★3-10:お茶会

 朝日が昇り、ようやく空が白んできたころ。

 パロンは一人、小屋の扉前に立っていた。夜の屋外は冷えて流石に寒かったのか、ついに裸一貫ではなく、部屋から持ち出した挙式用の黒いドレスを防寒着よろしく着こんでいる。

 先日の夜は、一人になったところをユファに闇討ちされるかと思って、実はずっと小屋の近くで眠らずに警戒していた彼女である。


「おはようございます。もう、入ってもよろしいですこと?」


 一声かけると、彼女は扉を少しばかり開けて、ひょっこりと顔を出した。


「ひっ!?」


 そして、目を見開く。覗いた先、眼前すぐ近くにユファが立っていたのだ。


「遅かったな。入れ」


 ユファは仏頂面でパロンを部屋の中に促す。すると促された獣人の方は、身の安全のためか目の端でヴェニタスの居場所を探し求めた。そして、ユファが軍服の上着に包まれた何かを大事そうに抱えているのを認めて、一先ずは、ほっと胸を撫でおろした。


「え、ええ」


 とはいえ、警戒を怠る様子はない。室内には昨日と違うところが、いくつか見受けられていた。それぞれを、チラリと目に止めて、ユファに語りかける。


「あら。テーブルクロスとティーセットを倉庫から取ってきたんですの?」


 数日前にパロンが使っていた丸机には、少し古めいたテーブルクロスがかけられていた。

 そして、鮮やかな装飾のあるティーセットが二組。テーブルの上に置かれていた。


「いいから座れ」


 ユファはぶっきらぼうに言い、テーブルの傍までくると、軍服に包んで抱えたものを、一つの椅子を引いてゆっくりと乗せる。その後、パロンには一瞥もせず、残る椅子に座った。


「あら、ユファ副隊長とお茶ができるなんて、嬉しいですわ」


 無下に扱われもなお、パロンは薄く微笑みを浮かべながら、緩やかな足取りで丸テーブルに向かう。


「失礼しますわ」


 軽く会釈し、ドレススカートを器用に尻下へ敷いて、椅子に腰を降ろす。さて、どのように言い誤魔化しながら、ヴェニタスが壊れた顛末を話そうかと。すました顔で。

 しかし、手前にあるカップの中を認めた途端、そのすまし顔が引きつった。


「ぁ……」


 カップには並々と、真っ黒な泥が満たされていた。困惑し、頬をひくつかせながら、正面に座るユファの様子を伺う。


「あの、これは――」

「飲め」


 軍帽を被った彼女は、真顔で告げた。


「え……でも」

「飲むよな? 僕がわざわざ淹れてやったんだ」

「……」


 威圧があった。殺意を感じさせる圧が。

 パロンは思案する。この命令に逆らえばどうなることか。彼女は小さく視線をずらし、傍らの椅子上を確認する。すぐ近くにヴェニタスがいる手前、殺されることは無いはず。

 だが――。


「……ええ、いただきますわ」


 この場で殺されることは無いと頭で分かってはいるものの、ユファから迸る殺意の奔流が、パロンの選択肢を無慈悲に恐怖で一つに縛り付けていた。

 狐の獣人は落ち着いた素振りで目を閉じると、くいと勢いに任せてティーカップに口をつける。陶器の取っ手部分を器用に掴む数本の指が、小刻みに震えていた。


「んく……んく……」


 憎らしい女を前に、パロンは涙目で苦い泥を嚥下していく。どろりとした最悪な飲み心地が喉を通じて体内に進んでゆき、胃に落ちる。繰り返しの不快感が彼女に吐き気を催させ、背筋をこわばらせた。

 間違いなく、このお茶会は友好的なものではない。正面に座る女の紅い濁りきった瞳と、繕った笑みこそが真意であるならば。


「旨いだろ?」


 パロンが泥を口に含んだと見るや、ユファは整った顔をとても嬉しそうに歪ませて、皮肉めいた言葉を投げかけた。


「肉も用意しといたから、食えよ。朝はまだ何も食べてないだろ?」


 テーブルの皿上に、何かの肉があった。しかしそれは調理された料理などではなく、ただの生肉に見えた。

 先の泥カップといい、これもまた幼稚な嫌がらせの一環かと、パロンは眉をひそめた。


「これ……どこでとってきたんですの? 倉庫には肉なんて……」

「僕が今朝、捕まえてきてやった」

「……捕まえてきた?」


 何を? どこで? と、不審がりながら、パロンは謎の生肉を見つめる。


「ほら、とってやるよ」


 彼女が戸惑っているうちに、ユファは澄ました顔で腕を伸ばし、肉の一切れをフォークで一刺し。それをテーブル外に運ぶと、わざとらしく地面に落とした。


「あーっ、わるいわるい。テーブルの下に落としちまったみたいだ。下に入って、拾ってくれ」


 白々しいお願い。感情が籠もらず平坦な口調で述べられた言葉は、獣人をイラつかせた。


「……ええ。構いませんよ」


 それでも、にこりと微笑むと、黙って椅子を引いて、自席側のテーブルクロスを手で捲り上げる。

 しかし、そこには――


「ひっ!」


 テーブル下には、無惨に切り刻まれた、大量のネズミの死骸があった。まだ腐臭はしていない。死神女が今朝捕まえてきたもの、そしてパロンに食べさせようとしている肉は、このネズミに違いなかった。


「どした? 何か面白いものでもあったか? 馬鹿狐」


 彼女が見ている前で、綺麗に磨き上げられた、真っ黒な革靴がぶらぶらしている。


「早く拾ってくれよ。さあ」


 この状況。パロンは頬をひくつかせた。


「……ええ」


 内心で激しくユファを罵倒し、嘲ると、彼女は催促されるままに、屈んでテーブル下に入り込んだ。

 死骸の傍に落ちている肉片を拾い上げようとする。だが。

 瞬間、黒い軍靴が動き出し、勢いよくパロンの顔面を蹴りつけた。


「うぶっ!?」

「ん、どしたー?」


 ユファは白々しく心配したような声をかけると、その一方で、よろめいた彼女の頭を容赦なく、器用に踏みつけ、ネズミの死骸に彼女の顔を押し付けた。


「早く出て来いよ。もしかして我慢できずに、そこで食ってるのか?」


力を籠めて、角度を変えて、踏みにじる。死骸の赤い肉汁が、床に広がっていく。


「さっさと……でてこいよっ!」

「うぶっ!」


 最後に、しこたま強い蹴りを一つ。パロンの鼻先へ容赦なくぶちかまして、テーブル下からパロンを外へ放り出した。


「ああああっ! 痛い、痛い……!」

「なんだ、ほんとに食ってたのか。しかも手も使わずに。口周りが肉汁で汚れてるぞ? 獣人は意地汚いなあ」


 口周りどころか顔を血だらけにされ、涙目で鼻を押さえる彼女を見て、一層、ユファは笑みを深める。


「じゃ、腹も膨れたろうし、そろそろ任務で何があったか、話をしてくれよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る