室にいた大人たちも群がって来た。

「だー、これはガキどものぶんだっての。来んなよな。特にパック。てめーなにもしてねーだろ」

「ひどいっすよルースさん。明日は頑張りますって」

「あの、私も大してなにもしてませんが……」

「アリスは可愛いからいーの。ほれ、もうしゃあないから来なって」


 そして焼肉パーティがはじまる。幸いにして肉の量は多い。

 その様子を見ていた少女からも、羨ましそうに腹の虫が鳴った。


「ん? 食うのか。食えるなら食っとけ」

「……いつから、こんな生活を?」

「あ? どうだったかな。正確な日付はジェイが壁に刻んで数えてたが……二年くらいじゃねーかな」


 あれから二年。

 敗残の暗闇の中で、彼らはただ生きていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る