皇王御前試合

 二年に一度、皇都にて開催される「皇王御前試合大会」は魔術主義のアイゼル皇国における最もわかりやすい立身出世の機会である。

 優れた魔術師は国家の財産である。魔術の才能はいつ、どこの誰に芽生えるかわからない。その才能を発掘するための催しである。

 国中から、身分を問わず、腕に自信のあるものは誰でも大会に参加することができる。

(ただし、「埋もれた才能を発掘する」という意図に基づき、「本戦への連続出場はできない」「獅士や騎士などすでに実力の認められているものは出場できない」といった制約はある)


 参加方法は大別して二つ。自力で皇都に辿り着くか、貴族や皇族の推薦を受けるか。

 有能な魔術師を見つけ出し、擁立したとなればその功績は皇王に直接認められ、相応の地位と名誉を獲得する。そのため、さらなる権力を欲する貴族は血眼になって領民から原石を探し出す。

 そのなかで、フロレアル州の地方貴族であるフランギル伯に見出された「原石」がニドであった。



「こうしてお前を養子として迎えたのも、その方が私に都合がよかったからだ」


 フランギル伯は語る。


「貴族ではある。だが、名も力もない。貧しく、領土は荒れ、このままでは立ち行かないかもしれない。没落貴族とさえいってもいい。そんな私が、今一度返り咲くにはこの機会しかなかった。お前の力が必要なのだ。わかるな?」


 そういい、ニドに語りかける。


「ったく、嘘が苦手なのはわかるけど、率直すぎるっていうか」


 ニドは頭を掻きながら答える。


「わかってますよ。あなたはそれでも俺によくしてくれた。事情はどうあれ、毎日うまい飯も食えるし柔らかいベッドでも寝れる。故郷くにへの仕送りもね。なのに、なぜ卑屈になる必要があるんです?」

「お前がそういう男でよかったよ。心からね」フランギル伯は柔らかに笑む。「それはそれとして、大会までもう二か月だ。教養は身に着けておかねばならん」

「教養て」ニドは一変して嫌そうな顔を見せた。

「お前の固有魔術は最強だ。私もそう確信している。だが、それだけで勝てるほど大会は甘くない。前回の優勝者は実力を認められ、そのまま騎士団に入った。つまりどういうことかわかるか? 大会には騎士クラスの魔術師までもが参加するということだ」

「それで教養?」

「そうだ」

「礼儀作法とか、歴史知識とか?」

「ああ」

「いらないと思うんだけどなあ」

「だが、体系魔術の知識は確実に要るだろう」

「それなら、まあ……」

「特に幻影魔術だ。〈感覚保護〉はどれくらい持続できる?」

「んー、二十分くらい?」

「そうか」


 と、ニドは急に足場を失う感覚に襲われた。膝関節が後ろから蹴られ、肩を落とされたのだ。


「なっ」


 慌てて状況を察する。〈感覚保護〉――さきほどまで目の前で話していたフランギル伯の姿は消え失せ、代わりにすぐ背後でニドの重心を崩した人物の姿が現れた。


「常に警戒しろとは言わん。そんなことは騎士でも不可能だ。だが、話題に出てからくらいは意識を向けろ」

「そうはいっても、試合は決められた時間、決められた場所で行われるんじゃ……」

「誰も彼もルールを守るわけじゃない。お前が挑むのはそういう世界だ」

「な、なるほど……」


 いまいち納得はいかなかったが、身に沁みる授業だった。



 月日は流れる。

 一か月前には皇都に入り、大都市の空気にも慣らした。鉄道にも初めて乗った。田舎で農民として暮らしていれば到底得られなかったような魔術知識も、作法も、教養も身に着けた。準備は万全だった。

 御前試合は本戦の前に予選が行われる。参加者があまりに多いため一度に選別しようがないからだ。

 有力貴族や皇族からの推薦は予選を免除される。一方で、推薦者がいないものや、さほど権力のない推薦は予選を経て本戦への出場権を得る。

 フランギル伯とニドは後者に属する。


「すまんな。私の権限ではせいぜい予選のシード権だ」

「え? それでなにか問題ですか? 要は勝ちゃいいんでしょ」


 試合を前に、ニドの顔には不安の翳りもない。ようやく力を振るえる昂揚に満ちている。その横顔を見て、フランギル伯も気持ちを重ねずにはいられなかった。


「わかった。思いっきりやれ。やつらに見せつけてやるんだ」

「いいんです? 力は本戦まではできるだけ隠した方がいいって」

「構わん。私もうずうずしていてね。自慢したいんだよ。私はこれほどの魔術師を見出したのだと。これほどの魔術師がまだ埋もれ、知られていなかったのだと。見せつけてやりたいのだ」


 予選とはいえ、観戦者はそれなりに多い。御前試合は民衆の娯楽としても機能している。

 大会の開催にはそれなりに費用が嵩む。予選で勝ち残れる程度の実力者であれば、国が地方からの渡航費を負担することもある。そのために大会は興業化する必要があった。


「気が合いますね。俺もうずうずしてるんですよ」


 フランギル伯の推薦によりニドは予選の最終試合にのみ出場する。まずはそこで力を見せつけなければならない。


「ルールはざっくり、相手を戦闘不能にすれば勝ち。あるいは、負けを認めさせれば勝ち。できるだけ殺さない方が望ましいが、不慮の事故は仕方ない、と」

「私もお前が負けるとは思っていない。だが、油断はするな。相手は少なくともこれまでの予選を勝ち抜いているわけだからな」

「わかってますって! !」


 フランギル伯は目を丸くした。

 たしかに、養子縁組ではある。とはいえ、それは極めて打算的なものだ。いわば、金にものをいわせて元の家族から引き離したともいえる。彼はそこに後ろめたさを感じていた。

 救われた気がした。感謝したい気持ちでいっぱいだった。

 だが、今はまだそのときではない。


「行ってこい!」


 今はただ、その背中を押す。


 ニドは試合場へ向かう。

 観客の数は、会場の広さに対してやや疎らではあった。だが、熱気はある。

 本戦ならともかく、わざわざ予選を見に来ようなどというのは大抵は物好きだ。いち早く、誰もが知らなかった有望なる魔術師を知りたくてたまらない物好きだ。

 名もない貴族の推薦とはいえ、満を持して現れた彼に対する期待度は高い。

 片や相手は、この予選がはじまるまで誰も知らなかった田舎の出身者。それがこうして勝ち残っている。

 この試合の勝者が、本戦出場枠のうち十六ある予選枠の一つを埋める。

 もしかしたら今年の優勝者をいち早く目にするかもしれないのである。


「あの、その、私は……ウィウィ、といいます。よろしくお願いします……」

「お、おう」


 試合場に上がり、相手を前にしたニドは拍子を抜かれた。

 ウィウィ、と名乗った相手はいかにもか弱い女性だった。背も低く、身を縮め、気弱そうにすら見える。前髪が長く顔が隠れているのも不安の表れに見えた。だが、対戦相手には違いない。

 ――武器はどこだ。

 ニドは注意深く彼女ウィウィを観察する。腰に、鞘に収まっている短剣が見える。あれか。


「さて、両者準備はよいか」


 審判が間に立ち、二人に確認する。二人は軽く頷き、これに答える。互いに向かって審判も頷き、すべての確認を終える。


「はじめ!」


 と、試合場を挟んで対峙していたはずのウィウィの姿が、消えた。

 疾風。文字通りに風を起こす魔術によって、一瞬だけニドの視界を歪めたのだ。

 射程まで距離を詰めるのに、わずか1.1秒。そして彼女の武器は、短剣ではなく、鎖状の剣。

 斜め下より鋭く、魔力を帯びた剣はニドの半身を斬り裂いた。


「もらった!」


 試合前に見せていたか弱い姿はすべてブラフだったとわかる。それが彼女の本性。獣のような獰猛な笑み。暗殺者のような狡猾さ。試合は一瞬で決着がついた。


「いてえな。死ぬかと思った」

「!?」


 彼女は勝利を確信していた。鎖剣は確かにニドの身体を捉え、肋骨も肺も鎖骨も切り裂いて、今や皮一枚で繋がっている状態だ。この状態で、生きていられる人間などいるはずがない。


「よく見るとあんた、可愛いな。試合が終わったら一杯どうだ?」

「……?!」


 言葉が出ない。理解を超えている。肉を剥き出しにし、血を噴き出しながら、なぜ笑って、生きていられる。


「っと、その前に、まず試合を終わらせないとな」


 ニドは残った右半身で、腕を天に掲げた。応じるように、空は翳りはじめる。暗雲が立ち込め、陽は閉ざされる。突如の薄暗がりに審判も観客もざわめきはじめる。


「なんだ、これは……」


 幻影? ありえない。試合開始前から〈感覚保護〉を続けている。魔術戦の基本だ。

 幻影ではない。では、これが、本当に起こっている光景だというのか。半身を斬り裂いても笑みを崩せず、天候をも自在に操る魔術師が、いま目の前に立っているというのか。


「じゃ、そういうわけで」


 ニドが腕を下ろす。応じ、暗雲より雷が、対戦相手に直撃する。空気を引き裂くような轟音と、目を覆わずにはいられない眩い雷光。頭上より足の爪先まで、一瞬で炭化させるほど強烈な一撃が、無慈悲にも。

 その異常事態に審判も困惑していた。動転し、あまりに戸惑い、自らの職務すら忘れていた。


「えっと、これ、勝ちだよね?」

「しょ、勝負あり!」


 促され、ようやく裁定を下す。ニドは難なく予選を突破した。


「ふぅ。こんなものか」


 雲が晴れ、陽が差し込む。身を裂かれていたはずのニドも、いつの間にか五体満足でそこにいる。さらにいえば、消し炭になったはずのウィウィすらも、無事を信じられない様子で戸惑いながらも無傷でそこに立っている。

 まるで、すべてが幻だったかのように。


「おい!」ウィウィは去り行く男の背中を呼び止める。「どういうことだ……」

「どうって」ニドは振り返り、屈託のない笑みで答えた。「なんか知らんけど、気づいたら勝ってたよ」


 そう、試合は一瞬で終わっていた。ウィウィは、はじめから幻を斬っていた。


 幻影魔術は強力な魔術だ。

 文字通り相手に幻影を見せることができ、攪乱・隠蔽など的確に作用した際の効果は大きい。

 ゆえに、その対抗手段もある。魔力によって〈感覚保護〉を施すことで、すべての幻影は打ち払える。そして、幻影を仕掛ける側は相手が〈感覚保護〉をしているかどうか見抜くことはできない。

 これらの魔術原理は体系化され、広く一般に知られていることだ。

 だからこそ彼の固有魔術はより深く刺さるのだ。


 〈貫通幻影〉――感覚保護を無視して、それはすべての人間に幻影を見せる。

 誰も抗うことはできない、「最強」を確信するに足る魔術だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る