第7話 覚えていない人

 入社して、同じ課に配属された同期の石原は、見た目の感じの良さや頭の回転の速さからあっという間に職場に馴染んでいた。

 片や俺はといえば、話すのも上手ではないし、仕事内容も地味だったので、課のシステムの一部として、石原とは逆の意味で瞬時に馴染んだ。

 石原の方が外に出ていたり先輩に誘われたりして席にいないことが多かったが、時間が合えば昼飯に行ったりする仲になった。

「佐々木、デカいな。身長何センチ?」

「百八十二」

「いいなあ、ちょっと欲しい」

「石原は…百七十ちょっとか」

「そう。百七十二センチ」

 嫌味のないさっぱりした男前。可愛らしい感じもするが女性的ではなく、軽い茶髪の髪がサラサラしていて少年のよう。身長も、その風貌に合っているように思っていた。

「石原は年上に人気ありそう」

「まあね」

 否定しないところが、石原のいいところだ。

「佐々木もモテるだろ」

「どうだろ。俺の見た目が怖いせいか、決死の覚悟を決めた武士みたいな表情の人から告白される。正直怖い」

「ははは、何それ」

 これまで三回告白されたが、みんなそんな様子で俺のところに来た。


 入社したての頃は他の同期とも遊びに行くことが多かったので、本当に、かなり長時間一緒にいた。職場の飲み会も、課が同じなのでだいたい一緒だった。そして、最初は何も無かった。

 夏になる頃に、男女混合の同期会を開いた時だった。

 その頃、女子はみんな石原狙いに見えた。近くに座りに行こうとするので、俺は離れたところにいて何も気にしていなかった。

 気が付いたら、石原が泥酔していた。その時は、とても珍しいと思った。

「みんなで飲ませるから、石原潰れちゃったよ」

「二次会は?寝かせとく?」

「いや、明日平日だし、連れて帰ろう」

 そんな話をしていて、一人暮らしの俺が連れて帰ることになった。

 タクシーに乗せた時も、何も無かった。

 そのころ石原が住んでいたハイツに送っていった。鍵を出させてドアを開け、石原を玄関に押し込んだ時だった。

「佐々木!」

 割と大きい声で名前を呼ばれた。

「え?何?近所迷惑だから静かにして」

 注意をしながら俺も部屋に入った。

 しがみつかれた。

「あいつら、怖い」

「へ?」

 あいつらって誰。

「あいつら、寄ってくる。怖い。助けて」

 …女子か。

「もういないって」

「イヤだ、助けて、佐々木、早く助けに来てくれ」

 強い力で、しがみついてくる。

 正直どん引きした。どういう酔い方だ、これは。俺はずっと見ていたわけではないので良く分からないが、何かあったのだろうか。

「大丈夫大丈夫、もう誰もいないから。俺だけだから」

 何かあったのだとしたら、可哀想だ。誰も気付かなかったのか。そう思って、しがみついてくる背中をさすって、あやした。

「ほら、部屋に入って寝ろよ。誰も付いてきていないから」

 ずるずると部屋に連れていく。乱雑に物が散らかった奥に、ベッドマットがあったのでそこに転がした。

 タオルケットをかけてやっていた時、もう一度しがみつかれた。全力で食らいついてきて、俺はそのまま石原の上に倒れた。

「わ、ごめ」

 ごめんと言いかけたその言葉は石原の唇に飲み込まれた。

 え?

 普通に、唇が重なったとかいう単純さでは無かった。

 下唇全てを食らい尽くすようなキスから始まり、柔らかい舌が俺の口の中へ遠慮なしに入ってきて、中の全てを舐め尽くした。

 気が付いたら、身体の下にいたはずの石原が、覆い被さって俺を押さえつけていた。

「い、いしは…」

 言葉を出す隙を与えない激しさ。

 それらの行動のあまりの滑らかさ。


 ピンチの時にパニックになるタイプの人と、冷静になるタイプの人がいて、俺は後者だ。

 正直な感想として、俺はその時『もう食われる』と思った。

 石原の、こちらを押さえる力の加減が絶妙だったからだ。俺の方がずいぶん体格が良いと思っていたが、石原は、鍛え方が違う人の動きを見せた。

 気付かなかったな。こっちの人だったか。

 だとしたら、女子に囲まれて地獄だっただろうな。

 俺、こいつのタイプなのか?それともただ送ってきたから偶然襲われているのか。偶然だとしたら、失礼な話だ。しかし、世の中とはそういうものなのか。 

 理不尽って、こういうことを言うのか。

 どこかでこいつの隙をついて逃げられるだろうか。無理か。

 無理だとしたら、俺の側の被害を最小限にするにはどうすればいいのか。

 俺の、ダメージをできるだけ少なくする。その方法は。


 そんなことを考えていたが、おそらくそれは十秒もない間の出来事だったと思う。

 俺を押さえつけていた石原の力が急にストンと抜けたのだ。

「…?」

 俺に乗っかっている石原の顔を見た。

 眠っていた。


 

 次の日、石原が普通に話しかけてきた。

「昨日ごめんな。久しぶりに酔った」

「え?…ああ、いや…」

「一軒目で記憶ないんだけど、何軒か行った?」

 記憶、無いんだ。

「いや、一次会でお開きになったから」

「俺、どうやって帰った?」

 あ、それも覚えてないパターン?

「俺がタクシーで送った」

「うわ、マジ?ごめん。払う。ごめんな」

 石原は、本当に何も覚えていなかった。

 




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