第35話 半植物人間

「ああ。食事か。すまないが食べさせてくれ。今日は手が動かん」


 か細い老人の声だった。


「はい只今。先ずは灯りをつけますね」


 シャリアさんがパンパンと手を叩くと部屋の中がふわりと明るくなった。エリザは手慣れた様子で老人の介護を始めた。首筋に手を当てて体温と脈を確認する。そして濡らした布で老人の顔を拭き始めた。


「ありがとう。顔はもういいよ。先に食事を頼む」

「かしこまりました……!」


 エリザは掛け布団をめくって老人の上半身を起こそうとするのだが、何かに驚いてエリザは固まってしまった。


「どうしたの。まあ!」

「え?」


 シャリアさんはベッドの方へそそくさと移動したし、俺も後からついて行って仰天してしまった。


 その老人は何と、腹から下側が緑がかった茶色だったのだ。それは植物のような、木の皮のような肌だった。


「貴方は?」

「その話は後にしよう。とりあえず腹が減っておってな。三日ぶりの食事なのだ」

「三日も?」

「こんな体だ。食事は三日に一度で良い」

「そうなのですね。では準備いたしましょう」


 シャリアさんとエリザがテキパキと準備に取り掛かった。ベッド脇のテーブルに皿を並べ、パンと野菜の煮物、そして腸詰めを並べる。俺の感覚だと、これらは欧州の家庭料理に該当するものだ。野菜の煮物はポトフ、腸詰めとか、メチャ美味そうなウィンナーだろ。


 エリザがベッドに座って老人の体を抱えて起こす。そしてシャリアさんが少しづつ煮物やパンを老人の口へと運ぶ。


「ああ、壮太君は見張りをお願い。外からはよく見えるから気を付けてねね」

「わかりました」


 確かにそうだ。明かりがついた部屋から外を眺めるなんて、見つけてくれと言っているようなものだろう。俺は鉄格子が嵌められた大窓の正面には立たず、窓の脇からちらちらと外を伺った。


 すでに夕日は落ちており、赤く染まった空は段々と暗くなっていく。城内のあちこちで、細い柱の上に設置された球形の器具が光り始めた。これは周囲の明るさに応じて自動で点灯するのだろうか。俺たちの世界での電気などの科学技術に相当するのが、この世界における魔法文明なのだろう。人感センサーや明暗センサーなどが標準なんだから、正直な話、かなり発達しているのだと思う。


「今日はパンと水だけではないのか。ほう、これは、ひき肉の腸詰めか。肉は久しぶりだな」

「下の調理場にあったので、ついでにお持ちいたしました」

「ほほう。ちょろまかしたか。お主、やりおるわ」

「うふふ、どういたしまして」


 半植物の老人とシャリアさんの会話だ。腕を動かせないと言っていた割には随分と元気な印象を受ける。


「ところで君たちはどうして入って来れたのかね? ここは特殊な結界の中にある」

「特に何もしていませんね。鍵はかかっていませんでした。不用心だと思いましたが」

「特定の人物でないと扉は開かないのだが……君はまさか、シャリア……シャリア・メセラか?」

「はいそうです。私はシャリアです」


 老人は驚いて目を見開くのだが、焦点は合っておらず視線は定まっていない。


「ああ、フィオーレの姉のシャリア。銀色の髪が美しいエイリアスの貴夫人。そして我が息子ラウルの婚約者」


 うん。確かにシャリアさんは銀髪で小柄だけどめっちゃ美人だ。しかし、今はぽっちゃり系のイチゴに変化しているのだが……この老人は目が見えないらしい。


「貴方はエドラ……エドラ・ルクレルク様ですか? 昨年逝去されたとお聞きしていたのですが」

「こんな体になってしまったからな。ラウルが勝手に死んだことにしたのだろうて」

「フィオーレ……フィオーレはどうしたのですか? エドラ様に付き従っていたはずなのですが、彼女は昨年病死したと……」

「病死か……それも恐らく、ラウルの流した嘘であろうよ」

「では、フィオーレは生きているのですか?」

「いや、生きてはいまい。肉体はあっても魂は既にあの世へと旅立っているだろう」


 あ……フィオーレさんにそっくりなカリア・スナフ。やっぱりアイツが元凶なのか。


「カリア・スナフですね」

「ああ。今、カリア・スナフと名乗っている者が、かつてのフィオーレだったのだ。外見はそのままだが中身は全く違う。あれは正真正銘の魔女だよ」

「フィオーレの体をカリア・スナフが乗っ取ったのですね」

「そうだ。彼女の死の責任はすべて私にある」


 ノードリアの元大領主を前に緊張感が増した。エリザの表情が険しくなり、シャリアさんは両手を握りしめ肩を震わせていた。


 エリザにじろりと睨まれる……はい。俺は見張りでしたね。


 渋々と向きを変えて窓に張り付く。もちろん、外からは見えないように姿勢を低くしてである。この格好は意外と疲れるのだが、文句を言っている場合ではなさそうだ。


「詳しく説明していただけますか?」

「もちろんだとも。フィオーレが私の元に来たのは5年ほど前になる。彼女はエイリアス魔法協会より派遣された軍医だったのだ。彼女があまりにも優秀だったため、領主専属の医師とした。今思えば、この決定が誤りだったと思う」


 北方ノードリアの大領主エドラは天才医師フィオーレの事を淡々と語り始めた。

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