第13話 導手

 六花代学園、職員室。二限前のこの時間、教職員はそれぞれ次の授業の準備をする者や、次の授業が無い者は各々の仕事をこなす他、談笑に興じるなど、各々の時間を過ごし、穏やかな賑わいを保つ。

 そこで、六花代学園の非常勤講師として勤める男は、己の受け持つ次の授業のための準備を行っていた。そんな彼の元に、一人の教師がやって来る。

「おはようございます、坂木先生。熱心ですね」

 話し掛けられ、坂木先生、と呼ばれた男は一度手を止めて振り向いた。そして微笑んで、会釈を返す。

 相手の教師はどうも機嫌がいいらしい。笑みを浮かべたまま、そういえば、と世間話のように口を開いた。

「例の、『大罪人』のいるクラス。とうとう欠席したようですね、細道という女生徒」

 ――大罪人。

 その言葉は、六角に住む者ならよく知っている――そして、忌避し、蔑むものだった。手を止めた坂木の様子に気付いた様子はなく、教師は上機嫌に肩を竦めて語り出す。

「まああれだけクラス全体を敵に回せばねぇ、耐えた方でしょうけど。可哀想ですが、仕方ない。大罪人に優しくしようだなんて、これだから『外部』の子はいけない」

 ――ぴろん。

 短い電子音が鳴った。それは坂木の懐から響き、何やら上機嫌に語っていた教師の口を止める。坂木はそれを気にした様子もなく、懐から携帯電話を取りだした。メールが一件、届いたことを、画面のアイコンが示す。差出人名は三文字、――焔圭太、と、記されていた。

 携帯電話を操作して、メールを開く。

『細道桜子を探しに来た。入れろ』

 ――端的すぎる文面。相手に事情を理解させようだとか、混乱を避けさせようなどという心遣いなど全く感じられない。彼は、相変わらず、らしい。携帯電話を懐に仕舞いながら、つい、笑いが溢れてしまう。

 そうして、坂木は先程まで語っていた教師に向き直った。

「失敬、急用が出来ました。すみませんが、今日の私の授業は自習にすると連絡を回しておいてください」

「え、ちょ、坂木先生!?」

 背中にかかる困惑の声を無視して、坂木は歩いて行く。

 歩いて、歩いて――周囲に誰も居なくなった場所で。

 歩みは止めないまま、坂木は――否、『坂木だった男』は、緩やかに、本来の姿へと戻っていく。白のワイシャツと紺色のスラックスは、全身黒でまとめられた制服へと。耳は尖り、にこやかに笑むような糸目の奥の瞳は、黒の中に赤い瞳孔を宿していた。



「……で、どうやって入るんだよ?」

 何やら焔が携帯電話を操作して、十数分ほど経過しただろうか。電話を懐にしまったきり目を伏せ腕を組んで黙ってしまった焔に、痺れを切らして荒川が声をかける。しかし「黙って待て」とだけすげなく返されて、荒川は口を噤んだ。

 ――それから数分。ふと、焔が目を開ける。

「遅い」

 それは誰に対する文句か。荒川のその疑問は発露する前に、打ち砕かれることとなる。

 ――荒川の背後、ばきり、と何かが割れる音が響いた。咄嗟に振り向いた荒川の目に、信じられないものが映る。

 空間が、割れていた。メキメキと、縫い目のような一線が宙に刻まれて、それはどんどん大きくなる。そうして、それは、――『開い』た。

 一線は、瞼の線となり、宙に巨大な『目』が出来たのである。

「――っひ!?」

 思わず仰け反った荒川には視線を向けることも無く、焔は真っ直ぐに宙に浮かぶ『目』を見る。

 ――荒川は、さらに信じられないものを見た。宙に浮かぶ『目』――そこから、人の足が、生えたのである。

 ずぷん、そんな効果音でもつきそうな様相で、黒い足が『目』から飛び出したのだ。その足は一歩踏み込んで――足の持ち主の体が、同様に『目』から浮かび上がる。

 やがて、ずるりと、一人の男が『目』の中から現れきった。

「これは手厳しい。これでも急いだのですよ」

 男は、竜を模した仮面の奥でくつくつと笑う。突如空中に現れた目、そしてその中から現れた存在に腰を抜かしそうになっている荒川に見向きもせず、焔は荒川の隣を通り過ぎて仮面の男に相対する。男が、仮面の奥でまた笑った。

「相変わらずの仏頂面で。そんなに眉間に皺を寄せていては癖になりますよ」

「余計なお世話だ。さっさと寄越せ」

 すげなく答える焔に男はまた肩を竦め――懐から、二つ、鈴を取り出した。

「まずはこちらを。結界の境界をすり抜けるだけでは、中で異物として夜桜に見つかってしまいますから、この鈴で隠します。先程急拵えで作ったものですが、効果は保証しますよ」

 ふん、と鼻を鳴らして、焔は鈴を受け取る。

 二つのうちの一つを彼に投げ渡されて、荒川は漸く我に返った。

「な、な、なんだよそいつ!? あとこの目は!?」

 叫んだ荒川に、焔が如何にもうるせぇなと言いたげに顔を顰める。

「……前に話したろ、『裁判者機関』。人間の魂を回収して転生させたり、暴れる『外』からの人外種を裁いたりするような人外組織だって。

こいつはその一人だ。ついでにそこの悪趣味な目はこいつらが使う空間転移術の発現」

「悪趣味とは随分ですね」

 焔に顎で示され、男は朗々と笑う。そうして、荒川の前で堂に入った一礼を見せた。

「人間界支部所属、六角担当在住裁判者、ダドリー・ジャッジメントと申します。どうぞ、今後があるかは知りませんが、お見知り置きを、神憑きの子のご学友」

「友じゃねぇ」

 間髪入れずに否定した焔に、また男――ダドリーは笑う。それに気分を害したように焔は顔を顰めて、しかしそれ以上の文句は口にせず、未だ空中で浮かんでいる目を一瞥する。その視線に、タドリーが笑って口を開いた。

「六花代学園の裏庭に繋がっていますから、お好きにお使いください。細道桜子の件で来たのならば、学園内を調査することになるのでしょう?」

 ダドリーはひとつ、指を鳴らす。その瞬間、焔と荒川の纏う――それぞれの私服が、制服に変質して、荒川は驚いて自らの腕や腹部を摩る。ブレザー型のそれは、小学校は私服、中高は学ランを制服とする学校に通っていた荒川には新鮮だった。きっちりと締められたネクタイは少し苦しい。

「森に紛れるのならば、似たような木にならなければ。勿論幻術ですので、再び町から出れば元の服に戻りますよ」

 ネクタイを緩める荒川の横で、焔は黙って制服へと変わった自らの姿を見下ろしていた。しかし、やがて目の前の男を見上げる。

「……随分手厚いな、裁判者」

「私はいつも手厚くお世話致しておりますよ、神憑きの子」

「ほざけよ他種族嫌いが。細道桜子に何があった? 同情か、アンタが?」

 ダドリーは答えず、焔を見下ろしている。やがて舌打ちをひとつ零して、焔はダドリーに背を向けた。そして、話についていけずに呆然としている荒川の脛を蹴る。

「いってぇ!?」

「行くぞ」

「行くってどう、目ん中入んのか!? 入れんのか!? ……ああクソッわかったよ!」

 半ばヤケクソで荒川は宙に浮かぶ目に飛び込んだ。その体は確かに、目の黒に飲み込まれ、その場から消える。荒川を飲み込んだ宙の目は、一つ瞬きをして、焔を見下ろした。

 焔は振り向いて、ダドリーを見る。仮面の奥の表情は伺えない。

「どうぞ、お気を付けて」

 だがどうせ軽薄に笑んでいるのだろうと当たりをつけて、焔は舌打ちを零した。


 目の中に足を踏み入れて、次に焔が見たのは、緑。

 人工芝が敷き詰められ、花壇と、植木が並ぶ――人の居ない、裏庭である。

「……お前さぁ、あの、裁判者ってのとどういう関係だよ」

 目玉に入ってワープ、という衝撃的な体験をした荒川は暫しへたりこんでショックに打ちひしがれていたようだったが、やがて立ち上がって、疲れた顔で焔を見た。

 焔は、ひとつ、溜息を落とす。

「裁判者の仕事は、世界の均衡を守ること。転生なんて面倒なことしやがる人間の魂と記憶を管理すること、世界の均衡を乱す者を裁くこと――だからだよ」

 焔は一歩踏み出して、荒川の前に出る。

「裁判者が、そういうもので、俺が、神憑きの子とかいう『得体の知れない危険物』だから。

――餓鬼の頃から監視されてる。それだけの関係だ」

 何でもないように答えた焔の表情は、荒川には見ることは出来なかった。

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