第二十五章 海上心理戦

 水無月葵達は敵の戦闘機に接近されている事を知り、一気に緊迫した。

「距離がどんどん詰まっている。どうする?」

 篠原護が真剣な表情で星薫に尋ねた。薫は正面を見据えたままで、

「このままだ」

「え?」

 篠原はギクッとした。

(おいおい、薫ちゃん、状況がわかっていないのか?)

 ところが薫は、

「海面ギリギリを飛行する。敵機のレーダーには捕捉できないはずだ」

 そう応じると、いきなりヘリを降下させた。

「わわ!」

 席を立っていた葵と神無月美咲はよろけて操縦席の背もたれに掴まった。ヘリは高度を下げ、海面すれすれまで降下すると、そのまま航行を続けた。

「本当に見つからないの?」

 葵は席に戻りながら訊いた。すると薫は、

「大丈夫だ。外は暗くなって来ている上、音速に近いスピードで航行している敵機に目視でこのヘリを見つける事はできない。やり過ごせる」

「なるほど」

 航空機について全く知識がない葵は頷くしかない。篠原が、

「だけど、戦闘機が出て来たって事は、このヘリは見つかっているって事だよな? だとすれば、次の手を打ってくるんじゃないか?」

 薫はチラッと篠原を見て、

「もちろんそれは考えられる。目的地からの距離を考えると、戦闘機は空母から発進したと思われるからな」

「空母!?」

 葵と美咲が異口同音に叫んだ。篠原は舌打ちして、

「だとすれば、空母のレーダーとソナーには捕捉されているよな? まずいぞ」

「それも想定内だ。心配するな。私を信用しろ」

 薫はまた篠原をチラッと見た。篠原は薫の目の鋭さに背筋が凍りそうになった。

(葵とは違う意味で怖いな、薫ちゃん……)

 篠原は苦笑いして、

「了解。薫ちゃんに任せるよ」

 葵と美咲も頷いて賛意を示した。

(でも、どうするつもりなのかな?)

 薫の考えが読めない葵は、それだけが不安だった。

「今、敵機が上空を通過した」

 薫が告げる。篠原はレーダーを確認して、

「そのまま行っちまったようだな。後はどれくらいで戻って来るかだ」

 薫はその言葉に頷き、

「戦闘機の事は一時忘れろ。レーダーを頼む」

「わかった」

 篠原はレーダーに集中した。ヘリは更に低空飛行になり、海面を掠めて進んだ。

「前方に空母らしき艦影を確認した。まっすぐこっちに迫っているぞ」

 薫にそう告げながら、

(米軍は空母まで盗られたのか? 真実の星条旗は一体どんな組織なんだ?)

 篠原は敵の策略に寒気がした。

「わかった」

 薫はそれだけ言うと、ヘリをそのまま進めた。

「このまま進むと、空母の乗組員に肉眼で発見されるぞ。米軍の空母なら、艦載機が二機って事はないだろ?」

 薫の事を信頼してはいたが、彼女がどうするつもりなのかわからないので、篠原は思わず尋ねた。

「私を信用しろと言ったはずだぞ、篠原? いくら婿養子候補でも怒るぞ」

「ははは……」

 篠原は乾いた笑いで応じた。葵は不機嫌そうに薫を見ている。美咲はそんな葵の反応を見て苦笑いしていた。

「あ!」

 篠原は遥か海上をこちらに向かって進んで来る空母を肉眼で確認した。葵と美咲もほぼ同時に確認した。

「あれは艦対空ミサイルと近接防衛ミサイルを搭載しているぞ。やばいんじゃないか?」

 篠原が言うと、薫は、

「撃つならレーダーで捕捉した時に撃っている。撃たないのは、撃ち方要員がいないからだ」

「ああ、そうか」

 篠原はようやく薫が何を考えているのかわかった。

(戦闘機のパイロットも、空母の操舵手も、連中に操られているという事か。細かい事まで対応させられないと判断したのか)

 一つ間違えれば、一撃で撃ち落とされていたかも知れないのだが、冷静な薫はそれすら可能性がないと見抜いたのだろう。

(伊達に自衛隊で操縦を覚えていないって訳か)

 変な意味ではなく、薫に惚れ直した篠原だった。

「空母もやり過ごすぞ」

 薫はヘリを斜めにし、空母の左舷を掠めるように通過した。彼女の予測通り、空母は何もして来なかった。

(最初から威嚇するだけで出したという事なのかしら?)

 葵はホッとすると同時に、敵に遊ばれたと思えて来て、ムッとした。


「さすがですね。こちらが攻撃するつもりがないのを見抜いているようですよ、ミカエル」

 デスクトップパソコンのモニターのバックライトの明かりしかない部屋で、ラファエルが言った。

「勝手に駒を動かすな、ラファエル。連中は大事な人質でもあるのだぞ」

 不意にラファエルの背後に姿を見せたミカエルが非難めいた口調で言った。ラファエルはニヤリとして、

「申し訳ありません。『啓蒙』の性能を確かめたかったものですから」

 ミカエルはクルッと背を向けて、

「それなら、東京で確認済みだろう? これから大いに役に立ってもらうのだ。実験はもう必要ないだろう」

「はい、ミカエル」

 ラファエルはニヤニヤしながら応じた。「啓蒙」とは何であろうか?

(月か星のどちらかに、大量遠隔操作の秘密に気づきつつある者がいるようだな。まあ、いいさ)

 ラファエルは真顔になり、高速タイプを始めた。


 一人、自衛隊の基地に残された如月茜は、建物のロビーの一角にあるソファに座っていた。

(私だけ何もできないなんて、寂しいなあ)

 まだ自分自身、身体の回復はしていないと思っている茜は、もどかしい思いがしていた。その時、彼女の携帯電話が震えた。茜はハッとして携帯を取り出し、開いた。

(大原さん!)

 画面に表示された名前を見て、茜は危うく叫んでしまいそうだった。

「はい」

 それでも、そこは水無月探偵事務所のフロアでないのは承知しているので、声を落として返事をした。

「茜ちゃん、今どこにいるの? いつもと声のトーンと反響が違う気がするけど?」

 大原は茜の異変に気づいたようだ。茜は苦笑いして、

「今、自衛隊の基地にいます」

「え? 自衛隊の基地? 何があったの?」

 茜は今日起こった事を自分がわかる範囲で大原に説明した。もちろん、全国に指名手配されている星一族の事と篠原におんぶされた事は省略したが。大原は、茜がテロリストの一人に襲撃された事を知り、仰天したらしく、

「大丈夫なのか、茜ちゃん?」

「平気です。一族一の名医に診察してもらって、秘伝の薬を処方してもらいましたから」

 茜は大原の優しさに感動しながら答えた。

「そう。取り敢えず、無事なんだね?」

「ええ。私は無事ですけど、所長達が今、テロリストがいる無人島に向かっている途中なんです。そっちの方が心配で……」

 茜は周囲に聞こえないように注意して言った。すると大原は、

「中央情報局に直接問い合わせてみるよ。何かわかったら、また連絡するから」

「危ない事、しないでくださいね、大原さん」

 茜は涙ぐんで言った。大原は笑ったらしかったが、

「茜ちゃんこそ、今回は大人しくしていないとダメだよ」

「はい……」

 大原にまで安静を通告されてしまったので、茜はまたしょんぼりした。通話を終え、携帯をしまうと、茜は大きな溜息を吐いた。

(所長達、どの辺まで行ったかな?)

 ロビーの壁に掛けられた時計を見ると、葵達が基地を飛び立って一時間が経過していた。窓の外を見ると、すっかり夕闇に包まれていた。


 薫が操縦しているヘリは、その後は順調に航行し、日没近くになった頃には、肉眼でも目的の無人島が見える辺りまで到達していた。

「もう少しだな」

 篠原がレーダーを観ながら薫に言うと、薫は前を向いたままで、

「もう一度くらい出迎えがあるかと思ったが、なかったのは、それもまた敵の狙いだったのかも知れないな」

「ああ。心理的にきつかったよ、確かに」

 篠原は薫を見て応じた。葵が、

「ヘリが着陸できる場所はあるの?」

 薫は夕焼けに染まる島を見て、

「ヘリが降りるくらいの場所はある。大丈夫だ」

「そこに何か仕掛けているという事は考えられない?」

 更に葵が尋ねると、薫は島を見たままで、

「そこまでの人員はいないだろう。それにもしそんな罠を仕掛けているのであれば、空母と遭遇した時に撃たれているはずだ」

「それはそうなんだけどね……」

 葵は納得がいかない顔で口を尖らせる。

「敵の真意が何となくわからないか、葵? 連中は我らと戦いたいのだと思うぞ」

 薫はそんな葵の感情を読み取るように言った。葵は腕組みをして背もたれに寄りかかり、

「そうね。でなければ、貴女の妹を攫ったりしないわよね」

「ああ。捕獲した時点で、殺しているはずだ」

 葵が言い方を濁したのに、薫はストレートに言葉を使った。

(どうもこいつの考えている事、わからない)

 葵は薫の真意を測りかねていた。

「島の上を移動するものは確認できない。大丈夫だろう」

 篠原が顔を上げて薫に告げた。薫は頷いて、

「では、ランディングを開始する」

 ヘリをホバーリングさせ、垂直下降を始めた。下向きに巻き起こっている風が海面を波立たせ、陸地は土埃が舞った。ヘリはゆっくりと陸地に近づき、車輪を出すと、重々しく着陸した。

「よし、行くぞ」

 篠原が立ち上がって扉をスライドさせた。葵と美咲がそれに続く。篠原が先に飛び降り、葵と美咲を受け止めようと待ち構えたが、葵はそれを無視して別の場所に飛び降り、美咲もその後に飛び降りた。篠原がチッと舌打ちすると、

「おい、頼む」

 薫の声がしたので、喜んで顔を上げると、薫が飛び降りて来た。

「おおっと!」

 篠原は薫をお姫様抱っこして受け止めた。それを見た葵がキッとしたが、何も言わずに島の方を見た。

(薫さんの考えがわからない……)

 美咲は顔を引きつらせて、薫を慎重に下ろす篠原を見た。

(まさかと思うけど、薫さん、本当に篠原さんの事が好きなのかしら?)

 薫は夫がいると言ったが、それが嘘なのはわかっている。暴走しかけた篠原を止めるための方便だったのだと美咲は理解していたのだが、どうもそれも怪しい。

(もしかして、所長への当てつけなの?)

 薫の性格はまだよくわからないが、葵をかまうような言動が多いと思ったのだ。

「どうした?」

 薫は美咲がジッと自分を見ているのに気づいて尋ねて来た。美咲は苦笑いして、

「いえ、別に」

 薫は訝しそうに美咲を見たが、

「急ぐぞ」

 そう言うと、走り出した。葵が慌ててそれを追いかけた。

「ちょっと、独断専行はしないでよ!」

 美咲と篠原は顔を見合わせ、二人を追いかけた。

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