第10話 黒檀の歓迎

「ん、んん……」

 少しずつ意識が明白なものとなって行き、長い眠りから覚めたことを自覚する。

「少し、眠り過ぎちゃったかもしれないな……」

 昨日は色々なことがあり、心も身体も疲れていたせいか、いつも以上に長く深い眠りに沈んでいたようだ。

「それにしても……」

 僕は少し起き上がり、自分が横になっていた寝台に目を通す。その敷き布団の色は薄青色で、黒色よりも白色に近い感じだ。部屋全体を見回してみると、黒で装飾された家具が少し多く見受けられるが、自然な範囲内に留まっている。

 それよりも特筆すべきは部屋の豪華さだ。決してやたら多くの装飾品が飾られているわけではなく、部屋に備えられているいる物品一つ一つに、確かなこだわりと、他に見たことがないぐらいの質の良さがあるということが、素人目にも感じられるのだ。部屋の広さに関しても無駄がない。そしてなにより、この部屋を黄金のごとく輝かせているのは、そっと添えられた一輪の黒薔薇であった。

 寝台からから少し離れたところに置かれた机の上に飾られているその花は、部屋にあるどんなものよりも美しく、純粋な黒を纏っていた。

 ――そうか。ついに僕は黒の国、スウァルテルムに、しかもその王の城に招かれたんだな……。

 思い返せば思い返す程に、感慨深いでは言い切れない思いが込み上げてくるようだ。

 昨日、ようやくこの国にたどり着き、死ぬかもしれないというような思いをしながらも、なんとかこの場所に辿り着いた。その記憶は、遠い昔のことのようであり、まるで眼前まで迫り続けてくるようですらある。

 僕がそのような記憶の海に身を震わせていると、不意にドアを三度程叩く音が聞こえてきた。

 立ち上がって戸をあけると、昨日この部屋に案内してくれた女性が立っていた。髪の色は屈託のない金色で、見た目は僕と同年代ぐらいの若さに見える。

「おはよう、君は確か……」

「私の名前はリュメです。まさかお忘れになったわけではありませんよね?」

 彼女は濃い青色のその瞳をぎらりと光らせる。

「も、もちろん! リュメさんの名前は、とてもよく覚えてるよ!」

「そうですか……。まあ覚えて頂かなくても結構です」

 なんというか、やはり彼女の言葉にはがあるような……。

「そ、それにしてもスウァルテルムの朝は本当にいい朝だね。陽射しもそんなに強くなくて、サントニアとは大違いだよ」

「今は朝ではなく昼ですよ。それより、私は王様より命を承ってここに来ました」

「そ、そうなんだ……」

 まさか今が昼だなんて! サントニアだったら今ごろ眩しいぐらいに光が充満していることだろう! 恐るべし、スウァルテルム……。

「あの、私の話聞く気ありますか?」

「え!? あ、ああ、もちろん。王様からのご命令だよね?」

「その通りでございます」

 あ、危ない危ない。文化の断崖的差異に飲み込まれてしまうところだった……。平常心を保ってゆかなければ……。

「レイオス様を客間に招待して差し上げろとの命令でございます」

「わ、分かった」

「それでは、まず招かれるに相応しい服装に着替えてきてください。着るのに充分な服が、この部屋に用意されておりますので」

「一応聞きたいんだけど、どんな服がいいのかな?」

「王様はそのようなことにはこだわりません。ですが………そうですね……あえて申し上げるとするならば――」

 そんなこんなあって、僕はリュメのオススメの服に着替えて、王様の待っている客間まで案内されてしまった。

「ね、ねえリュメ? 本当にこの服で合ってるのかな? ちょっと派手過ぎるっていうか……」

「いえ、問題ありません。クシェリ様はこういった情熱的な服装がお好きですから」

 リュメに勧められて今来ているドレスは、形こそ高貴な人が着てもおかしくないできなのだが、上下ともに印象の強い赤で彩られており、これから王様と相まみえるのに向いているとは言えない代物であった。

「や、やっぱり着替えてきた方がいいんじゃないかな?」

「……それよりも、早く室内にお入り頂いた方がよろしいかと。王様はもう待ちくたびりております。首を落とされてしまうかもしれませんよ?」

「そ、そんなに!? わ、分かったよ。部屋に入るよ……」

「そうしてくださいませ」

 脅しじみた助言を受け、考える暇もなく扉を開ける。うう……。なんだか騙された気分だ。

 部屋の中に入ると、二人用のゆったりとした大きさの黒のテーブルに昨日出会った王女様が座っていた。テーブルの上には筆と数枚の紙、それに白色の薔薇が置かれていた。

「王様、ご招待を受け参りました。この度は、このように暖かくもてなして頂き、まことに感謝しております」

「こちらこそ、遠い場所からここまで来てくれて、本当にありがとう。さあ、おかけになって」

「ありがとうございます」

 王女様に勧められるまま席につき、彼女とは向かい合わせの形となる。

「それにしても、ふふ、あなた、とっても面白い格好をしているわね」

「あ……この服は案内してくださった人に勧められたんですけど、やっぱりお気に召さなかったでしょうか?」

「あなたをここまで案内したのって、リュメでしょ? なら絶対からわれてるわよ、ふふ。」

「うう……やはりそうでしたか」

 顔が恥ずかしさで真っ赤になる。こんなことなら言う通りにしなければよかった……。あとで絶対仕返ししてやる……。

「そんなに気を落とさなくてもいいのよ? 私は情熱的な色は嫌いではないし、意外だったからとても楽しめたわ」

「そう言って頂けるととても嬉しいです……」

 出会ってまだ2日目だが、やはりこの人は優しい人だ。言葉の端々から僕への気遣いが伝わってくる。

「まあそれはよしとして、新ためて自己紹介させてもらうわね。私の名前はクシェリ。この国を統治する役割を担っているわ」

「自己紹介して頂き、恐縮です。では僕からも。名前はレイオスと申します。サントニアから来ました」

「よろしくね、レイオス。私のことは名前で呼んでくれて構わないからね?」

「ありがとうございます。では、クシェリ様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」

「んー、もうちょっと砕けた呼び方でも構わないのだけれど……まあいいわ、あなたの好きなようにしてくれれば」

「は、はい……」

 彼女は少し不満そうな様子だったが、さすがにこの国の王に向かってこれ以上砕けた呼び方をする勇気はなかった。

「それで、あなたは白の国、サントニアから来たということだけど、よかったら色々質問させてもらっても構わないかしら? そちらの国とは国交が断絶していて、あまり情報が伝わって来ないのよ」

「そうだったのですか……。ですが、私はそれほど高貴な身分ではなかったので、お役に立てるようなことはあまりないかもしれません……」

 実のところは、高貴な身分じゃないなんて程度じゃないんだけどね……。

「別にそんなすごい情報を求めているわけではないわ。あなたが知っていること、感じたことをできる限り多く伝えてもらえれば、それで構わない」

「分かりました。できる限りクシェリ様の期待に添えるよう、尽力させて頂きます。……ただその前に、渡したいものがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「構わないわ。どうぞこちらへ渡して?」

「ありがとうございます」

 僕は円柱状に丸められた一枚の高級紙を懐から取り出し、彼女の座っている方へと手渡す。

「どうぞお読みくださいませ」

「ふむ、どれどれ?」

 彼女は少しの間それを眺め、再びその紙を丸く収めた。

「なるほど、セイレンブルクの王から許可証をもらってたのね。でもどうやって手に入れたの? 白の国の者だったら容易にはいかないでしょうに」

「まあそうですね……。ですが、セイレンブルクで出会った友が、力添えしてくれたこともあって、なんとかこの結果を手に入れることができました」

 マリヤの助けがなければ、このように許しを得ることはできなかっただろう。もちろんそれだけでなく、あの青緑の国に住むたくさんの人の助けがあったからこそ、僕はこの地に辿り着けたのだ。

「これはセイレンブルクの王の許可証ということで、私達にとっては信頼証のようなものになるわ。これで、あなたを拒む理由もなくなったわけね。………初めからこれを出しておけばよかったのに、どうしてそうしなかったの?」

「兵士さん達に出会って、すぐ連行されてしまったので………。言う機会を伺っていたら、ここまで来てしまいました」

「『来てしまいました』って……ふふ、うっかりさんなのね?」

「い、いえ」

 そうして少し笑った後、彼女はほっと安心したような表情を見せた。

「でもよかった。これで大臣たちも納得してくれそう」

「大臣たち、ですか?」

「ええ。昨日の夜、あなたを受け入れるかについて会議を行ってね。けっこう反対する人たちが多かったのよ。だから、今日からどうしようかと思ってたところだった」

 そう言って彼女は、少し苦みを含んだような笑いをして見せた。

「そうだったのですか……。まことに申し訳ありません……。私が来てしまったせいで、皆さんに多大な迷惑をかけてしまいました……」

「ちょっとやめてよ! これは私達の問題なんだから、あなたは気にすることはないわ!」

 怒るように、諭すように、彼女はそう告げてくれた。

「ありがとうございます。お優しいのですね」

「え? そ、そう言ってもらえると嬉しいわ。いくら敵国の民とは言え、昨日みたいな仕打ちは我が国の誇りに反するからね。それに、あなたのその髪……。あなたのご両親はどこの国の出身なの?」

「この髪の色のことですか? ……母は白の国の民でしたが、父は異国の出身だったようです。僕が物心がつく頃にはいなかったので、父がどんな姿をしていたのかは分かりません……」

 彼女に語らいながら、見たことのない父親へと想いを馳せる。僕の母親は、父のことを優しくて強い人だったとよく言っていたけど、父の出自に関してはついぞ教えてくれなかった。今思うととても不思議だ。

「おそらくだけど、あなたの父親は黒の民よ。その灰色の髪は、黒の民と白の民との間にできた子供に特有のものらしいから」

「僕の父親が、スウァルテルムの民?」

「そうよ。今ではあなたのような髪の人は見かけなくなったけど、ずっと昔、白と黒との間のいがみ合いが今ほど激しくなかった頃は、あなたのように灰色の髪をした子の例があったみたい」

「そんなことが……」

 どうりで母は、父の姿のことを多く語らなかったのだ。

 じゃあ、僕がサントニアを去り、この地に導かれるようにしてやってきたのは、全て血に定められた運命だったと言うのだろうか?

 ――失われた歯車が揃い、静かに動き出すような、そんな感触が胸の中に響いていた。

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