EPISODE:10 屍死累々/Chase of the butchers

 天塚翔あまつかつばさと出かける前日、金曜日の放課後。


 玄崎明は涼城飛鳥すずしろあすかの住むタワーマンションに立ち寄っていた。流石に初めて訪れた時は高級な雰囲気に気圧されてしまったものの、今では慣れたもので、飛鳥の住む十五階まで平然と辿り着くことが出来た。


 インターホンを鳴らし部屋に入ると、

 

 テーブルの上にはずらりと、物々しい銃器が並べられていた。


「……あの、ここってさ、ヤクザの事務所か何かだっけ?」


 明は唖然とした顔で、飛鳥に囁く。


「半分正解。反社会的勢力とのつながりってのも、あながち馬鹿に出来ないもんね」


 顔を青くしている明に対し、悪戯っけのあるニヤけ面で返す飛鳥。


「ところで、クスリとかやってないよね?」

「失礼ね、そこまで興味ないっつーの」


 ライフルから拳銃まで、ハリウッド映画やテレビゲームで見慣れたものもあれば、そうでないものもある。少なくとも、この法治国家日本においてが、リビングのテーブルにさも平然と置いてある様が、かえって壮観だった。


「一体、どこでこんなの」

「フィリピンやインドネシアの軍隊、あとは在日米軍や警察からの横流し品とか。品質もお墨付きで、もちろん全て新品。お金さえあれば実銃を取引してくれる業者は沢山いるから、ダークウェブ経由で購入したの。今は警察の取り締まりが厳しいから、羽振りの良い客には大振る舞い。夜逃げ前の在庫処分セールってところじゃない?」


 曰く、ダークウェブと呼ばれる、通常の検索方法では閲覧出来ないインターネットの深層部では、合法、非合法問わず様々な商品が日夜取り引きされていると言う。覚醒剤や麻薬、違法ポルノ、スナッフフィルムや何処からか流出した個人情報――金さえあれば戸籍や人身までもが売買されるネットの深層で、銃器や弾薬の取引はまだ可愛いほうだと飛鳥は言う。


 ダークウェブ上で暗号通貨を用いて決済した後、出品者に受け渡し場として東京都内の貸倉庫を指定される。そこに代理の晴臣が車で向かい、事前に送付されていたセキュリティカードで電子ロックを解除し、商品を受け取ったという流れらしい。


「うん、オーダー通り。減音器サプレッサ照準器サイト――アクセサリ周りの用意もだいたいばっちり。ところでハル、他の商品は、お願いした場所に置いておいてくれた?」

「もちろんバッチリさ。それにしても肝が冷えた。幾ら飛鳥ちゃんが大丈夫って言ってても、いつお巡りさんに車停められるんじゃないかってヒヤヒヤしたよ」

「あの辺の警官には手回し済みだって言ったのに。心配性過ぎじゃない?」


 飛鳥は実に慣れた手つきで銃器のうちの一つ、コルトM4A1カービンを手に取った。ホロサイトを覗きながらチャージングハンドルを引いてボルトキャリアの動作を確認、親指でセイフティを操作した後、繊細な人差し指でトリガーに触れる。かちり、とハンマーが落ちる良質な金属音が響くと、彼女は満足げに鼻を鳴らした。


「あのさ、そういうの使い方って、どこで覚えるわけ?」


当たり前のように銃を取り回す飛鳥の様子に、明は率直な疑問をぶつけた。


「前に叔父さんと一緒にラスベガス旅行に行ったんだけど、その時に習ったの。たった二か月くらいの間だけど民間軍事企業PMSCのインストラクターにみっちり仕込まれたから、ひと通りのものなら扱える」

「それ、旅行と言わないだろ……」


 どちらかというと訓練だ、という明の突っ込みを無視して、飛鳥は銃器を手に取りながら、満足げにクローゼットに収納していく。クローゼットの内側にはパスワード式の隠し扉が仕込まれていて、銃器収納用のウエポンラックが据え付けられている。もし仮に警察に踏み込まれたとしても、簡単に在処がバレる事はなさそうだった。


「ところでハル、何か渡したいものがあるって言ってなかった?」

「ああ。ボクのほうからも飛鳥ちゃんに、ひとつプレゼントがある」


 晴臣が、手に持っていた樹脂製のアタッシュケースを開ける。


 そこにはひときわ巨大な拳銃が収められていた。銃器に疎い明でも知っている、テレビゲームやハリウッド映画で見慣れた顔のビッグガン。


「デザートイーグルのカスタムモデル?」


 飛鳥は目を丸くして驚いた。


「対レイブン用自動拳銃オートマチック、通称『メトセラ・マグナム』」


 不敵な笑みを浮かべて、晴臣が熱を帯びた口調で解説を始めた。


「以前、玄崎くんが使ったソードと同じく、メトセラの研究・開発部門で作られた対レイブン用カウンター・ウエポンだ」


 輝く銀色と艶消しの黒のツートンが美しい、巨大な拳銃だった。銃身下部にはアンダーレイルを介し、レーザーサイト一体型のウェポンライトが装着されていた。飛鳥は銃を手に取り、メトセラ製薬のロゴマークが入ったラバー製グリップの握り心地を確かめている。試しに凶悪なまでに大きなスライドを引くと、金属が噛み合う音と共に排莢口が恐竜の顎のように口を開ける。


「超硬ジュラルミン削り出しのレイルドフレームに対腐食加工を施した強化スライド、人間工学を意識したエルゴノミクスグリップを搭載し、最新鋭の技術で生まれ変わったデザートイーグルだ。対レイブン用甲殻徹甲弾やその他特殊弾薬の装備を前提とし、バレル上部には50口径の高反動を相殺するエキゾースト・ポートを搭載している。研究所内などライフルや散弾銃が使用できない閉所での戦闘や、特殊部隊のサイドアームとしての運用を期待されてたのだけど――]


 明には話の意味が全く分からなかったが、飛鳥は興味深く聞いている様子だった。しかし饒舌に語り続けた晴臣が、そこでがっくりと肩を落とす。


「けど?」

「デザートイーグルの高反動じゃ慣れてない人には撃つこと自体が難しいし、そもそも拳銃にオーバーな火力は不要だって言われてね……結局装備としては不採用だ。多少試作品が作られたのみで保管庫にお蔵入りになってたんだけど、脱走ついでに持ってきたんだ。せめて護身用にでもって」


「……確かに、単純な威力を求めるなら、おとなしくライフルかショットガン使ったほうが便利だし。でも、徹甲弾は使えるかも……ありがたく頂戴しとく」


 落ち着いた口調とは裏腹に、飛鳥は大分気にいったかのようにメトセラ・マグナムをいじり回していた。


「でも、こんなに沢山の銃、流石にオーバーじゃないか?」


 明は当たり前の疑問を飛鳥にぶつけた。テーブルの上に置かれた沢山の銃器は、いずれも軍用か警察用の物だと先程聞いた。それがずらりと置かれているとなれば、まるでどこかと戦争をするみたいだ――と明は嫌な予感を覚えていた

「相手はレイブンだけじゃない。怪物と戦うだけじゃなくて、いずれはそれを生みだした人間たちと戦う用意がいる。つまりはそういうこと」

「――ヒトを、殺すってことか」


 レイブンを生みだしたメトセラ製薬。陰謀の裏側に隠された真実を暴こうとすれば、その時に戦う相手は怪物ではなく、明や飛鳥と同じ生身の人間だ。もし仮に、レイブンではない人間を殺さなければいけない時、自分は直接ヒトに手を下す事が、果たして出来るのだろうか――明にはまだ、決心が付かなかった。


「だから、それなりの覚悟は持っていてね」


 軽い口調で言う飛鳥だったが、彼女の言葉には深く、重い意味が隠されているように、明は感じた。


「というわけで、練習でもする?」


 飛鳥が銃の具合を確かめながら、何の気も無しにいった。


「えっ」

「完全防音のシューティングレンジが別階にあるの。フィットネスジムも完備してあるから格闘訓練も出来るし、ちょっと付き合わない?」

「いや、僕はその、レイブンだし……」


 しどろもどろに言う明。実際の所、明の身体能力はレイブン化している分、飛鳥より高いのは間違いないが、格闘の技量で言えばそれはまた別の話だ。


「能力に頼るだけじゃなくて、生身で戦う技術を身につけるのも大事じゃない? 手取り足とり教えてあげるから、覚悟しててね――それと」


 明を見つめる飛鳥の瞳には、いつの間にか熱がこもっていた。もはや逃げられないことを悟った明は助けを求めて晴臣のほうに顔を向けるも、彼はコーヒーを飲みながら目を逸らした。最悪な事に口元をニヤケさせながら、見て見ぬふりをしている。


「いい加減、他人行儀やめない? ねえ、

「分かったよ……


 明は諦めた表情で返すと、投げ渡されたトレーニングウェアを受け取った。


 結局、射撃訓練と格闘訓練から解放された時には夜の十時。ここから明日のデートの準備をしないといけないのかと考えると、明は疲労困憊の溜息をついた。


EPISODE:10


『Chase of the butchers』


 イルミネーションに照らされたショッピングモールの噴水広場。


 数多くの死体がタイル張りの地面に横たわる中で、玄崎明と一対一で対峙している甲虫型レイブン――タイプ・ビートル。四本の前足の先端には半月状に湾曲した鋭い鍵爪が生え、発達した筋肉を備えた後ろ脚で硬い地面を踏みしめている。何より特徴的な一本角で超高速の突進を連続で繰り返す怪物に、明は苦戦を強いられていた。


 周辺に立ち並ぶ店舗やオブジェなどの悉くが、原型を留めない程に破壊されている。強靭な後ろ脚が生み出す爆発的加速から放たれる突進を食らえば、幾ら分厚い甲殻を纏う明でも命は無いだろう――しかし、明は突進を完全に避けきることが出来なかった。生物兵器として開発されたのも容易に頷けるヒトと昆虫が混ざりし怪物が、凄まじい怪力で明=黒きレイブンを、ショッピングモールの壁面に押し付けた。


「くそ、こいつ――」


 辛くも、一本角による攻撃だけは間一髪で回避出来た。背後の壁面に大穴が空いているのを横目で見て、これを喰らえばもひとたまりも無いと戦慄する。幾ら胴体を殴りつけてもびくともせず、単純な膂力で押し返す事は不可能だと明は察した。


 獲物に組みついた状態で興奮したタイプ・ビートルは甲高い鳴き声を上げ、更に拘束を強めようと残りの節足に力を込める。全身の甲殻がぎりぎりと軋み、怪力に耐え切れずヒビが入り始める。


 このままではまずい――と明は舌打つ。


 何故だか、体が重く感じていた。全身の鎧が動きを妨げる枷となっているかのように感じ、意識だけが体より先に動いている感覚を覚えた。もっと早く動ければと苛立ちを覚えるがどうしようもない。カタナさえあればこんな奴滅多切りに出来るのに――と歯噛みするが、デートだと油断して、家にレイブン・ソードを置いてきた。自分に言い訳は出来ない。その迂闊さが命取りになるとは、正直思いたくない。


 ほんの少し眼を逸らしただけで、視界には物言わぬ亡骸が飛び込んでくる。冷たい地面に横たわった無数の死体。自分の無力のせいで命を奪われた罪無き人々が、生気を失った眼でこちらを睨んでいるような気がした。心臓の鼓動がやけにうるさく耳元に響いてくると同時に、頭の中から、誰とも知らぬ声が繰り返し響いてくる。


  ――今すぐに、奴を殺せと。


 怒りと焦燥に裏打ちされた殺意が、強迫観念となり鎌首をもたげ始める。


 だったら、やけくそだ。


 右手拳で腹部を殴り付ける。何度も、何度も拳を打ち付けるも、強固な甲殻と筋繊維で守られた腹部にダメージはほとんど入らない――しかしそれも承知の上。再び強く殴りつけ、甲殻と甲殻の継ぎ目、膜状になった腹筋の隙間に拳を深く食い込ませると、明は密着した状態で、右腕のブレードを展開する。


「喰らえよッ!」


 零距離の状態で生成されたブレードが、タイプ・ビートルの腹部を真ん中から貫いた。後方に飛び散る赤黒い血液、明はそのまま状態を真っ二つにせんと右手に力を込めるが、その意図を察したのかタイプ・ビートルは後退し、明に組み付いた状態から一歩引き下がる。


 大量の血液を漏らす腹部を抑えながら、激痛に猛り狂った声を上げる。すると背部に収納していた二枚の薄羽を展開、そのまま上空に逃走する――かと思えば。


 彼方へと飛び去ったふりをして、数十メートル先で鋭い軌道を描くUターン。鮮血の尾を宙空に引きながら、上空から明に対し一直線に突進を仕掛ける。闇夜から地面へと向けた墜落じみた特攻を、明はじっと、琥珀色の眼光で見据える。


「――来るか、なら」


 明の脳裏には、本能的に迎撃の術が浮かんでいた。


 敵の攻撃を知覚した直後、右足の踵が熱くなり、漆黒のブレードが伸びた。

 軸足の踵を敵に逆向ける。集中が極限まで高まるその絶頂。


 上空から突撃するレイブンの攻撃を僅かな所作で躱した瞬間、すれ違いざまに相手の頸椎を狙い、蹴り入れた。踵に伝わる微かな感触、しかし完璧な手応え。踵に生えたブレードと後ろ回し蹴りが生む強烈な遠心力が、タイプ・ビートルの首を容赦無く斬り飛ばす。


 巻き起こる、黒き旋風。


 落下の勢いそのままに、地面に怪物の胴体が滑り落ちる。鮮血が地面に尾を引き、斬り飛ばされた甲虫の首だけが、その場にごろりと落ちた。頸椎を断たれた怪物は、首だけで数回瞬きを繰り返し、か細い断末魔をあげた後、静かに事切れた。


 深い、ため息を吐く。明がレイブンの骸から眼を離し、変身を解除しようとした、


 その時。


 首無しの骸が視界の隅で、事切れたはずの体を起き上がらせた。


「――っ!?」


 完全に、虚を付かれた形だった。頸部を断たれ絶命したはずの甲虫が、再び殺意を蘇らせ、明に手を伸ばしていた。急いで振り向くが、もはや反応が間に合わない状態に、まずい――と目を見開いた。


 首無しの怪人が明に手をかける一歩手前。

 目の前によぎる、灰色の影があった。


 遙か彼方から死を運びし、白き翼を持つ怪人――スノーホワイトは、着地と同時にその強靭な両足を用いて、甲虫型レイブンを踏み潰した。猛禽類の狩りの如く、瞬く間に獲物を捉えたスノーホワイトは、蘇ったレイブンの胸殻を真上から叩き壊し、剥き出しの心臓を片手で握り潰す。


「……お前」


 明の目の前に再び立つ、スノーホワイト。琥珀色の眼光を闇夜の中爛々と輝かせ、レイブンの死骸から引き抜いた腕から、赤黒い血を滴らせている。そして何を思ったか白き怪人は、周辺に転がる人間の死体を右手で取り上げると、


 大きく口を開け、首筋に齧り付いた。


 唖然とする明に見せつけるかのように、死体の喉仏にかぶりつく。死後時間が経過しているにも関わらず、喰い千切られた頸部からは尚、新鮮な血液が溢れている。傷口から漏れる鮮血を無我夢中で飲み干すと、スノーホワイトは満足げに喉を鳴らし、ぎょろりとした目付きでこちらを向いた。


「お前……人間、を」


 ――何故だろうか。奴だけは、例外なような気がしていた。

 震える拳を、明は無意識に握り締めた。


 スノーホワイトは紛れも無い怪物だ。他のレイブンと同じく人喰いの魔物であり、斃すべき存在であることは間違いない。しかし間接的にとは言え、風前の灯火だった自分の命を死の淵から繋ぎ止めてくれた。攻撃対象を他のレイブンとし、おそらくは人間が変身しているであろう存在に、明は無意識のうち、奇妙な親近感を覚えていた。


 その正体が人間ならば、あるいは凶行を止められるかもしれないと、淡い希望すら抱いていた。そんなスノーホワイトが、目の前で屍と化した人間を貪り喰っている光景に、明は胸の内から込み上げる怒りを抑えることが出来なかった。


 ゆえに、爆発的に、駆け出した。


 奴の正体なんてどうでもいい。今ここで、奴を仕留める――そう決意した明は一瞬にして彼我の距離を詰める。後手に回れば機動力で圧倒される。先手を取ればあるいは主導権を握れるはず――


 そんな明の甘い見通しは、当たり前に見越されていた。明の繰り出した右ストレートはスノーホワイトに易々と見切られる。腕をクロスした状態で防御された後、即座に繰り出されたカウンターは明の腹部を深く抉り、彼方へと勢い良く弾き飛ばした。


 いつの間にか、明はショッピングモールの外側に跳ね出されていた。多くの車が行き交う交差点に現れた二体の怪人――ヘッドライトの明かりで照らし出されたその異形なる姿が露わとなり、周囲の人々は騒然となる。車を置いて逃げ出した人たちがパニックと化す中で、道路の真ん中で上体を起こし、苦悶の表情で立ち上がる明。


 低空飛行で追撃するスノーホワイトの追撃を、明は間一髪で回避する。防戦一方ではあるものの、以前遭遇した時より少しは相手の攻撃に対応出来るようになってきた実感が、肌で感じられた。動体視力の向上か、あるいは攻撃のリズムが少しずつ読めてきたのか――だがその一方で、反撃の糸口は全くと言っていいほど見当たらない。


 矢継ぎ早に繰り出される攻撃は着実に明の体力を蝕ばみ続け、秒刻みに集中を削ぎ落としていく。このままではいずれやられてしまう――と明は内心で歯噛みする。


「体が、重い……!」


 先ほどと同じく、全身に纏わり付く甲殻が邪魔に感じられた。視線で相手の行動に追随できるようになってきたことに次いで、意識だけが体の外側に先行しているような感覚に、いつのまにか身体動作との齟齬が起き始めていた。


 無理矢理に相手の動きを追い、一旦は回避行動に専念しながら反撃の機を窺う。

 不意に、スノーホワイトが明以外の方向へ目を向けた。


 殺気の方向が、突如別の角度へと向く。


 視線の先には、地面にへたり込む女子中学生の姿があった。丁度学校からの帰り道に事件に出くわし、混乱から逃げ出そうとして足を挫いたのだろうか。恐怖と焦燥に駆られた表情を浮かべ、負傷した右足を庇うように抑えている


 琥珀色の眼光と、少女の怯えた目線が交錯する。


「やらせる、か!」


 戦慄に満ちたその間に、黒きレイブンが割って入る。


 少女に敵意を向けたスノーホワイトに全力で突進、両手で肩を掴むと無人となったトラックへと勢い良く押し付ける。


 黄金の眼球同士が睨み合い、至近距離で殺意の火花を散らしている光景を、少女は呆気に取られて見つめていた。怪物と怪物が戦っている光景にしばし見とれるように顔を見上げていたが、はっと正気を取り戻した少女は再びその場で立ち上がり、痛む足を懸命に引きずって、その場から逃げ出した。


 少女が安全な場所に逃げたのを横目で視認した明は、スノーホワイトの動きを封じた状態で右腕のブレードを展開、これが好機と今や無防備な相手の首筋へと突き刺そうとした――が、その直後、明は自分の判断が迂闊だったと知る。


 まさしく一瞬の隙。明がブレードの刺突を繰り出そうと右腕を離したその刹那、僅かな間に緩んだ拘束を、スノーホワイトは見逃さなかった。嫌な予感を察知した明が本能的に身を逸らすがもは時すでに遅し。瞬時に展開された白き双翼は鋭利な刃と化し、明の右脇腹を、ごっそりと抉り取った。


「が――っ」


 判断する暇もなかった。

 脇腹が半分以上消滅した状態でよろめくと、明は交差点の真ん中にばたりと倒れ伏す。夥しい量の出血が体の下で赤色の水溜まりと化し、アスファルトの隙間に飲み込まれていく。胴体が真っ二つにされていないのがまだマシなぐらいに脇腹は深く抉れ、傷口が背骨に達していないのが奇跡に等しい。大量の出血で朦朧とする視界の中で、冷たい足音が、耳元に近づく。


 最後の止めを刺しに、ゆっくりと迫り来る白き怪人。

 混濁する意識の切れ間。


 ――そういえば。前にも似たような状況があったな。


 と、明は場違いにも、思い出していた。


 蜘蛛型のレイブンに致命傷を負わされ、死の淵に立たされた夜。

 あの日、朽ち果てた工場で死んでいたはずの玄崎明を、目の前の怪人――スノーホワイトは蘇らせた。


 レイブンとして生まれ替わった明は、与えられた力の使い道を探し、夜な夜な戦い続けていた。あれからまだ、一ヶ月も経っていないのだと思うと、今までの出来事がタチの悪い夢のように思えてくる。


 果たして運命が残酷なのか。あるいはこの天使が自分を弄んでいるのか。

 再び授かった命は、それを与えた者の手で今まさに、奪われようとしていた。

 いっそひと思いに殺せ――


 瞼を強く閉じた明。

 だが、最期の時は訪れなかった。


 代わりに明の視界の外から、


 スノーホワイトは文字通りに吹き飛ばされた。切れ味鋭いドリフトで交差点に進入してきたジャガー・Fタイプ・クーペが、甲高いブレーキ音を響かせながら、横殴りに白き怪人を弾き飛ばした後、倒れた明の前に停車する。


 闇夜を切り裂きしガンメタリックのスポーツカーが街灯を煌びやかに反射し、猛獣の名に相応しき凶悪な排気音を周囲の空間に響き渡らせる。


「明くん! 生きてる!?」

「飛……鳥?」


 ヘッドライトのハイビームが周囲を眩く照らす中で、運転席から顔を出したのは凉城飛鳥だった。スポーツカーのハンドルを握る飛鳥に面食らっている明に対し、彼女は「乗って、早く!」と声を張り上げた。


 這いずりながら後部座席へ向かう明を逃がさんと、スノーホワイトは車に跳ね飛ばされた状態からすぐさま体制を立て直す。


 それをあらかじめ予感していた飛鳥は、助手席に置いていた得物を手に取った。窓越しに標的を見据え、右手で構えたのはH&K MP5K。比較的小振りな形だが強力な火力を有する短機関銃。ダークウェブで密売されていた銃器のうちのひとつ――左手をハンドルに掛けたまま躊躇無しに引き金を絞ると、装填された9mmパラベラム弾がフルオートで発射される。


 銃口に花開く十字のマズルフラッシュ。三十連発式の弾倉が、瞬く間に撃ち尽くされる。しかし目の前の怪物に対しては雀の涙ほどの効果もない。硝煙の向こう側、スノーホワイトは微動だにせず全ての弾丸を防いでいた。


「やっぱ9ミリじゃ無理か――でも!」


 拳銃弾程度ではレイブンの堅牢な甲殻に傷ひとつ付けられないのは百も承知。これはあくまで、用意した本命に対し油断させるための前座に過ぎない。


 MP5Kから持ち替えたのは助手席に用意してあったコルトM79グレネードランチャー。中折れ式の銃身を手首のスナップを利かせて閉鎖すると、運転席の窓から大きく身を乗り出し、動きを止めたスノーホワイトに向け片手で照準する。


「こいつなら、ちょっとくらいは!」


 引き金を絞ると同時に、軽快な発射音と共に放たれた40mmの榴弾が間を置かずに着弾。付近の車両に誘爆し、盛大な火柱が立ち上がる。


 流石の怪物も、これにはひとたまりも無いだろう――と思わせるほどの爆発だった。車のガソリンに引火した爆発は交差点一帯に破壊の限りを撒き散らし、炎が夜の暗闇を煌々と照らしている。こんな状態で生き残れるものが居るとは誰も思わない。


 飛鳥はそれでも、警戒の姿勢を崩さなかった。


 古嶋晴臣曰く、戦闘用生物兵器として開発された最強のレイブン、それがスノーホワイトだ。実験段階で開発放棄された言わば「机上の空論」と呼ばれた存在だが、今、明と飛鳥の目の前で、かたちを持った怪物として顕現している。


 この地獄めいた業火の中、生き残れるものが居るとすれば。

 それはまさしく、最強と言う怪物の名に相応しい。


 飛鳥は黒煙の中、ゆっくりと立ち上がる影を、目の当たりにしていた。


 スノーホワイトは健在だった。甲殻にやや煤けた汚れが付いている以外に全く変わらない白亜の姿。天に昇る炎を背にした天使は、巨大な双翼を鋭く羽ばたかせる。


「無傷っ!? なんてデタラメ……! 本気で倒したいならRPGでも持ってこいっていいたいわけ!?」


 悪態と共に舌打つ飛鳥。少なくとも、ある程度の時間は稼げた。血塗れの状態で後部座席に体を放り出した明の変身が自動的に解かれ、もはや死に体の生身が露わとなる。脇腹の傷は深く抉られ、尚も止まらない大量の出血で意識が朦朧としている様子だったが、明は尚、確かな気を保っていた。


「くそ、奴が……まだ」

「そんな体でどうしようって言うの! まず逃げるのが先!」


 反射的な手つきで飛鳥はシフトレバーを操作、右足で勢い良くアクセルを踏み込むと、ホイールが甲高く鳴り響く。交差点から大通りに躍り出し、一刻も早くその場から退避しようとジャガーの速度を上げる。


 それに反応して大きく翼を広げたスノーホワイトは、飛鳥と明が乗るジャガーを逃さないと言わんばかりに離陸、背後から猛然とした勢いで追い立てる。低空飛行でぴったりと付いてくる白き天使は、複数の車両が往来する大通りを閃光の如く駆け抜ける。制限速度をゆうに超えているのを百も承知で飛鳥はアクセルを強く踏み込むが、サイドミラーにはすぐ後ろに密着するスノーホワイトの姿が映し出される。


「っ――、早すぎる!」


 飛鳥はハンドルを握りながらダッシュボードの上に置いてあった自動拳銃――ベレッタPx4 Stormを手に取り、運転席の窓越しに振り向いて発砲した。立て続けに三発。大して効果があるとは思っていない駄目元だ。せめて目眩ましにでも――と思い撃ち放った弾丸のうち一発がスノーホワイトの顔に命中するが、頭部の甲殻に阻まれ、かすり傷のひとつすら与えられていない。


 抵抗は無駄か――舌打ちしてふと、後部座席に横たわる明の様子を見た飛鳥。


「な、何やってるの!」


 自らの重傷を無視して、明は後部座席に置いてあった樹脂製のアタッシュケースに手を伸ばしていた。ケースにはメトセラ製薬のロゴマーク。激痛に震える手で蓋を開けると、見るもの全てに威圧感を与える大型拳銃ビッグガンが顔を出す。スポンジに納められているのは銀色に輝く超硬ジュラルミンフレームに艶消しの黒色が美しい強化スライドを合わせ持つ、デザートイーグル50AEのカスタムモデル。


 


「奴を……堕とす。出来るだけ揺らさないで」


 巨大なマガジンを底部から挿入、限界に近い体力でスライドを引くと、重厚な金属音と共に初弾が薬室に送り込まれる。撃ち方は飛鳥に教わった。後は、狙う相手さえいればいい――明は後部座席の窓を開けて、車の外に上体を乗り出した。


「っ、そんな体で、無茶言わないで!」


 悪態を吐きながら、巧みなハンドリングで車体を制動する飛鳥。


 制限速度を完全に無視して加速を続けるジャガーに、尚もスノーホワイトは追随する。一般道を走る車両を全速力で避けながら疾走するジャガーの車体は激しく揺れ、猛烈に吹きすさぶ風が明を打ちすえる状態で、おまけに標的は飛行中。そして得物を握るのは重傷を負い、息も絶え絶えな自分ときた。


 呆れるほどに、絶望的な状況。


 加速したスノーホワイトの右腕が、トランク上部にかかる。鋭い鉤爪が車体に突き刺さり、火花を上げながら五本指で引っ掻き傷を付ける。車体を両手で掴まれたら一貫の終わりだと言う状況で、再び明とスノーホワイトの視線が相まみえる。


 ――出来るという確信は無かった。けれど、すべき事は分かっていた。


 銃を握る右手を伸ばした。明が祈るように目を閉じた刹那、

 右腕だけが、漆黒の甲殻に侵食される。


 目を開けると、明の瞳は琥珀色に塗り変わっていた。黄金の視線を通し、暗闇の中青白く光る集光トリチウムサイト越しに、標的に狙いを定めた。


 トリガーを引く。


  躊躇うことなき撃発の後、銃口に花開く紅の円輪。絶大な威力を以て放たれた対甲殻用徹甲弾アーマーピアシングは、コンペンセイターでも抑えきれないほどに眩いマズルファイアと共に放たれた。弾丸は正確無比な軌道を描き、スノーホワイトの顔面に着撃、甲殻で覆われた顔面を正面から叩き割った。

 

――命中、そして失墜。 


 徹甲弾の直撃を受けたスノーホワイトは空中で力を無くし、その場に落下する。アスファルトの上に全身をもろとも打ち付け、何度も巨大な身体がバウンドする。


 反動の衝撃が伝わると同時に甲殻は破片として剥がれ落ち、明の右腕は生身の状態へと戻る。以前の明では成し得なかった、甲殻化部位を右腕のみに限定した局所的な変身。レイブンの視力による正確な照準と強化された筋力による反動抑制の代償は大きく、明は全身に響き渡る激痛に苛まれながら、再び後部座席に倒れこんだ。


 徹甲弾の威力は絶大だった。スノーホワイトの頭部を覆う甲殻のおよそ半分が、着弾により破壊されていた。剥き出しになった表情は鮮血と憎悪に塗れ、逃走する獲物の背に向けて、おぞましき咆哮をあげた。その甲高い鳴き声が明たちに聞こえたのは、彼らが乗るジャガーが遙か遠くへと逃げ去った後だった。


 後ろを何度も確認し、追っ手の姿が見えなくなったことをようやく確認した飛鳥は、明の様子を伺おうと振り向いた。明は額に玉の汗を浮かべ、ぜぇぜぇと苦しそうに喘いでいる。タイプ・ビートル、スノーホワイトの二体と連続で戦った挙げ句、最後の力を振り絞って局所的なレイブン化まで成した明の体力は、既には限界に近いはず。幾ら超人的な力の持ち主だとしても、すぐに適切な処置を受けさせなければ命は無い――ハンドルを握る飛鳥の手に、無意識に力がこもる。


「――それにしても」


 加速する背景を窓越しに、飛鳥はひとりごちる。


 スノーホワイト出現の報を受けてから、頭から離れない考えがあった。


「奴はいったい、どうやって……?」


 何故あの場所に、スノーホワイトが現れたのか、という疑問だ。


 天塚家の状況は、二十四時間体制で監視していた。周辺箇所に複数個設置していた監視カメラにて、全てを漏れなくモニタリングしていた。仮にスノーホワイトの正体が天塚丈一郎ならば、外出した姿が必ず映っているはずだった。


 しかし、天塚家から丈一郎が出てくる事は全く無かった。明とデートに向かう為に外出した娘の天塚翔以外に、家からはネズミ一匹も出ていない。


 監視の目を掻い潜るほどの何らかの抜け道――地下道や隠し扉の類いが存在しているのか。あるいは、天塚丈一郎=スノーホワイトという考え自体が間違いなのか。


 レイブンが人目をはばからず市街地に出現し始めたこと。


 そして、スノーホワイトの真の正体。


 最初から、考えを改める必要があった。


 至急、作戦を練り直さなければならないのと同時に、飛鳥の中で、もう一つの可能性が浮かび上がっていた。しかし、後部座席に座る明を見やると、その考えを現実に当てはめるのはあまりに早急過ぎると、険しい表情で考え直した。


 ――もし、スノーホワイトの変身者が別にいるのならば。

 該当する人物が、他にいないわけじゃない。


 可能性を排除してはいけないと思いつつも、頭の片隅にある考えを口に出してしまえば、明は何て反応を返すだろうかと気になってしまう。確定出来ない曖昧な考察に思考を巡らすよりも、今は明を助けることに集中しなければいけない。


 自宅マンションでは医療設備を準備して晴臣が準備をしている。以前、右腕を切断されても一晩で回復した明だが、命を脅かす重傷であることには変わりは無い。


 ――急がないと。


 飛鳥は再び、アクセルを深く踏み込んだ。

 黒光りするジャガーの車体が、深い夜の闇に溶けていった。


EPISODE:10 End.

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