★3-6:心のとどめ

「違う! そうじゃない、もう俺を放っておいてくれ! 普通に療養させてくれ!」

「え、何かいいました? ……“変化”」


 彼の拒否に対して分かりやすくとぼけると、パロンはまた変化術を使って、自分の金髪をことさらに長く伸ばし始めた。

 ヴェニタスが一生の中で見る、この世で二番目に美麗な髪。それは次第に艶を増していき、自然と彼は目を奪われてしまう。


「う……よせ、パロン……!」


 嫌悪の態度を示すが、充血した瞳の視線は間違いなく髪の毛の方へと向けられており、有り余る興味を隠し切れないようだった。そうこうしている間にも少しずつ、彼自身の体がパロンの金髪に覆われていく。


「本当にやめて欲しいんですの? うーん、体はそうじゃないみたいですけど」


 彼女の見透かして嘲笑う口元から、白い犬歯がちらついている。


「違う。俺は単にその髪の毛が――」

「違うことはないでしょう? 本当はわたくしを求めている癖に。ふふふ」


 即答するパロンは、柔らかな乳房を更に強く彼に胸に押し付け、その形を変えさせる。ベッドの上は金色の繊維が溢れ、端から床に零れ始めており、その一束を彼女はすくい上げて、ヴェニタスの鼻先で匂いを嗅がせた。


「ほーら、貴方が心より求めるこの髪は、わたくしの一部。ですから、貴方はわたくしを求めているということ。そして、わたくしも貴方をお慕いしているわけですから……相思相愛ですの」


 話しかけている間も艶やかな髪は嵩を増していき、二人の体は境界が分からないくらい金色の繊維まみれになる。

 パロンの方もヴェニタスの首筋の匂いを嗅いでみせると、満足げに頬を擦り合わせ、彼の耳たぶを、はむと咥えた。


「そもそも、わたくしがこうなったのは、貴方の責任じゃないですか。貴方がそうやってわたくしに、とても熱い視線を向けるから。ひどい人」

「ぐ……」


 悪魔のような笑みを一層強め、彼の耳たぶを咥えたまま、手足の失われた肢体をなぞっていく。器用に彼の顔を除いて、髪の毛に覆われてしまった外形を確かめるように、傷跡の小さな隙間まで念入りに指先で撫でさする。


「ねえ、愛してると言ってくださる? 貴方の口から」


 お願いするような言い方であったが、それはヴェニタスにとって脅迫そのものであった。彼の心は、パロンの侵略によってほとんど決壊していた。この十数日で、余りにも疲れ切ってしまっていた。

 確かに彼は、怯えていた。不死鳥の猛撃に飛び込むことすら躊躇しなかった彼が、一人の獣人の一挙一動に、怯えていた。


「あ……」


 反対に、彼女の体はいっそう健康的に、美しさを増しているようだった。つやつやの肌に、爛々とした瞳。激しく暴れる尻尾。そわそわと、自身が強く望む言葉を待ち構えている。


「あ、愛している……」


 ぴたりと止まった。目を大きく見開いたかと思うと、彼女の頬が、どこまでも緩んでいく。次第に、幸福が溢れんばかりの恍惚とした表情を、想い人であるヴェニタスの前にさらけ出していく。


「ふあ……は、ああぁ……よく言えましたね。よく言えました……」


 感嘆の声を上げながら、顔を真っ赤に染め上げて、ぶるぶると震える。

 そしてしばらく、黙り込んだ。


「でも、よく聞こえませんでしたわ。わたくしの名前を付けくわえて、もう一度、言ってくださる?」


 さっき明らかに聞こえている前提の受け答えをしていたにも関わらず、彼女はわざとらしく、まだ聞き足りないとばかりに、愛の言葉の繰り返しを要求した。


「パロン、愛している」

「あぅっ、声が小さくて聞こえませんでしたわ。もう一度!」

「愛している!」

「うう、もう一度!」

「パロン、愛している!」

「っ……」


 雨音の響く部屋の中で、ヴェニタスの叫び声が反響した。対照的に、幾たびの愛の言葉を受けて激しく息を切らし、理性を失いかけている様子のパロン。獲物を目の前にした猛獣のように瞳をぎらつかせ、小さく開いた口に覗く犬歯を、溢れ出る唾液で光り輝かせている。


「はぁ、はあ……すごい……すごいですわ、嬉しくて死んでしまいそう」


 林檎の香りをした生暖かい吐息が、ヴェニタスの顔にむわりとかかる。

 その手前、パロンは彼の鼻先で、今にも襲い掛かりそうになる感情をギリギリまで抑えつけ、必死にこらえていた。

 彼女はシーツをきゅっと掴み、よほど興奮しているのか、銀色の瞳がぶれて、ぐらぐらと荒ぶっている。


「じゃ、じゃあ……次はキスをしてくださる? そちらから、わたくしに。首から上は動きますわよね?」


 期待を押し込めたような甘え声。ぐっと前のめりになって、彼女は問いかける。


「な、なんでだ」

「……わたくしを愛しているのでしょう? 証拠を見せてくださいな」


 そして、彼の口元に小さな桜色の唇を突き出して、目をぎゅっと閉じて待ちわびる。彼のいかなる所作も聞きのがすまいと、三角耳をぴくぴくと立て上げて。


「さあ、早く」


 しかしながら、いくら彼女が待ちわびれど、一向に唇に感触は訪れない。激しい心拍音が彼女の体を内側からバクバクと震わせている。


「………………貴方? ぁっ――」


 彼への失望と怒りで目を開けようとした瞬間。パロンの唇へ、不躾に柔らかな感覚が与えられた。

 ヴェニタスはなんとか頭を少し浮かせて、彼女に触れさせていた。とはいえ、すぐに首が疲れてしまったのか、早々に唇を離して頭を枕に戻そうとする。


「んっ、待って!」


 細腕でヴェニタスの頭を抱き寄せると、そのまま彼女の口先が、彼の下唇を愛おしそうについばんだ。ぴちゃぴちゃと音を鳴らして、しゃぶりつくすように口に含む。

 存分に楽しむと、今度は自分から手前勝手に唇を離した。


「……くふふ」


 彼の頭を枕に置いて、今いちど自分が仕上げてきた彼の風貌を確かめる。

 達磨のようになった四肢不具の体に、深く刻みつけられた噛み跡や、爪痕。ところどころが赤黒く抉れて、化膿しかけていた。

 筋肉質だった肉体も、ここ十数日で随分と痩せてしまっただろうか。生命力に溢れ、鷹のようにぎらついていた彼の一つの瞳は陰って霞んでいる。


「……もうあと一息でしょうか。貴方が完全にわたくしのモノになるまで」


 彼を組み従えて自身の人差し指を咥えると、疲弊した彼の眼をじっと見つめた。

 少しずつ顔を近づけて、やがて目と目が触れ合う距離まで近づき、彼の奥底に潜む心を凝視する。


「むぅ……なんとなく……まだ少し、反抗心があるように思えますの」


 であれば、彼女は心底おぞましい表情をみせた。口角が綺麗に吊り上がっていく。


「そういえば内臓はまだ、責めていませんでしたわね……」

「な、何を言って、やめろ! 俺を狂わせでもするつもりか!」

「ええ、もちろん。狂ってくださいな」


 躊躇いもなくノータイムで答える。彼女は正しくそれを、望んでいた。


「ほら、いきますよ……変化」

「ま、待て! あっあああ“あ“あ“!」


 彼女は呟くと、自身の体そのものを崩し、髪の毛に変えていく。もはや人の形を維持していない、うねる金色の繊維は、するするとヴェニタスの体中を這いまわり、あらゆる穴を通じて内側の奥深くへ。ゆっくりと滑り込んでいく。

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