レインハート

古朗伍

前編

 誰しもが最初は子供である。

 大人になるために学ぶことが多くあり、その過程で過ちを犯さないように導いてあげるのが教師である。と、僕は思っている。

 教師になって5年。母校に赴任して3年目の春。


「先生、廊下を歩く時は右側をお願いします。正直言って邪魔です」


 僕は一人の女子生徒と廊下をすれ違う際に、毎回のように何かと注意され、その度に苦笑いを浮かべていた。

 彼女はロングヘア―を首元で結んだ生徒会長である。全校生徒をまとめ上げる彼女は、自然と目で追ってしまうようなカリスマを纏い、相手の本質を見通す眼に敵意を向けられればどことなく怯んでしまいそうな凄みも持ち合わせていた。

 彼女の言葉に正当性があると判断した僕は身を引くように道を空ける。


「どうも」


 軽く会釈しながら彼女は歩いて行く。その後ろに続く生徒会の女子生徒たちは、困ったように会釈して彼女の後に続いて言った。

 彼女とは校内でも何かと仲が悪いことで知れ渡っている。その様子を見ていた生徒に、先生嫌われてんなー、と肩を叩かれるのだった。






 出会いは彼女が高校1年生の時、帰りに雨が降り出した日の事だった。

 遅くまで図書館に居た彼女は傘を忘れてしまったらしく、少し雨が弱まるまで待っていた。


「先生。付き合って下さい」


 校内の見回りをしていた僕は、ショートヘアーの彼女と鉢合わせ、自分の傘を貸してあげた。気をつけて帰る様に一言告げて去る際に背中にそんなことを言われたのだ。

 最初は少し薄暗いので、帰り道に不安があるのだろうと思って承諾した。高校生と言っても半年前までは中学生だったのだ。送り届けるのも今回だけなら良いと思って準備する。


「次からは一人で帰るんだよ? 先生は他の傘をとってくるから」


 学校の備品で使えるものがあったはず。彼女に僕の傘を貸したのは、返す時に返しやすいようにする意味もあった。


「違います、先生。そう言う意味じゃありません」


 彼女は否定すると、再び同じ言葉を言った。ただし、今度は少し付け加えて、


「好き……です。付き合って下さい」

「無理です。ごめんね」


 間髪入れずに、僕は簡潔に答えを返した。


「……ええ!? なんで!?」


 大人しそうな口調から温和な性格かと思ったら、意外と物事をハッキリ言うであったらしい。

 整った顔立ち。幼さを残す表情。凜とした瞳。伸び始めたセミロングの髪。これから異性を射止める要素は外見だけでは十分に揃っている。


「色々と理由はあるけどね。一般的にはこういうのは良くない。社会的な問題もあるし、なにより――」


 今までも生徒から、そう言われる事は多々あった。しかし、社会的道徳をねじ曲げてまで生徒とそう言う仲に発展しようとは思わない。


「君はまだ15歳だろう? 高校生になって二か月しか経ってないし、人を好きになるには経験と情報が少なすぎる」


 間違った方向へ行かないようにするのも教師ぼくの役目だ。

 今は魅力的に見えるモノも、時と経験が重なれば自分には適さないと気づいてくれる。今までの生徒も皆そうだった。寧ろ、そうであるのが自然なことなのだ。


「ようするに若気の至りってやつだよ。恋に“恋をする”のは悪いことじゃないけど――」

「もういいです」


 彼女は諦めたように肩で息を吐く。そう言った告白ことを捌き慣れた僕の様子に、何を言っても無駄だと思ってくれたのだろう。


「何を言っても、今はダメそうなので今日は帰ります。けど――」


 僕が貸した傘を開いて、彼女は振り返る。


「嘘と本音くらいは、私にも見分けられます。恋する乙女を嘗めないでください。この眼鏡」


 精一杯の悪口もやっぱり幼い証だと、どこか微笑ましくなった。フォローするように傘を開いた彼女の背中に告げる。


「大人になったら君も解るよ」

「……絶対に後悔させてやる」


 美徳にも似た一途に想う彼女の心が、もっと適した別の誰かに向いてもらうことを、僕は誰よりも望むべきだと判断する。






「先生。傘ありがとうございました」


 次の日の放課後、切れた教室の電灯を取り換えていると、彼女は傘を持たずにお礼だけを言いに来た。


「傘は?」

「濡れてるので乾かしてから持ってきます」

「別に気にしなくていいのに」

「私が気にします」


 今時には珍しい律儀なだと普通なら考えるところだが、昨日の告白の件もある。なるべく話すきっかけを作るために返すのを遅らせている可能性も考えておこう。


「部活は? 何か決めた?」


 特に所属の義務はないのだが、学校側の人間として出来る事ならやることを勧める。


「先生は何が良いですか?」

「……私が決めるところじゃない。君が決めないと」

「そういうと思って書いてきました」


 差出された入部届には、テニス部の名前が入っている。


「テニス部なら、僕じゃなくて顧問の如月先生に出しなさい」

「……先生はどの部活の顧問ですか?」

「どの部活の顧問でもないよ」


 そう言ってくるのは対策済みである。高校生の頃は部活には入らなかった事もあって、割り当てられている部活はない。


「…………じゃあ」

「やめる? 残念だなぁ」


 少々、彼女の気持ちは行き過ぎ始めている。僕に対する気持ちが先行し過ぎて、他の事が二の次になっているようだ。だから、少しだけ挑発した。


「……やります」

「如月先生に持っていきなさい」


 脚立と使い古した蛍光灯を持って、僕は教室を後にした。


「腹黒眼鏡……」


 ボソっとそんな悪態が聞こえたが、可愛いものなので聞こえないフリをする。






『なに? また絡まれてるの?』


 その日の夜、僕は久しぶりにかかってきた幼馴染からの電話を受け、風呂上がりの髪を拭きながら片手間に対応していた。


「まぁね。でも慣れたものだよ」

『あんた、昔からモテてたけど、ここまでくるともはや罪ね。罪』

「いつか罰を受けるかな?」

『ひどい天罰を受けるかもよ? 刺されちゃえ』

「何気にひどいこと言うね。付き合うようになってから毒舌が移った?」

『かーもね。ラブラブでしょ、あたしたち』


 電話の向こうでVサインを作っている絵が想像できる。


『高校生って純粋で混じりっ気のない気持ちで物事を敏感に見る時期でしょ?』

「そうだよ。だから、教師がその道を外したらダメだ」

『別に付き合えって事じゃないのよ。そんなの無理でしょ? 社会的にもアンタの性格的にも』

「……」

『恋は盲目って言うじゃない? 確かに最初は周りが見えなくなるくらい熱を上げる事は珍しくない。アンタの対応もその熱を冷ますのを手助けする対応なのも解る。それじゃ、熱が冷めて、冷静に恋を見定めた時にその気持ちが変わらなかったら、アンタは受け入れてあげられる?』

「……そこまではちょっと考えてなかった」

『いつまでも子供じゃいられないからねぇ。ゲンじいちゃんももう居ないし、頼る側は卒業しないと』

「……それって経験測?」

『そ。半分はアイツのおかげ』

「……もう一年経ったっけ。ゲンじいの命日から」

『経った経った。ちゃんと休みを備えておきなさいよ? 前後に二日くらいは』

「何日も揃って何するのさ」

『今年は田舎者が全員集まれそうだから、山狩りでもしようかと』

「相変わらずの行動力……」

『あはは。サンキュー。でも実際は、ムツミを太陽の下に出すことが目的かな。精神的にも故郷の空気は一番の良薬だと思うし』

「君が背負うの?」

『それは男どもの仕事でしょ。まぁ、エイジに役割は振ってるけど。後はアンタとアイツがローテーションで』

「まったく……サナエ意外に君の舵取りは出来そうにない」

『あはは。あたしは安い女じゃないのよ。文字通りにね。それじゃ、予定をちゃんと開けておいてよ』


 ピッと携帯を切る。そしてカレンダーに幼馴染全員が集まる、恩師の命日を丸で囲んだ。


「相変わらずだなぁ」


 幼馴染の中でも彼女はリーダー的な存在で、いつも皆を引っ張っていた。そんな幼馴染を唯一制御できるのは、一番近くにいた“彼”だけなのだ。


「恋愛経験だとカナメちゃんの方が上かぁ」


 素直な気持ちをぶつけてくる相手を一方的に避けるのは教育上、よろしくないのかもしれない。

 けど、彼女も迷っているだけなのだ。新しく踏み出し始めた成長の一歩目で、指針もなく漂った海で僕と言う目印を見つけただけ。

 最初はその目印に頼りたくなる。誰だってそうだ。頼ってくれるなら僕だって手を差し伸べてあげたい。しかし、歳と経験を重ねるうちに気付く。

 他に目印があることを。だって彼女はまだ、高校生こどもなんだから。

 そうなったとき、間違っても僕が彼女の気持ちを妨げてはいけない。僕は教師おとななのだから。


「いつも通り行こう」


 きっと彼女も身の丈に合った相手をすぐに見つけるだろう。






「先生。ノート持ってきました」

「ありがとう」


 彼女はクラスで委員長に選ばれたらしい。皆から集めたノートを持ってよく、“教員室”に来る。

 職員室に入りきらなかった教職員は少し離れた“教員室”に机を割り当てられることがある。選ばれるのは毎年ランダムで、今年は僕も含まれていた。


「先生。教師やめるんですか?」

「その結論に至るのは色々と過程を省略してる?」


 職員室から外れた場所に居る僕を窓際族のように言っているのだろう。

 彼女は他の先生がいないときは、居座るのが当たり前になっていた。パイプ椅子を寄せて隣に座る。失礼極まりない発言も多々あるのだが、告白事件の件もあるので、酷くなり過ぎない限りは笑って見送っている。


「……部活ですけど」


 と、報告するように自分の事を話してくる。別に突き返すこともないので、人生相談のつもりでいつも聞いてあげていた。


馴染なじめてる?」

「雑務も多いですが」

「運動部はそんなものだよ。聞いたけど雨宮あまみやは中学の頃にテニスをやっていたんだろ?」

「はい。部活ではなくスクールでしたけど……」


 ノートを持ってきた時から愛想は無いが、今は少し嬉しそうな様子だった。尻尾があれば、機嫌よく動かしている感じだ。

 それが慕っている反応なら嬉しいところなのだが。


「それじゃ、雑務だと物足りないんじゃない? ボールを打ちたいでしょ?」

「いえ。必要なことだと解っています。それに、経験者で同じ気持ちなのは私だけじゃないから」


 他人と同じ目線で考える事と忍耐強さも持つようだ。


「それは社会に出ても同じことだよ。理不尽な事には耐えないといけないし、黒だとしても白って言わないといけないときもある」

「先生は、黒なのに白って言ってますよね」

「ははは」


 少し使い方を間違っているが、咄嗟の理解力も相当高いらしい。






 教師と学生という、適切な距離感を保ちながら彼女は高校二年となった。

 僕が持つ彼女のイメージは、あまり愛想のよくないが天才肌というイメージ。しかし、教室で友達と楽しそうに話していたり、部活では活き活きと笑っている様子からも、全くの不愛想と言うわけではないらしい。

 時折見せる笑顔に引き付けられる者は異性、同性、問わずに多かった。

 本質を見抜くような眼と思わず声を聴き行ってしまうカリスマ性に引き寄せられてか、彼女は多くの人間と関わって、関わられている。この調子なら近いうちに新しい“目印”が見つかるだろう。


 最初に彼女を射止めるのは誰になるのか。高校二年目は、本格的に青春が始まる時期だ。その様子を他の生徒と同じように微笑ましく見守ることにした。






 高校二年の夏。部活動における最上級生の引退は、大きな戦力変化となって運動部に波乱を呼んでいた。

 そんな中、一際目立つ存在として、彼女も注目されていた。


「ん?」


 二つの棟をつなぐ渡り廊下は、校舎の裏側に存在するテニスコートを見渡せる絶好のスポットだった。

 明日の授業の資料を片手に通過した僕は、不自然に集まる人だかりに足を止めた。

 放課後のテニスコートには、三年生の引退試合が行われている。同じ職務室にいる如月先生が言うには、次のレギュラーをある程度絞るためのものであるとの事。


 先日まで主戦力だった主将の鋭いサーブの軌道を読み、先に動いた彼女は逆サイドに綺麗なリターンを決めた。

 素人の僕でも解るくらいに完璧と思える動きだ。審判をしている如月先生は嬉しそうに腕を組んで頷いている。


「すごいね。彼女」

「先生、知らないの? ナオってね――」


 観戦していた彼女の友達が、僕に気付いて色々と説明してくれた。

 何でも、彼女は既にエース候補として目を掛けられており、実力は頭一つ抜けているとの事。更に成績も学年トップクラスで、ここ一年間で異性からの告白がいくつもあるらしい。それだけ、彼女の友達でいることが誇らしいのだろう。

 テニスを頑張っている事と、成績が良いことは知っていたが、最後の情報は知らなかった。話をする機会は一年の時から変わらないが、告白の事を一切語らなかったのは、複雑な心境があるのかもしれない。


「彼女、頑張ってるんだね」


 誰にも聞こえないように呟く。と、彼女が長いラリーを制し、再び得点を決めた。

 資料を脇に挟んで軽く拍手する。文武両道とは今時には珍しいくらいだ。今、無意識に作っている彼女の笑顔は、異性を射止めるには十分な破壊力がある。レギュラーとして表に出てくれば彼女の事は一気に話題になるだろう。

 と、彼女は汗をぬぐいながらも、渡り廊下からの視線に気が付いたようだ。


「――――」


 友達が手を振っているのを見つけたのだろう。僕は試合の結果は後で如月先生に聞くことにして、職務室へ戻った。

 その後、部活を終えて戻った如月先生から、彼女が途中から急に凄まじい力を発揮し、主力だった先輩に一方的な試合結果スコアを叩き出したと聞いた。

 高校生の皮をかぶったバケモンだ。個人戦の優勝は確実にもらった。と、如月先生は嬉しそうに言う。

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