2-20:ウェディングスカートの下

 ――オルガンの音が止まった。

 本堂が激しく揺れ動き、石が擦れ合う音が鳴り響く。


「パロン、逃げるぞ!」

「はい!」


 二人がもと来た通路に向かって走っている間にも天窓が次々に閉じられていく。室内に差し込む陽光が消え失せていく。

 振り返れば闇の中、既にガーゴイル達が台座からいなくなっていた。

 久方ぶりに動けるようになったためか、動きがぎこちなく、飛び立とうとしては床に叩き落ちている。

 しかし、どれもがこちらに向けて歯をぎらつかせ、飛びかかってこようとしている。

 追いつかれるのは時間の問題であった。


「つ、通路が塞がれていますわ!? ちょっ、ちょっと! あけ、開けて!」


 前を走るパロンが、絶望的な叫びをあげた。閉じられた石壁を、握り拳で必死に叩いている。


「やっぱりか。武器も無しにこいつらと……」


 戦わざるを得ない。ヴェニタスは愚痴りつつ、構えをとる。そうしてるあいだにも、光は消えて行き、部屋の中は真暗闇に近づいていく。

 もはや天窓が全て閉じられ、光が見あたらなくなった時、背後でパロンの震え声が聞こえた。


「ぶ……武器? そ、それなら持ってきていますわよ!?」

「は?」


 背後で涙目になって震えているであろう彼女の方を、急ぎ振り返る。弱気な声は続く。


「あの弓みたいな剣のことですわよね? ドレスの下に、尻尾で掴んで持ってきましたの」


 聞いて、みるみるうちにヴェニタスの顔が希望の色で染まる。パロンの露出した肩を掴んだ。


「い、いつのまに! だが……でかした! アーチブレイドがあれば、こんな奴ら簡単だ! 急いで俺に渡してくれ!」


 持ってきているならもっと先に言っておいてくれという言葉を、そっとヴェニタスは胸の奥にしまっていた。


「へ、へ? ふ……ふふふ、じゃ、じゃあ取り出しますわね!」


 思いのほか褒められ、このような状況にあってもなお、パロンは満面の笑みを浮かべてしまう。そして嬉々として自分のスカートに手を突っ込んで、武器を探す。

 だが、手間取る。なかなか取り出してこない。とても、もたもたしていた。


「おい、あるなら早く出せ! 奴ら、もうそこまで来ている!」


 ヴェニタスは焦る。暗闇の中、背後から“ぎぎぎぎぎ”と歯ぎしりのような音を上げて、何かが羽ばたき近づいてきているのを感じ取っていた。


「待ってくださいな! も、もう少しで取れますから!」

「遅い!」

「ちょっ!? 急に! ちょ、きゃあああああ!!」


 ヴェニタスは彼女のスカートの縁を掴むと、剛腕で一気にその布地を限界まで捲り上げ、広がったその視界の内に、ガーターベルトを装着した白い二足と、その背後でパロンが尻尾に巻き付けて帯していた、彼の得物“アーチブレイド”を見つけた。


「新入り、じっとしていろ!」


 勢いそのままに彼女の下へ潜り込み、アーチブレイドを手に取った。そして屈んだまま、振り返りざまに、それを背後へ大きく振るった。


 豪速の剣によって風が立ち、床のレンガが浮き外れていく。

 そのたった一刀きりで、もう間近に迫っていた2匹のガーゴイルが上下に両断された。

 断面から、噴水のように紫色の血が溢れ飛び散る。


「よし、いけるぞ!」

「お、終わったなら出て行ってくださる!?」


 降り注ぐ血の雨から逃れるため、なおスカート下に居座るヴェニタスを、その足で外に蹴り飛ばした。そのうえで、ふわり捲れ上がった布地を上からぐいと抑えつけ、顔を真っ赤にして睨みつけている。


「うおっ!?」


 衝撃で、石板が彼の手から飛び去っていく。1度、2度、音を鳴らし跳ねて石床に転がる。


「しまった!」


 ヴェニタスは慌てて立ち上がるが、悪魔像のもとへ、すぐさま残り4匹のガーゴイルが、バタバタと集まっていく。目的のものを得たのか、彼らはすぐに飛び去っていく。


「ま、まずい! 悪魔像が持っていかれた! 新入り、あいつらを撃ち抜くから、矢筒を渡せ! それもさっき尻尾に持っていただろ!」

「ま、またですの!? ちょ、ちょっとお待ちに――」


 パロンは後ずさり、スカートを押さえる。


「急げ、時間が無い!」

「も、もういやああ!」


 パロンが細腕で必死に抑えていたそれを無理やりに捲り上げ、彼は再び黒い布地の下へと潜り込んだ。

 そしてほんの少しあと、彼女の股下から素早く飛び出した。

 あたりを見回し、飛翔しているガーゴイルの姿を認めると、一瞬、矢筒を装備した彼の上体がぶれた。


「ぐぎゃっ!」


 瞬間、ガーゴイルの脳天に鉄矢が突貫した。

 彼が見せたのは、目にも止まらぬ速射だった。

 その狙いは的確。

 この光の無い空間において彼の視界は普段より悪いが、石板をとる前、事前に目を閉じて暗闇に慣れさせていたおかげで、ある程度の明瞭さが確保されていた。

 ヴェニタスは、次々と矢を弓につがえる。


「ぐぎゃっ!」「ぐぎゃっ!」


 4匹目、5匹目。彼は矢を一本たりとも外すことなく、続けて二匹のガーゴイルを撃ち抜いた。

 そして6匹目。最後のガーゴイル。その姿を見つけて、ヴェニタスは一瞬、動きを止めた。


「……なんだ? あいつ、何をしている?」


 その魔物は板状の悪魔像をくちばしに咥えたまま、矢じりのように尖った尻尾で、何やら笑みを浮かべて石床に刻み込んでいる。

 ぞくりと背筋に嫌な予感がした彼は、すぐさま矢を放って最後のガーゴイルを撃ち抜いた。


「お、終わったんですの? 挙式の時にかけられた、変な重たい感じが無くなりましたし、通路を閉じていた扉も開いていますわ」


 まだスカートを片手で抑えながら、パロンが背後より遠慮がちに話しかけてくる。小声で、“変化”とささやき、小指を別のものへ変化させて魔術が使えるようになったか、確かめていた。


「いや……まだだ、後ろにいろ」


 当初の魔物を全て倒しきったものの、ヴェニタスは未だ緊張が解けなかった。

 彼の頭の中で、先程のガーゴイルの挙動が思い出される。

 緊張を解かぬまま、ゆっくりと、死骸の方へと歩き向かう。


 閉じられていた天井の石が再び元の位置に戻り始め、室内に光が戻っていく。

 彼はパロンに一瞥することもなく、照らし出された足元をよく眺めていく。

 すると、ヴェニタスのこめかみから、冷や汗が垂れた。


「こ、これは……」


 ガーゴイルの死体を中心にして描かれていたのは、大きな円形の魔法陣。

 それは酷くお粗末な出来だったが、“ある伝説的な魔物”を召喚するための模様に似ていた。

 突如、悪魔像がガタガタと震えだし、部屋中の死肉がずるずると魔法陣の方へと集まっていく。


「ちぃ! まずい! 新入り、後ろに下がっていろ! 次が来る!」


 子供が悪戯に書いた程度の不出来な描画。本来であれば到底召喚など成功しない。

 しかしそれは、悪魔像が触媒となることで、具合が違ったようだった。

 紫色の激しい燐光を放つ魔法陣の中央から、燃え盛る巨大な生き物が、うぞうぞとうごめきながら湧き上がってきていた。

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