第35話 その口の滑らかさは遺伝
翌日。
あたしは洗面台で髪を整えていた。残念ながら整髪料の類はないので、簡単にワンサイドテールにまとめた。ゆるくしたのは、あたしが癖毛気味だからだ。
ワンポイントに水色系のリボンをあしらえば、ばっちりである。
服装の方も、白くてふわっとしたスキッパーブラウスと、ネイビーブルーのガチョウパンツとシンプルにまとめた。これならある程度動けるけど、同時におしゃれさんだ。
シューズはシンプルに白にして、アクセサリは即席のネックレスとブレスレット。しなやかな植物の茎を組み合わせて、染めてもらったものだ。河原に落ちていた綺麗な石をアクセントにあしらっている。
メイクはいつものように薄く。でも、色目はちょっとしっかりと。
あたしは鏡の前で何度もチェックを入れる。
いや、デートじゃないんだから、ここまで気合を入れる必要はないのかもしれないけどさ。でも、一応、ね?
あ、毛先がちょっと気になるかも。
なんて思っていじっていると、玄関のチャイムが鳴った。
「はーい」
時間だ。
あたしは返事をしつつ、玄関へ向かった。靴を履いて、カバンを肩にさげて、カギを開ける。すると、目の前にはいつもより良い格好をした矢野がいた。
あら、いつもは乱れてる髪も自然な感じで整えられているし、服装だって、動きやすそうだけどキッチリまとまってる。
「……何?」
「いや、なんというか、カッコいいなって」
「……っ」
言葉が見つからなくて、思いついたそのまんま言うと、矢野はいきなり顔を反らした。なんでか耳が真っ赤になっている。あ、ちょっとカワイイかも。
あたしの中で、ウズウズとイタズラ心が出てくる。
「ねぇ、ちょっと嬉しかったんだ? ふふ、結構ウブなのね」
「……アイっちこそ」
「ん?」
「アイっちこそ。上手にウゴッホとか野生とか野獣爆誕な感じから抜け出してるね」
「おいコラお前はもう少し素直に褒めるってことを知らんのか? あ?」
あたしは思いっきり眉根を寄せつつ目を見開いてガンつけながら詰め寄る。
矢野は慌てて数歩下がった。
「うん、どうどう、どうどう」
「あたしは馬か何かかっ!」
「そんな可愛らしい。控えめに例えてヒグマか何かだよ。いや、ホッキョクグマ?」
「あんたねぇ! 言うにことかいて世界最大のクマに例えるか! せめて国内に留めろ!」
ちょっとガチで首根っこ狩ってやろうかしら?
本気で思いつつ睨むと、矢野は耐えきれなくなったのか、ぷっと吹き出した。
「ほんと、ツッコミ面白いね」
「そりゃ関西人ですからねぇ!」
「あっはは」
――あ。
なんか、今、初めて矢野が白い歯を見せて笑ったかも。なんか、新鮮。
ちょっと空白に囚われていると、矢野はそっと手を伸ばしてきた。
「さ、行こ。もうすぐゲーセン開いちゃうから」
理由がなんとも矢野らしい。
あたしは微笑んで、その手を自然と重ねた。手が、温かい。
「分かった。ちゃんとエスコートしなさいよね?」
「……二つの戦闘民族の女王に通じるかどうか分からないけど、善処するね?」
「しばくわよ?」
あたしは真顔で言ってのけると、矢野は平謝りしてきた。
そのまま矢野に手を引っ張られる形で、階段を降りた。さすがに道だと人目につくので、自然と手を離す。
いや、だって、あたしたち付き合ってるワケじゃないし、変な誤解は勘弁だし。
それに、ぶっちゃけて、恋愛沙汰はちょっと遠くに置いておきたい。
フラれたショックはまだ残っているのである。この、胸の奥に。
「それで、部族の方はどうなの? ミーティングしたんだよね?」
「うん、してきたわよ。言語の学習は問題ないと思う。みんな真面目だし」
「そっか。ウポッキャ族の方は? 折り合いとか大丈夫なの?」
「そうね、アスラが族長をタイマンで正々堂々と倒したから、従順よ。ウゴッホ族の面々も彼らを虐げるつもりはないし」
それは表面上ではなく、ステータス画面の情報から得ているので、問題はない。
あたしがそんなことは許さないと表明しているというのも大きいだろうし。仲の方は、概ね良好だと言えるだろう。
それに、得意分野がそれぞれ違うので上手く助け合っている感じだ。
ミーティングも合同で開いているので、あたしとしてはそこまで手間は増えていない。
ただ、アスラとミランダだけで統率するのは大変そうなので、近々サブリーダーをもう一人見つけて任命するつもりだ。
候補は何人かいるので、吟味しないとね。
「食料とかは? 確か、出来るだけ自給自足するとか言ってたじゃん」
「食料を確保するってことは、彼らにとっては労働みたいなものだからね。全然問題ないわよ。そもそもここいらじゃ最強クラスだし。単独行動さえしなければ大丈夫。それこそドラゴンでも出てこない限りはね」
「あー、それ、すっごい大変だったの思い出した」
うんざりした気配を見せ、矢野はぐっと猫背になった。
まぁ、確かに大変なのは分かる。というか、実際ありえないからね、それ。今でも奇跡だわーとしか思えない。実際、本当にヤバいとこまでいってたし。
あんな複雑な状態異常、解除したのは後にも先にもあれだけだろうと思う。
「ま、おかげでみんな無事だしね。そういえば、お礼言えてなかったっけ。ありがとね」
そう言うと、矢野はきょとん、とした顔を浮かべてから、耳を赤くさせた。
あらまた。いや、っていうか。
「なにほげーっとした顔してんのよ」
「いや、その……なんでもない。ゲーセン、いこ」
なんでちょっと不器用な話し方になるのよ。しかも速足になってるし。
あたしもペースを上げながらついていく。
なるべく人目につきにくいルートで町中まで進み、あたしたちはゲーセンの前に到着した。五階建てのそこは、町で一番高そうだし、ちょっと古い感じのある街並みの中では、かなり前衛的なデザインだ。
時間的にオープンを迎えているので、すでに自動ドアの向こうは賑やかだ。
その割には閑古鳥が鳴いてそうな感じだけど。
考えてみれば納得ではある。今、この町にいる人たちで若者はそこまで多くないし、ゲーセンで遊ぶって気にはなれないだろうし。
「本当は、ゲーマーを誘致するために作った施設なんだよね、ここ」
「あ、そうなんだ」
「だから無駄なくらい最新のゲームが揃ってるよ」
そういう矢野はちょっと嬉しそうだった。
まぁ、無類のゲーム好きだし、仕方ないといえば仕方ないか。かくいうあたしもゲームは好きなので、今のでちょっとワクワクしてきた。
無音の自動ドアが開く。
中は円形のホールみたいな作りだ。
早速、いろんな音が流れ込んでくる。店内はちょっと暗めだけど、間接照明が至る所に配置されているので、問題はない。なるほど、綺麗だし、確かにちょっと近未来感。
矢野はすでに通い慣れているのだろう、慣れた足取りでリノリウムの床を進んでいく。
「ねぇ、まず何をするの?」
「もちろん、これだよ」
矢野が足を止めたのは、最新型の格闘ゲームだった。
あー、そういえば、そんなこと言ってたっけ。家庭版では良い勝負になってた。
「オッケー、良いわよ」
「じゃ、早速」
あたしたちはゲーム筐体を挟んで座る。
格闘ゲームらしいノリの良い音楽の中、あたしたちはキャラを選び、ステージを選んで、ゲームを始める。このゲームのコンセプトはシンプル。
だからこそ、超能力や魔法なんかは使えない。純粋な打撃戦闘だ。
「アイっち。家庭版とはワケが違うからね。覚悟しなよ」
「上等」
あたしは一言返してから、画面に集中した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ねぇねぇ、どう思う、アレ」
「いきなり格闘ゲームとは……ちょっとどうかと思いますな、私は」
草場――ではなく、筐体の影から二人の行く末を見守っていた僕と副町長は、内心で呆れかえっていた。
あのゲームは確か、最近良く瞬がプレイしているゲームの一つだ。
ゲームに関して言えば、誰よりも素早く上手くなる素質のある瞬がやりこんでいるのだ。その強さはもはや全国でも通用する。
そんなゲームにいきなり茜ちゃんと対戦するとは……。
自分の強さを誇示したいのは分かるけれど、それは良くないとは思うなァ。そういうトコ、分かってないというか、子供っぽいというか。
茜ちゃんが理解してくれていると良いけど。
「町長? 心配しすぎてる父親みたいな表情になっておりますが?」
指摘されて、僕はちょっとムッとなった。
「可愛い可愛い身内の心配をすることのどこが悪いことなのさ」
「悪いとは申してません。が、何かこのままではちょっかい出しそうな気がしましてね」
「本当に副町長はエスパーか何かかな?」
思わず苦笑すると、副町長はニヒルに笑いながら僕の頭を撫でまわした。
いつかの、あの時のように。
まったく。彼の前では僕はいつまでたっても子供らしい。これでも頑張っている立派な大人だと思っているのだけれど。少なくとも、くたびれてはいないし。
鼻でため息をついて、僕はゆっくりと頭を撫でる手に触れて、離してもらう。
「大丈夫だよ。あの子も、もう大人だし」
「それでも、あなたには前科がありますからな」
つまり監視役ってことか。
「ホントーにイヤなオトナだね、副町長は」
「仕方ありません。常に八艘飛びをして荒ぶるような方を長にしてしまったのです。せめて錨になってやるのが老いぼれの仕事としたものでしょう?」
「鉛よりも重い錨だね」
軽く言ってから、僕は二人の行動を注視する。
あの甥っ子――瞬が茜ちゃんとデートするという一大イベント。しかも瞬の方から誘ったという、超絶レアのこの状況。生目で拝まない理由なんてどこにも存在しない。
今、どんな仕事よりも、この二人の行く末が重要なのだ。
ああ、お願いだから。
茜ちゃんよ、瞬の心を溶かしておくれ。
悲しみと孤独を味わいすぎて、その舌が痺れ切ってそれらを感じられなくなるくらいになってしまった、哀れな瞬の心を。
控えめに言って、良くある悲しい話の一つなのだけれど、それでも、身内として、ああなるまで気付いてやれなかった僕からすれば、未だに身を引き裂かれるように痛い。
「それにしても、悪趣味ですな、覗きとは」
「けど、放置してられるような状況でもないでしょ?」
「おや、まさか私がまだ、今回のデートが失敗して相沢さんが不快な思いをして部族を引き上げてどこかに行くとか、そんな下らない妄想にも至らないことを考えているとでも?」
あ、これ失敗か?
地味な威圧を感じて、僕は背中で汗を垂らす。
「そ、そそ、そんなことはないよ」
「私は確かにカタブツですがね?」
慌てて言い繕うけど、もう遅かった。副町長の低気圧がその一言に乗っかっている。
これはなんとかしないと、帰って仕事しましょうとか言われるパターンッ!
なんとか、なんとかせねば――――っ!
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