第12話

『空き巣に入られた男の家から盗品発見? 会社員の男逮捕』

 そんな見出しだった。雪雄は画面をタップして続きを開く。


『空き巣に入られ自宅を荒らされた山岡光則容疑者(三八)宅から××質店から盗まれた一千万円相当の貴金属類が発見され、警察は窃盗の容疑で逮捕した。山岡容疑者は無罪を主張しているが、盗品の貴金属とともに、彼が勤めていた会社から盗まれたと思われるハードディスクも多数発見されており、現在警察は確認を急いでいる』


 雪雄はその記事を見て思わずほくそ笑んだ。

 山岡の奴は目論見通り逮捕されたらしい。理想通りである。上手くいきすぎて怖くなるくらいだ。だが、これが雪雄の望んでいた展開でもある。

 あの不細工な男が警察の取調室で必死に喚いているのを思うと噴き出しそうになってしまう。


 しかし奴も散々な目に遭ったものだ。会社で起こった悪戯を自分のせいにされ居場所を失くし、自宅は好き放題に荒らされ、挙げ句にはそこにあるはずのない盗品が家にあったことで逮捕される――実に可哀想に。まったく同情はしないけど。いい気味である。


 容疑者とされているが、警察も馬鹿ではないのだし、そのうち山岡が無実だというのはわかるだろう。それでも充分である。


 無実とはいえ一度逮捕されたのだし、奴は間違いなくクビを切られるだろう。窃盗犯と疑われているような男を雇ってやるような義務はない。

 証拠不十分で釈放されても、こんな風に記事になって名前が知られてしまえば、再就職も思うようにいかないだろう。窃盗の容疑で逮捕された経験のある人間を雇いたいと思う場所は少ないはずだ。超ウケる。


 もしかしたらこの一件によって奴が路頭に迷うことになるかもしれないが、そんなことは雪雄の知ったことではない。路頭に迷うなり、海外に高飛びするなり好きにすればいい。というかさっさと野たれ死んで地球環境改善に貢献しろ。


 それに先に手を出したのは向こうの方だ。こちらはそれに対してやり返しただけだ。こっちはなにも悪くない。


 これで山岡のことで苛々する必要もなくなった。憑物が落ちたような心地である。事実そうなのだろう。雪雄は会社をクビになってから山岡という醜い存在に憑かれていたのだ。でも、この復讐を達成したことで綺麗にそれを祓い落とした。これから雪雄はなにも気兼ねすることなく前に進める。


「なに、にやにやしてるんだ?」

 今日も雪雄の家に訪れていた慧が訊いてくる。どうやら少しばかり、復讐を達成したという歓喜が表情に漏れていたらしい。

「いや、なんでもないよ。ただちょっと面白いニュースを見つけてさ。ただそれだけ」


 雪雄はそう言って携帯電話をポケットに仕舞った。

 超能力を駆使して会社の元上司を嵌めて警察に逮捕させたなどとは相手が慧でも言うことはできない。


「ふうん。まあいいけど。それで、衣笠とはあれからどうだ?」

「あれからって――飲み会のあとのことか?」

「そうそう。せっかく二人きりだったんだしさ。若い男女が二人きりでなにもなかったってことはねえだろ?」

 慧は楽しそうに目を輝かせている。


「悪いけど、お前が期待してるようなことはなにもないよ。落ち着くまで介抱して、家まで送ってあげただけ」

「えー。おいおい、マジかよ。せっかく二人きりだったのにいやらしいことなんにもしてないの? お前いつから草食系になったんだよ?」


 慧は呆れたようにため息をついた。慧にはあの日の雪雄の行動はお気に召さなかったらしい。


「草食系じゃない。紳士的だと言え。それに俺は、お前みたいに女と寝てはとっかえひっかえしてるような爛れた男じゃないんだ」

「とは言ってもさあ。本当になんにもなかったわけ? そりゃホテルに連れ込めとは言わないけど、お前らの仲が進展するようなムフフなイベントはなにもなかったのか?」

「なにもなかったわけじゃねえけど――」

「お。なになに? なにがあったの?」

 慧は嬉しそうに、期待に目を輝かせて質問する。


「そんなに期待するようなことじゃないよ。ただちょっとデートの約束をこぎつけたってだけ」

「なんだよ。ちゃんとやることやってんじゃん。別に隠すこたあねえのに」

 慧は非常に愉快そうに笑って言った。

「別に隠すつもりはなかったよ。お前が過度な期待をしてるだけだ」

「で、いつデートすんの? どこ行くの?」

 雪雄に対して食い入るように慧は質問してくる。


「やけにがっついてくるな……お前ってホント他人の色恋沙汰が好きだよな。女子かよ」

 雪雄はやや呆れた気持ちでそう言った。

「いいだろ、別に。なに、そういうこと訊くのは駄目なわけ?」

「駄目じゃねえけど――」

「じゃあいいじゃん。で、彼女との初めてのデートはどこにいくつもりなの? 雪雄くん」

「まだ決まったわけじゃないけど――神保町を案内してもらうつもり」

「神保町? どうしてそんなとこを?」

 慧は不思議そうに首を傾げた。


「漫画しか読まないお前は知らないかもしれないけど、神保町にはたくさん古本屋があるんだ。彼女と仲よくなったきっかけがそういう話だったしね」

「ああ。お前、昔からわりと本読んでるもんな。じゃあお前と衣笠には共通の趣味があるわけだ。いいじゃんそういうの。青春っぽくって。俺もそういうことしたーい」

 慧は羨ましそうにそんなことを言ってばたばたと足を動かした。


「そういうこと言うなら、仲よくなった女とすぐ関係を持つのをやめたらどうだ。それをどうにかしないとどうにもできないだろ」

「でもさ、可愛い子だったら関係持ちたくなるじゃん?」

「俺も男だからその気持ちはわかるけど――お前の場合、ゆる過ぎなんだよ」


 この友人は今現在、一体何人の女の関係を持っているのだろう。最近の様子だと、特定の相手がいるわけではなさそうだが――


「そうかなあ。俺だって本気になれる相手がいればその子一筋になると思うぜ。そういう子を探すために俺は色んな女の子と関係を持つことにしているのだ!」

 もっともらしく言っているが、ただ下半身の緩いだけである。中学の時からこんな男なので、雪雄にはどうすることもできないのだが。

「はいはい。そいつは羨ましいことで」


 そもそも何故このような性に奔放な男がもてるのだろうか。いや、もてるからこそ性に奔放なのだろうか。


 しかし、慧も世間的には雪雄と大して変わらない無職青年である。確かに親は社会的地位のある金持ちだし、慧自身も男前だが、それだけでここまでもてるものなのだろうか。雪雄が女だったら、慧のような男は絶対彼氏にしたくないが――

 世の中というのはなんだかよくわからないものである。


「これでも俺はお前のこと応援してるんだぜ。けど、なんだかお前、衣笠と知り合ってから変わったよな」

「変わった? どのへんが?」

「なんつーのかな。明るくなったっていうか――なんか吹っ切れた感じがすんだよね」

「吹っ切れた……」


 確かにそれは間違っていない。

 雪雄は超能力を手に入れ、それを使って普通ならできるはずのなかった山岡に対する復讐を果たした。望み通りの形で復讐を果たし、忌々しい過去とのけりをつけたのだ。吹っ切れるのも当然だろう。


 これで前を向ける。前に進むことができる。新しい人生を歩むことができる――そんな実感は間違いなくあるはずなのに――


 だけど――

 なんだろう。この胸のどこかにつかえているもやもやとしたものは。

 なにかが欠けている。


 今の雪雄は満ち足りているはずである。

 超能力を手に入れ、復讐を果たした。美優ともいい感じに仲よくなっている。

 それなのに何故、欠けていると感じてしまうのだろう。

 一体なんだ。

 なにかが欠けている。

 あるべきピースが足りていないような気がしてならない。

 今の自分にないものは一体なんだ。


「なあ、慧」

「ん? どうかしたか? なにそんな難しい顔してるんだ?」

「いやさ、今の俺に足りないものってなんだろうって思ってさ。お前わかるか?」

「足りないもの……?」

 慧は腕を組んで思案する。しばらくそうしたところで――

「やっぱり、あれじゃないのか。金とか職とか。そんなの俺が言えたことじゃないんだけどさ」

 と、言った。


 金。そして職。

 そうだ。

 超能力を手に入れても、

 復讐を果たしても、

 世間的には、雪雄はただの無職に過ぎない。


 生きていくには金が必要だ。どんな綺麗ごとを言っても、それだけでは腹は膨れない。現代を生きれいくには金は必要不可欠だ。雪雄にはそれがない。

 金を得る手段として、最も一般的なのは仕事をすることだ。どんな形であっても職につけば誰でも金が得られる。


 失業保険が出るのはどれくらいだっただろうか。間違いなくあと二ヶ月は切っている。

 その間に職を見つけなければならない。この不況下でそう簡単に見つかってくれるのだろうか。選り好みをしなければあるかもしれないが、一人で食べていくだけの金を得るにはある程度は選り好みをしなければ駄目だ。それだと、生きるために働くのではなく、働くために生きることになる。


 働くために生きるなんて馬鹿馬鹿しい。そんな人生なにが楽しいというのか。夢も希望もありゃしない。


 しかし――

 夢も希望もないのが現実というものだ。現に生きるために働くのではなく、働くために生きざるを得ない人間はどれほどいるのか。

 馬車馬のように働かされ、ゴミのように使い捨てられる。

 その数は決して少なくない。

 そして雪雄もそうならざるを得ない立場にある。

 雪雄はなんの資格も持っていない高卒に過ぎない。いい大学を出ても働くために生きざるを得なくなっている人間が山のようにいる。


 今の雪雄に、生きるために働くことなどできるのだろうか。

 それが当たり前のはずなのに、どうしてそれができないのか。

 やっぱりこの国はどこかおかしい。どうしてそんなことがまかり通っているのだろう。


 誰もこの世の中を変えようと思わないのか。

 たぶん、誰もがそう思っていないわけじゃない。

 きっと、既得権益を持っている者たちがそれを許さないのだろう。

 そういう奴らは、自分の預金通帳の残高を増やすことしか頭にないのだ。

 今の日本を支配しているのはそんな奴らしかいない。そんな奴らがこの国をそのようにしてしまった。

 雪雄はそんな奴らの歯車になるしかないというのか。


 いや。

 思い出せ。

 今の自分がなにを持っているのかを。

 わざわざ歯車になる必要なんてないじゃないか。

 今の雪雄は超能力を持っているのだ。


 ――超能力。

 雪雄の力を使えば、どんな場所にだってほとんど痕跡を残さずに侵入できる。雪雄はそんな力を所有している。

 手に入れた超能力を、山岡に対する復讐のために使うことばっかり考えていたから気づかなかった。

 これを使えば、金なんてすぐに得られる。

 事実、すでに雪雄は地元の質屋に侵入を果たし、物を盗むことにも成功している。


 そうだ。

 超能力を使えば、わざわざ働く必要なんてないじゃないか。


 自分から歯車になって使い捨てにされる必要性なんてどこにもない。

 金なんて、金のあるところからもらってくればいい。今の雪雄には、どんな強固なセキュリティも無力化できるのだから。


 どうしてそんな簡単なことに気づかなかったのだろう。

 やはり目先の復讐に視線を奪われて、視野が狭くなっていたということか。

 復讐は終わったのだから、今度は超能力を自分のために使うべきではないのか?


 この世の中は間違っている。

 間違っている場所にあるものから盗んでも、構わないはずだ。

 雪雄にはそれが許されている。

 そうだ。これからはそうやって生きていけばいいのだ。

 今の雪雄はそんなことをしても咎められることはないのだから。


「どうした?」

「いや。なんでもない。次の仕事をどうしようか考えてたんだ」


 どこからどうやって金を奪ってやろうか。もうすでにこちらの手札は揃っている。

 そうだ。自分にはできる。できて当然とさえ言える――そんな確信があった。

 次になすべきことを考えよう。

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