Ⅱ—冬哉

 瑞希に気付いた晃生は、一瞬驚いたような顔をして、それから一目でわかるくらいの怒った顔をする。

 だけど、瑞希はそれに構わずに、スマホで文字を打つ。少しして、通知音。


『やめな、晃生』

『あんた、何するつもりだったの』


『止めんなよ、瑞希も今までの話、読んだだろ』


『うん。だけどそれとこれと、話は別でしょ』


 そう言って。なおも何かを続けようとする晃生を手で静止して、それから僕の方に視線を向けて。


『この子が、紗千、って子だよね』


『ああ、うん』


『そ』


 そう短く言うと、そこで何やら黙り込んでしまう。

 慌てたように紗千が。


『ごめんなさい』


『いいよ、あたしもさっきまでの見てたから』


『でも、あの、演奏が』


『いいの。どうせアレがなくても、多分あたし、歌えなくなってたと思うし』


 つい驚いて瑞希の方を見てしまう。

 まだ少し、涙の跡が残る眼尻。だけど、その表情はびっくりするくらい平静で、だから誰も、それ以上は話を続けることができなくなってしまう。

 そして瑞希は、思い出したように。


『そうだ、冬哉、忘れ物』


 と、背負っていたものに手を伸ばす。

 そしてそれを両手で持って、僕の方に差し出す。——それは、ステージ上に置いてきたギターだった。ちゃんとケースに包まれた形で。

 受け取って、自分で背負う。


『そうだ瑞希、あのあとどうなったか、って』


『あ、うん、自然解散、っていうか』

『誰も指揮とれなかったし』

『あたしはとりあえず、同じとこに住んでる友達にキーボード預けて追っかけてきたんだけど』


 その言葉に、わかってはいたのだけど少し、残念に思う。


 確かに会の運営はほとんどマイクを通して行われていたから、それがなくなった以上、どうするか、という連絡すら簡単にはできないだろう。それに、演目だって、声なしで成立するものなんてほとんどないはず。だから、中断、更に言えば再開不能になることは、予想できていたことといえばそうだった。


 だけど、仮にこの状態を解決できたとしても、僕らが演奏をやり直す機会は、多分もう、ない。その事実に気付いてしまって、つい空気が重くなってしまう。


 けれど、そこで、パン、と、乾いた音が鳴って。

 見れば、そこで瑞希が手を打ち合わせていた。


『終わったこと考えててもしょうがないでしょ。それより、どうすんの』


『どうすんの、って言われても、もう終わりだろ、何もかも』


『残念会の方はね。で、どうする?このまま帰る?』


 その問いに、誰も答えずにいると。


『あたしとしては、紗千に協力するのも、やぶさかじゃないんだけど』


『どういうことだ?』


 晃生が聞き返す。瑞希は、少しだけ笑って。


『なんだか、このままだと、あたしたちが紗千の邪魔をしちゃったみたいでしょ』

『それに、紗千の魔法が解けないと、色々と困るしね』


 その言葉に。

 ずっと俯いていた紗千が、急に顔を上げて瑞希の方を見た。

 瑞希は、紗千に向かって、また少し、微笑んで。


『もちろん、紗千が、このままがいい、って言うなら話は別だけど』


 そう問う瑞希は、だけど、紗千がどう答えるのか、わかっているような感じがした。

 少しして。


『いえ、私は多分、やり方を間違えてしまったんだと思います』

『私一人が幸せになるためだけに、他の誰かを困らせていい、なんてことはなくて』

『今だって、困っている人が、きっと他にもいると思います』

『だから、私は、魔法を解いて、いろんな人に、ちゃんと謝りたいです』


 それから。


『もし、協力していただけるのでしたら、お願いします。どうか、力を貸してください』


 そう、頭を下げる。


 その姿を見て――僕は、どうしたらいいのか、悩んでしまう。

 魔法を解く、その方針には賛成だ。だけど、魔法、なんてもの、果たして僕らに何とかできる問題なんだろうか。……瑞希には、何かしら考えがありそうな気はするのだけど。

 と、そこで不意に、スマホが震える。メッセージアプリの通知。グループからじゃなく、晃生の個人チャットの方から、一言。


『冬哉、どうする?』


 改めて聞かれて僕は。


『うん、わかった、僕も協力する』


 と、グループの方に、答えを打ち込んだ。

 すると晃生は、束の間考え込むような顔をして。


『まぁ、それしかねえか』

『しゃーねぇ、俺も手伝う』


 そう打って、何かを吹っ切ったようにして笑った。

 続けて。


『それにまぁ、早く解決できれば、もしかしたらもう一回やり直せるかもしれないしな』


 やり直し。

 その言葉に、少し、胸を突かれる思いがする。晃生が、まだ演奏の中断を引きずっていること、そしてやり直しの機会が訪れることは無い、と内心では悟っているであろうこと。

 だけど、否定はしない。『そうだね』と短く答えて。


『ありがとうございます』


 改めて、紗千が頭を下げた。


『だけど、魔法を解く、って言ったって、一体どうやって』

『紗千にも、解き方はわからない、ってことでいいのかな。そうじゃないと、ここまでの会話が不自然だ』


『はい、私にも、どうしたらいいのか』


『おいおい、いきなり行き詰まりじゃねーか』


 困ったような晃生の言葉。

 と、そこで瑞希が。


『取り敢えず、街の方に行こうと思うんだけど』


 と提案する。


『街の方?どうして』


 つい聞くと、瑞希は紗千の方をちらりと見て。


『実はあたし、多分、紗千が魔法をかけてるとこ?見たことがあるんだ』

『こう、なんか街灯に手をやってさ』


 瑞希が何やら体の動きで紗千に見せる。すると紗千は驚いたように頷く。


『はい、そうです』


『と、いうことで、とりあえず現場検証、って言うか』


『瑞希、それだと刑事モノっぽくなる』


『どっちかって言うと、気分的には、探偵?』

『まあほら、とりあえずそこまで行ってみる、ってのが妥当じゃない?』


 その意見に。

 確かに、解き方がわからずとも、魔法をかけた場所や対象が明らかなら、それを見に行く、というのはごく自然な流れのように思えた。


 とりあえず、反対する人は誰もいなかった。

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