第3話 コントラスト

1. 離れられない二人


 目が開いた。夕日が射し始め、鳥たちは自分の巣へ帰っている。いつもの見慣れた光景だった。


 僕は死ななかった。


 立ちあがった。でも行く場所がない。家は帰りたくない。友だちの家だと、その親に迷惑がかかるだろう。


「ねえ、帰らないの?」


 振り返ると、あの女の子が立っていた。もう泣き止んでいて、少しくたびれているように見えた。

 眠っているとき見た夢は、半分現実で半分あの世だったらしい。


 僕は平常心を取り繕って返事する。


「ああ。帰らないよ。いや、” 帰る場所がない ”と言えばいいのかな」

「ふうん。じゃ、私の家に来れば?」


 女の子は真顔で言い放った。僕ははっとする。この子は、何を言っているのだろうか!? 見ず知らずの男を家に上がらせるのか?


「君が私の家に来なかったら、私から逃げるでしょ。だったら、私の家に来た方が都合がいいじゃない?」

「わかった」


 彼女は回れ右をして、公園の出口へ向かった。僕は、立ったままだった。

 少し彼女と離れた時、急に心臓が握りつぶされるように痛んだ。僕だけではなく、彼女もまた倒れた。


 神様らしき人物が言っていたことを思い出した。声だけだが、深く響く声。

 ……そういえば、彼女から離れちゃいけないんだっけ。


 僕は彼女の方へ芋虫のように這った。彼女に近づくと、締め付けられるような痛みは消えていき、すんなり立ちあがれた。彼女もふつうに起き上がる。


「ちゃんと、付いてきなさいよ!」


 彼女は僕を叱責し、再び歩きだした。あの家に戻るより、うるさいけど根がやさしい彼女といるほうが、まだいいだろう。


***


 彼女の背に付いていくと、僕はあることに気がついた。彼女の家には家族の誰かがいるんじゃないか?

 彼女の両拳は握られていて、風を切るように歩いていた。どうやら、今はそのタイミングじゃないようだ。


 いつも通らない道を通り、いつもとは違う景色を見た。僕たちは歩いているだけだが、現実から一歩引いて見ている感じがした。


 いつもという言葉は平凡の裏に、最悪が付きまとう。いつも学校へ行き、家に帰り、あの憎き母の兄貴を褒め称える姿を見る、軽蔑される。僕のいつもには、理不尽が付きまとう。僕の中では悪いイメージが、蜷局とぐろを巻いていた。


 僕はいつもを嫌いながら、日常を過ごすことしかできない。異常は僕にとって受け入れがたいものだ。それは、まるで行きたくない会社に通っているサラリーマンのような考えだ。嫌みを言う上司がいて、身を粉にして働いてもなにも得ることのできない人生だ。

 

 女の子は突然立ち止まった。僕も同様にして立ち止まる。


「早く、こっちに来て」


 彼女が急かすようにして、僕を家へと誘う。

 僕は身構えながら、アパートの部屋に入る。家族全員で住んでいるのだろうと思っていた。けれども家の中は小ざっぱりしていて、複数人で住んでいるとは思えなかった。



2. ともすれば、卑屈…


 玄関を見る限り、年相応の彼女がはきそうな靴しか置いていない。部屋はザ・学生の一人暮らしみたいだった。

 小声でおじゃまします。と言って、おそるおそる靴を脱いだ。


 部屋はワンルームだった。ベッドがありテレビがあり、いわゆる「ふつう」だった。

 だが彼女の部屋にはたくさんの本棚があった。それらには漫画本や小説、自己啓発本などが、びっしりと規則正しく詰め込まれていた。


 僕は部屋に入ってから立っていた。だから、女の子は「落ち着かないだろうから、座ったらどう?」と言って、僕を床に座らせた。

 彼女は制服のブレザーを掛けた後、机を挟んだ向こう側に座った。


 外からは小学生や中学生などの声、カラスの声。さまざまな音と声が聞こえた。

 沈黙の時間が少し過ぎ、次に口を開いたのは女の子のほうだった。


「あのさ、自己紹介しよっか?」


 そういえば、僕は自分の名前を伝えていなかったし、僕も彼女の名前を知らない。


「僕は相沢功治。十七歳」


 女の子から、「あ」という小さな声が漏れた。


「私も同い年。名前は御坂琴音」


 なんだ? 急に彼女が黙り込んだ……。僕はこの沈黙を息苦しく感じた。


「ねえ聞いても良い? なんで達也君は死のうとしたの?」

 

僕は一瞬、答えるのに戸惑った。彼女に話したところで何の意味もないだろう。けど僕は話すことにした。エゴかもしれないけれど、彼女に同情してもらいたかった。


「僕が死のうとしたことについて話すよ。それにはまず、家族構成を話さないといけないな。僕には兄貴がいる」


 御坂さんが聞いているかはわからないが、視線はこっちを向いている。


「兄貴はいつも僕より秀でていて、いつも賞状を持ち帰って来る。対して僕は、泥だらけで帰ってくる」


 ここからが問題だ。息継ぎをした。


「そんな僕に対して母は、兄貴のほうがすごいだのなんだの言って、僕に対しては小馬鹿にしてきた。まだそれが家だけだったら、いいんだったけれど……」


 僕の目線がやや下になる。ちょうど御坂さんの鳩尾みぞおちあたりを見ていた。それからはほぼ独り言のようにしゃべった。


「兄貴と僕は同じ小学校、中学校に通っていた。いろんな人に、僕と兄貴は比べられた。僕には味方がいなかった」


 目線は下を向いていたが、僕は顔をあげ、御坂さんを見る。御坂さんの目からは、表情を汲み取れない。


「でもそんな僕にも、対等に接してくれる人がいた。それは父だった」


 僕の唇が震えた。自分が気づかないうちに感情が高ぶっていた。


「……でも、そんな僕の父は癌で死んでしまった。それから、僕には味方がいなくなった。……だから死のうとしたんだ」


 僕の中で、くすぶっていたかのように見えた感情が、湧き上がっていた。僕はそれを吐き出すようにして、彼女に言った。


「ふうん」


 御坂さんは、つまらなさそうな返事を返してきた。僕は言葉を失った。けど勝手に期待したのは僕のほうだった。


御坂さんは少し間を置いてから、「でさ」と語を継いだ。


「結局、達也君は自分の仲間が居なくなったから、死のうとしたのね。誰かに助けてほしい、なんて言えずに……」


 御坂さんは語を継ぐ。


「けど周りから見た達也君ってどうなんだろう?」


 客観的にみると、自己中なのかもしれない。だが主観からすると、それは「否」だ。よっぽど自己中なのは、僕の母のほうだ。


「僕の母がわるい……。僕は母のために死んだのだから!」


 声を荒げながら言った。御坂さんは少し怖気づいた。表情が曇り、ソファに腰掛けた足がわずかに動いた。



「だいたい……」


 その先を言おうとしたが、御坂さんの目つきが鋭くなったことに気づいた。彼女は僕を睨んでいた。

 僕はさらに憎々しげに睨み返した。憎悪の塊を持った僕は、親不孝をたしなめようとする御坂さんと対立していた。


 ずっと正座をしていたから、足がしびれていることに気づかなかった。きつくなったから、もうしわけなく胡坐をかくことにした。


 彼女はいきなりスッと立ち上がった。

 彼女は僕を見つめた。それは多くいた偽善者による哀れみの目ではなかった。その瞳は、僕の父の眼差しを連想させる慈愛に満ちた目だった。

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