第3話

 帝都の中心に聳える、機械仕掛けの大きな時計塔。それがカチコチと音を立てて時を刻んで、人々を見下ろしている。


 繁華街に煌びやかに瞬くは、紅色の提灯ちょうちんに街路灯、極彩電飾ネオンサイン。色鮮やかに浮かび上がる、地上八〇メートルはくだらない木造の楼閣と、鉄と煉瓦で出来た摩天楼がズラリと並び、無数の空中回廊ブリッジで結ばれている。


 小さな面積の中に大量の人口を抱え込むために作られた積層型の都市。上へ下へと昇降機が貫き、空中滑車ゴンドラが宙を横切る。大通りには馬車が闊歩かっぽする横で路面電車と内燃機関ガソリンエンジン自動車が走り、柵の向こうでは蒸気機関車が汽笛を鳴らした。


 海には軍艦、貿易船、旅客船など、江戸の世では考えられなかった巨大な鉄の塊が浮かんでいる。それどころか空にすら人の手が及んでおり、飛行船や飛行艇といった代物が鳥よりも高く飛んでいた。


 和洋折衷わようせっちゅう古今混合ここんこんごうとした街並みを見にわざわざ外つ国からやってくる観光客も多い。


 そこにはもう、かつての江戸の姿はなかった。


「――娑婆の空気は気持ちがいいなあ」


 いくつもの空中回廊ブリッジによって、篆刻動画ネガフィルムのように刻まれた大通りの空を見上げながら、彼は深く息を吸い込む。排煙で薄汚れてはいるが、消毒液の匂いよりかはマシだ、と思う彼は背後の大きな白い悪魔の箱びょういんに唾を吐きたくなった。


 およそ六時間。その数字が何を意味するか? と問われれば悠雅が病院に入院していた時間という答えが返ってくる。


 心臓に風穴を開けられていた人間が退院していい時間では決してなかった。しかし、彼は後一秒たりとも入院しているわけにはいかなかった。


 病院というものはとにかく金がかかる。たった一晩の入院費の額を医者から聞いた後、悠雅は卒倒しそうになった程だ。


「――馬鹿じゃないですか?」


 とは瑞乃の一言。彼女は悠雅に代わって最後まで大して治療をしていない、半ば寝台ベッドを貸しただけの病院にお布施をしようとしていたのだが、悠雅がそれを無理矢理振り切ったせいで余計機嫌を悪くしているのだった。


「勘弁してくださいよ、お嬢。破産しちまいます」

「だから、私が払うと言ったじゃないですか」

「男にも矜持というものありまして」

「そんな矜恃なら捨ててしまいなさい」


 瑞乃は酷く苛立った様子で頭を眉間を抑え、アンナを睨む。


「それよりそこの露西亜ロシア人! 私たちの恩師に引き合わせてあげるんです。そろそろ私にもその理由とやらをお聞かせ願えませんか?」

「なんでアンタに教えなきゃいけないのかわからないんだけど?」


 アンナは鼻白んで瑞乃を睨み返した。すると瑞乃は一人白けた様子で悠雅へと視線を移す。


「じゃあ悠雅さん、話して下さい」

「それはダメです。そういう約束になってるんで」

「良いです。私が許可します」

「なんでアンタが許可すんのよ?」


 再度アンナの瑠璃色の瞳と瑞乃の翠緑の瞳が激突して、ちりちりと火花を散らす。


 しかしながら、ここは街道のど真ん中。余り目立つのはよろしくないと考える青年は二人の肩を掴んで無理矢理街道の端へと引き摺り込む。すると、同時に非難轟々の眼差しが二つ飛んできて一瞬怯みはすれど、彼は毅然と言い放つ。


「――言いたいことはわかりますが、往来で喧嘩しないでください」

「大体、悠雅さんが師匠せんせいに合わせるなんて言うから……!!」

「悠雅がそう判断したんだからそこは自己責任でしょう? 失礼がないように努めるつもりだけど、どう足掻いてもアンタ関係ないじゃない」

「私は悠雅さんの相方でもあるんです。知っていなきゃならないんです!!」

「めんどくさい、ちんちくりんね」

「言いましたね、この阿婆擦れ」


 二人の鬼女は今に取っ組み合いを始めんと殺気を迸らせる。


「喧嘩は江戸の華って言いますけど、そりゃあ男の役目でしょうよ」

「「男女平等!!」」

「……それ絶対使い方間違ってます」


 呻く悠雅は頭が痛い。直接ぶつかり合った訳でもないのになぜ彼女達はここまで険悪なのか? 悠雅にはわからない。


「どうして俺の周りの女は剛の者ばかりなんだ?」

「大体悠雅さんのせいですけどね」

「ねえ、それよりこんな美女を捕まえて剛の者って表現おかしくない?」

「嘘は言ってない」


 それなりに荒事になれている男と殺し合いを繰り広げる女は正しく剛の者だ。悠雅は「間違ってない」と胸を張れば、アンナは口を尖らせた。


「確かにお前が美女だというのには同意するが、自分で公言するのは流石にどうかと思うぞ? 具体的に言うと品が無い」

「事実だし、逆に謙遜したら失礼だと思うけど?」

「わかってないですね。謙遜するのがこの国では美徳なんですよ」

「私この国の人間じゃないし」


 再びアンナと瑞乃の間に火花が散る。そんな様をいよいよ道行く人々が立ち止まって奇異の視線で眺め、注目を集め始めていた。

 いい加減視線が気になりだした悠雅は、アンナと瑞乃の腕を取り、足早にその場を離脱する。


「目立つのって私の容姿もあるかもしれないけど、ひょっとして服装のせいもあるのかしら?」


 とある呉服屋の前で口走った言葉だった。

 悠雅と瑞乃は、改めてアンナの服装へと視線を注ぐ。白を基調とした煌麗服ドレスに黒に金の刺繍が施された外套マント。黒い露西亜帽子ウーシャンカというフカフカとした帽子。腰には悠雅と激突した際にも使用した神器と思しき金色の宝剣。そして、胸元には彼女の瞳と同じ瑠璃色の大きな宝石が煌めいている。


「確かに目立つな」

「人目にはつきやすいかも知れませんね。髪の色も派手ですし」

「でしょう?」


 なんて返しつつアンナは目を輝かせて、呉服屋へと熱い眼差しを注ぎ続けている。


「寄っていくか?」


 悠雅の問いにアンナは顔を一層輝かせて頷きかけたものの、ピタリと固まって、何かを振り切るように彼女は首を横に振った。


「いいえ、このまま連れて行って」


 彼女は大きな瑠璃色の瞳で悠雅を見つめる。彼女は不必要に立ち止まりたくないだろうと悠雅は思った。年頃の娘らしく愛らしい衣服や煌びやかな装飾品に興味が無いわけではないが、それを自制してしまえる程度には彼女の意思は硬い。


「わかった」


 ならば、自分は彼女のその思いを尊重してやらねばと悠雅は街道を再び歩き出す。必ず果たしたい願いというものに、彼もまた覚えがあるから。

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