第36話 血と残酷の盟約

「あんた、一体何者なんだよ」


 これほどの強大な力を発揮して呼吸一つ乱さず、不敵な笑みを浮かべるライム。

 マスターランサーとか言ってたけど、コルトと同じ上級職って事なのか?

 同じ上級職でこうも能力に違いがあるのかよ。こいつは間違いなく、コルトよりランクは上のはずだ。


「別に何でもねぇよ。ただの、しがないメイドさッ――!?」

「……ッ!?」


 ライムが俺の方へ振り向いて無邪気な笑みを見せた直後、ライムは背後に迫っていた触手の棘に貫かれた。肩や脚、腹部に至っては三か所も触手に貫かれ、俺達の方へ血飛沫が飛ぶ。それは俺の服や顔に降り注いだ。


「がッ!? うぅぅ……クソッ!」


 触手はライムを貫いたまま持ち上げて、振り払った。

 そのままライムは地面に叩き付けられ、苦悶の声を漏らしていた。槍は役目を終えたようにデッキブラシの姿へと戻る。


「あははははは!! ふふふ、げふっ、げはははははははははは!!」


 降り注ぐ光の槍の中から下品に笑うクローディアの声が聞こえる。

 唐突に消滅する光の槍と黒煙。おびただしいほどの光の槍をもろに受けたはずのクローディアはほとんど無傷でその場に立っていた。


「何なんですの? あの下品な能力は。大層な曲芸だと思って感心しておりましたが期待外れでしたわ」


 何ともなかったような涼し気な表情を見せるクローディア。強がっているような様子は感じられない。こいつは本当にあれを耐え凌げるだけの力があったんだ。


「何であんた、生きてんだよ。さっきあんなに叫んでいたくせに」

「はぁ? そんなの決まっていますわ。そういう絶望と困惑に満ちた、愉快な表情を見るために決まっていますわ」


 狂喜に満ちた卑しい笑みを浮かべてクローディアはコルトを指差す。

 俺はすぐにライムへ駆け寄り、傷の状態を確認した。

 右太ももに一つ、左の肩甲骨から鎖骨の下まで貫かれた傷が一つ、後は腹部に三か所。胃と腸はさすがに無事ではないはず。最悪潰れていてもおかしくはない。それになにより肺を貫かれているかもしれない……だが、胃や腸へのダメージは明確だ。これじゃ呼吸はまともに出来ない。


「ぐっ……ゲホッ! ガハッ!」

「しっかりしろ! ライム!」


 血反吐を吐きながら咳き込むライム。そのたびにライムは苦悶に満ちた表情を浮かべていた。

 このままじゃ出血多量でショック死してしまう。何か、何か助ける方法はないのか?

 俺は焦りながら自分の体に手を当てて何か持っていないか探る。ベルトポーチにぶら下げていた麻袋に何か硬い感触があって、俺は麻袋の口を開いて中を確かめた。


「これって……」


 オルクス討伐の際に報酬として貰った傷薬――ケリアルだ。

 そう言えば、入れていた事すら忘れていたけれど、これ……どの程度までの傷に効くんだ?

 いいや……考えていても仕方がない。最悪、止血出来るだけでもいい。

 俺はケリアルの入った瓶のコルクを引き抜き、中の液体を全て手のひらの上に取り出して傷口に塗り広げる。


「ぐっ!? あああああああああ!!」


 すぐに、ライムはけたたましい程の叫び声を上げてのたうち回った。

 目を見開き、手足をばたつかせて、胸を執拗に掻き毟っている。


「お、おい! どうしたんだ!?」


 クソッ! この薬、使用用途を間違ったか!? 何か特殊な使い方をしないといけなかったのか!?

 そう思った矢先、薬を塗った傷口からゴボゴボと何かが泡立つのが見えた。それは瞬く間に傷口を覆い、瞬時に消え失せ、傷を負う前の状態の綺麗な皮膚が浮かび上がった。傷はきれいさっぱり無くなっている。


「ふ、ふざけんじゃねぇ! 薬塗るなら塗るって言えよ、クソ痛ぇじゃねぇかよ!」


 傷が癒えてすぐに起き上がったライムが俺の胸ぐらに掴みかかり、そのまま自分の顔へ俺を引き寄せた。俺の体を揺さぶって叫ぶライムは涙目だった。


「仕方ないだろ! 大怪我だったんだから!」

「だからって傷口に直接塗る事ねぇだろ! テメェはサディストか!? 普通は傷口の周りに塗るのが基本なんだよ、この薬は!」

「し、知るか! 大体、お前がサディストとか言えた口かよ!?」

「ああん? あのクソビッチよりお前を先に潰してーーッ!?」


 ライムの言葉を待つ前に一本の触手の棘が俺とライムの間を通り抜ける。その先端は正門の外壁を貫き、大きな穴を開けてしまった。


「私を無視しないでくださるかしら?」


 クローディアは口元に手を添えながら卑しい笑みを浮かべている。


「おいおい、私に興味がなかったんじゃないのか? そのくせ無視するなってのは、わがままが過ぎると思うぜ」

「ええ……確かに、貴女には興が削がれました。私に傷一つ負わせる事も出来ないなんて。そこの小娘の方が余程ましでしたわよ」


 ライムはコルトを指差しながらライムを貶す。

 そういえば……コルトが負わせた傷が、いつのまにか治っている。

 一体、何者なんだよ。こいつは。自然治癒の能力でも持っているのか?

 というか何で、コルトの攻撃はクローディアに大火傷を負わせるほどの威力があって、ライムの攻撃は傷一つ付いていないんだ? それに、コルトがグラタンに空けた大穴も塞がっているし……まあ、あれはスライムだから仕方ないんだろうけど。


「さて、色々と楽しませてくれましたが、もうこれ以上は興味がありません。皆様もよく戦ってくれました……では潔く、食われてください」


 クローディアが手を叩きながら2、3歩前に出る。

 そして、最初に見せたようにスカートの裾を掴んで上品にお辞儀をすると、グラタンの触手が一斉に襲いかかった。残りの冒険者や衛兵を絡め取り、中心部へと導く。だが、相当なダメージを受けていた影響で消化機能が格段に下がっているようだ。


「あらら。再生に能力を使いすぎちゃったようですね。まあ、良いですわ。ゆっくりじわじわと緩慢に溶かし崩すのも一興ですし。ふふふふ」


 クローディアは構わずどんどん皆を中心部へと押し込んでいった。巨大なスライムの巨体には何十人もの冒険者や衛兵が浮かんでいる。

 これじゃ消化される前に溺れて死んでしまう。


「ほら、貴女達もですわ!!」


 ほぼ全ての冒険者や衛兵をその巨体に呑み込んだグラタンはライムとコルトに標的を移した。おびただしいほどの触手が2人に迫り来る。


「俺の事は無視かよ!」


 俺は刀を構えながら2人の前に立った。傷が治りたてのライムも魔力を使いすぎたコルトも本調子じゃない。特記戦力の2人がここでやられたら、今度は街の人達が標的にされてしまう。


「貴方は死んでくれますか? 前菜にもなりませんよ、貴方なんて」


 そう言って冷たく刺すような目を向けるクローディア。直後、迫り来る触手の先端が鋭く尖り……俺の腹や脚、胸や腕などとにかく顔以外のありとあらゆる箇所を貫いた。

 異物が体内に強引に割って入ろうとし、そして今度は強引に出ようとする感覚。2度も経験しようのない奇妙な感覚に襲われ、その情報は急ピッチで脳へと送り込まれる。何かで貫かれた、そう脳が判断したのと同時に身体中をミキサーで掻き回されたかのような凄まじい痛みに、全神経を持っていかれた。


「がっ!? ああああああああああああ!!」


 まともに呼吸もできないせいで声が出せない。掠れたような叫び声……いや、これはもはや音だった。凄まじい音波のような叫び。同時に口からは大量の吐血。胃酸と血が混じった物を吐き出して口の中に気味の悪い感覚が残る。だが、そんなものに構ってるほどの余裕はない。


「はっ、はっ、はっ……ぐあっ、がっ……はっ!」


 必死に息をしようとするが上手く空気が入っていかない。空気を送り込もうと肺を膨らますたびに耐えがたい激痛がはしる。


「クソ! 今、治療して……ぐあっ!?」

「お、おい! ぐっ!? クソ!」

「コル……ぐっ!? ああっ! はっ、はっ」


 異常事態に俺に駆け寄ろうとしていた2人も隙を突かれて絡め取られてしまう。名前を呼ぼうとするも痛みが邪魔をして声も上げられない。

 2人はそのまま抵抗出来ずにグラタンの巨体に飲み込まれてしまった。催眠効果があるのか呑み込まれた皆は全く抵抗しようとしない。このままじゃまずい。でも、こんな状態じゃ俺には……。


 俺はとうとう痛みに耐えかね、手に握っていた刀の上に寄りかかるように倒れ込んだ。腹の下に下敷きになった刀の冷たさを感じる。


「アハハハ! あっけないものですわね。中の子達の消化が済んだら、今度は街の皆様も食い尽くすとしましょうかね」


 そう言ってクローディアは踵を返し、どこかへ行こうとしていた。俺は倒れたまま指一本動かないその体でクローディアの背中を見続ける。

 もう俺には、何も出来ない。こうならなくても俺には何も出来なかった。いいや、何もしなかった。

 無能なのを理由に避けてただけで本当は立ち向かおうとしなかった。結局はただの臆病者だ。

 でも、もう今更後悔しても無駄だ。無様に地面に這いつくばって死ぬのを待つだけ……俺の人生なんて、向こうにいてもこっちに来ても何も変わりやしない。何も乗り越えようとせず、変化を求めずただただ流れに任せて生きて、死んでいく……たったそれだけのつまらない人生だったって事だ。

 クローディアの背中は段々と遠くなっていく、それに伴って俺の意識も消えようとしていた。


『お前の覚悟はそんなものか?』

「え?」


 ふと、誰かがそう言った気がした。

 周りには誰もいない。幻聴でも聞いたのか?


『つまらぬ人間だ。それでよく我を手に取ったものだ』


 またもどこからか声がする。男の声のようだ。

 それはおそらく、直接頭の中に響いている声だった。

 何を言っているのか分からない。もううんざりだ。そっとしておいてくれ。


『情けないな。貴様も戦士ならば立ち上がれ。戦う覚悟を決めよ』


 覚悟? 覚悟だって? そんなもので戦えるのなら戦っている。だけど、あの力を目の当たりにしてそれでも戦おうだなんて無謀にもほどがある。


『では、貴様は貴様を受け入れたあの街を、己が無能だからと手放すのか? 受けた恩恵を返さず、ただ無力のままに死すると言うのか? 呆れた言い訳だ、吐き気がする』


 じゃあ、どうしろと言うんだよ。

 あのクローディアを打ち負かすほどの力なんてあるわけないだろ!? 俺は魔法もスキルも使えない、そんな俺にどう戦えっていうんだよ!


 頭に響く声に対して反発する。その直後、下敷きになっていた刀が赤黒く光だし、俺の体を包み込んだ。


残酷は満たされた。我を取れ。背を向けるな、前を見よ。覚悟を決めぬ愚かな己を解き放て。さすれば我が貴様に力を託そう。さあ、叫ぶがいい。我の力をもって何を望む。何を誓う!』


 俺は言われるがままに体の下に手を挿し入れて刀を握る。

 もう、なんだっていい。力を貸してくれるなら、俺は戦う。無い無い尽くしの俺に力を授けてくれるなら、俺はどんな試練だって乗り越えてやる。コルトやニル、モニカを守れるほどの力をくれるなら命をかけて守り抜く。そうでもしなきゃ、俺に生きる意味を示してくれた皆に、顔向けできない。


『……よろしい。我、血と残酷の盟約に従い、これより城木セイジを主人と認め、我が力を託そう』


 包み込む光がより一層強くなり、俺の体に異常なまでの活力が湧き上がった。同時に痛みが引き、体の感覚が戻り始める。そして俺を包んでいた光は天を突かんばかりに伸びてそのまま消滅した。

 そこからは記憶が抜け落ちたかのように何が起こったのか分からなかった。ただ、気付いた時には俺の刀はクローディアの背中を貫いていた。それも首の下から腰辺りまで大きく裂けたような傷があり、それは腹壁までも切り裂いていた。


「え?」 


 ほとんど反応すらできなかったクローディアはこちらへと振り向いて……唖然とした表情をしたまま地面に倒れる。

 グラタンの方もクローディアが倒れたのと同時に熱に晒された蝋のように溶けて、中に取り込んでいた皆を開放する。

 そこまで見届けた後で、俺の意識は途端に途絶えてしまった。

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