第八章 激突開始

 金髪碧眼の長身の白人の男は、不敵な笑みを浮かべたままで葵達を見下ろしている。

(こいつが仕掛けて来たら、茜と美咲だけでも逃がさないと……)

 いつも強気の葵がそんな後ろ向きな事を考えていた。それほど、その男は強いのだ。それは星一族の星薫も同じだった。

(何だ、こいつは? 私の攻撃をかわしただけではなく、確実に致命傷を負わせられる箇所を狙って来た。何という対応能力だ……)

 薫の顔が真剣そのものなのを見て、妹達は顔を見合わせた。

「姉様があんな顔しているの、初めて見た」

 次女の篝が三女の鑑に囁いた。鑑は男を睨んだままで、

「ええ。私も初めて」

 そこにいる六人の女達は死を覚悟していた。それでも、それぞれが味方を逃がそうと いろいろ策を考えていた。

「いくら考えても無駄だ。お前達はここで死ぬ。その未来は変わらない。変える事はできない」

 男がニヤリとして言った時だった。ガタンという音がした。その音を聞き、葵は何が起こるのか、瞬時に気づき、フロアの隅へと飛んだ。薫達も葵とは反対側に飛んだ。

「何!?」

 男は次の瞬間目を見開いた。いきなり視界を塞いだのは、美咲が使っていた事務机だったのだ。しかも、飛んで来たのはそれだけではなかった。隣にあった葵の机もその後を追うように飛んで来たのだ。

「おのれ!」

 男は美咲の机を拳で叩き落とし、葵の机をハイキックで薙ぎ払った。

「く……」

 さすがにスチール製の机を殴ったので、拳を痛めたようだ。男の顔が苦悶に歪んだ。そして、それ以上に男の顔を歪めたのは、葵達が一人残らず姿を消していた事だった。

「ふざけやがって!」

 男は叩き落とした机を蹴飛ばし、もう一つの机を投げ飛ばして壁に穴を開け、ソファを持ち上げると、残っていた茜の机に叩き付けて破壊してしまった。

「逃げやがったか、クソ女共が!」

 男は怒りのあまり、雄叫びを上げた。


 葵達は、美咲がその怪力を生かして机を投げた時、すぐに床に仕込んである下の階への脱出スロープを出し、滑り台の要領で素早く降りた。美咲は男が追って来られないように降り切った後で通路を下の階にある非常用の階段をねじ切って突き刺し、開かないようにしてしまった。

「さ、早く!」

 葵は攻撃された脇腹を庇いながらも、先頭に立って皆を誘導した。美咲は茜を背負って葵を追い、薫、篝、鑑の順でそれに続いた。葵達はビルの内部に造られた秘密の階段を降り、地下に出た。そこは駐車場ではなく、更にその下にある脱出用のトンネルが続く場所だった。

「まさか、ここを使う時が来るとはね。あんた達との戦いでも、ここまでは考えなかったからね」

 葵は走りながら、薫を見た。薫は周囲を見渡しながら、

「備えあれば憂いなし、だな。強い者程、いざという時を想定して物事を考えるものだ。さすが、月一族だな」

 その言葉に篝と鑑は納得がいかないような顔をしていたが、何も言わなかった。美咲に背負われている茜は、それらを全て見ていた。

「やめてよ、あんたに誉められるとむず痒くなるわ」

 葵は居心地悪そうに言った。美咲が、

「どこへ行くのですか、所長?」

「私のマンションも、貴女達のアパートも危ないわね。どうしようか?」

 葵は歩を止めて腕組みをした。薫も腕組みをして、

「我らの居所も同じだろうな。さて、どうする?」

 葵を見た。葵は薫を見返して、

「一つだけ安全な場所を知っているんだけど……」

 あまり気乗りしていない顔をして言う。薫は怪訝そうに、

「どうした? 何か問題があるのか?」

「持ち主に問題があるのよ」

 葵がそう言ったのを聞き、美咲はそれがどこなのか理解した。

「篠原さんの別宅ですね?」

 美咲は遠慮して言わなかったのだが、茜が言ってしまった。葵はウンザリ顔で、

「そうよ。あいつの別宅は核シェルター並の造りだから、安全なんだけどね」

「ならば、何も問題はないだろう? 我らは、お前とあの男の邪魔をするつもりはないぞ」

 薫が真顔で言ったので、葵はキッとして、

「邪魔も何もないわよ! それより問題なのは、あいつが見境のないスケベだって事なの!」

「なるほど。男に浮気をされるのが問題なのか」

 薫さんはもしかして所長をからかっているのだろうか? 茜は真剣にそう思ってしまった。

「姉様、やめましょうよ。月一族の男は、本当に女に飢えていると聞きました」

 篝が言った。葵はそれには納得できなかったが、

「でも、どこにも他に思い当たる場所がないから、あいつのところに行くしかないわね」

 薫は何か言いたそうな篝と鑑を睨み、黙らせた。美咲はそれを見て苦笑いした。


 その頃、憧れの美咲に言われて、鑑を襲った敵の遺体が沈んでいると思われる川に到着した皆村秀一は、管轄の警察の鑑識係を引き連れて捜索を開始していた。

(あの頭が破裂したのと同じ遺体が、ここと海に沈んでるって、一体何があったんだ?)

 それでも、美咲には何も訊けない皆村である。彼は私鉄の鉄橋を指差して、

「あの橋の下から、下流へ百メートル程の範囲に沈んでいると思われます。よろしくお願いします」

 皆村はよその所轄がよく人員を割いてくれたと思っていたが、それは葵が警視総監に手を回したからだ。

「了解しました」

 鑑識の係員達は、署長から警視総監の密命だと聞かされているので、皆村が何者なのか尋ねる事はない。全面的に協力するように言いつかっているのだ。一同は河川敷に降り、各々が辺りを捜索し始めた。

(まだ無事のようだな)

 そこへ現れたのは、篠原護。自称葵の恋人だが、葵に言わせれば、「只の幼馴染み」である。篠原は周囲を見渡しながら、

(葵達も俺の『別宅』に向かったと言ってたし……。そこまでの相手なのか、例のテロリスト達は?)

 篠原は皆村を守るために来たのだ。

(葵と星一族の薫ちゃんまで危なかったって言ってたからな。相当ヤバい相手だよな)

 篠原はいつにない真剣な表情で皆村に近づいた。その時だった。

「何!?」

 彼はどこかで手動装填ボルトアクションの音がするのを捉えた。

(狙撃か?)

 素早く周囲を観察するが、近くには狙撃ポイントになるような建物はない。

(だが、音が聞こえたんだ、それ程遠くじゃないはずだ)

 もう一度周囲を注意深く見渡した。すると今度は、トリガーが搾られる音が聞こえた。篠原は無駄だと思ったが、

「伏せろ!」

 大声で叫びながら、河川敷へ降りる階段を駆け下りた。

「え?」

 皆村はキョトンとした顔で振り返った。その動作が幸いしたようだ。銃弾は彼の右頬を掠め、水面に着弾して、水飛沫を上げた。

「伏せろって言ってるんだよ!」

 篠原はそれでも行動を起こさない皆村に飛びかかり、河川敷を転がった。鑑識の係員達も、篠原の行動を見て、やっと何が起こっているのか理解したらしく、慌てて橋脚の陰に身を潜めた。

「このままでいろ。ちょっくら鬼退治して来るから」

 篠原は皆村の頭を軽く押えつけてから立ち上がり、走り出した。皆村が顔を上げた時には、すでに篠原の姿は見えなかった。

(狙撃に頼るような奴は、大した事はない!)

 篠原はトリガーの音が聞こえてから、水面に着弾するまでの時間と角度を見て、狙撃手の居場所を瞬時にして割り出していた。

(葵達を襲った奴より格下なのが癪に障るが、この際、そんな事を言ってられないな)

 葵達を襲撃した男より、皆村を狙撃した人間の方が格下なのは確かであろうが、それでも精度の高い狙撃をしたのも確かなので、篠原は急いだ。

(敵は失敗したのに気づいて、逃走するはず。絶対に逃がさねえ! 逃がしたら、葵にどやされる)

 敵を捕まえる事より、葵に制裁を加えられる事の方が篠原にとって切実なのだ。

「あそこか?」

 篠原は正面に見えて来た携帯電話の電波用の巨大アンテナを支える鉄塔を見上げて呟いた。予想通り、そこから必死になって降りる人影が見えた。

「逃がすかよ!」

 篠原は更に加速し、敵を追いつめていく。敵も篠原が迫っているのに気づいたのか、降りるのをやめて、背負っていたライフルを構えた。

「そんな不安定な場所からの狙撃が当たるかよ!」

 篠原はせせら笑って走った。

「うへ!」

 すると、ライフルの弾道が彼の右肩すれすれを通ったので、ギョッとした。

「おいおい、すごい腕じゃねえか。オリンピック目指したら?」

 そんなふざけた事を考えてしまうお調子者であるが、それでも彼は冷静に状況を分析していた。

「この俺を怒らせたな? 覚悟はできてるんだろうな?」

 篠原は弾道を定まらせないように小刻みにジグザグ走行をし、アンテナの下に辿り着いた。すると敵は今度はライフルを諦め、ハンドガンを使って来た。

「それこそ当たらねえよ、バーカ」

 篠原はアメリカのヒーロー並みの速さで鉄塔をよじ上ると、

「はい、鬼さん、捕まえた」

 敵の右足を掴んだ。すると敵は篠原の顔を蹴ろうとして左足を引き上げた。

「お前、バカだな?」 

 篠原は躊躇う事なく、右足を払った。

「ふえ!」

 敵は妙な声を上げるとバランスを崩し、真っ逆さまに鉄塔から落下した。男は持っていたハンドガンを落としてしまった。

「おっと! 死なれちゃ困るんでね」

 篠原は素早く右足首を掴み、落下を止めた。敵は顔を黒い目出し帽で隠していたが、目と唇の色で白人の男だとわかった。

「あらよっと!」

 篠原は男を抱きかかえたまま、地面へと飛び降り、何事もなかったように着地した。すると男は最後の悪足掻きをした。いきなり篠原に頭突きを食らわせて来たのだ。

「く!」

 篠原がほんの少し怯んだ隙に、男は走り出した。

「待て、こら!」

 篠原は激怒している葵の顔を思い浮かべ、男を追いかけた。

「そこまでだ!」

 すると皆村が追いつき、男の前に立ち塞がった。

「はあ!」

 男は今度は服の下からサバイバルナイフを取り出して、皆村に襲いかかった。

(大丈夫か、あの強面さん?)

 篠原は皆村の実力を測りかねてそう思った。

「うりゃ!」

 皆村は突き出されたナイフを交わし、男の手首を手刀で叩いてナイフを落とすと、そのまま首の後ろを捉えて、地面に叩き伏せた。篠原はそれを見て思わず口笛を吹いた。

「一体こいつは何者なんです?」

 皆村はまだ抵抗している男を組み伏せて後ろ手に手錠をかけながら、篠原に尋ねた。

「さてね」

 篠原は肩を竦めてみせた。

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