Infertility treatment(不妊治療)

新たな舞台の幕開け

                六章


 ワシントン州 ワシントン大学(教員室) 二〇一五年六月八日 午後六時〇〇分

 ワシントン大学構内で起きた二つの事件が解決されてから、今日で一週間が経過――心理学サークル代理顧問の高村たかむら 香澄かすみは、今日もフローラ・S・ハリソンの教員室で自習をしていた。フローラはアメリカでも有名な臨床心理士ということもあり、同じ職を目指す香澄にとって何かと学ぶことは多い。


 毎週月曜日の午後六時〇〇分は、本来なら心理学サークルの活動日。しかし部員のシンシア・ミラーとモニカ・オリーブの両名が、大学構内で事件を起こした犯人とほぼ断定されてしまう。その罰として、新学期が始まるまでにおける心理学サークル活動は当分の間禁止――という命令が大学側から命じられてしまう。

 なお事情を知らないレイブン兄弟ことエドガー・レイブンとアルバート・レイブンに対しては、“顧問の二人が多忙になったため”とはぐらかした香澄とフローラ。


 今でこそフローラの助手としてワシントン大学に通っているが、ほんの一年前までは学生だった。しかもフローラの夫でワシントン大学で外国語を教えている、ケビン・T・ハリソン教授の教え子。だが語学を活かした職ではなく臨床心理士を目指すということで、今は現役臨床心理士フローラの助手になっている。


 右手でペンを回しながら香澄が外を見上げると、今日はあいにくの雨模様。中学生のころからシアトルに住んでいる香澄にとって、この季節の雨はいつものこと。窓に雨粒が“ポタポタ”と流れ落ちる音が、実に心地よい音色を奏でている。

『いいえ、雨なんて私には関係ないわ。この一年分のブランクを埋めるためにも、もっと勉強しないと』


 相変わらず肩の力が抜けず、真面目な性格の香澄。窓辺で雨を眺めていた体を回転させて、ソファーに座ろうとした矢先のことだった。突然教員室の電話が鳴り出したので、

「はい、高村です」

落ち着いた様子で電話の受話器を取る香澄。

「…………」

 だが電話口の相手は終始無言で、香澄が何度問いかけても一向に反応がない。そして数秒ほど経過すると、相手は何も言わずに電話を切ってしまう。

『いたずら電話……まったく、どこの誰よ!? いたずら電話なんて、こんな子どもじみたことをするのは?』


 頬を膨らませながらも、そっと電話を戻す香澄。そして今度こそソファーに座ろうとすると、“コンコン”と誰かがノックする音が聞こえてきた。“今日は何かと忙しいわね”と軽く愚痴をこぼしつつも、

「はい、どなたですか?」

とドア越しで問いかける香澄。だがここでも相手は、何も答えようとはしない。“またいたずらなの?”と少し不機嫌になりつつも、ドア越しにそっと耳を傾ける。

 すると確かにドアの向こう側に誰かがいる気配を感じるのだが、それが誰だか香澄には検討がつかない。もう少し意識を集中して耳を澄ませてみると、“コツコツ”という誰かの足音が聞こえてくる。しかし段々と音が小さくなっていったことから、ドアの前にいた何者かは姿をくらましてしまったようだ。


 完全に相手の気配を感じなくなったことを確認した香澄は、物音を立てないようにそっとドアを開ける。案の定誰もいなかったが、

「あら? 足元に何か落ちているわね……」

教員室の前に置かれている一通の茶封筒を見つける。手に取ってみると、思っていたよりも厚みがある。差出人はもちろんのこと、受取人も一切記載がない。

『もしかして、また!? でも事件はもう解決したはずだし、この茶封筒の中身は一体?』

 

 中身について自問自答しながらも、知的好奇心に負けてしまった香澄は、部屋に置いてあるペーパーナイフを使い封を切る。脅迫状こそ入っていなかったものの、別の意味で香澄を驚かせるものが入っていた。

『これは……何かのかしら? タイトルや題名は……書いていないわね』

少し不気味な雰囲気を匂わせる資料だが、“最初の部分だけでも読んでみよう”と香澄は思い、一枚ずつページをめくっていく。

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