告白


 龍神の社から村長の家まで移動したときのように、チャオヤンが私を胸に抱き珠樹チュシュの腕をつかむ。一瞬の浮遊感の後、足に感じるのはしっかりとした大地。私の育った、村長の家の庭。珠樹の、帰る場所。


 桜の葉は、すでに紅く色づいている。


雪花シュエファ、お帰り。そんなところにいないで、早く入りなさい。さぁ、龍神様も」


 桜の葉を拾っていた奥様は、突然現れた私達に驚くこともなく部屋の中へと促す。きっと、昨日朝陽が話をしていたのだろう。私は黙って珠樹の背中を押した。この家に入るのは、珠樹だけ。


「朝陽、早く行こう」


 長く顔を見ていると、泣いてしまいそう。


「そうだな、早く横になるといい」


 朝陽に背中を押され、奥様の胸に抱きとられた。朝陽?どうして?


「秋に、馳走してくれると聞いたからな。祭りはまだだが、今日は、馳走になろう」


 口の端だけで笑い、遠慮なく家に入っていく朝陽。せっかく、もう会わない覚悟をしたのに。


「さ、早く」


 奥様が私を支え、穏やかにほほ笑む。



 綺麗に整えられた寝床。部屋に用意された水差し。どうして?


「龍神様には、旦那様がお酒をお出ししていますからね。雪花は、ゆっくりなさい」


 今すぐにこの家から出たいと思うのに、奥様の優しい手に逆らえない。


「村の為に、本当にごめんなさいね」


 私が横になると、奥様は慈しむように頬に触れる。いつも穏やかな顔が、泣き出しそうに歪んでいるのが切ない。奥様、私、大きな事言ったけど何もできなかったんです。村の大切な龍神様にも、奥様の大切な珠樹にも、助けてもらってばかりでした。言いたいことはあるのに、喉がつまって声がでない。言葉の代わりに頬に添えられた手をしっかりと握った。

 懐かしい、この家の匂い。上機嫌で笑う村長の声が聞こえる。

 奥様の手が心地よくて、ずっとこうしていられたら、と願うのを止められない。


「…、雪花」


 いつの間に眠っていたのか、姉様の穏やかな声で目が覚めた。随分長く眠っていたらしく、部屋の中には紅い光が差し込んでいる。


「起こしてごめんね。食事の用意ができたから、呼びに来たの。龍神様が、雪花も一緒にと言うものだから」


 朝陽が……。いつかと逆だな、と思うと何故か少し嬉しくなった。  

 姉様の手を借りても、立ち上がるときに少し目の前が暗くなる。

 赤い顔をした村長に、穏やかに笑う婿様。忙しそうにお皿を並べる奥様。膝の上の美羽メイユーをあやしている珠樹。ずっと、当たり前だった場所。目の前が滲んでくる。駄目だ、泣いたら駄目。


 珠樹の隣で美羽をあやす。もう忘れられたかと思っていたのに、私を見て笑いかけてくれた。時折感じる朝陽の穏やかな視線に、居心地が悪い。

 長く座っている事が辛くなり、私だけ早々に食事を切り上げ姉様に支えられながら部屋に戻った。


「姉様、珠樹はもう一人で動けるのですか?」


「珠樹は、大丈夫……」


 そうか。もうよくなったんだなぁ。私一人、いつまでも身体が戻らない。だから、朝陽はここに連れてきたんだろうか。紫陽ズーヤンさんに迷惑をかけることも、朝陽が面倒を見ることもないように?  


「姉様。龍神様は、どうしてすぐに社に行かなかったのでしょう?」


「……龍神様に、聞いてみなさい」


 穏やかに笑う、大好きな姉様。髪に触れる手が、優しい。

 あの夜と同じ、上弦の月が空高く上っている。


雪花シュエファ、眠っていないのか?」


 足音もさせずに部屋に入ってきた朝陽が呆れたように呟き、月を眺める私の横に腰を下ろした。


「朝陽。どうして社ではなく、ここに?」


 大好きな家。大好きな家族。そこから、一人で離れるのは寂しい。会わずにそのまま社に行きたかった。


「私との約束は『黒龍の宝珠を取り戻す』こと。其方は約束を守った。ならば、次は間男との約束を守らねば。其方は、間男と『一緒に帰る』と約束したであろう?妻が約束を違えぬようにすることは、夫としての責。そして何より、其方の身体は人としての静養を欲している。龍では人の静養は、わからぬからな」


 涼しい顔で朝陽が答える。月の光を見つめるその顔は、どこか寂しそう。


「私は、このまま社へ戻る」


「私は?」


「雪花は、ここでもう少し身体を厭うがいい」


 柔らかく笑い、私の髪をなでるその姿は、夫というよりも、まるで……。


「朝陽は、村長みたい」


 村長が、姉様に向ける視線によく似ている。それは、妻を見る瞳ではない。朝陽は一瞬だけ瞳をそらし、深く息を吐いた。


「雪花。一つ、其方に伝えねばならぬことがある」


「……はい」


「其方が幼き頃、雪降る夜に其方をここに置き去りにしたのは、私だ」


 何を、言われた?私は頭の中で今の朝陽の言葉を何度も何度も繰り返す。雪の降る中、私を置いていった細い背中。あれは、母様ではなかった?朝陽が、私を捨てた?なぜ? 


「私では人の子は育てられぬ。故、私が守るこの地に、其方を託した。捨てたつもりなどはないが、何も知らず苦しんだだろう。すまなかった」


「なぜ、朝陽が私を?朝陽は……」


「雪花は人であろう?雪花の父は、私ではない」


 私の言葉を、呆れたように即座に否定する。そう、だよね。では何故、朝陽が私を?私の母様は?

 聞きたいことが上手く聞けずに、私はおとなしく朝陽の次の言葉を待った。


「雪花の母は、北の地の者だ。河北フェァベイと同じように、恵みの少ない、子を売らねば生きられぬ地」


 朝陽は、ゆっくりと語り始めた。



 その年は、どこの地でも寒い夏だった。龍庭ですら作物の実りが悪い。雪花の産まれた北の地では税を納めれば民が口に出来る物など何も残らない。そんな年、民は生きるために売れるものは全て売り払う。幼子も、売れる。雪花も『売れる幼子』の一人だった。

 だが、雪花の母は、娘を売ることをしなかった。北の地では生きられぬ、それならばと娘と供に産まれた地を捨て、生きられる地を求めた。

 しかし、実りのある地を求めていくうちに彼女は国を越えてしまう。清華国とて、他国から来た女を黙って受け入れるはずはない。彼女は、幼い娘と二人我が社に隠れ住み、供物を食し生きていた。



 クツクツと笑いながら話す朝陽には、憎しみはなかった。龍神の供物を盗んでいるのに民に見つからぬわけがない。きっと、朝陽が龍庭の民から隠してくれていたのだろう。



 秋も終わり、冬の気配が広がる頃には供物も無くなり、いよいよ母子は死を覚悟した。雪花が妻となるときに飛び込んだあの川へ、母子で身を投げようとしたのだ。我が社で死なれては寝覚めも悪い。川より引き上げ、この地で死を選ぶことは許さぬと、春になるまで社に住むことを許した。

 社の中は冬でも暖かい。食べるにも困らせなかった。雪花も、雪花の母も良く笑い、退屈だった冬は賑やかになり、いつしか生ある限りずっと社に置こうかなどと考えるようになった。

 しかし、それは私の浅はかな思い。幼かった雪花は私の神力を素直に受け入れたが、母の方は受け入れる事が出来なかったのだ。私がそれに気づいた時には、彼女はもう起き上がることも出来なくなっていた。


 其方から母を奪ったのは、この私だ。


 一度は、母を亡くした雪花をそのまま社に置こうと思った。しかし、我は龍。人の育つ様はわからぬ。幼かった其方から、母と他国から来たという記憶を奪い、我が守る地、龍庭の村長に託した。捨てたつもりはないのだが、辛い思いをさせた。

 

 

 すまなかった、と朝陽が頭を下げる。私は捨てられたのではなかった。私の母様は、私を守るために一人でここまで来た。私は、人として生きるために村長に預けられた。


 何度呼んでも、振り向くことのなかった背中は、私の為だった。

 

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