03

 気がつけば、彼女の姿はなかった。

 質問した生徒が、きょとんとした顔をしてこちらを見ている。

(……よく見たら、別に似ていない)

 髪型が、ちょっとだけ。あと、少し顎の形が。

 血縁でもなさそうだった。立ち方から流派も解った。新陰流系。古流剣術は多くが新陰流の系譜なので特定は難しい。真紀も直接知らない流派ではさっぱりだ。修験なり魔術をやっているかは解らない。肝心の兵法の腕前は『剣』はあるが、『験』には遠い……くらい。

 真紀は深く息を吐く。

 どうやら自分が硬直していたのは体内時計を信じるのならば二十秒。ラジオなら放送事故になるところだが、講義ならば少し言いよどんだ程度のことだろう、と思う。不審にみんなは思われているかもしれないが、今はそれを気にしても仕方ない。

 体中の汗が大量に出ていることには、気づかない振りをする。

「――魔術を否定しているのではなく、兵法者ならば、できるだけ自分の鍛錬した技で至って欲しい……という、まあ兵法者としての矜持のようなものです。実効性があるのは認めます。むしろ、よく知っています。部下には恐ろしい修験者は何人もいましたから」

 いずれ。修験者の地位が霊的戦闘力において上回る日がくるかもしれません、と言い添えた。

 武術が添え物的な扱いになる可能性についても真紀は言う。

「武術のみにおける鍛錬は目に見えて解りにくい部分はありますからね。ただ、私は古いタイプの兵法者なので、なるべく師伝のものを保存して欲しいとも思っています。私の修行時代は、まだ兵法の価値が認められたばかりで、前世紀からの達人もぎりぎりなんとか残っていた……というくらいでしたから。ただ、これからの兵法者が修験なりを導入することについて、吝かではありません。その意味では、先程の発言は些か失言であったと思います。ご指摘、ありがとうございます」

 笑ってみせた。

「あ、はい」

 質問した少女は何か不思議なものを見たような顔をして、席に着く。

 真紀はもう一度深呼吸してから、『験』を◯で囲む。

「先ほどもいいましたが『験』ができれば、ある程度の『魔法』に対抗することは可能です」

『験』――

 験を担ぐ、など世間にはかろうじて残るこの言葉は、修験道の験でもある。

 これは自己の霊性を高めるという段階から、神仏の加護を得た段階に至った者のことを衝突以降の時代ではさす。法力ともいう。信仰する神々の力を一部でも世に示すことができた者の段階だ。

 武術は古い時代は宗教、呪術と強く結びついていた。神変不可思議の技を示した往古の名人の話はよく聞く。過去のそれらの話が事実であるかは今となっては不明であるが、現代において、それらは現実に可能になった。それは霊的な力を物理世界にまで及ぼすことができた証明でもあった。

「単純にいえば、『剣』では霊的干渉ができる段階ですが、これを超えた『験』は超常の物理干渉力を剣術で得た段階です。この段階には魔術では割りと簡単に到れるので、剣術より魅力を感じる者も少なくありません」

 魔術的には、精霊などの諸力を契約や言霊で操る段階の技である。ただ、魔術において物理干渉できる段階に、どういう不可思議か『剣』は多く優る。衝突以降の霊学では、剣術、武術という行為自体が持つ霊性の格が多くの魔術の霊性を上回るとされているが、物理干渉できる魔術がその全段階の『剣』に敗れるというのも納得がいかないという者も多い。

 それに関しては剣という器物が呪的な意味を持つからだという説もある。

 例えばなんの変哲もない桃や米のようなものが、妖怪に対して呪物として一定の効果を持つように、刀剣という器具、武器そのものに霊威があるという考えである。それを操る剣士、戦士もまた呪的な存在であるとする。

 いずれこのあたりの霊的、呪的な力学は単純な段階では計れない複雑さがある。

 兵法者が現状で霊的能力開発メソッドに遅れがあり、魔術、魔法よりも超常の物理干渉能力に一見して劣っていても、鍛えた兵法者は魔術師らを打ち破ることが可能であるという一事から、今もなお兵法者を求める声が止まないのだ。

「剣術における『験』は、通常の魔術、そして『魔法』に勝ちます。勿論、これはただの霊性における力関係の問題ですから、兵法者当人の油断や、魔術師の工夫次第では互角以上の勝負に持ち込まれることは珍しいことではありません。そして問題は、『魔法』の遣い手である《魔法世界》の人間についてですが――彼らは『魔法』が強いという以上に、、というのが私の体感ですね」

 平たく言えば、彼らは強い『魔法』を使う……のではなく、『魔法』を使うのが上手い、ということだ。

 当たり前の話であるが、《魔法世界》の住人は、まだ多くが『魔法』を使える。使えない者も増えているとは聞くが、まだまだ少数派である。そして『魔法』は生まれたときからそこにある。子供が遊びを覚えるように、ままごとをするかのように彼らは『魔法』を覚える。修行してようやく霊力の覚醒、諸力の契約などに至る地球の住人は、環境があまりにも違うのだ。

「子供の頃から手足のように『魔法』を使う彼らは、戦闘時に際しても同様に、私たちが剣を振るうかのように『魔法』で戦います。詠唱の呼吸、間合いの取り方……この熟練が地球出身の魔術師とは段違いです。あくまでも三年前の話なので、今はまた違うかもしれませんが――」

 兵法者でも魔術と体術、武術の組み合わせで戦う者は多いが、《魔法世界》の人間に対してのアドバンテージはほとんどないと言ってよい。すでに彼らが先行している分野だからであるが、特に詠唱の呼吸、機微においてはよほどの才覚か特殊訓練を受けた者でない限りは勝てないというのが通説だ。

 呪文の詠唱をほとんど必要とせず、ただ剣技のみで『剣』、あるいは『験』に至った純粋の剣術家は、『魔法』に対して互角に戦えるのである。

 ――勿論、これも三年前の常識であり、修験者でも戦闘技法を磨いている者も増えているし、近代格闘技と魔術の組み合わせでの新世代の魔術戦闘技の研鑽も続いている。それでもなお、兵法者の優位がしばらくは続くと見られていた。

 あのかつての部下が、いつか修験者の地位を兵法者よりも高めてみせると目標に掲げていたのは、そういう事情による。

「修験者における験力、魔術でも彼らに対抗することは可能ですし、実際に『大魔法』にすら対抗できた例もありますが、まだ個人の資質に頼っている面は否めません。一般の魔法使いならばともかく、騎士のように専門の戦闘者の相手は難しかったというのが私の印象です」

 現時点で、魔法騎士――特に上級のそれに対抗できるのは、『験』以上……『顕』に達せた兵法者のみであるというのが一般的な認識であり、真紀もそれに特に異論はない。

 ただ、それで『魔法』そのものを過剰に恐れるのは別だ。

 彼らの『魔法』も原理は魔術と同じである以上、工夫次第で『剣』、あるいは『験』でも対抗できる。現に彼女は勝ってきた。自分が格別の資質があったとは思っていない。運が良かったとは思っているが、自分の工夫の多くは他の者にもなんらかの参考にはなるはずだ。

「そして『顕』ですが……」

 御法真紀は基本的なことを説明しながらも、自らの経験談を交えて《魔法世界》の話をする。

 受講者たちはやがて興味深そうに、あるいは疑問符を浮かべながら、時に質問をしながら話を聞いていった。

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