青い髪の少女-A blue heir girl-

紺乃遠也

プロローグ 青

 そこは一筋の光も無い暗闇だった。

 一人の少女が膝を抱え、うずくまっていた。

 まるで黒い絵の具をぶちまけたような、黒い海の中で、溺れるのを待つように。

 一人きりだ。

 他には、誰もいない。人っ子一人、居ない。

 全て吸い込んでしまうようで何の音もしない空間に、ひたひたと足元まで暗闇が満ちる。

 一人きりだ。

 少女の両親は、ここに居るはずの二人は、居ない。出かけて行って、帰って来なかった。

 少女は唇を噛み締める。

「帰って来たら、大切なことを話してあげる」

 笑ってこの扉を通って行ったのに、帰っては来なかった。帰ってくる日は、来なかった。

 独り待ちぼうけを食らったあの日から、波が寄せる。

 六歳の誕生日。

 あたしの。

 まるで誰かが計ったように、皮肉にも、ぴたりとその日が分かれ道だった。

 記念日が最悪の日に塗り替えられる。

 初めての何も無いバースデー。

 明るい色の、包装紙に包まれたプレゼントも、お母さんの得意なケーキも、楽しげな物は全部無くて、飾られるはずのろうそくばかりがテーブルの上で散らばった。

 ずっと待っていた。不安で不安でたまらなかった。

 大切なワンピースがしわくちゃになった。くまの腕に指のあとが残ったのにも気づかなかった。夜が満ちて心揺らぐままでいつの間にか、眠りに落ちた。

 恐ろしい悪夢が待ち受けていた。案の定だ。


 静かに暗く、黒く。

 暗闇の中に姿を潜めた怪物が、鋭い牙を爪を、ぐわりと開いて。

 待って、居る。

 大切な、獲物の事を。


 うなされて飛び起きた。だけど、起きても家の中はまだ暗いままだ。怪物の生温い吐息を頬に感じるような気がして、体は冷や汗をかいていた。

 いつもなら、親を呼べばいい。落ち着くまで優しい手が撫でてくれる。だが、今は自分一人で耐えるしかない。

 次の日も次の日も、ずっと、目覚めては一人だということを確認する日々だった。

 一秒一分一時間、一日。

 過ぎる度に、体が鋭い爪でえぐられていくような感覚が襲った。

 

(おかあさん。

 真っ黒で長い髪。それが太陽の光を反射して光る様が、とても綺麗だった。微笑が、あたしを見て微笑んだ顔が、まだ、目に焼きついています)

(おとうさん。

 優しい笑顔が素敵だったのを、覚えてるよ。あたしの手を包んだ大きな手も。暖かくて安心したんだよ。いつも。)

 父の一族の遺伝だというこの髪が、唯一の自慢だった。


 そして何日かが経った。見たことも無い人が、少女の家を訪れた。

 会ったことも無い彼女は、自分が少女のおばだと告げた。

 お父さんとお母さんは仕事が忙しくて帰って来れないの。

 二人にあなたをよろしくと頼まれたのよ。

 流れるように言って、形ばかり優しげに微笑みながら、有無を言わさず少女の手を引いて部屋から連れ出した。一人で生まれ育った家を出るのが嫌だった。嫌われるようにぐずってみた。泣いてみた。それは演技もあったけれど、半分は本音だった。情けなかったけど、これが一番有効な手段だと頭のどこかは小賢しく計算していた。それでも、駄目だった。いくら質問をしても、大丈夫よの一点張り。微笑みを張り付けて、何も答えてはくれない。

 無力な子供でしかない少女は、諦めて行くしかなかった。いずれ生活費は尽きる。そうなれば、保護されるしかないとわかりきっていたからだ。

 しかし、行ってみればその『おば』の家だって、誰も居なくなった少女の家と、大して変わらなかった。彼女は仕事が忙しいと言って、めったに帰ってこなかった。一人でいることは変わらない。新しい家は少女を拒むように白々しく、温度が無かった。どんな物に触れたって、それは他人の物だった。

 嫌気が差して逃げ出した。当然のように捕まった。連れ戻された。

 何度も何度も何度も何度も、逃亡を繰り返す。

 何度も何度も何度も何度も、すぐに捕まった。

 それだけだった。少女は、逃亡することを諦めた。

 何度逃げ出したとしても、大人には、子供一人捕まえることなんか、容易い。簡単なことなのだ。

 少女はまだ無力な子供だった。その振りをしていたのかもしれなかった。

 だから、少女はそこにいた。

 いやいやで、最悪で、逃げ出したくてもできなくて、そこにいた。


 息をして、食事をして、うつろな瞳をして、世界を見つめた。くだらないと小さく吐き出して、立ち尽くした。

 自分が誰よりも孤独だと自惚れて、傷痕を眺めっぱなしで突っ立って。


 だけど、ある日を境に目の前に唐突に現れるものがあった。

 世界が破けるように光が差した。

 全てが嫌だった、中学二年生。

 夏になる前の頃だ。

 信じられないような事実を知り、その日、全く知らなかった世界に飛び込む。


 始まりは、夕暮れ時。誰もいない屋上からだった。

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