第十七章 日本政府の提案

 美咲は医療機器が並んでいる部屋の端にあるソファに星三姉妹の長女の薫と差し向かいで座った。茜は美咲の隣に座り、肘掛けにもたれ掛かっている。

「私が戦ったガブリエルと名乗る男は、身長は二メートルを超え、体重も百キロを超えていました。そして、どこを攻撃しても、痛みを感じていないように思われました」

 美咲が言うと、薫は頷いて、

「私が倒した男もそうだったな。痛みに堪えているのではなく、感じていないようだった。奴の場合は、時間が経つにつれて効果が薄れて来ているのがわかった。お前の相手もそうか?」

「そうですね。只、ガブリエルは、痛みを感じないだけではなく、筋肉や骨を強化している形跡がありました。首を攻撃しても、呼吸も止まらなかったんです」

 美咲はガブリエルを地面に叩き付けた時の事を思い出しながら言った。薫は腕組みをして、

「だとすると、筋肉増強剤などの薬だけでは無理だな。骨を人工物に代えて、筋肉にも人工物を使っている可能性がある」

 美咲はそれに応じて頷き、

「そうだと思います。一体彼等は何者なのか、調べる必要がありますね」

 薫は腕組みを解いて、MRIの上に横になっている白人の男を見ると、

「奴に訊いてみたいところだが、恐らく下っ端だろうから、大した情報は引き出せないだろう」

 そして、再び美咲を見て、

「それより、お前の男の刑事に引き渡したガブリエルの方が尋問のしがいがありそうだな」

「皆村さんは私の彼ではありません!」

 美咲は少しだけムッとして薫に反論した。薫はフッと笑って、

「そうか。それとも、お前の男は、外務省の官僚か? でなければ、衆議院議員か?」

「薫さん、いい加減にしてください。私には彼はいません」

 美咲は顔を赤らめて言い返した。茜は苦笑いしたが、三姉妹の篝が近づいて来て、

「ええ? 本当なの? その年で男がいないなんて、夜が寂しいでしょ?」

 美咲は篝を見上げて、

「そんな事ありません!」

 更に顔が赤くなっている。すると薫が、

「私にも男はいないが、どうすればいいと思う、篝?」

 顔は笑っているが、目が全然笑っていない状態ですぐ下の妹を見た。篝はビクッとして一歩退き、

「か、薫姉様は引く手数多だから、何もしなくても大丈夫よ……」

 声が震え、顔が引きつっている篝を見て、三女の鑑が笑いを噛み殺している。

「話が反れてしまったな。ならば、その刑事に連絡して、ガブリエルとかいうふざけた名前の男に会わせてもらえるように話をしてくれ」

 薫は美咲に目を戻して告げた。美咲は火照った顔を手で触りながら、

「それは無理ですよ。前にも言いましたけど、皆さんは指名手配になっているんですよ? 警察に行くのはまずいですよ」

 薫はニヤリとして、

「心配には及ばない。私だとわからなければ大丈夫なのだろう? 星一族を見くびらないでくれ。現に私は、全くの別人名義で医師免許も持っているのだから」

「それはそうなんですけど……」

 美咲は薫達が警察に捕まる事を心配しているのではない。薫自身がガブリエルにどうやって話を聞くつもりなのかが心配なのだ。

「お前も月一族なら知っているだろう? 我ら星一族がどうやって口を割らせるかくらいは」

 嬉しそうに尋ねる薫を見て、美咲は顔を引きつらせて作り笑顔で応じた。


 葵と篠原は病院を出て、車で篠原の「別宅」、つまり、美咲達がいる場所に向かっていた。

「俺、ちょっと嬉しかったよ」

 運転席で篠原がニヤつくので、助手席の葵は気味悪そうに彼を見て、

「何がよ?」

 篠原は信号で車を停止させながら、

「だってさ、葵が、姉さんの事を『お義姉さん』て呼んでいたからさ。ああ、やっぱり、そうなのかって」

「はあ?」

 葵は篠原が何を言いたいのか理解したが、敢えてわからないフリをした。篠原は更にニヤついたままで車を発進させ、

「て事はさ、俺と結婚するつもりだって事だよな?」

「どうしてそういう短絡的な結論に走るのよ、あんたは!?」

 葵はムッとした顔で篠原を見た。篠原はハンドルを切りながら、

「何で短絡的なんだよ? 実の姉の事を『お義姉さん』て呼ぶ女をあとどう思えばいいんだよ?」

「お芝居に決まっているでしょ! 菖蒲さんのご機嫌を取るには、ああするしかなかったからよ!」

 そう反論しながら、葵は顔を赤らめている。

(護にそんな事を言われると、改めてとんでもない事を言った気がするわ) 

 自分の発言を後悔する葵である。その時、彼女の携帯が鳴った。

「岩戸先生からだわ」

 葵はスーツのポケットから携帯を取り出して開くと、そう言い、通話を開始した。

「岩戸先生、どうしましたか?」

 岩戸老人は、

「片森から連絡があった。葵ちゃんと連絡を取って欲しいと」

 その言葉に葵は眉をひそめた。

「片森首相が? どういう事ですか?」

 葵は篠原をチラッと見てから尋ねた。

「奴は、岩谷の遺体が切り刻まれたのを聞かされて、すっかり怖じ気づいたようだ。知っている事を全部話したいから、葵ちゃんに会わせて欲しいと言って来たんだよ」

「なるほど。わかりました。段取りは岩戸先生にお任せします」

 葵は苦笑いして告げた。岩戸老人は、

「わかった。では、また連絡するよ」

 葵は携帯を切り、ポケットに入れた。

「どういうつもりだ、首相は?」

 篠原が真顔で言った。葵は前を見据えたままで、

「さあね」

 腕組みをした。そして、しばらく考え込んでから、携帯をもう一度取り出して、美咲にかけた。

「岩戸先生から連絡があって、片森首相が会いたいと言って来ているらしいの。だから、私達はこのまま先生からの連絡を待つ事にする。貴女達は薫達と話し合って、今後の動きを検討して」

「了解です」

 葵は美咲の返事を聞くと、通話を切り、携帯をポケットにしまい直した。

「護、どこかで待機するわよ。岩戸先生待ちね」

 葵は篠原を見て言った。すると篠原はニヤリとして、

「わかった。ちょうどすぐそこにホテルがあるから、インターネット予約をするよ」

「何考えてるのよ! 駐車場を探して、車を停められればいいの!」

 葵は呆れ顔で篠原を窘めたが、篠原は、

「大丈夫だって。そんなに時間かからないからさ」

「そっか、あんた、いろいろとすぐに終わっちゃうんだっけ」

 葵は半目になってクスッと笑った。篠原はビクッとして、

「ど、どういう意味だよ! 俺はそんなに早くねえぞ!」

「バカ、何勘違いしてるのよ!」

 話を振っておきながら、葵は顔を赤らめて言い返した。

「俺は葵とはそんないい加減な愛し合い方はしたくないよ」

 突然、真顔で言い出す篠原に葵はドン引きしてしまった。


 スカートスーツに戻って、葵との通話を終えた美咲は、すぐに警視庁の所轄署の刑事である皆村秀一に連絡した。

「はい!」

 相変わらず、皆村は素早く反応して電話に出た。美咲はその早さに一瞬呆気に取られたが、

「たびたび申し訳ありません、神無月です」

「何でしょうか?」

 皆村の声は弾んでいた。それは美咲の横で聞いている茜にもわかる程で、

(強面さん、嬉しそうだなあ)

 つい、苦笑いしてしまった。美咲は微笑んで、

「実は、先程拘束してもらった男を是非調べたいと私の知り合いの医師の方がおっしゃっているんです」

「そうですか。わかりました、すぐに美咲さんのいらっしゃる場所に向かいます。どちらですか?」

 皆村は何も事情を聞かないうちにそう言い始めた。美咲はさすがに面食らったが、

(いつも何も説明しない私が悪いのよね)

 そう思って、話を続けた。

「では、これから皆村さんの携帯にメールで行き先を送信します。よろしくお願いします」

「了解です」

 美咲は通話を終え、メールを送信すると、携帯をしまった。

「では、行こうか」

 変装を終えた薫が美咲に声をかけた。薫はロングヘアで、真っ赤なワンピースを着ており、顔立ちをすっかり変え、元がわからないくらいになっていた。

「凄いですね、薫さん」

 その変貌ぶりに茜も目を見開いて賞賛した。薫はフッと笑い、

「この顔の時の名は、松本早苗だ。平凡で当たり障りがない名だろう?」

 医師免許をハンドバッグから取り出して美咲に見せた。それは紛れもなく本物の医師免許だった。

(星一族、恐るべし、ね)

 美咲は心に中で舌を巻いた。

「姉様、私達はどうすれば……」

 篝と鑑がすがるような目で尋ねると、薫はチラッと茜を見て、

「茜と一緒に監視カメラの映像を解析しろ。私達や水無月葵とあいつの男を襲撃した者達を探し出せ」

「わ、わかったわ」

 篝と鑑は顔を見合わせてから応じた。

「了解です」

 茜は嬉しそうに応じた。彼女にとって、薫はすでに敵対している星一族ではなく、アイドルグループ「トリプルスター」のリーダーの薫に戻っているのだ。

「行くぞ」

 薫は美咲を見てもう一度言った。美咲はそれに頷き、茜に目配せした。茜はそれに黙って頷いた。薫と美咲は「別宅」の表向きの一階で、事実上の二階へと螺旋階段を昇っていった。


 葵と篠原は、駐車場を探しているうちに岩戸老人から連絡を受けた。

「ちっ」

 篠原が小さくしたうちをしたのを聞いたが、それには何も言わず、葵は通話を開始した。

「早かったですね、先生」

「ああ。片森は酷く焦っているようでね。党本部の地下駐車場で待ち合わせようか。そこから、外務省に行く」

 岩戸老人の意外な話に葵は篠原と顔を見合わせた。岩戸老人はそれを察したのか、

「意外だと思っているのかな?」

「はい。どうして外務省なんですか?」

 葵が尋ねると、

「片森は元々外務官僚でね。その繋がりで、事務次官を通じて、葵ちゃんが話してくれたテロリストの情報を入手したらしい」

「なるほど。首相は本気だという理解でいいのですね?」

「もちろんだ。奴もバカではない。相手があまりにも危険な存在だと認識している。だから、何も裏はないさ」

岩戸老人は笑ったようだ。葵も釣られて微笑み、

「わかりました。では、進歩党本部ビルに向かいますね」

「待っているよ」

 葵は通話を終え、篠原を見た。篠原は、

「岩戸のジイさんを疑う訳じゃないが、あまりあの首相を信じない方がいいぞ」

「わかってるわよ。警戒はするわ」

 葵はポンポンと篠原の左肩を叩いた。

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