第二十一章 薫VSウリエル

 葵は薫とウリエルの攻防を横目で見ながら、

「美咲、火を消すわよ。このままじゃ、おおごとになっちゃうわ」

「わかりました!」

 二人は忍び装束に仕込んである消火剤を炎に向けて散布した。白い粉状のそれは、消防車並みの消火力で、業火を沈静化させていく。

「あれれ、消火しちゃうのか、つまんないなあ」

 ウリエルは薫の攻撃を巧みにかわしながら、葵達の消火活動に不満を漏らした。

「よそ見をするな!」

 その行為を見て、薫が更にスピードを上げて突きと蹴りを繰り出した。

「おおっと、ごめんね、薫さん、別に貴女の事を無視した訳じゃないんだよ。葵さんの方が素敵だって言ったのがお気に召さないのかな?」

 ウリエルはそれでもお調子者のような発言をやめず、更に薫を苛つかせた。

「お前になど好かれたくない!」

 薫は激高し、間合いを詰めてウリエルを追いつめ始めた。ウリエルはニヤリとして、

「おお、怖い! 図星だったみたいだね、薫さん。ごめんね。薫さんもすごく素敵だよ」

「うるさい!」

 薫はますますヒートアップしていた。

「まずいわね、薫ったら。あの子、あんなに挑発に乗る人間ではないはずなのに」

 火をほとんど消し止めた葵が二人の戦いを見て呟いた。美咲もあらかた火を消し終えたので、

「どうしたのでしょうね? 余程あのウリエルと相性が悪いのでしょうか?」

 薫は葵と美咲のそんなやり取りを聞く余裕もない程感情が昂ってしまっていた。

(こいつ、私の一番嫌いなタイプだ。乗せられてはいけないと思いながらも、どうする事もできない)

 薫自身も、ウリエルの挑発に抵抗したくてもできない状態を焦っている。そして、それを打開するために立ち止まった。

「おや? もうおしまい? 薫さん、疲れちゃった?」 

 ウリエルはニッコリして白い歯を見せた。薫は目を細めて、

「いや。疲れたのではない。お前に呆れただけだ」

 薫はそう言い放つと、忍び装束に変わった。ウリエルはピュウッと口笛を吹いて、

「おお、薫さん、おっぱい大きいんだね? やっぱり、薫さんの方がいいかなあ」

 それを聞いた葵がムッとした。

「どういう意味よ!」

「そこで怒らないでください、所長」

 美咲が苦笑いして窘めた。薫は冷静にウリエルを睨みつけると、

「それがどうした? 胸は大きい方が戦闘には不向きだ。だからむしろ、水無月葵が羨ましいぞ」

 妙な切り返しをしたので、葵が更に怒り出した。

「薫、あんたねえ!」

「所長、ですから、そこで怒らないでください」

 美咲はやや呆れ気味だ。ウリエルは肩を竦めて、

「薫さん、遂に本気出すんだ。だったら、僕も本気出そうかな?」

 先程までと違う真顔になり、身に着けていたつなぎを脱ぎ捨てた。つなぎはドスンと地面に落ち、コンクリートの床を砕いた。葵と美咲はギョッとして目を見開いた。

「重い鎧を脱ぎ捨てたから、さっきより早くなるとでも言いたいのか、ウリ坊?」

 薫がフッと笑って挑発した。ウリエルは真顔のままで、つなぎの下から現れた真っ黒な伸縮する生地でできたタイツの皺を伸ばしながら、

「そんな余裕あるのかな、薫さん? 貴女はさっきのでMAXなんでしょ? 僕にはわかっているんだよ」

 挑発を仕返して来た。しかし、薫は、

「そう思ったのなら、いつでも来い。星一族の真髄を見せてやる」

 葵と美咲はゴクッと唾を呑み込んだ。

(薫の本気はあの時以来……。恐らく彼女はもっと強くなっているはず……)

 葵は今後のためにも薫の本気を見ておきたいと思った。

「だったら、行くよ!」

 ウリエルが言い、姿を消した。

「速い!」

 葵と美咲はウリエルを探した。ウリエルは薫の背後に回り込んでいた。

「おしまいだよ、薫さん!」

 ウリエルは右手に刃渡り五十センチのダガーナイフを出し、薫に襲いかかった。ところが、ナイフの刃は薫をすり抜けてしまった。

「え?」

 葵と美咲も薫がそこにいないのを知り、更に驚いた。

(やはり薫は以前より強くなっている……)

 ウリエルもまさか薫がその場にいないとは思わなかったのか、次の動作に入るのが遅れた。

「終わりは貴様だ!」

 薫の声がどこからか聞こえ、ウリエルは地面に顔から叩きつけられてしまった。

「ぐうう!」

 ウリエルは鼻血と土塗れの顔を上げ、周囲を見渡した。だが、彼の視界には薫の姿は見当たらない。

「ぶへえ!」

 次にウリエルは、腹部に強烈な蹴りを食らい、後方に数メートル程吹っ飛んで仰向けに倒れた。

「ゲホゲホ……」

 ウリエルは噎せ返りながら起き上がった。

「てめえ、ふざけやがって! 必ずぶっ殺してやる!」

 軽口を叩いていたウリエルの仮面が外れた。彼は激怒していた。

「見えない相手をどうやってぶっ殺すんだ、ウリ坊?」 

 薫は依然としてどこにいるのかわからない状態でウリエルを挑発する。

「うるせえよ、クソ女が! 今すぐぶっ殺してやるよ!」

 ウリエルはもっと汚い言葉を吐き、血走った目で周囲を見渡した。


 真っ暗な部屋の中で、ラファエルはキーボードを叩いていた。そこへミカエルが現れた。

「ウリエルはどうだ?」

 ラファエルはモニターを注視したままで、

「ダメですねえ。ウリエルの奴、逆上してしまったようです。心拍数も血圧も急上昇しています。もう負けが見えましたよ」

 するとミカエルはフッと笑って、

「まあ、いいさ。いずれにしても、連中は私の敵ではないという事はわかった。ウリエルの観察はもういい。次の作戦に移れ」

「了解です」

 ラファエルもフッと笑って応じた。


 ウリエルはその場で跳躍を始めた。薫はそれを目を細めて観察している。

「僕はね、より強くなるために手術をしてもらっているんだよ。だから、貴女は僕には勝てないよ、薫さん」

 ウリエルはまたニヤニヤし始めた。薫はフッと笑って、

「速いだけが取り柄の阿呆に負ける程我が一族は底が浅くはないぞ」

「うるさいよ!」

 ウリエルの跳躍は数メートルに及んだ。彼はその跳躍を維持したまま、薫に向かった。

「何をするつもりかしら?」

 葵は眉をひそめた。美咲もジッとその行方を見守っている。

「死んじゃいなよ!」

 ウリエルは跳躍の頂点に達した時、隠し持っていたダガーナイフを薫に次々に投げつけた。その数は十以上に及んだ。

「子供騙しだ」

 薫は第一投のナイフを捕え、その後から襲って来る物を次々に叩き落とした。

「隙だらけだよ、薫さん!」

 その次の瞬間、ウリエル自身が薫に襲いかかった。彼のタイツからは無数の針が飛び出していた。

「うわ!」

 端で見ていた葵が思わず叫んでしまう程、それはえげつない攻撃だった。

「最後に抱きしめてあげるよ、薫さん!」

 ウリエルが薫に飛びかかろうとした時、薫は持っていたナイフを投げつけた。ナイフはウリエルの右頬に突き刺さったが、彼は怯まなかった。

「何?」

 薫はウリエルの反応に目を見開き、飛び退いてかわした。

「危ないじゃないか、薫さん。こんなものを顔に投げて。普通の人間なら、死んでいるよ?」

 ウリエルはまるで棘でも取るようにナイフを引き抜き、投げ捨てた。その傷跡からは夥しい血が流れ落ちているが、ウリエルは気にした様子がない。

「お前は何をされているんだ?」

 薫がまた目を細めて尋ねた。ウリエルは腰の辺りから絆創膏のような物を取り出して右頬に貼り付けると、

「僕はね、怖いって思わないんだよ。だから、貴女がいくら凄んでも何も感じないし、目の前にナイフが飛んで来てもよけないし、刺さっても何ともないんだよ」

 薄気味悪い顔で笑いながら言った。

(こいつ、脳をいじられているのか?)

 薫は眉をひそめてウリエルを見た。ウリエルはまた隠し持っていたダガーナイフを五本取り出して、

「じゃあ、行くよ!」

 そう言うと、走った。薫はウリエルが自分に向かって来るのかと思い、飛び退いたが、彼は薫とは違う方向に走り出した。

(何をするつもりだ?)

 薫はウリエルを目で追いながら、反撃に備えた。ウリエルはある程度薫から離れると、今度は彼女に向かって走り始めた。

(何のつもりだ?)

 薫はウリエルが壊れたと思った。ウリエルは走りながらダガーナイフを組み合わせて刃を外側に向けた円の形にした。そして、

「切り刻んじゃうけど、悪く思わないでね、薫さん」

 そう言うと、ナイフを投げた。それはクルクルと回転しながら、薫に迫って来た。

「そんなものが当たるか!」

 薫は難なくそれをかわした。はずだった。

「クッ!」

 かわしたはずのナイフに何故か左の頬を斬られた薫は呻いた。

「何?」

 葵と美咲が異口同音に叫んだ。ウリエルは嬉しそうに笑い、

「まだ終わりじゃないよ、薫さん!」

 その次の瞬間、飛び去ったかと思われたナイフが戻って来たのだ。

「くう!」

 薫はその場から横跳びして回転するナイフから逃れた。するとそのナイフはもう一度方向転換をして、薫に迫って来た。

(一体どういう仕組みだ?) 

 薫はウリエルとナイフの位置関係を見た。だが、わからない。

(奴が操っている様子はない……)

 薫の額を汗が流れ落ちる。ウリエルは薫の焦りを見抜いたのか、

「どう、薫さん? 手も足も出ないでしょ? 降参したら、僕の彼女にして、命は助けてあげるよ」

 また薫の神経を逆撫でするような事を言い出した。しかし、薫はそれには応じず、辺りを見渡した。

(奴が操っているのではないとしたら、誰が操っている?)

 薫はまた目前に迫ったナイフを飛び退いてかわした。だが、何故かナイフは彼女を追うように軌道を変更し、鼻先を掠めた。

「うう!」

 薫の前髪が何本か 切られ、宙を舞った。ナイフがまたしても方向転換し、薫に襲いかかる。

「む?」

 薫は何かに気づいた。そして、袖に仕込んである小太刀を取り出し、振るった。すると、その途端にナイフは落下し、地面に突き刺さった。

「チッ!」

 ウリエルは舌打ちをした。薫は風に揺れている極細のピアノ線を手に取り、

「考えたな。最初の投げの時、このピアノ線を括り付けたナイフを使い、私の髪に結びつけた。だから、小さくかわすと少しだけ方向を変え、大きくかわすと大きく方向転換をさせる事ができた」

 薫は地面に突き刺さったナイフを手に取り、

「その技術だけは大したものだと誉めてやろう。だが、所詮は小手先の誤摩化し。私には通用しない」

 その言葉を言い終えた薫の全身から、炎のような気が噴き出すのを葵と美咲は感じた。

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