Psyche ~生贄の姫様は愛されない女神様~

深海冴祈

【0】濫觴(らんしょう)

鏡花水月(きょうかすいげつ)

 君はまだ眠っている。君のその瞼が開いたとき、真っ先に僕を見つけてくれたら、それだけで僕の胸は満たされるだろう。空っぽの冷えた物寂しい陶器に、湯気の立つ温かなスープを流し込まれて、器にじわりじわりと熱が広がるような、そんな満たされ方だ。


 彼女を見た瞬間、呼吸が止まった。ふわりと吹いた風が僕の髪を撫でた。

 夜空の星々が、暗い水面を小さく煌めかせる。周囲は夜の静寂に包まれていた。静寂の中心では、彼女が眠っていた。それは、とても密やかな儚い光景で、僕の胸をぎゅっと握り締めた。たちまち僕は、彼女の夢に、僕が溶け込んでしまったかのような恍惚感に酔い痴れた。

 鏡のように滑らかな水面に手を伸ばす。濡れた指先を中心に、波紋が広がる。彼女の寝顔が波紋と共にゆらゆら揺れた。穏やかな心地よさと、儚く消え入りそうな危うさを共存させたものが、そこにあった。手に帯びた熱はまだ引かない。それどころか、涙腺までも熱を帯び始めた。触れることが叶わず、満たされない思いは行き場を失い、内側でいつまでも藻掻いている。

 月を隠していた雲が切れたのか、窓から月明かりが射し込み、彼女の寝顔に神秘的な陰影をつくりだす。その光景に、届くはずのない彼女の寝息を感じた。

 嗚呼……。僕は今、この月明かりになりたい。

 アモールは伸ばした右手を水面から引き、胸元に戻すと、とても大事な物を手にしたように左手で包んだ。池の水面みなもには、見目麗しい女性の寝顔が映っていた。

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