和蝋燭

三津凛

前編


夢はない。

子どものころの夢というのは、今の自分からいかに隔たっているかが希望を起こさせた。だから、何にでもなりたいと思えた。

今思い描くものは、いかに今の自分と卑近なものかで決められる。希望も何もない。私は私を、ある意味知ったのかもしれない。

こんなところでは夢も何もない。手に取れないあやふやなものは、不安を催させるものに去勢させられる。

夢はない。


何度目かの自己分析を終えて、私はいい加減嫌になる。こんなことの積み重ねで、「本当の自分の顔」が立ち昇ってくることなんてあるのだろうか。

私は薄っぺらい。それ以上に、薄味で厚みのないものが私の周りに座っている。そんなもの達から、私は何を引き出して就活すればいいのだろう。


あなたに向いているのは営業職。


本当にそうだろうか。人と話すのは怠いし、雑談も苦痛だった。それなのに、人を相手に何かを売りつけるなんてできるのだろうか。

やればやるほど、私はアメーバのように分裂していく。その欠けら達を集める間も無く、時間は経っていく。

日々届けられる人材会社のメールを辿りながら、私は虚無感と顔を付き合わせる。こうした不安感で肥え太っている人材会社というのは、蚤のような存在だと唾を吐きたくなる。

今日は何もしたくない。

今日も何もしたくない。

今の自分と、いかに卑近なものを選ぶかだった。

それは私を萎えさせる。何かを削っていく。骨を削られるよりも、それは痛い。このままだと、私は生きながら腐乱してしまう。冷めた中華料理に膜が張ってしまうように、私の器にも嫌な膜が張られている。

それを箸でこそげてやらなければ、私はそのまま腐ってしまう。

夢はない。

就活なんて糞食らえだ。人材会社なんて生き血を啜る蚤みたいなもんだ。

それに踊る私は路傍に流れる石鹸水みたいな存在だ。

行き場もなく、あぶくを浮かべている。自分を貶すだけ貶して、堕とすだけ堕としてみると、奇妙な高揚感に包まれる。

あてもなく、私は外に出た。


その時、何が背中を押させたのか分からない。私は「和蝋燭」の工房に足を踏み入れた。

通りに向かって顔を晒す蝋燭たちは、飴色がかった骨のように見えた。昼間よりも明るいLEDに追いやられる様をふと思う。

工房の中は思ったよりも狭くて、私は少しだけ後悔した。レジ横に座っていたおばさんが立ち上がって、微笑む。

「初めて来られました?」

「…はい、そうです」

こんなに蝋燭の詰まった空間に居たことなんて、ない。それでも、電気の灯りを全て置き換えるとこんな風になるのかもしれないと感じた。

「じゃあ蝋燭の説明させて頂きますね」

「…えっ、あ、お願いします」

私は少し戸惑って応える。

「地下の方でお話ししますね」

おばさんは前に立って歩き出す。意外なことに階段が下に続いて、地下は広かった。

「寒くないですか?」

「大丈夫です」

「蝋燭、つけますね」

私はおばさんの手元を眺める。薄暗い中で、蝋燭の炎は希望のように灯る。お寺の本堂にあるような太い蝋燭の炎は真っ直ぐ立つ。

「…今私たちが見てる炎って、江戸時代の人たちが見てたのと同じものなんですよ」

「へぇ、そうなんですか…」

私は不意に興味を惹かれる。電気も蝋燭も、人の手で作られたものであるのに全く違う顔を見せている。人肌のように、蝋燭の炎は暖かい。

おばさんは大きな蝋燭もとは別に、長机の上に小さな蝋燭を二つ置く。

「こっちが西洋蝋燭で、こっちが和蝋燭。…西洋蝋燭は燃え尽きると芯が残るけど、和蝋燭は芯まで綺麗に溶けてなくなるんですよ」

私は二つの炎を見比べる。当たり前になった西洋は、馴染んだ顔を見せている。和蝋燭の炎は優しくそよぐ。初めて見るものなのに、既視感を憶えた。


芯も残さず消えていく和蝋燭は、太古からの日本人の生き方そのものを表しているようで、胸を打たれた。物にまで宿る人の生き様と、凄絶な美しさというのを鼻先に突きつけられた気になった。

電気に追いやられた蝋燭は、誰も拾うことなく野晒しにされる骨のように見えた。飴色がかった骨が炎を纏って、艶やかな汗を浮かべているようだった。

私は初めて、ものを見て美しいと思った。そしてそこに向き合う人たちの無数の横顔を思い浮かべた。

「日本ではなかなか職人って、難しいんですよね。社会的な地位もそんなに高くないし、ドイツとかだとまた違うけどね」

「…そうですね」

おばさんの顔は和蝋燭の作る陰で、より迫って見えた。

「今は海外の人の方が和蝋燭に興味持ってくれるんですよ」

「あぁ、そうですよね。どこの国へ行かれたんですか?」

「最近だと、フィンランド」

おばさんは色々な話をしてくれた。

私は海を越えていく和蝋燭の束を思った。それは誇らしいようでもあり、祖国を追われていくようで、哀しくもあった。

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